死刑廃止論

私は死刑廃止論者なのですが、その理由付けがどうもしっくりこなくて困ってます。
価値判断の背景には早く吊るせ的な風潮への違和感があるわけですが、それでは説得性皆無。
ちょっと一緒に考えてもらえません?

私は国家が国民の人権を制約することに懐疑的です。
ゆえに、戦争以外では国家が国民の人権を制約する最たる場面である刑罰権行使も、できるだけ抑制的に考えようとします。
しかし国家の人権制約に懐疑的な立場であっても、論理必然に死刑廃止が導かれるわけではない。
つまり国家に人の生命を奪うことまでは認めるべきでないとの考えには弱点があるのです。

廃止論者からの理由付け(許容性)として、死刑に変わる代替措置である終身刑の導入があります。
確かに懲役3年と死刑では明らかに前者が軽い。
宅間守のような人間の考えはさておき(彼の存在は死刑を含めた刑罰の犯罪抑止力への疑義で検討すべき。この点は後述)シャバに戻れる可能性の有無がメルクマールとなります。
シャバに戻るということは国家の人権制約が中断されるわけだから。
その意味で
仮出獄の可能性のある無期懲役<死刑
という序列は認め得る。
しかし終身刑と死刑においてはこの判断基準で結論は出ない。
終身刑は生命こそ奪わないが自由を永遠に奪い続けるのだから。
そう。
生命と自由とどちらを重んじるかは一義的でない。
私は輸血を拒否して自己の信仰を貫く自由を尊重する。
手術に際して輸血をする旨を医師が秘匿し無理やり輸血を伴う手術を行うことは自己決定権の侵害となる。
わが国の裁判所も同じ立場である。
つまり「人それぞれ」ということ。(信仰や自由が常に生命を上回るとは言わない。)
にもかかわらず画一的な処理が必要だと言って価値序列を無理矢理つけようとするのは適切でない。(それこそ国家主義的)
終身刑が死刑よりも国家の刑罰権を抑制的に考えているとは言えないのである。
したがって終身刑の導入は死刑廃止論の理由付けには使えない。
また、死刑廃止の許容性として代替措置を挙げるとき、有効なのは国家の人権制約が中断され得る刑罰でなければならず、そうすると無期懲役刑の存在するわが国で死刑廃止を訴えるとき、「その代わり…だからいいじゃん」という言葉は使えなくなる。

もっとも、死刑執行の場合には再審による無罪釈放の可能性が奪われるから、誤審の可能性がゼロでない以上、死刑は廃止すべきとの主張は尚説得的である。
しかし冤罪の可能性だけで死刑廃止までもっていくのはかなり大変である。
だって、「わが国の刑事司法システムはかな~りテキトーで、間違いもままあって後で訂正することもあるから殺さないでおいてね」なんて法案通ります?
ま、事実でないわけではないのですが、それがめでたく民意の支持を得られたとしても、それはむしろ直接刑事司法システムの見直しへ働いていくはずです。

それに、「めでたく」と皮肉ったようにこの国では刑事司法システムへの懐疑的な姿勢が極めて弱い。
憲法刑事訴訟法をはじめとする制度は懐疑的な姿勢に基づくものになっているが、運用で骨抜きになっている。
それどころか報道は被疑者となった瞬間呼び捨て、犯人扱いの内容の報道を繰り返すなどこれを助長している。
そしてそのことへの国民の不満が聞こえない。
思うに、死刑の存置は日本社会の象徴であって、死刑の廃止は様々な論点における自由主義的な観点からの見直しというか国民の考え方のシフトの結果得られるものであって、そうはなっていない状況で死刑廃止を主張しても支持は得られないのではないでしょうか。
国家への懐疑的な姿勢が犯罪を憎む気持ちを上回らないかぎり恐らく死刑廃止はあり得ません。
死刑廃止には社会の成熟が必須の要件となると考えます。
被害者救済制度の欠如もこの視点から説明がつきます。
沿革的にも人権は国家からの自由を本質とします。
したがって人権の尊重と自由主義は極めて親和性が高いわけです。
そして本当に人権を尊重する社会であれば、被疑者・被告人・在監者・受刑者のみならず被害者等の人権を無視するわけがありません。(逆に言えば国家主義的な立場からは人権が軽んじられるわけですが)
被害者の保護支援がないがしろにされている社会で死刑廃止を叫ぶのは先走りであったと思います。
かえって死刑存置論を刺激助長するというしっぺ返しをくらった可能性もあります。

…途中から「死刑廃止論の理由は?」が「日本社会はどうなんだ」にすりかわってしまったので本題に戻します。
えーっと。
今のところ使える理由は再審の可能性を奪うことくらいです。

まず、死刑の犯罪抑止力(一般予防と言います)の欠如ということが死刑廃止論者から主張されますが、これは死刑存置論者が犯罪抑止力があるからと主張した場合にはじめて再反論として有効となるにすぎず、いわば消極的・受身の理由にはなりえますが、積極的に廃止を主張する場合には使えません。

それから、ちょっと難しい話ですが死刑廃止論者から主張される理由としてもうひとつ。
受刑者の更正の機会を奪うということ(特別予防と言います)が言われます。
しかしこの理由は特別予防を刑罰の目的として認めない立場の人間には説得力がありません。
どういうことかと言うと、刑罰にどういう目的があるかという問題があります。
この問題において考え方は大きく分けて3つあります。
1つ目は「そもそも目的なんかない」と言う立場。
刑罰はただ罪を犯したからそれへの報復として科せられる。というもの(絶対的応報刑論)。
2つ目は「あらかじめ不利益を予告しておくことで犯罪を予防することが目的である」という一般予防。さっきでてきたやつです。相対的応報刑論の中から唱えられます。
3つ目は「その犯罪者の教育によって社会を防衛することが目的である」という立場。この考えは行為でなくその犯罪者に着目し、教育の目的から刑罰を個別化して威嚇・改善・隔離という刑罰を科します。犯罪者の危険性に着目するので犯罪者には一定の身体的特徴があるとするなど結構過激なことをいいます。今では絶滅寸前です。
ということで、ほとんどの刑法理論は特別予防を刑罰の目的としては認めていません。
保安処分は刑罰とは別次元の問題であるということです。
刑罰の目的としては認めていないだけなので、受刑者の更正に全く価値がないということにはなりませんが、一般予防という刑罰の目的あるいは応報そのものの前に消え去る運命にあります。

はい。
ここでお気づきになられましたね。
一般予防を認める相対的応報刑論者の「刑罰の目的」に対して、死刑の犯罪抑止力の欠如という主張が生きてきます。
しかし、絶対的応報刑論者には一蹴されることに変わりはありません。
それに一般予防を認める相対的応報刑論者に対しても「じゃあ死刑やめてどうすんの?」と再々反論された場合、こちらは「うーん終身刑?」と答えがちですがこれはワナです。
ニヤリと笑って「じゃぁ終身刑の犯罪抑止力証明してよ」「仮釈放の可能性がゼロではないというだけの無期懲役とどんだけ違うの?」と突っ込まれます。
追い討ちで「法改正しようってのにそれかよ?」とか言われます。
多分…(全部私の想像ですがありえそうでしょ?)
ま、仮釈放の可能性ある無期懲役で一般予防は十分だというのなら一応説得的ですけど、世間を見渡すと随分過激な主張のような気がしてきます。
それに
日本における死刑の一般予防効果≦無期懲役の一般予防の効果
をどうやって証明すりゃいいんでしょ

大変だ。
再審の可能性奪うこと位しか言えなくなった。
そして前述の通り再審の可能性奪うことの憂慮の背景には「刑事司法への懐疑的姿勢の欠如は国家への過度の信頼の表れでありこれは問題である」というイデオロギーがあります。
だから、いわゆる左派は死刑廃止を主張するに傾向にあるわけですが。
問題なのは今のところ唯一の理由にもイデオロギーが絡むということ。
これは痛い。
犯罪を憎む気持ち自体を否定することはできないから強く犯罪を憎む気持ちによってイデオロギーごとひっくり返される危険性がある。
それに死刑が声高に叫ばれる事案ほど「再審なんか必要ない。冤罪なわけないじゃん。あほか」という声も比例して大きいわけです。

困ったわぁ

被害者救済と刑罰は別問題で、被害者感情を刑罰で癒そうとすべきでない。
とか
そもそも犯罪は相対的なものなんだからそんなに熱くなんなよ。
…なんて言っても逆効果だろうなぁ

刑罰権の行使は国家の専権であり、近代市民社会において国家と国民は対峙して考えるべきであるから、刑罰権の行使も抑制的に考えるべきである。
しかるに死刑は人権の制約が中断ないし終了され得る他の刑罰に比して明らかにその度合いが大きい。
また冤罪により国家が不当に人権を制約する可能性が皆無でない以上、再審による救済の可能性を失わしめるという点でも問題である。
したがって死刑を廃止し無期懲役を頂点とする刑罰法規に改め、刑罰とは峻別された教育改善を厳格に見直すことで特別予防を図るべきである。

…なんて言っても怒っちゃってる人はわかってくれないだろうなぁ
他の理由が消えちゃったもんだからいかんせん弱い。
死刑廃止論がここまでイデオロギーむき出しの丸裸だったなんて。

結局、死刑廃止論の本質はイデオロギーであるという結論に至ってしましました。

どなたかイデオロギーに左右されない強固な理由付けがあったら教えてください。
私は
日本における死刑の一般予防効果≦無期懲役の一般予防の効果
ということについてちょっと考えておきます。
もし
死刑の一般予防効果>無期懲役の一般予防の効果
であるなら、社会は死刑の廃止に伴って犯罪の発生増加を甘受しなければならないということになり、我々にとっては向かい風となります。
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コメント
 
 
 
死刑は殺人 (緑虫)
2006-10-13 02:10:14
あらゆる人殺しは許されないと思います。これではだめですかね。

死刑に代わって徹底したカウンセリング、治療教育こそなされるべきだと思います。これ、実は死刑より厳しい道だと思います。

それに刑罰は被害者及びその近親者の報復であってはならないと思いますし。
 
 
 
イデオロギーそのものかも知れませんが…… (デルタ)
2006-10-13 02:18:29
はじめまして。

私も、死刑廃止の理論化を突き詰めて考えたことがあり、

結局袋小路に入った経験があります。



イデオロギーそのものですが、アナルコキャピタリズムの立場から、笠井潔氏が「国家民営化論」という本で、死刑の矛盾をついていました。

「どのような凶悪犯でも、国家という匿名の存在に殺されるいわれはない」という言葉が印象的で……逆にそれしか覚えていないのです(苦笑)

が、その後私も同じような考えに至って私なりに肉付けしますと次の通りです。(世間では、「市場原理主義」とか悪く言われてますけど)



本来ならば、民事的な意味での「賠償」が先行しなければ、権利侵害からの原状回復へ近づいたことにならない。にもかかわらず、贖罪や賠償を完了させずに死を強いるのは、「報復」の意味合いが大変強い。とすると、報復の行為主体は、被害者の縁者しかあり得ないことになる(被害者が死んでいるだろうから)。

そこで、死刑執行は縁者の手を委ね、『報復感情を満たしてもらう』……と言葉にするのは容易だが、実際に「主体的に人を殺し」そのことによるリスクや説明責任を縁者が負えるような人は、ほとんどいないと私は考える。



言い換えれば、誰も犯罪者を殺すという行為に責任を希薄化して、死刑が執行されていっている、というのが現状といえる。



「そんな状態で人を殺すなんてのは責任回避の固まりですゼ」

というのが、今の私の結論です。

 
 
 
TBありがとうございました (華氏451度)
2006-10-13 02:41:31
難しい話をなさる……。もともと混乱した頭がますます混乱して来そうですが(笑)、ちょっと考えたことを簡単に――。私は1つのステップとして、終身刑導入もありだと思っています。生命と自由、どちらを重んじるかは一義的ではないと書かれました。むろんそうですが、生命を絶ってしまったらすべておしまい。「さてどちらが重いか」とじっくり考えることもできません。ただ、終身刑を導入しても「終身刑囚は一生涯、何が何でも閉じこめて絶対に出さない」というのは行きすぎで、特赦の余地も残しておくべき。



また、私は死刑廃止論はイデオロギーとはあまり関係がないと思います。「目には目を」という考え方に同意するかどうか、というごく単純な話のような気もしますが……う~ん、ダメですかね。すみません、半分寝かかってるのでここまで。またゆっくり考えたいと思います。
 
 
 
緑虫さん (山本)
2006-10-13 03:30:40
コメントありがとうございます。



>あらゆる人殺しは許されない

これでは「なら自由を永久に剥奪することは許されるの?」という批判に答えられない気がします。

もし緑虫さんが

どちらが人権にとってより制限的でないかという問題で

自由を永久に剥奪すること<生命を奪うこと

ということへのご意見をお持ちであれば教えていただきたいところです。



>死刑に代わって徹底したカウンセリング、治療教育

これを刑罰として考えると、人によって又は同じ人でも治療の進行状況によって刑期や刑罰の種類が異なってきたりします。行為でなく行為者に着目する考え方に近いです。

この考えを推し進めると、窃盗罪で一生刑務所という人も出てきます。

「実は死刑より厳しい道だと思います。」とおっしゃる通りです。

また、刑罰とは別のものと考えると、次元が違うので刑罰である死刑を廃止する理由としての説得性を失います。



>刑罰は被害者及びその近親者の報復であってはならない

とのご意見には同意します。

逆に社会が死刑廃止を望むなら、被害者及びその近親者の報復感情を失える位のケアーが前提の必須になると思います。

そしてこの前提をクリアできたかが、死刑廃止というイデオロギー(言い切ってしまいますが)が単なる「自己実現」なのか実践をともなう理想的な社会の追及であるのかという違いなのだと思います。

…できるかなぁ(笑
 
 
 
デルタさん (山本)
2006-10-13 03:40:49
はじめまして。

なんとも(私の考える)本質をつっついた題名でのコメントありがとうございます(笑



>「どのような凶悪犯でも、国家という匿名の存在に殺されるいわれはない」

という言葉は確かに印象的です。

我々は国家を介して責任を希薄化し残酷なことを残酷にも無意識に行っているという視点は興味深い。

でも実際に「主体的に人を殺し」てやろうって人も多いとも思います。考えようによっては死刑はもっとも「スリム」な刑罰かもしれませんし。

それに、確かに刑罰のスリム化を目指すという背景は共通かもしれませんが、これを死刑廃止論で援用するには無理がある気がします。

我々は刑罰そのものを否定しようとするわけでなく死刑だけを取り出して否定しようとしているわけですから、「匿名の存在に自由を永遠に剥奪されるいわれはあるのか」とか言われちゃうと思います。

この考え方での被害者なき犯罪における刑罰権行使の許容性とかも気になります。

報復の行為主体を被害者の縁者に限定しているあたりで。(私は応報は社会からの非難と考えますので。)

逆に被害者はどんな態様での刑罰の行使もゆるされるのかとか…

いずれにせよ、刑罰そのものの話で死刑廃止論とは離れていくような気がしてきます。
 
 
 
華氏451度さん (山本)
2006-10-13 04:37:37
あ、こんにちは!



>難しい話

申し訳ないです。アカデミックな話はアクセス低下のモト…というか普通に嫌われますよね。

気をつけます。

にもかかわらずコメントしていただいた皆さんには感謝しています。



>生命を絶ってしまったらすべておしまい

そうですね。

だから再審の可能性云々という話になるわけですが、やはり永遠に自由をという擬制の上で考えると結構「?」じゃありません??



「目には目を」という考え方に同意するかという考え方には「何で刑罰を科せられるの?」という場面では我々は同意せざるを得ない部分がありますが、目をつぶしたからと言って必ずしも目をつぶす必要まではなく懲役などでよいと言う意味では同意しません。

そうすると、人を殺したからと言って必ずしも殺す必要はない。

でも…それが「人を殺したからと言って殺し『てはならない』」とはならない気が…



イデオロギーとの関係の話ですが、これは私が自分に死刑存置でも良いじゃん?と問いかけでてきた答えの全てに「国家が」とついていたことにもよります。

華氏451度さんが「目には目を」に同意できないのはどうしてですか?



恐らく文脈から言って華氏451度さんの結論と

死刑→廃止

終身刑→導入しない

無期懲役→存置ただし教育改善を厳格に見直す

という私の結論とは大差ないとは思います。
 
 
 
ん~ (イルカ)
2006-10-13 07:44:41
人を殺す行為は死刑でも確かにしてもらいたくない。戦争もなければいいけど…

多分アメリカかな?被害者と加害者は少年で、そのお互いの両親が抱き合っているニュースがありました。子供を殺されてしまって被害者の人は本当に悔しいと思うし、加害者の両親も自分の息子が人を殺した事を受け入れるのは、たえがたい悲しみがあったと想います。

互いの両親は話し合いをし一人は死んで一人は生きている現実を認め、生きている子供のこれからを見守って行く事が結論だそうです。

立場は違うのかもしれないけど、親にしてみればある意味同じ心境だと私は感じました。

日本は被害者の配慮も加害者の配慮もなさすぎる国だと思う。死刑をしても実際被害者の気持ちは少ししかはれないと思うので。

死刑がなくなるように、もっと被害者と加害者が接点をもつことが必要だと思います。

変な話し被害者が善人で加害者が悪人のケースが100%ではないので。死刑にするまでもっと長い時間をついやしてもらいたいです。それからでも遅くない気がします…

 
 
 
イルカさん (山本)
2006-10-13 15:29:28
>日本は被害者の配慮も加害者の配慮もなさすぎる国だと思う。

私もそう思います。

確かに刑罰の根拠は社会の応報感情にあるわけですが、それだけで終わってしまっていることが問題だと思います。

たしかに「おまけ」かもしれないけど大切な何かがない。

死刑の問題では社会を沸かせた凶悪事件ということもあって本来の根拠と「おまけ」の齟齬がクローズアップされます。

そしてそれは人権の問題でもあるわけで…

その意味でもイデオロギーだと思うわけです。

ま、刑罰理論自体極めてイデオロギッシュなので当然なのかもしれませんが。



使い古された言葉を繰り返せば、被害者救済なくして死刑廃止を含めた加害者救済なし。

アメリカ(?)の事例は興味深かったです。

社会が犯罪とどう向き合うべきかの縮図のようにも見えます。

被害者救済と加害者救済は車の両輪で、加害者救済なくして被害者救済なしでもあるのかもしれません。

さしずめ、日本はタイヤもないのにエンジンだけうなってる状態でしょうか。
 
 
 
教授の本を見てみました。 (東西南北)
2006-10-14 13:32:07
 コメントありがとうございます。山本さんと僕は結論は同じですが、言葉の定義が違うようなのでそれぞれの言葉の定義で同じ内容を訴えていきましょう。



 で、相対的応報刑論と教育刑論を教授はどのように定義しているかを見てみました。



 コメントしていただいてので、教授の言葉の定義はどういう「事実」かを確認しておこうということです。



 ま、言葉の個人的な意味ではなく、辞書的意味ですね。どちらも言葉の内容が大事であり、言葉の内容が事実だと僕は考えています。



 ともあれ、辞書的意味を確認すると、こうでした。

 

 「刑罰の本質は、応報刑論と教育刑論がある。これが刑罰学派の争点でもある。



 応報刑論は刑罰の本質は応報にあり、正義の要求から犯罪と刑罰の均衡を求め、刑罰は応報以外のなにものでもないという絶対主義を基調とする。



 応報の概念については、法的応報説が一般的であり、法的応報説とは刑罰は犯罪に対する法的応報だとする説。

 法的応報の相当・均衡関係を事実的に見れば、タリオ(同害報復説)となり、価値的に見れば等価説となる。



 教育刑罰は刑罰の本質は教育にあり、犯罪者の再犯防止・社会復帰を目的として刑罰を科すとするものであり、相対主義を基調とする。



 応報刑罰を批判する立場から生まれたもので、犯罪にはなんらかの原因があり、その原因である危険性を除去することが最終的には社会防衛になるとする。



 現在においては、刑罰の本質は応報であるとしながらも、刑罰を威嚇の手段として利用することで、将来の犯罪を予防する機能と犯罪者の再犯を防止する機能を考慮する相対的応報刑論が一般的である」



 (菊田幸一・辻本義男著、『新犯罪学』参照。)



 僕はやはり、教育刑論ですわ。教育系論は絶滅寸前で勝ち目ないのですか(笑)学説的には新しい説みたいですね。応報刑を批判する立場だと(笑)。まさに、僕の教育刑論と同じですわ。僕もこれで死刑廃止を訴えて行きますわ。



 なお、相対的応報刑論の本質は、一般的には、事実上、犯罪に対して、刑罰の相当・均衡させるタリオ(同害報復)なのであり、解釈上は価値等価なんですね。



 やはり、人間と社会と国家権力をどう認識するかの問題ですね。



 山本さんから言えば、イデオロギーの問題なのですが、僕からいえば事実関係ですわ。



 そいでは、今後ともおおいに議論することで死刑廃止の世論を盛り上げて行きましょう。



 

 
 
 
 
Unknown (山本)
2006-10-14 14:52:14
おわかりでないようなので繰り返して申し上げますが、私はアカデミックな議論で気持ちよくなりたいわけではありません。

アカデミックな議論をせずとも死刑廃止を効果的に訴えることは可能です。他の多くのブログのように。

にもかかわらず私があえて持ち出したのはそういった世界からの批判にも耐えうる理論を構築したかったからです。

そもそも私があなたのブログに批判的なコメントを書いたのは、その内容が結論において同じであるにもかかわらず、その理由において私と同じ論点に触れておりその論点を論ずるに際して『誤り』を伝え、それが私の発言と抵触するから、当ブログにあなたから送られたTBを削除しない限りTBを経由しそちらを閲覧した読者が混乱する可能性があると思ったからです。

閲覧者からの当ブログへの評価を守るための自己防衛でもあります。

言葉の定義が違うという問題ではありません。

結論が同じというだけで削除を躊躇した私にも問題があったとは思います。

理由のみならず啓蒙という目的やその手段の重要性への認識(表現に誤りを含んでいても「いいのやないですか(笑)」と言えるか否かなど)も異なるのですから。

私はエントリーで不必要にアカデミックな問題を論じたつもりはありませんが、その後の対応において不注意であったとは思います。

教授に聞いてくれという皮肉を真に受けて教科書をコピペされても「おおいに議論する」気にはなりません。
 
 
 
なんかよくわからないので、質問しておきますね。 (東西南北)
2006-10-14 15:32:29
 ①再審の可能性奪うことの憂慮の背景には「刑事司法への懐疑的姿勢の欠如は国家への過度の信頼の表れでありこれは問題である」というイデオロギーがあります。



 質問:イデオロギーがなければ人間ではないので、イデオロギーがあることは確かですが、言葉とか論理からではなく、冤罪事件の事実から再審の必要性を論ずることもまた然りではないかと。



 で、冤罪事件というのは死刑事件だけではなくて、刑事裁判全体に言えることですので、冤罪・誤判を根拠にして国家の刑罰権を否定していけば刑事裁判システム自体が成立しないのでは?



 いわば懐疑主義というもので、庶民が裁判員になることを断る理由でもありますが、人が人を裁判できるのかどうかということです。



 さらには、山本さんの言うとおり「生命と自由とどちらを重んじるかは一義的でない」のだから、死刑だけを回復不可能な刑罰をすることには無理があり、自由刑と生命刑は共に人権を奪う回復不可能性を持つのであり、やはり、冤罪・誤判論を根拠とする死刑廃止論は刑事裁判そのものの否定へとなっていくのではないでしょうか。



 したがって、死刑廃止論の根拠に冤罪・誤判論は成立しないのではないでしょうか。



 
 
 
 
Unknown (山本)
2006-10-14 15:52:36
誰が国家の刑罰権を否定しました?

再審による救済の可能性が

執行後の死刑<執行中の自由刑

ってことわかりませんか??

 
 
 
いや、その観点はわかります。 (東西南北)
2006-10-14 16:19:36
 再審による救済の可能性が執行後の死刑<執行中の自由刑ってことわかりませんか??



 いや、わかります。



 ただ、誤判を根拠にしては死刑などの刑罰を否定できないのではないかという趣旨です。これでいくと、国家の刑罰権を否定することになるのではないかという質問です。なるのか、ならないのか、という質問です。



 で、救済可能性の観点から死刑を廃止するというのはわかります。しかし、それは誤判かどうかに関係なく、人間には救済可能性があるということではないでしょうか。



 この点、山本さんは「死刑廃止論者から主張される理由としてもうひとつ。受刑者の更正の機会を奪うということ(特別予防と言います)が言われます」といっていますが、賛成ですね。



 結局、山本さんの言うように、「死刑を廃止し無期懲役を頂点とする刑罰法規に改め、刑罰とは峻別された教育改善を厳格に見直すことで特別予防を図るべきである」となるのでしょうね。



 国家の絶対的応報刑を退けて、相対的応報刑を考慮しながら、教育刑へとマイルドに移行していくことが、山本さんの言うごとく、「私があえて持ち出したのはそういった世界からの批判にも耐えうる理論を構築したかったから」であり、「閲覧した読者が混乱する可能性なく」、国民合意で死刑を廃止していくただ1つの啓蒙の内容と方法の現実性というか団結性ということでしょうか。









 
 
 
Unknown (山本)
2006-10-14 16:59:31
>なるのか、ならないのか

なりません

>人間には救済可能性

意味がわかりません

>この点、山本さんは~

私は特別予防が失われることを死刑廃止の直接の理由としていません。むしろ直接の理由としては非力だと言ってます。賛成って??

私の文章ってそんなにムチャクチャかなぁ

なんかへこんできた…

>相対的応報刑を考慮しながら、教育刑へとマイルドに移行

マイルドすぎます

私の立場から教育刑は認められせん。

というか東西南北さんは刑罰理論の体系を理解しておられない。

もっとはっきり言えば私は「閲覧した読者が混乱する可能性」の要因を東西南北さんのご自身の混乱に基づく発言であると言っています。

もし理解しておられれば新派と古典学派が平行線であるということも理解できているはずで、こんな議論(?)もなかった。

それに死刑廃止を訴えるのに刑罰理論は必ずしも必須ではない。

だからもう止めません?
 
 
 
難しい… (緑虫)
2006-10-18 03:51:19
コメントに対して、わざわざ返事をありがとうございます。

自由とは何か? ということを考えなければなりませんね。私は(あくまで私は)こう考えます。勇気をもって世界とつながる努力をする中に自由がある。とすると、刑務所の中で真摯に罪を償おうとしている人は、完全な自由人です。

論理的な整合性よりも、私たちがどのような社会を目指そうとするのか、が大事だと思います。
 
 
 
Unknown (山本)
2006-10-18 14:44:49
私はこう思います。

理想は目的です。

実践は目的を達する手段です。

理論は目的の正当性を担保する手段です。

実践を伴わない理想は空虚です。

理論を伴わない理想は脆弱です。

理想を伴わない理論は無意味かつ有害です。



なんかどっかの格言みたいですが、一応自分の言葉です(笑)

もしかしたら誰かに影響されてるかもしれませんが。

 
 
 
はじめまして (村野瀬玲奈)
2006-11-04 13:56:53
以前から拝見しておりましたが、華氏さんのところにコメントをつけていらしたので、今日はコメントしようと意を決して(笑)まいりました。

物心ついたばかりの頃は死刑について何も知らず何の考えもありませんでしたが、高校の頃からでしょうか、いろいろな意見に接して考えれば考えるほど私は死刑廃止に傾いてきました。

山本さんがこのエントリーで展開している考えに敬意を表します。また、緑虫さんの「私たちがどのような社会を目指そうとするのか、が大事だと思います」という言葉に同意します。

第一の不幸に第二の不幸を対置すれば第一の不幸が鎮まると考える社会を私はめざしたくないのです。

よろしければ、フランスのロベール・バダンテール法務大臣による1981年の死刑廃止時の演説、まだお読みでなければお読みくださいませ。m(__)m
私は宿無しなので、こちら↓に掲載していただきました。
http://kihachin.net/tips/badinter.html
 
 
 
はじめまして (山本)
2006-11-04 17:13:21
うわっ大御所だ(笑
村野瀬玲奈さんのお名前とご意見はいつも拝見しております。
バダンテールの演説は喜八さんにTBをいただいて興味深く拝読いたしました。
エントリーを理屈っぽく書いたのは「共通の恥である死刑」が存置されるのは、それが正しいからではなく「殺したい」という単純かつ悪意に満ちた感情によって支えられているに過ぎないという結論と、逆に我々のめざす死刑廃止の結論は「殺したくない」という単純な感情によってのみ導かれるものではないということをみちびきたかったからです。
ぜひ今後ともよろしくお願いいたします。
 
 
 
Unknown (kokemomo)
2006-11-05 19:03:54
山本さん、こんにちは。
今回は、華氏451度さんのところへの、誤解を招く私の不注意な書き込みによって、ご迷惑をおかけした事を、お詫びします。本当にごめんなさい。でもその後の、大人としての山本さんの対応にほっとしています。ありがとうございました。

私も死刑には反対です。今回の死刑廃止に関する議論に私も加わろうと思ったのですが、私の貧困な頭脳ではとてもついていけず、今、頭はカオス状態です。イデオロギーではない理論を構築したい旨からははずれてしまうでしょうがそれでも、私なりの想いをかたらせて下さい。
>理論のない実践は脆弱である!
このような意味の山本さんの書き込みを見かけたのですが、宇宙の存在自体が理論の上に成り立っている訳ではない事を考えるとその宇宙に暮らす我々の行動も理論ではおしはかれない面を持っていると考えます。だったら思いっきり感覚的でもいいのではないかと・・・と書こうかなとおもっていたのですが、やはり、せっかくの議論に水を差すような書き込みはしない方がいいと思い止めておきます。
建設的な、理論が構築できるといいですね。そして、それがわたしにも理解できる事を期待しています。

ところで、華氏451度さんのところでおっしゃっていた、
>もちろん我々には具体的かつ現実的なプランがあります。
山本さんの非武装の将来プランというのを知りたいのですが、どこかにコメントしていますか?
教えていただけると、うれしいのですが・・・
これから、よろしくお願いします。
 
 
 
Unknown (山本)
2006-11-05 19:55:18
kokemomoさん、こんにちわ
あの件は事情はどうあれ突き詰めれば私に非がある。
だからもう忘れましょう。
てか忘れてください(笑
むしろkokemomoさんとも眠り猫さんとも知り合えてよかったと無理矢理にでもプラスに考えたい。

ところで「理論のない実践は脆弱」というのは「理論を伴わない理想は脆弱」の間違いです。
逆に「理想を伴わない理論は無意味かつ有害」とも言っています。
ちょっとした言葉の違いが全く逆の意味になってあらぬ誤解を招きますのでごめんなさい。
私がいうのも何ですが(笑
たまに誤解されるのですが、難しいことを言うのはカッコつけてるわけでなく、私が説得しようとする相手には「難しいことを言ってくる人」も含まれているからです。
kokemomoさんが70歳のおばあちゃんを対象としているのと同じです。
難しいことを言ってくる人にはせっかくマトモなことを言っても感覚的ものだと一蹴されちゃいます。
アイツら性格悪いですから(笑
私はそれがくやしい。
だから難しくなっちゃうんです。
逆に私の言葉は70歳のおばあちゃんには通用しません。
それぞれの畑でそれぞれの実をみのらせればいいと思います。(って言うようなことを村野瀬玲奈さんがいってました)

ちなみに
死刑廃止についての私の当面の結論(?)めいたものはコチラ↓です。
http://blog.goo.ne.jp/yamamoto_co/e/5909c6562a4698f6f3e7592c6d8c8114

「非武装の将来プラン」(に近いもの)はコチラ↓です。
http://blog.goo.ne.jp/yamamoto_co/e/baabbbfac204a706afdb5f5261e5abe8
議論のテクニック的にはまず相手に発言させたいわけで、私の展望を前面に押し出すようなことはしませんでした。
論点から離れていちいち突っ込まれてもうざったいですから。
そんなわけでもったいつけてごめんなさい。

またお話できたらうれしいです。
 
 
 
「死刑」もうやめよう。 (papa1992)
2006-11-15 22:56:50
はじめまして。
私は、ある殺人事件の被害者遺族です。
難しいことは分かりませんが、
殺人事件を経て、殺人の虚しさ、ばかばかしさを
この身で学ばされました。
「死刑」も恐ろしい「殺人」行為に過ぎません。
もう廃止すべきと思っています。


 
 
 
コメントありがとうございます (山本)
2006-11-16 22:41:28
我々は死刑廃止を訴えるとき、常にもし自分が被害者遺族だったらという問いにぶち当たります。
そしてまた被害者感情にもっと配慮すべきだという批判にさらされます。
さらに我々が「刑罰は被害者(遺族)感情のためにあるのではない」という『正解』を殊更に強調することはおそらく被害者遺族の方の神経を逆撫ですることでしょう。
確かに刑罰の根拠は社会の応報感情にあるわけですが、それだけで終わってしまっていることが問題だと思います。
ですから被害者遺族であるにもかかわらず、死刑廃止を訴える方のご意見は本当に重く感じます。
恐らく私の想像を絶する葛藤を超えてこられたのだと思います。
軽々しく聞こえるかもしれませんが、本当に心から敬意を表します。
papa1992さんのブログは今後も拝見させていただきます。
 
 
 
死刑廃止集会に人殺しが乱入したら (およよ)
2006-12-25 14:25:42
刃物とピストルを持った人殺しが日本アネムスティの死刑廃止集会に乱入。
警察官が次々と人を襲う犯人を射殺しようとするのを、「国家が人を殺す権利なんてない」と堂々と主張して制止させ、
潔く集まった死刑廃止論者が全員殺されるなら、その主張を認めてあげても良い。

私は国家が極悪人を殺すことに大賛成です。
 
 
 
Unknown (山本)
2006-12-25 18:38:29
ただでさえ意見の錯綜する論点に正当防衛等無関係な問題を持ち出して話をわかりにくくするのはやめましょう。
はっきり言ってあなたのコメントは「死刑廃止論者が全員殺されるなら」「極悪人を殺すことに大賛成」等大変聞き苦しい。
妄想の世界で人の死を楽しんでいるようにすら思える。
ご自分がそういう下卑た感情を恥ずかしげもなく表現する変態ヤローであるということをお認めになるのであれば、あなたの理由も何もないコメントが「主張」であることを認めてあげても良いですよ。
 
 
 
Unknown (TAM)
2007-06-30 01:06:17
近代以前なら仇討ち、敵討ち等出来たんだろうけど
近代になり法の概念を持ち込んで、それら個人での復讐を取り上げた以上
もう少し被害者の立場に立った判決ってないもんだろうか?
私が親兄弟を殺されたて加害者が何年かの刑で終わるなら
殺し屋雇ってでも加害者を殺したいって思う
人一人の命を奪っておきながら人生をリセット再スタートできる加害者
被害者は戻らない訳で、そこに不公平感がありますよね
加害者の更生など被害者からすればどーでもよいと思うし
被害者遺族は普通に生活しトラブルに巻き込まれなければ幸せに生きられたものの
加害者のせいで身内を殺され、普通ならかぶらなくて良い裁判とかの面倒ごと、
人生の大半を加害者とのやりとりに費やされて、相当のエネルギーを使って
それで軽い刑だったらたまらんと思う
まぁ終身刑で絶対外界と遮断というのもなぶり殺す感じで個人的にはアリとは思うけど
 
 
 
無責任な死刑 (無責任な人間)
2007-10-01 04:05:46
制度として死刑制度に賛同するのであれば、そのリスクや問題について責任をもてなければ無責任でしょう。
死刑制度のリスク、その最大のものは冤罪です。
冤罪で死刑になった場合、冤罪被害者は死亡しているわけですから、もはや何の救済を受けることも出来ませんし、自分を冤罪に追いやった人間を責めることも出来ません。

そうした被害について、死刑に賛同する人間は賛同したことについて責任をもつべきでしょう。主権者として当然というべきですね。
制度上、そうした可能性をさけることが出来ないということがわかっているものを支持したわけですから。

しかし、そうした人々はどうやって責任をとるのでしょう。自分だけが死刑に賛同したわけじゃない?無責任もいいとこです。
死刑に賛同する人間だけではありませんよ。
死刑に賛同する人間がいるから制度として維持されてるわけです。
犯罪者が悪い?自分達が作った制度で冤罪を出して死者を出しても、犯罪者にまとめて責任を押し付ければ楽ですな。

世の中とやらのために仕方ない?
冤罪で死んだ人間に納得のさせようがありませんからね。
殺した者勝ちです。むしろ、さっさと死刑にしてしまった方が冤罪の証明が難しくなって好都合かもしれませんね。
苦渋の表情で仕方ないと言うだけなら楽なものです。

再犯のリスク?
それを避けたければ、終身刑を作ればいいだけです。
冤罪を検証する時間も制度的に確保されるわけですから合理的でしょう。

犯罪被害者の遺族のため?
では、死刑となった冤罪被害者の遺族は?
どちらも犯罪の被害者です。

死刑制度に賛成する人間が、そうした問題に対して責任をとることも出来ない、もしくはそうした責任を故意に無視して死刑制度に賛成する様は無責任極まりない。

イデオロギー?笑わせてくれます。
昔の左翼じゃないんだからさ。そんな言葉で自分の無責任や無自覚をごまかすのはやめようよ。

 
 
 
不思議ですね。 (KANTA)
2007-10-07 17:41:31
死刑廃止論者の多くは、必ず犯罪者とその家族の立場で物事を考えているように思います。

人権だとか冤罪・再犯のリスクとか、国家が人を殺すとか。
すべては加害者の前途を考えた発想なんですね。

では、被害者の前途を踏まえた刑罰の在り方では、
何が有効手段とお考えなのでしょう?

刑事裁判は誰のためにあるのか?
その問いに対し「加害者のためにある」と
答えた弁護士がいました。
その方は、もちろん死刑廃止論者でした。
刑事裁判は犯罪者の心理や行動を暴くこと
が全てであり、
被害者の立場や心理は裁判において外野であると、
彼は堂々とTVで答えていました。
そして「誰もが犯罪者=殺人者になる可能性が
あるのだ」とも。だから被害者とて
加害者の立場で物を考えろ…ってわけ?んな乱暴な!
また凶悪な少年犯罪においても、
「人生のホンの一コマに過ぎない」と、
どこまでも加害者サイドでモノを言う。

このことからも分かるように、死刑廃止論者は
加害者擁護でしか論じることをしていないのです。

死刑を廃止すれば冤罪のリスクがなくなるとか、
冤罪で死刑になった人・家族の立場はどうとか、
そんなの全犯罪史上、ほんの一部分だけを取り上げて論じてもらっても説得力ありませんよ。
いったい今まで(現在のような刑事裁判制度が施行されてから)、国家が冤罪だった人を何人死刑に
してきたんです?それほど確率的に多いのであれば、
日本の捜査体制も検察・裁判制度も、かなりヤバイ話で死刑廃止云々の前に、そっちの問題を先にクリアし
ておかないとダメですよね~。

死刑廃止論…これこそが正論だ、正義だと言うのであれば、やはり被害者サイドにいる、家族や彼らを支持する多くの国民感情を納得させなければ、その理論は
永遠に理解されないような気がします。

ちなみに某へリクツ弁護士が言うように
「世界の先進国の中で、日本だけが死刑制度を敢行している」と、よそはこうだから日本もこうあるべき
という、日本人的発想の理論はやめにしましょう。

自分の意見や考えを通す術は、まず自分に反対する
者の立場にたって考えてみる所から導き出すこと。

感情論と理論は根本的に次元が違う・・・なんて
お利口な話をされても、感情でしか物を語れない人が
多いんですから、そういう人すら納得させられる
話でないと、世の中、なかなか変わりません。

多くの善良な国民が願い、また信じたいのは
“法”が、弱い立場の人間の味方であり、
守ってくれるものだ、ということ。
警察や弁護士は、正義の味方であって欲しいのです。

なのに、刑事裁判上での弱い人間とは犯罪者を指す。
この事実に矛盾と違和感を覚えるのは、
普通の人なら、当たり前の感覚なのです。
インテリは「そういう仕組みなんだから」と
バッサリ片付けてしまいますが、
犯罪者側に立っただけの死刑廃止なら、これも
横暴な話です。

きっと死刑廃止論者の山本さんが、
その理論を矛盾なく体系化しようとして
つまづいてしまうのは、被害者意識の立場にも
立ってみようと試みたからなんでしょう。
バランス感覚が優れた方なんですね。
そして、誰よりも深く勉強していらっしゃる。

もしかして死刑囚たちの心情もリサーチしていらっしゃるんですか?
当の本人たちは死刑執行をどう捉えているのか?
また、彼らの家族はどう受け留めているのか?
マスコミが取り上げたり、一弁護士の口で語られるのは、いつも一部の方の声のみで、さもそれが全ての
ように公表されるのは、どうかと思うのです。
そりゃ、いろんな考えの人がいるでしょう。
他人の人生を奪っといて自分は「死ぬのはイヤだ。
怖い。反省してるからどうか許して欲しい」と
必死で更生を誓い、死刑を拒む者もいれば、
逆に「自らの死を持って償いたい」「自分はこれからを生きる自信がない」と、死刑制度があることに
感謝する者だっているかもしれない。
彼らの家族とて、同様でしょう。
私が加害者の家族なら「被害者に申し訳ない。世間に申し訳ない」と、どうか死刑にして欲しいと願います。そう。そういう人もいる、ということです。

でも全ては想像の域でしかない。
死刑廃止論を唱える学者、弁護士とて
どれほど多くの現場を見て、死刑囚たちと会話した
のでしょう?
机上の空論では、独裁政権でない日本
において、死刑廃止を正義と振りかざすのは、
まだまだ遠いことのように思えます。








 
 
 
Unknown (TAM)
2008-03-24 22:14:53
冤罪はまた別の話じゃないです?
私個人としては明らかに犯人である者に対しての死刑
冤罪の可能性のある者に対しては慎重であるべきと思う。
正直、死刑制度廃止側が冤罪を理由にするのは厳しいのでは?
昨今、上がってる死刑に値する犯罪者達
光市の母子殺害、宅間とか
この辺は冤罪など入り込む余地は無いでしょう。
少なくともこういうケースは死刑で良いと思う。
 
 
 
死刑制度は維持してほしいです (ユウ)
2008-04-13 02:50:48
自分は死刑必要と思っています。
死刑廃止論者の方の意見を見ていつも思うのだが、人間の冤罪とか改心とか犯罪抑止力とか国家による殺人とかいろいろあります。なぜか第三者意見なんです。
自分が殺されることを考えていないような気がします。良くいえば聖人君子、悪く言えば他人事なんです。たぶん自分が殺されたら、死んだあとに犯罪者が改心していたら許してしまう自分がいるんでしょう。

私は人間が小さいかも知れませんが、人間が変われるかどうかというより、冤罪の可能性というものより、遺族の報復感情とかいうより、自分が殺されたら問答無用に復讐したいという思いがあります。
たぶん自分の価値の差なのかも知れません。
 
 
 
文化放送報道スペシャル「死刑執行」。 (死刑執行)
2008-05-07 00:25:35
「死刑執行」
- the moment of executing the death sentence in Japan -

文化放送報道スペシャル「死刑執行」。来年に迫った裁判員制度に向けて日本の死刑制度について解き明かす。

this radio program is broadcasted at May-6 2008 by JOQR

Sound Only, Japanese only

related amazon.co.jp link is here(http://shikei.zz.tc/)
 
 
 
冤罪は別問題 (パスカル)
2008-05-10 00:33:20
死刑廃止を主張するときにお決まりで登場するのが『冤罪』だ。
しかし、冤罪は死刑制度と全く別の問題で発生している。
死刑廃止を唱えている方で、冤罪防止システムを唱える人はいないのがこじつけの最大の証明!

冤罪だったらどうする?
それを言うなら冤罪が存在する間は一切の刑罰を止めろ!となるのではないか?

ある方は死刑廃止は世界の趨勢だという。
ほかの国がそうなら日本もそうるという主張
これは、外国が戦争したら日本も戦争してもいいというのと同じで幼稚するぎる

更生を主張する人もいる

再犯が30%程度といわれている中で更生を主張するのはさらに幼稚すぎる
殺人者の更生とは一体なにが更生なのか?
人を殺さないことか?
普通の人は殺人をしない

人を殺したら、もう殺さなければそれでいいのか?
話にならない

死刑制度が犯罪抑止に働かないと証明することはできない。

死刑を免れて、再度殺人をした者も多い

少年法という誤った法のもとで、残忍ななぶり殺しをした者が刑罰もうけないでたった3ヶ月の教育で復帰し
その後恐喝や傷害を繰り返しているのをどう受け取るのか?
少年法のもとでリンチ殺人をしてハクがつくと自慢話をしている者を更生の名のもとに教育だけですませてきた罪はさらに大きい

再犯防止、犯罪抑止、更生
これらは特殊な左翼変質者が故意に創りだした幼稚な妄想にすぎない
議論する必要すらないことを認識すべきだ
 
 
 
Unknown (富沢 伸夫と申します。)
2008-06-10 20:16:04
死刑は、残酷すぎます。
 
 
 
残酷? (パスカル)
2008-06-15 21:07:41
>死刑は、残酷すぎます。

殺人はもっと残酷すぎます

貴方が他人に100万円のモノを破壊されたら
弁償してもらうでしょう

他人のものを奪ったら、修復して償うのではないですか?
人の命を奪ったら、どう修復するのでしょうか?

それが更生なのでしょうか?
日本は一人殺しても、徹底的に残忍に殺しても死刑にはなりません
爪を一枚一枚剥いで、それから苦しむように何日もかけてなぶり殺しにしても
無期にもならないかもしれませんね

犯罪を犯す人の30%程度が再犯しています
普通の人はどんなに悪い環境で育っても犯罪は犯しません。
人を殺しません。

殺人をなくすには、人を殺す人を無くすしかないのです。
それが現実です
 
 
 
Unknown (山本)
2008-06-17 00:53:51
ども
山本です

随分お怒りのようですけども。
…なんでしょうかね

死刑廃止を唱えている方で、冤罪防止システムを唱える人はいないのがこじつけの最大の証明!
冤罪だったらどうする?
それを言うなら冤罪が存在する間は一切の刑罰を止めろ!となるのではないか?

この辺の意図的なマチガイはさておき、私にはあなたのアタマが炎上した理由が気になります。

犯罪を憎むことと、「犯人を吊るし上げろ!」とわめくこととは違います。
被疑者・被告人であればもっと違う。
確かに、その辺を勘違いなさった方とは、議論する必要すらないことを認識すべきです。

その上で
死刑制度が
・特別予防
のみならず
・一般予防
・真実発見と人権保障
・被害者救済
もっと言えば
・国民の応報感情
の観点からも、必ずしもベストな選択ではないということを考えなければいけません。
議論があり得るとしたらそこからです。

死刑存置論ですらない、犯人吊るし上げ論…いや、吊るし上げフィーバーないしフェスティバルは、論点を見えにくくするという点で有害でこそあれ何かを生み出すことなどないのだから。
「議論」の前にまずこの「現実」を見据えることをお勧めします。


 
 
 
刑について (デイトレーダー)
2008-06-20 00:10:54
犯罪を犯しその罪を償うと言うことは、一般社会に戻り、その犯罪者が何らかの与えられた務めを全うすることだと思う。

その務めを終えた時、刑が完了したのではないだろうか。

死刑などと言った刑罰で裁いてしまっては本質は解決されず、ややもすれば神格化さえされかねない。

例えが広がるが、犯罪が病なら死することが完治ではなく、問題の先送りであって、永遠に繰り返される。

生きると言うことは罪深きことであって

----ここから概念----

そもそも生命とは、生きると言うことは、生まれた時点で他の生命の犠牲のうえに成り立つもので、それが食なのか、精神の為なのかは大儀的には差は無い。
生も死も同等に存在するわけなのだ。

---- ここまで ----

問題はシステムとして生ないし死を司る事なのだ。
 
 
 
Unknown (山本)
2008-06-25 03:40:44
興味深いご意見ありがとうございます。
そうですね。
犯罪を一個人のしでかしたことととらえるより、社会の生み出した病と捉える方が、より本質的だし何より建設的だと思います。

>死刑などと言った刑罰で裁いてしまっては本質は解決されず
>問題はシステムとして生ないし死を司る事

この二つの言葉が頭に残りました。
とても印象深いコメントで、本当は色々考えたのですが、まとめる時間がないので次回のエントリーでお会いしましょう。
ぜひまたご意見をいただけることを楽しみにしています。
 
 
 
失礼いたします (小人)
2008-06-29 00:14:24
はじめまして。
たまたま記事を拝見させていただいた学生です。
勉強中の身ですので、法的な知識に関しては皆無に等しいのですが、そんな私でも良かったら1つだけ質問をさせてください。


殺人とは、
『加害者が被害者の“生命”と“自由”を奪うこと』
だと考えた上で、

そのことを償うのに見合うだけのものが、終身刑や無期懲役にあるのでしょうか?


記事に書かれた
>生命と自由とどちらを重んじるかは一義的でない
という言葉に違和感は感じませんが、どちらの方が重要か云々の以前にどちらもかけがえのないもので、どちらが欠けても人間として生きていけないと思います。

人間の人間たる根幹を奪ったことを、一個人が生きて償えるのかが甚だ疑問です。

更生がはたしてどれほどの意味を持つのか、被害者の遺族と和解さえできれば良いものなのか、近代市民社会の国家における国民である資格を自分から(法を破ることで)破棄した人間はその国家に生きていて良い、または生きる必要があるのかなど考えたらきりが無いのですが、どうしても気になった1つを聞いてみたいと思いました。

ただ勘違いなさらないでほしいのは、私は死刑が償うのに適していると述べるつもりはないことです。
終身刑や無期懲役はもちろん、たとえ人間としての資格をすべて奪う死刑であっても“足りない”のでは無いかと考えます。

もっと残酷な刑罰を考えようということではなく、人を殺したことは何があっても償えないのだから、“仕方無しに”現段階で最高刑である死刑をあてはめるしかないのではないかというのが私の考え方です。

6/20のデイトレーダーさんのコメントに本質の解決という言葉を目にしましたが、その事象が取り返しがつかないものである以上、本質の解決も何も無いと考えてしまう私の考えはいささか短絡的でしょうか。
そして生命の概念のくだりに関しては、近代国家における国民として生きる私には一笑にも足りない駄論です。人間として生きようとは考えていないように感じられます。

……余計なことを書いてしまいました。申し訳ありません。


声を大にして死刑賛成とは絶対に言いたくありませんが、でも現状では死刑反対とも言えない…そこに苦悩している学生の戯言でした。
稚拙で汚い上に長文ですみませんでした。
 
 
 
Unknown (山本)
2008-06-29 02:48:18
はじめまして
コメントありがとうございます。

おっしゃるように、刑罰を同等の償いと考えると死刑であっても足りないという事態が生じます。
にもかかわらず、なぜ(仕方無しにせよ)最高刑として、「償い」を達し得ない不十分な刑罰である死刑を定めなければならないのかについて説得力がありません。
飛躍もありますし、同じ不十分なら終身無期でも…という批判にも耐えられないと思います。
その辺を再考願います。

あと、これは新しいエントリーのテーマとしてあげようと思っていたことなのですが…
まず前提として、私は刑罰を個人的な償いとして「だけ」許容されるものととらえません。
社会の制度なのだから何らかの目的に対する手段としての許容性が必要と考えます。
ここに、デイトレーダーさんのおっしゃるように、犯罪を治癒改善すべき社会の病ととらえれば、はっきり言って死刑は制度として「使えない」のです。

この2点から申し上げて、ご自身でもおっしゃるように、「事象が取り返しがつかないものである以上、本質の解決も何も無いと考えてしまう考え」は極めて短絡的に失します。
加えて、社会として健全な姿を取り戻そうという姿勢に欠けたご意見ではないかと思います。
それを私は「吊るし上げ論」と呼びます。

ひとつ質問をさせてください。
なぜ声を大にして死刑賛成とは”絶対に”言いたくないのでしょうか。
 
 
 
「償い」を達し得ない不十分な刑罰 (パスカル)
2008-07-04 23:37:33
死刑を報復だと考えているのではないですか?
償いとは何か?
他者を死に追いやった責任は何か?

死刑にしても何も意味がない??
死刑にしたとろこで何の解決にもならない??

解決できない罪をどう責任を取るのか?

近代云々・・・・
近代=社会構成
社会(=模範)

死刑をなくすことがむしろソーシャリズムであって、その社会がさらに人の罪意識を軽薄にしてゆく
ただし、この軽薄さを生んだ社会は犯罪を犯したら罰せられるという強かな打算をも孕んでいる

戦後直後から凶悪犯罪が減っているからと少年法改正を反対する人がいる

冤罪と死刑制度を一緒に議論することは意味が無い
解決方法が違うからだ

さらにここで付け加えておくが、刑事事件につて『冤罪』という言葉を用いる人は偏見のある言葉ということに気がついて欲しい
『事実誤認』と何故言わないのか?
事実誤認というと犯罪被害者側まで入るのであえて『冤罪』と被告人のみの事実誤認だけを言う
こうした操作によって、多くの人が惑わされ、あたかも死刑廃止論者が知的で冷静な判断をしていると洗脳してしまう

まったく恐ろしいことだ
 
 
 
業界用語? (パスカル)
2008-07-04 23:50:49
人権派の業界用語みたいなものなのかもしれない
多くの人がその意味を考えずに洗脳されてゆく

更生
冤罪

吊るし上げ論?は新語ですか?

彼らはマスコミが殺せ!殺せ!とリンチする
という
そして人々はマスコミに踊らされた愚かな人々というシナリオだ

しかし、本当は、リンチして殺したのは誰なのか?

私は声を大にして『死刑絶対賛成』だ
世界の趨勢に反しいるというハイカラな方々から見るとお粗末なマスコミに先導されて
吊るし上げを叫ぶ次元の低い人間ということになるのだろうか・・・・・・・・・・
 
 
 
Unknown (山本)
2008-07-05 01:46:19
事実誤認は事実誤認
冤罪は冤罪
って日本語学校ですか?
冤罪の可能性がある以上、死刑は廃止すべきだという意見は、
冤罪の可能性がある以上の後に「再審の機会を奪うべきでないから」という言葉が省略されています。
パスカルさんには少し難しかったのかな?
意図的なマチガイとか言ってごめんなさいね

まぁこんな調子だからその他の部分も支離滅裂意味不明
不明というか意味なんかないのだろう

>私は声を大にして『死刑絶対賛成』だ
だから?
私は街角アンケートをやったつもりはない。
問題になるとしたら、説得的な「理由」だ。
もちろんそんなものは書かれていない

ゴミをはっつけないと気が済まないのなら見んなよ
と言いたい

…はい
そうですね
放置して「掃除」を怠ったからこうなるのですね
ちゃんと時間をみて他のゴミも削除しますからもう勘弁してください
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-07-31 00:44:24
賀県三養基(みやき)郡で小学生女児への強制わいせつ事件を起こし逮捕、起訴された無職の男(32)(福岡県宗像市)が佐賀県警の調べに対し、この2~3年、佐賀、福岡両県で女児ばかりを狙い、同様の犯行を約50件繰り返したと供述していることが2日わかった。
男は17歳のころ、小学生男児を誘拐、殺害したとして実刑判決を受け、3年ほど前に出所したばかりだった。
----------------------------------------------------

この男を弁護士などが更生をサポートする会を作っていただそうだ。
再犯になると、当時精神鑑定をしておかなかったからだと言い訳を主張しているという。
少年の時に犯罪を犯すと、成人になっても実名が報道されないらしい・・・・・・・

こいう救いようの無い鬼畜どもに言葉がなくなると
社会環境が悪いと言い出す

社会を悪くしているのはこういう鬼畜どもではないか
社会に存在理由があるのだろうか?
税金を使って更生という詭弁を振りまき
被害者を次から次へと増やしてゆく

でも、特定の方々の仕事確保のためにも
死刑廃止を進めましょう
 
 
 
Unknown (Unknown)
2008-07-31 00:58:15
長崎の事件の男は当時少年事件ということで厳しい刑を受けたわけではない
4歳の子供を体を傷つけ、局部を切り取り、ビルの上から突き落として殺した。
その男が50回も性犯罪を繰り返していた
その男の実名すら報道されない
死刑廃止どろこではない
今の日本ですら、こんな男を生涯刑務所に入れておくことも、死刑にすることもできない

この男が再犯するのを野放しにしておかなければならない

綾瀬コンクリート事件の男も再犯して、警察と裁判官を騙す方法を知っていると言っていたこが解っているが、この男も実名では報道されていない。

目の覚めない人はどうにもならない
せめて、家族や知人が被害に遭遇しないように祈ることしかできない
それが今の日本だ

殺害された者、被害者遺族に対する最悪の犯罪を繰り返す鬼畜どもを更生させるためにこれからどれだけ被害者が出るのだろうか
 
 
 
はじめまして (加藤)
2008-11-26 07:43:34
冤罪可能性で話をすると現行犯の場合はどうなんでしょうか?

鬼畜事件を起こした人は生きる価値があるのでしょうか?
人を殺し、家族や知り合いなどの生活を壊し、近所や社会を恐怖に落としいれた犯罪者・・・。宅間のように反省もせず平然としているやつもいますよね。こんなやつを生かすためにお金を使うのでしたら、本当に生活に困ってる人のために税金を使ってほしいのですが・・・。

死刑になる前に心から反省していた人もいるでしょう。でも、それは死刑になるから死と向かい合い、心から反省できたのではないでしょうか?

残酷な殺され方をした被害者の家族は納得できる答え(死刑)でないと生きていても心は死んだも同然のようになると思います。犯罪者が「のほほんと生きている」と思うと心が痛むでしょう。お金やカウンセリングで解決できるなら、それもありという考えもあるかもしれませんが・・・。まあ、無理でしょう。死刑という判決がでることで被害者家族の心が少しでも和らぐのでしたら、加害者はほんの少しですが償えるのではないでしょうか?

対極にある考えなので、理屈だけでは変わらないと思いますが・・・。死刑賛成の人には心に響くことはまったくないのですが・・・。被害者サイドから納得できる話がないと無理なのではないでしょうか?国民の多くは「もし自分の家族が・・・」や「自分が・・・」と被害者や被害者家族の立場に立って考えてますから・・・。

「さらに我々が「刑罰は被害者(遺族)感情のためにあるのではない」という『正解』を殊更に強調することはおそらく被害者遺族の方の神経を逆撫ですることでしょう。」というのには違和感を感じました。
そういう見方をしている限り相手の心はわからず、変えられないのではないでしょうか?
死刑廃止論者の話は死刑存続を考えてる人を怒らせているだけです・・・。

私は死刑存続を望みます。「感情論」といわれるかもしれません。でも、人間は虫などのように本能だけで生きているわけではありません。人間にとって感情は根幹をなすものです。理屈だけではなく、そこも大切に考えてみてほしいです。
 
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