自由と平和のために
反骨心ブログ
紀宮結婚
11月15日、紀宮さんと黒田さんの結婚式と披露宴が行われたらしい。
毎度のことだが、他にやることないのかよ的なワイドショーに辟易。
で、この人がこんなことを。。。
「フランスの哲学者・ベルクソンが『信仰と結婚は本質的に似ている。その本質の原理は一種の賭けだ』と書いています。何百万、何千万いるかも分からない男の中で一人、女の中で一人、これぞという方を選んで生涯の伴侶とする選択は『賭け』だと思います。やがてお子さまも生まれ、また慶樹さんは都の幹部として奥さんの支えの下に大きな業績を重ねていく、そういう素晴らしいお二人の賭けの『配当』に、わたしたちだけでなく都民、国民が相伴させていただくことを心から期待し、祈念します」
おめでとうございます。乾杯!」(石原慎太郎 都知事)
ベルクソン云々の説教臭いオヤジ的ウンチクはシカトして、ツッコミどころは『配当』以下。『配当』なんていらない。勝手に国民を巻き込むなっての。
ところでお台場カジノ構想はどうなったの?
まさか、それをアピール!?
さすが。やることがえげつないですな。
こんなハプニングも。。。
NHKが15日、黒田慶樹さんと清子さんの結婚式の中継をめぐり、宮内庁から猛抗議を受けた。清子さんが皇居・御所から車で出る様子などを上空からヘリコプターを使って中継。同庁が報道の自粛要請を呼びかけていたが、これを“無視”した格好で、その後の会見から同局の記者が締め出しを食らった。列島の祝福ムードに水を差す失態にNHKは「関係者の方々にご迷惑をおかけしました」とコメントした。
不祥事続きのNHKが今度は、国民挙げての祝賀イベントに“ミソ”をつけた。この日、同局は清子さんが御所を出て式場の帝国ホテルに向けて出発する姿や、宮内庁職員らが見送る様子を皇居周辺の上空からヘリコプターで撮影した。
式の報道については、報道各局に同庁から事前に「報道自粛の要請」が出ていた。一方、警視庁からもヘリの飛行について自粛要請区域が示されていた。はっきりと飛行禁止区域などが示されなかった宮内庁との間に“ズレ”が生じた。
このため、同局は「はっきりと飛行自粛の範囲が示されなかったから」と宮内庁の要請を“無視”。警察庁の要請区域の外からは撮影ができると“勘違い”し強行した。だが、放送を見た宮内庁は激怒。「事前の報道取材要領で御所の取材は各社に自粛を求め、了解を得ていた。撮影が行われたことは大変遺憾」と午後2時からの夫婦の記者会見で同局記者2人を会場から“締め出し”する報復措置に出た。
NHK広報局は「警視庁が設定した飛行自粛要請区域の外側から取材は可能だと判断していましたが、宮内庁の自粛要請に沿わない形になり、関係者の方々にご迷惑をおかけしました」と謝罪コメントを発表。熱心すぎる取材が慶びの日に波乱を巻き起こしていた。(デイリースポーツ)
ははは。バッカでーい。
で、笑えないこんな記事。
挙式から一夜明けた黒田慶樹さんと清子(さやこ)さん夫妻は16日午前、天皇、皇后両陛下に結婚式出席などのお礼のため、宮内庁差し回しの車で皇居・御所を訪ねた。
午前11時前、夫妻は窓越しに会釈しながら乾門から皇居に入った。慶樹さんはスーツ、清子さんは薄いピンクの服に同じ色の帽子姿。午後は皇太子ご夫妻や各宮家にあいさつする。
宮内庁は同日夕、皇族の戸籍である皇統譜に、紀宮清子内親王が結婚によって皇族の身分を離れたことを記入する。皇籍離脱に伴って国から支給される一時金の1億5250万円は、同日中に清子さんの銀行口座に振り込まれる。
(2005年11月16日12時45分 読売新聞)
1億5250万円は、安いんでしょうか高いんでしょうか。ってかそもそも必要なんでしょうか。
176億の宮内庁予算はどうでしょう?
http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-03-02.html
毎度のことだが、他にやることないのかよ的なワイドショーに辟易。
で、この人がこんなことを。。。
「フランスの哲学者・ベルクソンが『信仰と結婚は本質的に似ている。その本質の原理は一種の賭けだ』と書いています。何百万、何千万いるかも分からない男の中で一人、女の中で一人、これぞという方を選んで生涯の伴侶とする選択は『賭け』だと思います。やがてお子さまも生まれ、また慶樹さんは都の幹部として奥さんの支えの下に大きな業績を重ねていく、そういう素晴らしいお二人の賭けの『配当』に、わたしたちだけでなく都民、国民が相伴させていただくことを心から期待し、祈念します」
おめでとうございます。乾杯!」(石原慎太郎 都知事)
ベルクソン云々の説教臭いオヤジ的ウンチクはシカトして、ツッコミどころは『配当』以下。『配当』なんていらない。勝手に国民を巻き込むなっての。
ところでお台場カジノ構想はどうなったの?
まさか、それをアピール!?
さすが。やることがえげつないですな。
こんなハプニングも。。。
NHKが15日、黒田慶樹さんと清子さんの結婚式の中継をめぐり、宮内庁から猛抗議を受けた。清子さんが皇居・御所から車で出る様子などを上空からヘリコプターを使って中継。同庁が報道の自粛要請を呼びかけていたが、これを“無視”した格好で、その後の会見から同局の記者が締め出しを食らった。列島の祝福ムードに水を差す失態にNHKは「関係者の方々にご迷惑をおかけしました」とコメントした。
不祥事続きのNHKが今度は、国民挙げての祝賀イベントに“ミソ”をつけた。この日、同局は清子さんが御所を出て式場の帝国ホテルに向けて出発する姿や、宮内庁職員らが見送る様子を皇居周辺の上空からヘリコプターで撮影した。
式の報道については、報道各局に同庁から事前に「報道自粛の要請」が出ていた。一方、警視庁からもヘリの飛行について自粛要請区域が示されていた。はっきりと飛行禁止区域などが示されなかった宮内庁との間に“ズレ”が生じた。
このため、同局は「はっきりと飛行自粛の範囲が示されなかったから」と宮内庁の要請を“無視”。警察庁の要請区域の外からは撮影ができると“勘違い”し強行した。だが、放送を見た宮内庁は激怒。「事前の報道取材要領で御所の取材は各社に自粛を求め、了解を得ていた。撮影が行われたことは大変遺憾」と午後2時からの夫婦の記者会見で同局記者2人を会場から“締め出し”する報復措置に出た。
NHK広報局は「警視庁が設定した飛行自粛要請区域の外側から取材は可能だと判断していましたが、宮内庁の自粛要請に沿わない形になり、関係者の方々にご迷惑をおかけしました」と謝罪コメントを発表。熱心すぎる取材が慶びの日に波乱を巻き起こしていた。(デイリースポーツ)
ははは。バッカでーい。
で、笑えないこんな記事。
挙式から一夜明けた黒田慶樹さんと清子(さやこ)さん夫妻は16日午前、天皇、皇后両陛下に結婚式出席などのお礼のため、宮内庁差し回しの車で皇居・御所を訪ねた。
午前11時前、夫妻は窓越しに会釈しながら乾門から皇居に入った。慶樹さんはスーツ、清子さんは薄いピンクの服に同じ色の帽子姿。午後は皇太子ご夫妻や各宮家にあいさつする。
宮内庁は同日夕、皇族の戸籍である皇統譜に、紀宮清子内親王が結婚によって皇族の身分を離れたことを記入する。皇籍離脱に伴って国から支給される一時金の1億5250万円は、同日中に清子さんの銀行口座に振り込まれる。
(2005年11月16日12時45分 読売新聞)
1億5250万円は、安いんでしょうか高いんでしょうか。ってかそもそも必要なんでしょうか。
176億の宮内庁予算はどうでしょう?
http://www.kunaicho.go.jp/15/d15-03-02.html
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お茶会
靴に背番号3 笑顔のミスター 文化勲章受章者・文化功労者茶会 (産経新聞) - goo ニュース
お茶会、私も呼んでほしい。
もちろん辞退しますがね。
不名誉なことですから。
頼まれてもオメーなんか呼ばねーよというツッコミは野暮。
お茶会、私も呼んでほしい。
もちろん辞退しますがね。
不名誉なことですから。
頼まれてもオメーなんか呼ばねーよというツッコミは野暮。
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「君が代」強要 天皇発言
「君が代」強要に待ったかけた日本の天皇(朝鮮日報)2004-11-01
日本の国旗である日の丸と国家である君が代は軍国主義の象徴で、禁忌とされていた。しかし1999年、日本の国会はこの2つを再び国旗・国家として認める旨の法案(国旗国歌法)を可決させた。全体主義教育が再び息を吹き返すのではないかと懸念されたものの、「強制力はない」とされた。
ところが、約束は守られなかった。保守派が握っている東京教育委員会は昨年、公立学校の卒業・入学式で君が代を歌わない教員を処罰すると発表し、実際に約230人を懲戒処分にした。
このような状況で28日、天皇の発言が出された。驚いた日本のマスコミに、宮内庁は「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っている」と付け加えた。
東京都の方針が、当初の政府の趣旨からやや外れているようにもみえる、との見方にもみえた。
天皇が現実的な案件について直接意見を述べたという点で、今回の発言を「天皇の権威再建」、「天皇の政治的影響力の強化」など、悪く解釈することもできる。
しかし、今回の天皇の発言は、日本社会の一部保守的な動きに対し、皇室がやや修正をかけたものとみたい。社会の極端化を警戒する日本の良識と自浄力は、今も健在だとみたいのだ。
※この引用記事は2004年10月28日都内で開かれた秋の園遊会で、天皇と招待者の東京都教育委員で棋士の米長邦雄氏との会話の中で、米長氏の「日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるのがわたしの仕事でございます」との発言に対し、天皇が「やはり、強制になるという考え方でないことが望ましいですね」と応じた件を受けたものである。参照記事(しんぶん赤旗)
「日本社会の一部保守的な動きに対し、皇室がやや修正をかけた」とすれば問題だ。
しかしやはりそう見るのが自然なのかも知れない。
明仁にはお口を慎みなさいと言いたい。
天皇は古来より政治的に利用され続けてきた存在だ。
明治天皇言うに及ばず。裕仁が戦後も昭和天皇であり続けたのも政治的に有用だったからだ。
そして昨今では勢いづいた保守派がそれを利用としている。その一人が米長と言うことだ。
たまたま天皇が彼に批判的だからと言って「今も健在」と言うのは余りに安易だ。
日本は未だ立憲君主制なのである。(政府見解)
戦前と違うのは天皇に主権が無いことだが、主権者が天皇の政治的利用によって左右される場合には逆にそれがあだとなる。
利用者の都合の悪いときに「象徴」になっても遅い。
今回のように明らかに政治的な問題について発言をしながら「政策や政治に踏み込んだものではない」とされるのを見るとますます恐ろしくなる。
こんなことを言ってもあまり現実的ではないが、そもそも天皇を残したことが間違いだった。
主権者を象徴に留めただけでも良かったと思っていたが、上記のことを考えるとそうも言い切れない。
まず、生身の人間を象徴とするには余りにも無理がある。
「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないというのはおかしいと思う。」と言う意見も相手が象徴ですら無ければもっともだ。
他方で「象徴」としての地位を持つ天皇は余りにも政治的利用価値が高すぎる。危険極まりない。
この民主主義への脅威(どこかで聞いたフレーズ…)とも言える存在は即刻廃止すべきだ。
もしそれができないのなら、「当然お持ち」な「いろんな考え」も一切発言は許されない。また、天皇に対しては自らの政治的な利用価値とその危険性をしっかりと教育しなければならない。宮内庁はその教育と天皇の監視のためだけに存在する。
今回の一件は天皇の無知と宮内庁の怠慢と保守ジジイの陰謀が招いた、日本人の天皇と言う存在ひいては民主主義への無頓着を「象徴」した事件だったと理解している。
朝鮮日報の言う「日本の良識」が天皇であるとすればこれほど我々にとって屈辱的なことはない。
まあ、当の日本人も理解しきれていない天皇と言う存在への正確な理解を韓国メディアに求めるのは酷かも知れないが、これは彼らにとっても日本への理解と批判材料を得るチャンスでもある。(それとも暗に批判したのか?)
また、日本メディアの不甲斐なさにも呆れた一件だった。
他力本願は良くないが諸外国からの批判へも期待したい。(無理か…)
2006年7月24日※部分を追記
日本の国旗である日の丸と国家である君が代は軍国主義の象徴で、禁忌とされていた。しかし1999年、日本の国会はこの2つを再び国旗・国家として認める旨の法案(国旗国歌法)を可決させた。全体主義教育が再び息を吹き返すのではないかと懸念されたものの、「強制力はない」とされた。
ところが、約束は守られなかった。保守派が握っている東京教育委員会は昨年、公立学校の卒業・入学式で君が代を歌わない教員を処罰すると発表し、実際に約230人を懲戒処分にした。
このような状況で28日、天皇の発言が出された。驚いた日本のマスコミに、宮内庁は「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っている」と付け加えた。
東京都の方針が、当初の政府の趣旨からやや外れているようにもみえる、との見方にもみえた。
天皇が現実的な案件について直接意見を述べたという点で、今回の発言を「天皇の権威再建」、「天皇の政治的影響力の強化」など、悪く解釈することもできる。
しかし、今回の天皇の発言は、日本社会の一部保守的な動きに対し、皇室がやや修正をかけたものとみたい。社会の極端化を警戒する日本の良識と自浄力は、今も健在だとみたいのだ。
※この引用記事は2004年10月28日都内で開かれた秋の園遊会で、天皇と招待者の東京都教育委員で棋士の米長邦雄氏との会話の中で、米長氏の「日本中の学校で国旗を揚げて、国歌を斉唱させるのがわたしの仕事でございます」との発言に対し、天皇が「やはり、強制になるという考え方でないことが望ましいですね」と応じた件を受けたものである。参照記事(しんぶん赤旗)
「日本社会の一部保守的な動きに対し、皇室がやや修正をかけた」とすれば問題だ。
しかしやはりそう見るのが自然なのかも知れない。
明仁にはお口を慎みなさいと言いたい。
天皇は古来より政治的に利用され続けてきた存在だ。
明治天皇言うに及ばず。裕仁が戦後も昭和天皇であり続けたのも政治的に有用だったからだ。
そして昨今では勢いづいた保守派がそれを利用としている。その一人が米長と言うことだ。
たまたま天皇が彼に批判的だからと言って「今も健在」と言うのは余りに安易だ。
日本は未だ立憲君主制なのである。(政府見解)
戦前と違うのは天皇に主権が無いことだが、主権者が天皇の政治的利用によって左右される場合には逆にそれがあだとなる。
利用者の都合の悪いときに「象徴」になっても遅い。
今回のように明らかに政治的な問題について発言をしながら「政策や政治に踏み込んだものではない」とされるのを見るとますます恐ろしくなる。
こんなことを言ってもあまり現実的ではないが、そもそも天皇を残したことが間違いだった。
主権者を象徴に留めただけでも良かったと思っていたが、上記のことを考えるとそうも言い切れない。
まず、生身の人間を象徴とするには余りにも無理がある。
「陛下も人間ですし、当然いろんなお考えをお持ちですから、何も言えないというのはおかしいと思う。」と言う意見も相手が象徴ですら無ければもっともだ。
他方で「象徴」としての地位を持つ天皇は余りにも政治的利用価値が高すぎる。危険極まりない。
この民主主義への脅威(どこかで聞いたフレーズ…)とも言える存在は即刻廃止すべきだ。
もしそれができないのなら、「当然お持ち」な「いろんな考え」も一切発言は許されない。また、天皇に対しては自らの政治的な利用価値とその危険性をしっかりと教育しなければならない。宮内庁はその教育と天皇の監視のためだけに存在する。
今回の一件は天皇の無知と宮内庁の怠慢と保守ジジイの陰謀が招いた、日本人の天皇と言う存在ひいては民主主義への無頓着を「象徴」した事件だったと理解している。
朝鮮日報の言う「日本の良識」が天皇であるとすればこれほど我々にとって屈辱的なことはない。
まあ、当の日本人も理解しきれていない天皇と言う存在への正確な理解を韓国メディアに求めるのは酷かも知れないが、これは彼らにとっても日本への理解と批判材料を得るチャンスでもある。(それとも暗に批判したのか?)
また、日本メディアの不甲斐なさにも呆れた一件だった。
他力本願は良くないが諸外国からの批判へも期待したい。(無理か…)
2006年7月24日※部分を追記
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