坂戸市公益活動団体『北坂戸フォークソング倶楽部』(山木ジョージの桜梅桃李)

 
1960年代~現在の歌を中心に皆さんと一緒に、ギター1本で合唱を楽しむサークルです。

ふたりの愛ランド 石川優子とチャゲ

2020年07月05日 | 音楽

北坂戸フォークソング倶楽部の発起人 山木ジョージです。

1984年当時 学生でガールフレンドも居ない 土日は図書館通いの地味な学生の小生

それでも憧れたね。2人の『アイランド』そんな喫茶店もあったっけネ

この音楽聞くと当時の事を思い出すネ!

それでは手抜き紹介でーす。

 

「ふたりの愛ランド」(ふたりのあいランド)は、石川優子とチャゲ(現:Chage)のコラボレーション・シングル。1984年4月21日に発売された。発売元はラジオシティ。

当時、チャゲ&飛鳥(現:CHAGE and ASKA)のシングルA面は、全て飛鳥涼(現:ASKA)がメインボーカルをとっていたために、チャゲは、シンガーソングライターとして単独でもやっていけるほどの充分な実力を有しながらも、自身がメインボーカルを務める楽曲は常にB面にとどまっており、彼の目立つ機会は皆無といっていい程だった。

ヤマハ音楽振興会としても、チャゲを前面に押し出して売り出す機会を狙っていた。そんな折に、JALのCMソングとしてヤマハに依頼があり、そこでチャゲの作った「ふたりの愛ランド」に白羽の矢が立ったのであった。ただ、あまりにもチャゲ&飛鳥とは曲調が異なり、本人もシャレのつもりで書いたものだっただけに、ヤマハの制作プロデューサー・山里剛が、(飛鳥と組むのではなく)前年にJALのキャンペーンソングを担当した石川優子のマネージャーとディレクターに石川と組むことを提案し、それが採用された。

チャゲは当初、この曲は男女のデュエットを想定せずに自分の歌いやすいキーで作曲していたため、その後キーの合わせ方にかなり苦心したという。

累計では45万枚を売り上げた[4]。

石川も、チャゲと時期を同じくしてデビューしたシンガーソングライターであり、1981年には石川自身作詞・作曲を手掛けた「シンデレラ サマー」(当曲もJAL'81・沖縄キャンペーンソング)がヒットし、当時既にトップアーティストの仲間入りを果たしていた。

「ふたりの愛ランド」と「渚の誓い」のオリジナルバージョンは石川のアルバムには収録された事があるが、チャゲのアルバムには収録された事が無い。2009年発売の「Many Happy Returns」に「ふたりの愛ランド2009」として再録されたものが収録されている(石川も参加)。また、2012年には限定シングル「GO!GO!GO!」のカップリングに「チャゲトルズ・カヴァーバージョン」としてセルフカバーしたものが収録された(女性パートは久松史奈が担当)。