他のブロガーさんの話を書いてしまうって、マナー違反なのかな。
良くわからないし、ときどきそういう場面は見かけるのでいいのかな?
とにかく、乳癌の検診で引っかかって、それから、いろいろブログを読んで元気をもらって、私にとっては、お世話になってばかりのブロガーさんの一人です。再発乳癌の方なので、いろいろな局面が綴られて、何度かコメントしたいと思ったけれども、言葉がうまくつづれなくて、何度も断念してしまっている。いつか、よく考えてコメントをして関わりをもたせていただけたら、嬉しいと思いつつ、ランキングのボタンをぽちっと押す日々。。。
書いてみて思ったけど、こんな所でも私はヘタレなんだわ。。。いろいろお世話になっているのに、何にも出来ない
何度か、書いたけど乳癌という癌にかかったと知ったとき、世界が変わってしまう。それは二度と元の世界へはもどらない。ありとあらゆることが、それに支配されてしまって、影響を受けないものは何一つない。
生活に関わることなら、ありとあらゆる事を考えるときに、癌患者 余命 治療という不確かだけど これまでぼんやりと自分の前にあった更年期を過ぎて、老年、死へ向かう道筋。50ともなれば考えない訳じゃなかった。でも、現実として目の前になかったものが、ぽんっと現れてしまった感じの変化でした。65才までは働く気でいたし、その後は70代後半までは、生きているつもりだったから。いろいろと押し寄せてきて混乱した。
自分でブログを始めて、へたれて文章をぽちぽちと書いてきて、そんなのに付き合って下さったケイさんやさちさんのそのほか目を通してくれた人たちのおかげで、まとまってきた部分も大きいけれども、いろいろな人のブログに綴られる生き様には影響を受けた。
徐々に
「再発するか しないかはわからない。びくびく考えるのは、無駄なこと」
ある、再発されたブロガーさんが書いておられました。再発した自分が言うのだからそうなのだと。再発してから考えればいいのだと。そうだよなと素直に実感しました
「なってしまったものはしょうがない。出来る限り(身体が許す限り)の治療を受けて、治療を受け続けることになっても、日常生活を取り戻そう」
実際にどういう生活を出来るようになれば、取り戻せたというのかというと良くワカンナイのですが、意気込みはそんな感じ
「再発してしまったとしても、どんどん新しい薬は出ているし、みんな頑張っている。再発しても長く生きている人も沢山いるんだから大丈夫。頑張ろう」
そして、家族に関しては
「痛い手術も、辛い通院も、点滴も、忙しい仕事も。全て、少しでも長く家族の側にいたいから。いて欲しいと思ってくれていると思うから。側にいようと頑張っていることこそが、家族に見せる姿だから」
子どもに関しては、うちの子供たちはもう大きいので、そういう感情はあまりないかもしれないけれども、、、
病気にせよ、交通事故にせよ、親が亡くなったとき、子どもは理不尽なことだけれども「捨てられた。置いて行かれた」という感情を持つって言うから、頑張っている姿を見せないと。
という考えにまとまり、治療をうけていたのだけれども。。。
担当の精神科の先生によると
「この治療がダメでも まだまだ先がある。大丈夫」って考え方ではダメらしい。癌と向き合っていることにならないらしい。
「治療の選択肢が限られてしまう時が来るかも知れない、と言う事実からは目をそらさず、自分は大事な人にどういうメッセージを残せるか、自分がいなくなることは、それはとても悲しいことだけれど、それにも意味を見つけられればカンペキ」ってことらしい。カンペキである必要なんてないとは思うし、カンペキを求めれてもなんだけど。。。
求めてないのかもしれませんけども
いろいろな治療を頑張っていること自体がメッセージだと思うのだけども違うのだろうか。
抗癌剤だって、手術だって、乗り越えられない試練じゃないけども、簡単なことじゃない。
越えてゆくのは、側にいたいからってメッセージに他ならず。。。他に何を考えればいいのだろうって思って。。。
後の憂いのないように 何て状況は絶対できっこないし。ぐるぐる。
ぐるぐるした結果、今は結局前の考え方でよいという気持ちになってきています。
同じ結果になってたとしても、一度考えて見るのは、良いことだったのかな。
いや、色々考えたのだから、何か+になるものを拾っておかないと。
そこまで、もう、ちょっとかなー。
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