見出し画像

古今東西のアートのお話をしよう

マティス展 東京都美術館


ピカソ(1881〜1973)より一回り年上のアンリ・マティス(1869〜1954)は、共に20世紀美術を代表する巨匠。今まで散発的に作品を見る機会はあったが、初期作品から最晩年の作品まで網羅的に鑑賞できる、ほぼ初めての大規模な回顧展。
初日でしたが、それほど混んでおらずゆったり鑑賞できました。
構成は、
1. フォーヴィズムに向かって
2. ラディカルな探求の時代
3. 並行する探求ー彫刻と絵画
4. 人物と室内
5. 広がりと実験
6. ニースからヴァンスへ
7. 切り紙絵と最晩年の作品
8. ヴァンス・ロザリオ礼拝堂
(4.5.6.のみ撮影可能・撮影不可の写真はネット画像借用)

豪奢、静寂、逸楽 1904年
新印象主義の影響を受けた作品

アルジェリアの女性 1909年

着物を着ているように見える、浮世絵の影響がありそう

金魚鉢のある室内 1914年

窓の外と内、呼応する色彩、静謐な世界

赤いキュロットのオダリスク
1921年

赤の絨毯に赤いキュロット、壁紙、青の衝立に、薄い青のヴェール、青い花瓶に赤い花、そこだけ妙に生々しい裸体…

モデルは、元ダンサーだった“アンリエット・ダリカレール”彼女は7年間モデルを務め、マティスは「オダリスク」シリーズを制作する

夢 1935年
リディア・デレクトルスカヤ(1910〜1998)は、ロシア貴族で医師家庭の一人娘だったが両親が病死し孤児となり親戚に育てられた。ロシア革命で満州に逃れ、20歳で結婚しパリに移住、その後離婚した。ソルボンヌ大学医学部に合格したが学費が払えず退学。22歳の時、ニースでマティス(62歳)に会い事務・秘書として雇われたが、その後病弱な妻の看病、モデルも務めるようになり、マティスの“ミューズ”となった。
22年間、マティスをマネジメントを含め全面的に死ぬまで支えた。マティスの妻は1939年から別居している。

リディア・デレクトルスカヤ

赤の大きな室内 1948年


主題と変奏E10 1941年
自由な、なめらかな線

女性の顔(星柄のヴェール)L5
1942年
挑むような印象的顔、モデルはリディア・デレクトルスカヤですね

自画像 1937年

「線」と「色彩」を探求し続けたマティスが辿り着いたのは、“切り紙絵”だった

ジャズ イカロス 1947年

オレンジのあるヌード 1953年
墨と切り紙絵の組み合わせ

ヴァンス礼拝堂、ファサード
円形装飾《聖母子》(ディサン)
1951年

太い描線は、キース・ヘリングのグラフィティへ
【参考】
ラディアント・ベイビー 1980年代


マティスの絵は明るく、
卑俗なところがない、
形態と色彩の純粋な探求を感じる
芸術が、いつも暗く重いもの、主題に縛られたもの、
である必要はない
マティスの絵を観てそんな事を思った

★★★★★
お勧めします

ランキングに挑戦中
下のボタンを2つ、ポチッ、ポチッと押して頂けると嬉しいです!

 にほんブログ村 美術ブログへ


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等カテゴリー 」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事