青少年なやみ相談室

相談室だより

春の妖精たち

2024年04月01日 10時00分00秒 | vol.181~190

 柔らかな春の風と、暖かな日差しが心地良く感じられるようになってきた今日この頃。春めいてきた人里を離れて山や林へ足を運ぶと、肌寒さの残る中に木々がたたずんでいます。地面へと目を向けてみると、残雪の中に、小さな花々の姿を見つけられるかもしれません。

 フクジュソウやカタクリ、ニリンソウなどに代表される早春の花々は、スプリング・エフェメラル、日本語では「春の妖精たち」と呼ばれています。冬の積雪の溶けきらない中、いち早く地上に現れて花を咲かせ、木々が若葉を広げる初夏の頃にはあっという間に姿を消してしまう、はかない植物たちです。目の覚めるような黄色が鮮やかなフクジュソウ、紫色の絨毯を広げたように群生するカタクリ、小ぶりな純白の花を咲かせるニリンソウ…。いずれも小さな存在ですが、かれんな美しさと同時に、厳しい自然の中で生きるたくましさと賢い知恵をその身に秘めています。

 スプリング・エフェメラルは、地表に堆積[たいせき]した雪や落ち葉を押しのけて顔を出すと、他の木々や草花が目覚めないうちに開花します。そうすることで、ライバルの少ない環境の中、たっぷりと届く太陽の光と花粉を運んでくれる虫たちを集めることができます。そして、初夏を迎える前に種を作って葉を落とし、球根や地下茎の姿となって、来春を夢見て長い眠りにつきます。木々が葉っぱを生い茂らせると太陽の光が届きにくくなってしまうため、エネルギーの消費を抑えながら地下で養分を蓄えるのです。たくさんの植物が共存する山野において、小さな体ながらも懸命に生きるその姿に、なんだか元気をもらえるようですね。

 早春のこの時期に郊外の山や林へ足を伸ばし、はかなくもけなげな春の妖精たちを探してみませんか?小さな命の営みに想いを馳せながら、新たに迎えるこの春も希望に満ちた気持ちで過ごしましょう。

 

参考文献

一日一種(2019) 『わいるどらいふっ!身近な生きもの観察図鑑』 山と渓谷社, pp.8-9 ,p13

スプリング・エフェメラル~春のはかない植物たち~/札幌市

https://www.city.sapporo.jp/museum/ouchimuseum/0319.html(アクセス日時 2024/3/12 15:31)

 


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出会えた人を大切に

2024年03月01日 09時00分00秒 | vol.181~190

 少しずつ雪解けが進み、木々の芽が膨らみ始める3月。岩手にも、もうすぐうららかな日々が訪れます。

 3月は卒業式や離任式、退職や転勤などによる別れの場面が特に多い月です。そして、来月4月は入学式や着任式、入社式など出会いの場面が多い月になります。そんなこの時季だからこそ、人との出会いと別れについて少しだけ想いを巡らせてみませんか。

 

 4月からこの3月までの1年間に、どんな出会いがありましたか。どんな別れがありましたか。

 学校での出会い、職場や仕事での出会い、趣味やお稽古[けいこ]ごとでの出会い、日常の中でのひょんなことによる出会いなど、さまざまな場面でさまざまな出会いがあったのではないでしょうか。また、出会いがあれば、さまざまな別れもあったはずです。

 

 「袖[そで]振り合うも多生の縁[たしょうのえん]」という慣用句を聞いたことがあるでしょうか。

 着物の袖と袖が触れあうような些細[ささい]な出来事も、前世や来世で何かしらの縁がある者同士だからこそ起こるという、仏教の思想に由来する言葉です。特別なときにしか着物を着たことがない方も多い現代では、日常生活の中で「袖振り合う」場面はほとんどないかもしれません。しかし「袖振り合う」ではなくても、出会えた相手は、何かしらのご縁がある相手に違いはないのです。

 

 また、別れにまつわる「会者定離[えしゃじょうり]」という言葉もあります。

「会者」とは、縁があり出会った者同士のことです。「定離」とは、いつか離れる日が来るさだめにあるという意味です。出会いがあったその瞬間に、いつかその人と離別するときが必ず来ることが自ず[おのず]と決まるのです。しかし、そのときがいつ来るのか誰にもわかりません。この春がそのときとなる人もいるでしょう。

 

 別れは寂しいものですが、ご縁があればいつかきっと再会することができるはずです。「ご縁」を信じて、再会するその日を待ってみませんか。

 

  出会えた人を大切に。

    そして、これから出会う人とのご縁を大切に。

 

 

 

 

参考文献

森章司(1994) 『国語のなかの仏教語辞典』 東京堂出版

山下民城(1993) 『暮らしに生きる仏教語辞典』 国書刊行会

安藤嘉則(2018)「遺教経について —涅槃会にちなんで—」Pp.3-5 『禅の友』曹洞宗宗務庁


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徳を積む

2024年02月01日 09時00分00秒 | vol.181~190

 能登半島地震からの幕開けとなった2024年。このようなニュースを目にすると不安にばかり目が行き、さらに不安が大きくなるという悪循環におちいる方がいるかもしれません。このような時、私たちはどのような心がけで過ごせばいいのでしょう。 

 「徳を積む」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。「徳を積む」とは、見返りを求めずに善い行いを重ねることです。「徳を積む」ことは他者との良い関係を築いたり自分自身の内面的な成長や満足感にも繋がったりすると言われています。では「徳を積む」とはどのような行いでしょうか?具体的には以下のような行為や態度があげられます。できそうなことを選び継続してみてはいかがでしょうか。

 

・優しいまなざしを他者に向けること。

・丁寧な言葉を使うこと。

・優しい顔でいること。

・気配り、心配りをすること。

・感謝の気持ちを表すこと。

 

 他にも人知れず行う善行も「徳を積む」ことに繋がります。ドジャースの大谷翔平選手が、フィールドやベンチ付近でゴミを拾う様子をテレビなどで観たことがある方もいると思います。大谷選手は「僕は人が落とした運を拾っているだけ」と言っていますが、人の嫌がるような行為を人知れず行う善行を仏教において「陰徳(いんとく)」と呼ばれ「徳」の一つとされています。大谷選手の「徳を積む」行いで心に余裕が生まれ、結果として最高のプレーに繋がっているのかもしれませんね。

 このような利他的な行いは自分にも返ってくると言われています。このような時だからこそ「徳を積む」行いに目を向けて日々を過ごしてみませんか?誰かの笑顔のために。

 

参考

雑誌『PRESIDENT』2024年1月12日号,プレジデント社


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時の流れの不思議

2024年01月01日 09時00分00秒 | vol.181~190

 明けましておめでとうございます。

  新年を迎える準備のために慌ただしく過ごした12月が過ぎ、新たな一年が始まりましたね。年齢を重ねるごとに、時間の流れが早く感じると思ったことはありませんか?

 「時間の進み方は一定のはずなのに、なぜ年々、時間の流れが早くなったように感じるのか」これは、長年に渡り心理学者や哲学者が研究や議論を重ねてきたテーマでもあります。
 代表的なもののひとつに「ジャネーの法則」があります。これは19世紀にフランスの哲学者のポール・ジャネーが考案し、後に甥[おい]で心理学者のピエール・ジャネーが自身の著書で紹介したことで世に知られるようになりました。「ジャネーの法則」は、心で感じる時間の長さ(心理的時間)は、年齢に反比例するという法則です。つまり、年齢が3倍になると、時間の長さは3分の1になり、年齢が6倍になると時間の長さは6分の1になります。この法則に当てはめると、10歳のときの1年間は、30歳の人にとっては4か月間、60歳の人には2か月間に感じられることになります。
 また、時間の感じ方について研究している千葉大学の一川誠[いちかわ まこと]先生は、著書『すごい!「仕事の時間」術』の中で、大人になると、子どもの頃よりも新鮮な経験が少なくなるため、時間が早く進むように感じると述べています。これは、子どもの頃は初めて体験することがたくさんあるため、その一つ一つが印象深い出来事として感じられますが、大人になると、起床、出勤、仕事、帰宅、就寝といったように日々の生活がルーティン化されることも多くなり、子どもの頃のようにゆったりとした時間の感覚が失われるため、時間の流れが早く感じられるという考えです。 
 この他にも多くの研究者が、年齢を重ねると時間の感じ方が早くなるのはなぜか研究していますが、まだまだはっきりとわかっていないこともあります。それでも、一年、また一年と年齢を重ねるごとに、時間の流れが早く感じることに変わりはありません。今年よりも来年はもっと時間の流れが早く感じるかもしれない…そう考えると、一日一日を大切に過ごしていきたいものですね。


参考文献
村上勝典(2016)「時間評価に関する心理学的研究 —青年期における男女差の検討—」 2015年度 博士学位論文 吉備国際大学大学院 心理学研究科 臨床心理学専攻
一川誠(2011) 『すごい!「仕事の時間」術』 三笠書房
弁護士法人 栄光 栄光綜合法律事務所 「老いと時間」
https://www.eiko.gr.jp/essay_a/%E8%80%81%E3%81%84%E3%81%A8%E6%99%82%E9%96%93/ (アクセス日時 2023/12/21 14:30頃)
心理カウンセラーならTERADA医療福祉カレッジ 「時間の心理学」
https://www.terada-medical.com/column/psychology_of_time/ (アクセス日時 2023/12/21 14:30頃)

 

 


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和顔

2023年12月01日 09時00分00秒 | vol.181~190

 今年も残すところあとわずかとなり、なぜかせわしさを感じる今日頃ごろです。そんな日々を過ごしているところに一通の手紙が届きました。内容は、お世話になった和尚さんに礼状を送ったことに対しての、返礼の手紙でした。その手紙には※御朱印(ごしゅいん)が同封されていて、そこには「和顔」と書かれていました。

 「和顔」の読み方は「わがん」または「わげん」、そして「和顔愛語(わがんあいご・わげんあいご)」のように四字熟語で使われることが多いようです。「和顔愛語」は仏教用語で、「和顔」はなごやかで柔らかい表情、「愛語」は親愛のこもった言葉のことを意味していて、「和顔愛語」は笑顔で愛情のこもった言葉で話すことのようです。この「和顔愛語」を心がけることは、心を乱さず平常心を保つコツでもあるそうです。

 イライラした時や嫌なことがあった時、つらい時など人は心の内が表情に出やすいものです。私も考え事をしてついつい暗い表情になったり、カッカして眉間にしわがより語気が強くなることもあります。そんな負の感情や行動は周りに伝染するもので、一人のイライラのせいで、それまで良かった雰囲気が一機に悪くなることもあります。そんな時こそ「和顔愛語」が実践できるといいですね。

 年の瀬を言い訳に、忙しさに心を奪われそうになっていた時に届いた御朱印「和顔」。常に笑顔で愛情のこもった言葉で話すことは、とても難しいことですが、残り少ない今年を「和顔愛語」で過ごし、穏やかな気持ちで新年を迎えたいと思います。

 皆様も、どうぞよいお年をお迎えください。

 

※御朱印…神社やお寺を参拝した「参拝証明」として押印される印章印影のこと。神仏とのご縁の記録。

 

 

<参考>

四字熟語辞典オンライン

ニッポン放送NEWS ONLINE 

   (いずれも参照は2023‐11—24)

辻本敬順(2008)『くらしの仏教語豆事典』本願寺出版社


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