神戸城跡
2006-04-20 | 城
神戸城跡
鈴鹿市神戸5丁目
城主 伊勢平氏の子孫関氏の一族 神戸氏
一柳直盛 石川氏三代 後 本多忠統
神戸氏は南北朝時代 飯野寺家町に沢城を築いたが、戦国時代(1550)に神戸城を築いた
神戸氏七代目友盛は北勢に威を振るったが、信長軍の侵攻によりその三男信孝を養子にして和睦した。
信孝は城下の繁盛を計り1580年に天守閣が完成させたが、本能寺の変後、桑名城に移築さ
れ石垣だけが残り現在にいたる。
三重県の史跡で公園となっている、堀に鯉が放たれ美しい
城址内に本多神社がある
本丸高台に三等三角点がある(点名 本多村 標高18.05m )
神戸城北の外れに神戸見付跡がある、(参宮する旅人の監視番所)
神戸城跡説明板
三等三角点がありました!(点名 本多村 標高18.05m )
立派な石垣です!
堀には鯉がいます!
城跡内に本多神社もあります!
町外れにある、史跡 神戸の見付け跡!
鈴鹿市神戸5丁目
城主 伊勢平氏の子孫関氏の一族 神戸氏
一柳直盛 石川氏三代 後 本多忠統
神戸氏は南北朝時代 飯野寺家町に沢城を築いたが、戦国時代(1550)に神戸城を築いた
神戸氏七代目友盛は北勢に威を振るったが、信長軍の侵攻によりその三男信孝を養子にして和睦した。
信孝は城下の繁盛を計り1580年に天守閣が完成させたが、本能寺の変後、桑名城に移築さ
れ石垣だけが残り現在にいたる。
三重県の史跡で公園となっている、堀に鯉が放たれ美しい
城址内に本多神社がある
本丸高台に三等三角点がある(点名 本多村 標高18.05m )
神戸城北の外れに神戸見付跡がある、(参宮する旅人の監視番所)
神戸城跡説明板
三等三角点がありました!(点名 本多村 標高18.05m )
立派な石垣です!
堀には鯉がいます!
城跡内に本多神社もあります!
町外れにある、史跡 神戸の見付け跡!