和田城砦群
甲賀市甲賀町和田
築城 和田氏
全長1km細長い谷筋の丘陵上に8ヶ所の城館跡と「公家屋敷」と呼ばれる平坦地の館跡が確認され、いずれもこの地を治めていた土豪の和田氏に関連した城館跡と考えられている
和田城はこの地の中核的城で、和田支城Ⅰ~Ⅲとの4城は土塁に囲まれた方形の曲輪の周辺に防備を固めるための大小の曲輪が幾つも造られていた。
一方、公方屋敷城、公家屋敷支城、棚田山城、殿山城は土塁の無い平坦地がいくつか認められるが、曲輪としての配置が一様でなく、城郭以外の屋敷地や後世の耕作地の可能性もある
公方屋敷跡は室町幕府の第15代将軍足利義昭が一時居したところで、当時の将軍は公方と呼ばれることから地元でも公方屋敷という
※ 近江の国は京都にも近く、東日本からの主要な交通路がすべて通過していることや生産力の高い土地柄でもあったため、中世城郭が1300城以上あると言われている
そのうち、甲賀郡域は①古東海道②後に「杣街道」と呼ばれる杣川に沿って近江と伊賀・伊勢を結ぶ道沿い③伊賀との国境を中心に215箇所の城館が確認されている。
殿山城跡
登り口
殿山山頂は直ぐ上!
遺構は無く忠魂碑の建つ山頂(展望台より)
***************
和田城跡
入り口
和田城跡説明板
虎口
郭と土塁
****************
公方屋敷跡
説明板
昔を偲ぶ、五輪等も片隅に!
甲賀市甲賀町和田
築城 和田氏
全長1km細長い谷筋の丘陵上に8ヶ所の城館跡と「公家屋敷」と呼ばれる平坦地の館跡が確認され、いずれもこの地を治めていた土豪の和田氏に関連した城館跡と考えられている
和田城はこの地の中核的城で、和田支城Ⅰ~Ⅲとの4城は土塁に囲まれた方形の曲輪の周辺に防備を固めるための大小の曲輪が幾つも造られていた。
一方、公方屋敷城、公家屋敷支城、棚田山城、殿山城は土塁の無い平坦地がいくつか認められるが、曲輪としての配置が一様でなく、城郭以外の屋敷地や後世の耕作地の可能性もある
公方屋敷跡は室町幕府の第15代将軍足利義昭が一時居したところで、当時の将軍は公方と呼ばれることから地元でも公方屋敷という
※ 近江の国は京都にも近く、東日本からの主要な交通路がすべて通過していることや生産力の高い土地柄でもあったため、中世城郭が1300城以上あると言われている
そのうち、甲賀郡域は①古東海道②後に「杣街道」と呼ばれる杣川に沿って近江と伊賀・伊勢を結ぶ道沿い③伊賀との国境を中心に215箇所の城館が確認されている。
殿山城跡
登り口
殿山山頂は直ぐ上!
遺構は無く忠魂碑の建つ山頂(展望台より)
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和田城跡
入り口
和田城跡説明板
虎口
郭と土塁
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公方屋敷跡
説明板
昔を偲ぶ、五輪等も片隅に!
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