↓↓Click Here
〈転記〉
第4弾では、ピアノジャックのチャレンジ精神について書きたいと思います。
紙面で書いた「P・I・A・N・O・J・A・C」のキーワードでも、「C」にチャレンジ精神は入れたかったんですよねぇ。
私個人としては、彼らのこの部分が最も刺激的で、最もリスペクトするところだと感じています。
オレも頑張ろ!って気持ちにさせてくれるんです。
「いろんなアイドルやアーティストに会ってきたけれど、特に今の時代、色んな課題を与えると『それはできないです』といって、逃げる子が多い。でも、この世界は、チャレンジ精神持ってるやつ、『やります』って言っちゃったものの勝ちなんです。そういう若者が少なくなっている中、ピアノジャックの二人は、指示に対して『とりあえずやってみる』、レクチャーに『とりあえず乗っかってみる』という素直さを持っている。それが、ことごとくハマッっていくんですよね」。
これは、ピアノジャックのサウンドプロデュースを手がける樫原伸彦氏の言葉です。
多彩な経歴を持つ師匠、何でもできるマルチクリエーターが出す「むちゃぶり」とは、いかに「むちゃぶり」なのか分かるでしょう樫原氏とお話をすると非常に気さくで温厚な方なのですが、「2日間、館山に拉致して、2日寝ないで合宿した」なんてスパルタぶりを、事も無げに語るところからすると、現場はカナリのものなのでしょう(笑)。
HAYATOさんの何でもアリの自由な演奏スタイルも、師匠直伝。
「かなりメチャクチャな方で。むちゃぶりだけど、ボクも面白いこと、誰もやってないことをやり続けたいなと思ってたんで」と、HAYATOさん。
樫原氏も尾崎バンドの時、ひじで弾いたり、足で鍵盤をたたいたり、左手でキーボードを縦にして弾いたりなどの武勇伝があったそうなのです。
「テクニックでは先輩ミュージシャンにかなわないから、どう目立つかばかり考えていた」という樫原さんですが、その師匠に「もっと沸かせたい。どうするんですか、教えてください」とHAYATOさんは熱心に教えを請うたということなのです。
とはいえ、師匠・樫原氏もHAYATOさんのパワーには「ボクも同じようにはできない」と脱帽。
そして、樫原氏自身さえ「さすがに無理かな」と思ったむちゃぶりも、二人がギリギリまでチャレンジして必ずこたえてくるというのです。
例えば、手袋をはめて、スタンドを立てて弾く「熊蜂の飛行」。真っ暗闇の中、蛍光塗料をつけた手袋、つなぎの「P」「J」の文字やサングラスだけが浮かび上がる華麗な演出ですが、その影にはものすごい試行錯誤があったとか。
手袋だけでも試作品をいくつも作って試す「これじゃ弾けない」の繰り返し。
立って弾くのは、「足がつる、背中がつる」という苦労の連続だったそう。
長い経験のある樫原さんはそんな時、「これは弾けないだろうな」と、できなかった場合の次善策を用意している。
と思っていると、夜中に電話がかかってくるのだそうです。
HAYATOさんです。立ったまま寝ることなく練習を続けていたHAYATOさんから、樫原さんが電話に出るとただ一言だけ、「出来た」と。
HIROさんも、今回のツアーのためにボイスパーカッションにチャレンジし、猛練習を積んでいました。ツアー直前の3日間は、「ほとんどカホンに触ってなかった」というほど。
普通にボイパをやるだけでも大変なのに、今回初めて47都道府県ツアーということで、さいたま初日の前日にふられた課題が、「ご当地ボイパ」! 樫原さんは「うけるか心配だった」と言いますが、これが見事大ウケ! どうにかやりきってしまう二人のことを樫原さんは「瞬発力で持ってっちゃう。帳尻あわせがすごい」と感心するのです。
帳尻合わせといえば、二人のデビューと親御さんとの約束も、ギリギリだったようです。
HAYATOさんは27歳、HIROさんは26歳までに、デビューなどモノにならなければあきらめて就職するというのが約束だったそうです。
「どうしても早くCD作りたかったんですよ。27歳がボクにとってラストチャンスだったんで、CDが出てなかったから、僕はいま就職してたんです。出たのは28歳なんですけど、決まったのが27歳だったんで『今、レコーディングしてんねん』って」(HAYATO)。
「オレは、ギリギリロスタイムでしたよ。事務所と話をし出したのが26ぐらいの時だったんで、『あとちょっとだけ待ってくれ』っていうロスタイム的に、うまくゴール決められたんでよかったなあって」(HIRO)。
HAYATOさんに、「デビューして成功したから、立場が変わった、満足したということはないですか」と聞いたら、「いや、もっとできることあるんやないかと、常に考えている」と語っていました。
とにかく、ツアーのたびに、また、同じツアーでも会場が変わるたびに、新しいことにチャレンジする二人。
それは、どんなむちゃぶりに対しても何とか対応できてしまう二人の能力と、面白いアイデアはどんどん投入するというスタッフの遊び心のたまものだといえると思います。
でも、それだけに、失敗も多々あるようで、例えば前回のツアーは、HAYATOさんがタップダンスを必死の練習の末、披露したのですが、お客さんの拍手と重なって会場に聞こえないという欠陥が分かり、初日で撤収という憂き目にあったとか。
ただ、そういう失敗も含めて、ピアノジャックのチャレンジ精神は、ファンを大いに楽しませているという感じがします。
そして、それはチャレンジしている姿を”泥臭いまでに見せる”というところもポイントだと思います。
このポイントは、彼らのまた一つの大きな特徴「ダダ漏れ」という話になってくると思うので、第5弾に譲ろうかなと思っています。
続く
![]() | First Best |
→Pia-no-jaC← | |
バウンディ |
〈転記〉
第4弾では、ピアノジャックのチャレンジ精神について書きたいと思います。
紙面で書いた「P・I・A・N・O・J・A・C」のキーワードでも、「C」にチャレンジ精神は入れたかったんですよねぇ。
私個人としては、彼らのこの部分が最も刺激的で、最もリスペクトするところだと感じています。
オレも頑張ろ!って気持ちにさせてくれるんです。
「いろんなアイドルやアーティストに会ってきたけれど、特に今の時代、色んな課題を与えると『それはできないです』といって、逃げる子が多い。でも、この世界は、チャレンジ精神持ってるやつ、『やります』って言っちゃったものの勝ちなんです。そういう若者が少なくなっている中、ピアノジャックの二人は、指示に対して『とりあえずやってみる』、レクチャーに『とりあえず乗っかってみる』という素直さを持っている。それが、ことごとくハマッっていくんですよね」。
これは、ピアノジャックのサウンドプロデュースを手がける樫原伸彦氏の言葉です。
多彩な経歴を持つ師匠、何でもできるマルチクリエーターが出す「むちゃぶり」とは、いかに「むちゃぶり」なのか分かるでしょう樫原氏とお話をすると非常に気さくで温厚な方なのですが、「2日間、館山に拉致して、2日寝ないで合宿した」なんてスパルタぶりを、事も無げに語るところからすると、現場はカナリのものなのでしょう(笑)。
HAYATOさんの何でもアリの自由な演奏スタイルも、師匠直伝。
「かなりメチャクチャな方で。むちゃぶりだけど、ボクも面白いこと、誰もやってないことをやり続けたいなと思ってたんで」と、HAYATOさん。
樫原氏も尾崎バンドの時、ひじで弾いたり、足で鍵盤をたたいたり、左手でキーボードを縦にして弾いたりなどの武勇伝があったそうなのです。
「テクニックでは先輩ミュージシャンにかなわないから、どう目立つかばかり考えていた」という樫原さんですが、その師匠に「もっと沸かせたい。どうするんですか、教えてください」とHAYATOさんは熱心に教えを請うたということなのです。
とはいえ、師匠・樫原氏もHAYATOさんのパワーには「ボクも同じようにはできない」と脱帽。
そして、樫原氏自身さえ「さすがに無理かな」と思ったむちゃぶりも、二人がギリギリまでチャレンジして必ずこたえてくるというのです。
例えば、手袋をはめて、スタンドを立てて弾く「熊蜂の飛行」。真っ暗闇の中、蛍光塗料をつけた手袋、つなぎの「P」「J」の文字やサングラスだけが浮かび上がる華麗な演出ですが、その影にはものすごい試行錯誤があったとか。
手袋だけでも試作品をいくつも作って試す「これじゃ弾けない」の繰り返し。
立って弾くのは、「足がつる、背中がつる」という苦労の連続だったそう。
長い経験のある樫原さんはそんな時、「これは弾けないだろうな」と、できなかった場合の次善策を用意している。
と思っていると、夜中に電話がかかってくるのだそうです。
HAYATOさんです。立ったまま寝ることなく練習を続けていたHAYATOさんから、樫原さんが電話に出るとただ一言だけ、「出来た」と。
HIROさんも、今回のツアーのためにボイスパーカッションにチャレンジし、猛練習を積んでいました。ツアー直前の3日間は、「ほとんどカホンに触ってなかった」というほど。
普通にボイパをやるだけでも大変なのに、今回初めて47都道府県ツアーということで、さいたま初日の前日にふられた課題が、「ご当地ボイパ」! 樫原さんは「うけるか心配だった」と言いますが、これが見事大ウケ! どうにかやりきってしまう二人のことを樫原さんは「瞬発力で持ってっちゃう。帳尻あわせがすごい」と感心するのです。
帳尻合わせといえば、二人のデビューと親御さんとの約束も、ギリギリだったようです。
HAYATOさんは27歳、HIROさんは26歳までに、デビューなどモノにならなければあきらめて就職するというのが約束だったそうです。
「どうしても早くCD作りたかったんですよ。27歳がボクにとってラストチャンスだったんで、CDが出てなかったから、僕はいま就職してたんです。出たのは28歳なんですけど、決まったのが27歳だったんで『今、レコーディングしてんねん』って」(HAYATO)。
「オレは、ギリギリロスタイムでしたよ。事務所と話をし出したのが26ぐらいの時だったんで、『あとちょっとだけ待ってくれ』っていうロスタイム的に、うまくゴール決められたんでよかったなあって」(HIRO)。
HAYATOさんに、「デビューして成功したから、立場が変わった、満足したということはないですか」と聞いたら、「いや、もっとできることあるんやないかと、常に考えている」と語っていました。
とにかく、ツアーのたびに、また、同じツアーでも会場が変わるたびに、新しいことにチャレンジする二人。
それは、どんなむちゃぶりに対しても何とか対応できてしまう二人の能力と、面白いアイデアはどんどん投入するというスタッフの遊び心のたまものだといえると思います。
でも、それだけに、失敗も多々あるようで、例えば前回のツアーは、HAYATOさんがタップダンスを必死の練習の末、披露したのですが、お客さんの拍手と重なって会場に聞こえないという欠陥が分かり、初日で撤収という憂き目にあったとか。
ただ、そういう失敗も含めて、ピアノジャックのチャレンジ精神は、ファンを大いに楽しませているという感じがします。
そして、それはチャレンジしている姿を”泥臭いまでに見せる”というところもポイントだと思います。
このポイントは、彼らのまた一つの大きな特徴「ダダ漏れ」という話になってくると思うので、第5弾に譲ろうかなと思っています。
続く