The International Common Law Court: Genocide in Canada
訳 のつもり
(1:11:29)
第二犯罪:断種
さて、被告が罪を犯している二番目の大量虐殺行為は、寄宿学校と地域社会内の病院の両方で、インディアン間の出生、受胎を防ぐ措置を課していることです。
寄宿学校を含む受刑者のすべての実業学校の強制避妊手術を許可する法律が、1928年に議会を通過し、1933年にブリティッシュ・コロンビア政府を通りました。
提示番号42で、ブリティッシュ・コロンビア法が表示されます。
(1:12:03 文書)
非キリスト教の先住民を不妊にするための特別な病院が、ブリティッシュ・コロンビアのナナイモ、バンクーバー、ベラ・ベラに開設されました。この病院は1920年代から1970年代まで手術を行っていました。
提示番号43
(1:12:26 文書)
ベラ・ベラのR.W. 大(カナダ合同教会)病院は、伝道者の医師ジョージ・ダービー(George Darby) が運営していました。ジョージ・ダービーは、ほんの少しも不快に思うことなく、インディアン女性たちを不妊にしていたと実地証人たちが説明していました。エセル・ウィルスン(Ethel Wilson)がそれを述べます。
ビデオ提示番号44
(エセル・ウィルスン)
ドクター・ダービーが私に処置をしてから、私は子供を産むことができなくなりました。
日曜日に教会にいなかった人は、特別処置のために、ダービーに報告しなければならないと、ダービーが私たちの村で発表しました。
とても悪い影響となるので、ダービーのカナダ合同教会には一度も行きませんでした。
でも、ダービーは伝道者だったので、ダービーの言葉は法でした。。。それで、騎馬警官が来て、私を捕らえて、ダービーのところへつれて行きました。
ダービーは私に注射を打ちました。次に私が気づいたときは、私はベッドにいました。あざだらけで、身体が痛みました
私の金歯がすべて、無くなっていました。
私の中でなにかが変だと感じました。
その後、私は妊娠することはできませんでした。
後で、別の医者が私に、私が不妊にされていたことを言いました。。。
ジョージ・ダービー。この男は、何百もの私たちの仲間の女性たちに、同じことをしたのです。
サラ・モデスト(Sarah Modeste)のように他の女性たちも、バンクーバー島、ダンカンのドクター・グッドブランドから同じ不妊処置をされました。
提示番号45
(1:13:55 文書)
ドクター・ジェームス・グッドブランドは多くの私たち仲間の女性を不妊にしました。
1952年、グッドブランドは、私が伝統的なチーフと結婚しようとしているのを聞くと、私に言い続けました。
『フレディと結婚するなら、私はおまえに手術をしなければならいだろう。』
私は怖くなりました。私は別の医者に診てもらおうとしましたが、インディアン・エージェントが私にさせませんでした。
それで、私が娘を産んだとき、分娩させたのはグッドブランドでした。。。
誕生後、私は本当にひどく傷みました。出血が続いていました。
それから、私は私の管が結ばれていたことを知りました。
グッドブランドは、分娩の後、私の意識がまだなかったときに、それをしたにちがいありません。
グッドブランドは女性を不妊にさせるたびに政府からの300ドルを得ると、グッドブランドが言っているのを、私は聞きました。
サラ・モデスト、カウイチャン(Cowichan)族、バンクーバー島
2000年8月12日
先住民男性も同様に、カナダ西海岸の寄宿学校で生殖不能にされました。
提示番号46、47
(1:14:33 文書)
私も私の兄弟たちも子供を持つことができません、私たちが寄宿学校でX線照射をされたからです。ユーコンのカークロース英国教会学校でした。
私たちを一人残らず連れて行き、X線機器の下に私たちを10分か20分か置きました。骨盤ちょうど上でした。
私は10歳でした。私は7人の兄弟がいました。私たちの誰も、子供を持つことができません。
スティーブ・ジョン
(1:14:47 文書)
私の長男が、最初に手術されました。1975年、息子は4歳でした。
私が家にいないときにきた人たちが、息子を連れて行きました。
それから、1981年の7月に、その下の息子を生殖不能にしました。
その息子は9歳でした。息子をビクトリア総合病院に連れて行き、何日間も帰しませんでした。
この二人の息子はどちらも、いま子供をもつことができません。
私たちの家族がこの領域のもともとの先祖代々のチーフの子孫という格調の高い家柄なので、このようなことをされました。
政府は、まだ、私たちを絶滅しようとしているのです。
匿名希望
バンクーバー島 2005年5月18日
さて、”War Against the Weak”という本で、支配者民族を作り出そうとするアメリカの計画を、作者のエドウィン・ブラック(Edwin Black)が述べています。
”カナダで、優生に対する情熱が燃え上がった。そして、アルバータはインディアンとメティス(フランス人またはイギリス人毛皮商とカナダの先住人との混血。)に偏って断種を行った。インディアンとメティスはカナダの人口のほんの2.5パーセントだったが、その断種率はアルバータの断種の25パーセントを示した。”
提示番号48は、強制不妊をアルバータ政府に対してアルバータの先住民女性たちが起こした1999年の集団訴訟、を述べます。
(1:15:38 文書)
まだ、今日、先住民女性たちは、カナダ各地の福祉事業公務員に、不妊を強制されています。
ビデオで1983年にバンクーバーで自身に起こったことを述べています。
ビデオ提示番号49
30年前に私は娘がいました。赤ちゃんは捕らえられて児童養護施設につれていかれました。赤ちゃんが施設にいたとき、私は妊娠しました。
役所の人が妊娠に気づくと、私に中絶するように言いました。
私が中絶した後で、卵管結紮をされました。
それで、私はもう子供を産む事はできないのです。
私は卵管結紮をされました。そして、私の娘にも、もう二度とあえないでしょう。
― そうするように、あなたに言ったのは誰ですか?
社会福祉指導員のサリー・ヘザー(Sally Heather)です。
ヘザー、北バンクーバーの官庁にいました。
夏でした。7月だったと思います。
娘が生まれたのが1982年だったので、1983年ころのことだと思います。
そして、1979年に、カナダ政府とカソリック教会は強制避妊をさせました。
保健師が、イヌイット族の女性たちに、それがビタミン剤だと説明し、正しい説明なしで、経口避妊薬を与えていたのです。
提示番号
(1:17:52 文書)
グローブ・アンド・メール紙の記事からの引用です。
”エスキモー族の地域で、2年間すごしたインディアン開発省の元職員が、エスキモー族の女性たちが5人子供を産んだ後に、不妊にする手術を勧める非公式政策があることを告発しました。
ドクター・F.J.コービル(F.J.Covill)は、エスキモー族の女性たちが時々、5回出産した後で、不妊にする手術を受けたことを確認しました。
カソリックの伝道師ローランド・コーティマンチェ(Roland Courtemanche)が言いました。
『ご存じでしょう、彼らは教育を受ける必要があるのです。
彼らがもっと教育を受ければ、私たちが人口抑制をすることができるようになります。』”
さて、非キリスト教の先住民の人々に対して的を絞った断種行為は、教会伝道医師の間に、カナダ各地で長い歴史を持っています。
カナダの寄宿学校での最初の独立した裁判が、バンクーバーで、1998年の6月に行われました。
ワッグリスラ(Waglisla)からの男性、エド・マーティン(Ed Martin)が、1998年6月13日に、公に述べました。
”私は1952年ころ、ベラ・ベラのドクター・ダービーのところへ行きました。私はすでに10人の子供があり、食べさせることができないので、精管切除のために行ったのです。
しかし、ダービーは、ただ笑って言いました。
『エド、君は、よいキリスト教徒だ。君はたくさんの子供をもつべきだ。私は異教徒を不妊にする手術だけするんだ。』
それから、ダービーは、インディアン女性の不妊にする手術をするたびに、政府から300ドルをもらっていることを話しました。”
私は、6月13日のエド・マーティンの証言から引用しています。
エド・マーティンの陳述は、アメリカの少数民族の国際人権協会、 IHRAAMに提出されています。
IHRAAMは、国連の諮問資格をもつNGOであり、バンクーバーでの1990年6月の裁判に出資にしており、ホール代金の支払いまでしています。
(1:19:41 文書)
訳 のつもり
(1:11:29)
第二犯罪:断種
さて、被告が罪を犯している二番目の大量虐殺行為は、寄宿学校と地域社会内の病院の両方で、インディアン間の出生、受胎を防ぐ措置を課していることです。
寄宿学校を含む受刑者のすべての実業学校の強制避妊手術を許可する法律が、1928年に議会を通過し、1933年にブリティッシュ・コロンビア政府を通りました。
提示番号42で、ブリティッシュ・コロンビア法が表示されます。
(1:12:03 文書)
非キリスト教の先住民を不妊にするための特別な病院が、ブリティッシュ・コロンビアのナナイモ、バンクーバー、ベラ・ベラに開設されました。この病院は1920年代から1970年代まで手術を行っていました。
提示番号43
(1:12:26 文書)
ベラ・ベラのR.W. 大(カナダ合同教会)病院は、伝道者の医師ジョージ・ダービー(George Darby) が運営していました。ジョージ・ダービーは、ほんの少しも不快に思うことなく、インディアン女性たちを不妊にしていたと実地証人たちが説明していました。エセル・ウィルスン(Ethel Wilson)がそれを述べます。
ビデオ提示番号44
(エセル・ウィルスン)
ドクター・ダービーが私に処置をしてから、私は子供を産むことができなくなりました。
日曜日に教会にいなかった人は、特別処置のために、ダービーに報告しなければならないと、ダービーが私たちの村で発表しました。
とても悪い影響となるので、ダービーのカナダ合同教会には一度も行きませんでした。
でも、ダービーは伝道者だったので、ダービーの言葉は法でした。。。それで、騎馬警官が来て、私を捕らえて、ダービーのところへつれて行きました。
ダービーは私に注射を打ちました。次に私が気づいたときは、私はベッドにいました。あざだらけで、身体が痛みました
私の金歯がすべて、無くなっていました。
私の中でなにかが変だと感じました。
その後、私は妊娠することはできませんでした。
後で、別の医者が私に、私が不妊にされていたことを言いました。。。
ジョージ・ダービー。この男は、何百もの私たちの仲間の女性たちに、同じことをしたのです。
サラ・モデスト(Sarah Modeste)のように他の女性たちも、バンクーバー島、ダンカンのドクター・グッドブランドから同じ不妊処置をされました。
提示番号45
(1:13:55 文書)
ドクター・ジェームス・グッドブランドは多くの私たち仲間の女性を不妊にしました。
1952年、グッドブランドは、私が伝統的なチーフと結婚しようとしているのを聞くと、私に言い続けました。
『フレディと結婚するなら、私はおまえに手術をしなければならいだろう。』
私は怖くなりました。私は別の医者に診てもらおうとしましたが、インディアン・エージェントが私にさせませんでした。
それで、私が娘を産んだとき、分娩させたのはグッドブランドでした。。。
誕生後、私は本当にひどく傷みました。出血が続いていました。
それから、私は私の管が結ばれていたことを知りました。
グッドブランドは、分娩の後、私の意識がまだなかったときに、それをしたにちがいありません。
グッドブランドは女性を不妊にさせるたびに政府からの300ドルを得ると、グッドブランドが言っているのを、私は聞きました。
サラ・モデスト、カウイチャン(Cowichan)族、バンクーバー島
2000年8月12日
先住民男性も同様に、カナダ西海岸の寄宿学校で生殖不能にされました。
提示番号46、47
(1:14:33 文書)
私も私の兄弟たちも子供を持つことができません、私たちが寄宿学校でX線照射をされたからです。ユーコンのカークロース英国教会学校でした。
私たちを一人残らず連れて行き、X線機器の下に私たちを10分か20分か置きました。骨盤ちょうど上でした。
私は10歳でした。私は7人の兄弟がいました。私たちの誰も、子供を持つことができません。
スティーブ・ジョン
(1:14:47 文書)
私の長男が、最初に手術されました。1975年、息子は4歳でした。
私が家にいないときにきた人たちが、息子を連れて行きました。
それから、1981年の7月に、その下の息子を生殖不能にしました。
その息子は9歳でした。息子をビクトリア総合病院に連れて行き、何日間も帰しませんでした。
この二人の息子はどちらも、いま子供をもつことができません。
私たちの家族がこの領域のもともとの先祖代々のチーフの子孫という格調の高い家柄なので、このようなことをされました。
政府は、まだ、私たちを絶滅しようとしているのです。
匿名希望
バンクーバー島 2005年5月18日
さて、”War Against the Weak”という本で、支配者民族を作り出そうとするアメリカの計画を、作者のエドウィン・ブラック(Edwin Black)が述べています。
”カナダで、優生に対する情熱が燃え上がった。そして、アルバータはインディアンとメティス(フランス人またはイギリス人毛皮商とカナダの先住人との混血。)に偏って断種を行った。インディアンとメティスはカナダの人口のほんの2.5パーセントだったが、その断種率はアルバータの断種の25パーセントを示した。”
提示番号48は、強制不妊をアルバータ政府に対してアルバータの先住民女性たちが起こした1999年の集団訴訟、を述べます。
(1:15:38 文書)
まだ、今日、先住民女性たちは、カナダ各地の福祉事業公務員に、不妊を強制されています。
ビデオで1983年にバンクーバーで自身に起こったことを述べています。
ビデオ提示番号49
30年前に私は娘がいました。赤ちゃんは捕らえられて児童養護施設につれていかれました。赤ちゃんが施設にいたとき、私は妊娠しました。
役所の人が妊娠に気づくと、私に中絶するように言いました。
私が中絶した後で、卵管結紮をされました。
それで、私はもう子供を産む事はできないのです。
私は卵管結紮をされました。そして、私の娘にも、もう二度とあえないでしょう。
― そうするように、あなたに言ったのは誰ですか?
社会福祉指導員のサリー・ヘザー(Sally Heather)です。
ヘザー、北バンクーバーの官庁にいました。
夏でした。7月だったと思います。
娘が生まれたのが1982年だったので、1983年ころのことだと思います。
そして、1979年に、カナダ政府とカソリック教会は強制避妊をさせました。
保健師が、イヌイット族の女性たちに、それがビタミン剤だと説明し、正しい説明なしで、経口避妊薬を与えていたのです。
提示番号
(1:17:52 文書)
グローブ・アンド・メール紙の記事からの引用です。
”エスキモー族の地域で、2年間すごしたインディアン開発省の元職員が、エスキモー族の女性たちが5人子供を産んだ後に、不妊にする手術を勧める非公式政策があることを告発しました。
ドクター・F.J.コービル(F.J.Covill)は、エスキモー族の女性たちが時々、5回出産した後で、不妊にする手術を受けたことを確認しました。
カソリックの伝道師ローランド・コーティマンチェ(Roland Courtemanche)が言いました。
『ご存じでしょう、彼らは教育を受ける必要があるのです。
彼らがもっと教育を受ければ、私たちが人口抑制をすることができるようになります。』”
さて、非キリスト教の先住民の人々に対して的を絞った断種行為は、教会伝道医師の間に、カナダ各地で長い歴史を持っています。
カナダの寄宿学校での最初の独立した裁判が、バンクーバーで、1998年の6月に行われました。
ワッグリスラ(Waglisla)からの男性、エド・マーティン(Ed Martin)が、1998年6月13日に、公に述べました。
”私は1952年ころ、ベラ・ベラのドクター・ダービーのところへ行きました。私はすでに10人の子供があり、食べさせることができないので、精管切除のために行ったのです。
しかし、ダービーは、ただ笑って言いました。
『エド、君は、よいキリスト教徒だ。君はたくさんの子供をもつべきだ。私は異教徒を不妊にする手術だけするんだ。』
それから、ダービーは、インディアン女性の不妊にする手術をするたびに、政府から300ドルをもらっていることを話しました。”
私は、6月13日のエド・マーティンの証言から引用しています。
エド・マーティンの陳述は、アメリカの少数民族の国際人権協会、 IHRAAMに提出されています。
IHRAAMは、国連の諮問資格をもつNGOであり、バンクーバーでの1990年6月の裁判に出資にしており、ホール代金の支払いまでしています。
(1:19:41 文書)