団塊じぃじ!気まぐれブログ

趣味の写真や野鳥観察、家庭菜園の様子など載せて見たいと思います
     宜しくお付き合い願えれば幸いです

古里紀行④アカシア祭り

2016年06月28日 | 日記
この日は、親戚の兄ぃに親戚周りに連れて貰い、懐かしい従兄弟たちに会った
子供の頃に遊んだ思いが蘇るものだ、お互い年は取ったが懐かしい!

その後、アカシア祭りに連れて行ってもらった
明治時代から東北でも1・2位ぐらいに繁栄した小坂(コサカ)鉱山が在った街だ

今は廃線だが大正時代から使っていた小軌道の11号蒸気機関車が展示されていた
小坂駅と大舘駅間を鉱山の荷物や人が往来していたが、今はレールパークとして楽しまれている

この祭り開催で、全国鉄道ファンに惜しまれて引退した「ブルートレインあけぼの」が特別運行された(5kmほど)、幼稚園児の駅長さんが「発車」の合図する

明治100年通りは芝居小屋、康楽館の旗を飾り「美しい街並み大賞」に輝いた事もある

康楽館は明治43年小坂鉱山の厚生施設として建てられた日本最古の木造芝居小屋
高校時代に友達と古ぼけた小屋に入り、回り舞台をいじって遊んだものだ
今は国指定重要文化財に指定され現役芝居小屋として連日、賑わっていて誇りだね

アカシア祭りの会場は当時、高校が在った母校の跡地、「つわものどもが夢の跡」なのだ
「青春の門」がここに在った、今も毎年、上野でクラス会が開かれ50年間も旧交を温めている
二次会はカラオケで「高校三年生」を大合唱!

祭り会場の隣に運動場が有り、運動会でクラス対抗で「お化けのQちゃん」を描き旗印にして応援した、この地だけは当時のまま

明治100年通りには明治に造られた建物が今も幾つも保存され
鉱山時代からの遺産を観光として大事にしている

この先に当時の下宿先が有った、この景色も当時は店が開いて賑わっていたんだよなー

下宿の建物は無く、街並みは変わっていた
鉱山の上の高台に行き、鉱山の街を眺めた、現在、鉱山は精錬業で盛り上がっているとか
当時辺りは鉱山ガスで、はげ山だった、ここで「人間の条件」が撮影されたと記憶している
その後、ニセアカシアを数百万本植えて緑の街に変わったとの事

青春の一時を過ごした小坂町に十和田湖の一部がある
高校で強歩大会なる行事が有って夜中12時に学校を出発、十和田湖休屋まで走ったり歩いたり、40km以上あったと思うが
8時間かかって到着した、男子が300人位居たかな!、200位だったと記憶している
半分歩きながら寝ていた?当時の色んな事が蘇った
あの時と道は違うが「日本滝100選」の七段の滝が有る七滝、この先は十和田湖、ここまで連れて来てくれた兄ぃに感謝だった!

古里紀行③母校へ

2016年06月25日 | 日記

夜遅くまで再会の味を楽しんで二日目、母校の八中を訪問した
我々が学んでいた校舎から3代目の立派な校舎に目を見張った

先生から今の様子を聞いた
生徒数が99名、三年生までA組だけにみんな「えー!」とビックリ
でも生徒数が少ない分、充実した学校生活を送っていると聞きうらやましく感じた

先生の案内で校内を見学、木造校舎と違って静かできれい、
パソコン室や図書室、保健室、体育館と時代の先端を感じるたたずまい

音楽室では歓迎のブラスバンド部員の演奏を聞いた
また、部員の伴奏で五十数年ぶりにみんなで校歌を大合唱、胸が熱くなった



多機能室でこれもまた五十数年ぶりに恩師によるホームルームが行われ、みんな時おり笑いながら耳を傾けた

数人の同窓生が社会人となってからの生きざまを話した
皆感銘を受けて自分の人生と重ねた事だろう
幼なじみは地元で大衆演劇をやっていて「一本刀の土俵入り」を一人二役で少しだけ演じてくれた

校舎の窓から見える田んぼと景色は昔と変わっていない!?
50年経ったけど、あの頃とちっとも変わらない自分も感じた

名残惜しくおなごり会となり、あっという間の再会も終わりだ
だれかが「喜寿もやろう」「長すぎるから3年後にやろう}とか言い出した
会長が考えましょうと締めくくった
仲良かった連中と握手をして「お互い元気でまた逢おうな!」と言って別れた

古里紀行②古希祝い

2016年06月23日 | 日記

人生、済んでしまえばあっという間だね!
古来、古希とは70歳まで生きるのは希(マレ)と云う長寿の祝いだとか
団塊世代も70代の高齢者に突入だね、でもまだまだこれから

始まりは神事、長寿と諸災消徐を願うも再会の思いに駆られた
当時250名ほどの同窓生、参加者は男64名、女48名、112名の参加には驚きだ、元気?元気!

83歳と89歳になられた恩師の姿に感嘆、89歳の恩師は祝いの踊りを披露、みな感激!

乾杯は最遠来者の島根県からの彼女、当時はタイツ姿でバレーを踊って可愛かったなー

テーブルは各小学校別に
我テーブルは幼なじみの秋田美人4人と男二人だけで寂しいが、先に逝った奴らの分も乾杯だ!

地元のメンバーや有志の踊りなど盛り上がり拍手喝さい

懐かしいクラスメートに話は弾み、「クラス仲間はいつまでもー」だね
53年振りに会った同窓生も居たが女性は名前と姿が一致しないねー!
みな53年の歴史を就くって来た訳だが、今日は中学生に戻って話が弾んだ

場所が変わり二次会に、仙台方面の同窓生の花笠踊りやカラオケで盛り上がり笑顔のひと時

普段は9時頃に眠くなるのだが三次会の午前様に若返った!?
元気で会えた事に感謝、満足の一日だった



板取地区

2016年06月17日 | 日記

2月以来の関市板取、「モネの池」を女房も見たいと言うので出かけた
テレビで盛んに放送されるので沢山の見物人が押し掛ける

モネの「睡蓮」の絵に似ている風景から名も無い池が「モネの池」と、名所になった

雨上がりで少し水が濁って透明感が薄れていた

睡蓮の花は昼頃開くらしいが、人であふれる前に退散

地元の人に教えてもらった川浦(カオレ)渓谷に寄った
深く切れ込んだ岩と澄んだ水、紅葉三十三選地と案内が有ったから是非紅葉も見たい!

板取川はアユ釣りのメッカ、あちこちで友釣りを楽しんでいる

アジサイ街道で寄道、付近に沢山ヤナ場が有りアユを食べれる

川魚料理店で川を眺めながらアユを注文

待っている間、前の川を望遠で眺めるとアユが沢山いた

注文が有ってから生けすから取り出して炭火で料理をするのだそうだ
塩焼きと魚田のアユを食べたが頭から残さず食した、美味い!

古里紀行①ふるさとへ

2016年06月14日 | 日記
この度、中学校時代の古稀の祝いが開催されるので8年ぶりに古里に帰省した
開催される会場、生まれ故郷の湯瀬温泉
何回かに渡って古里紀行を記してみたい

今回は古里まで全て高速バスを使って1000キロの旅を挙行した、景色を味わう旅に!
夜行バスで名古屋から仙台を目指した、700キロ、9時間のバス旅、目覚めたら仙台だ

東北の玄関口、仙台、東日本大震災の面影は見えないが!?
仙台から盛岡まで2,5時間のバス旅

東北自動車道、景色に栗駒山(1626m)
名前の由来、まだ残る残雪の左端に馬の雪形がかろうじて判る!?

新幹線は北へ、啄木のうたった「ふるさとの山」は霞んでいた

盛岡渋民村は啄木のふるさと
「ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな」一握の砂より

昼食は夜の大宴会に備え、冷やしとろろめかぶソバ、喉越しが良くあっという間に胃袋へ!

盛岡駅でバスを待つ人の中に数人懐かしい顔が有った、あと1時間でふるさとだ!

懐かしい古里に到着、山が迫り日の出が遅く、日の入りが早い山間の温泉地
前日,21:30発ち13:00到着,乗車時間12,5時間、交通費は新幹線の半分以下、疲れは感じなかった

先ずは高台の神社に到着報告、子供の頃は神社の前で盆踊りをしたっけ!
神社の右上手に小学校が有った

廃校になった時、「我が学舎」と石碑が立つが周りが自然に返り、それすら見る事が出来ない
時代の衰退は寂しいものだ! 気分を変えてもう直ぐ懐かしい面々に会えるゾー