米子市福市に安養寺があります。
約4年ぶりに行ってみました。
この寺に、瓊子(たまこ)内親王の墓があります。
隠岐島に島流しされる後醍醐天皇を慕い、童姿に身をやつしてついてこられた瓊子内親王は、隠岐島へ渡ることを許されませんでした。
16歳で髪をおろし、開かれた寺がこの安養寺と言われています。
↓以前にもUPした記事です。
【米子市:安養寺】瓊子内親王のお墓
TOP画像が内親王の墓ですが、この画像の左奥にその墓があります。
この日は天気もよくなく、大山も頂上は雲がかかっていました。
瓊子内親王の墓のそばにある大きなイチョウの葉も落ちていました。
寺内には、後醍醐天皇の画像などが保存されているそうです。
時間があれば、皆さんも訪ねてみてください。
約4年ぶりに行ってみました。
この寺に、瓊子(たまこ)内親王の墓があります。
隠岐島に島流しされる後醍醐天皇を慕い、童姿に身をやつしてついてこられた瓊子内親王は、隠岐島へ渡ることを許されませんでした。
16歳で髪をおろし、開かれた寺がこの安養寺と言われています。
↓以前にもUPした記事です。
【米子市:安養寺】瓊子内親王のお墓
TOP画像が内親王の墓ですが、この画像の左奥にその墓があります。
この日は天気もよくなく、大山も頂上は雲がかかっていました。
瓊子内親王の墓のそばにある大きなイチョウの葉も落ちていました。
寺内には、後醍醐天皇の画像などが保存されているそうです。
時間があれば、皆さんも訪ねてみてください。
イチョウの絨毯も良い感じです。
安養寺という名前のお寺、安来にもありますが、全国にどのくらいあるんでしょうね?
山陰地方も、紅葉は終わりのようです。
この寺は安養寺(あんにょうじ)と読むのですが、
安来とか他県にもこの字の寺があれば、恐らく「あんようじ」と読むのでしょうが、
米子市にあるこの寺は、瓊子内親王が安養尼(あんにょうに)と名乗って
この寺を開いたそうです。
ただ、この説明版に書いてあるように、隠岐へ島流しされた後醍醐天皇は、
その後都へ帰ることができたのに、そのときになぜ内親王を都へ
呼び戻さなかったのでしょうかね。
山陰の地が気に入って都へ帰らなかったのか、それとも何らかの事情で
天皇が皇女を都へ呼ぶことができなかったのか・・
親子の情を考えると、ちょっと不思議な気もします。
まだ、立ち寄った事はありませんでしたね
今度は、是非立ち寄ってみたいと思います(^^)
安養寺は「あんにょうじ」って読むのですか?
今まで「あんようじ」と読んでました(^^;)
では安養寺橋も「あんにょうじはし」ということで?
今回(だけ)は勉強になりましたm(__)m
で、後醍醐天皇の画像は撮影できるんでしょうか?
怪長さんがアップしていないということは、無理なんでしょうね。
銀杏の落葉が綺麗です^^。
安養寺橋から少し行った右側に福市遺跡がありますが、
そこから2~300メートル国道181号を上って、左に曲がっていくと
この寺があります。
道が狭いですから、自転車で行かれるのがなおいいでしょう。
以前にUPした記事のレスでも書きましたが、私が子どものころにバスに乗って
米子へ行くと、車掌が「安養寺(あんようじ)入口」と言っていましたから、
一般的にはそのように発音すると思います。
実は今回、宗形神社からここへ行く前に気になって、道路標識をよく見ていました。
橋のところには「Anyoujihashi」、
国道の標識には「Anyouji temple」とローマ字表記もしてありました。
最近私もペラペラに話せるようになったフランス語も、
このスペルを読むと「ア(ン)ニョ~ジ」とも読めますね(爆)
>今回(だけ)は勉強になりましたm(__)m
まあ、今回(だけ)と言わず、私のブログは社怪科もギャグも
大変勉強になると正直に言えばいいのに。エヘン!(^^)!
そうですね、国道から入る場合、狭い坂道を少し上っていくような感じですから、
ちょっと高台になります。
少し行くと日野川土手もあり、大山もきれいに見えるところです。
>で、後醍醐天皇の画像は撮影できるんでしょうか?
この説明版にそう書いてあるのですが、本堂に掲額されているかどうか・・
公家の血を引く私でもわかりません(爆)
だれかさんには、いつもながらリサーチ不足と言われそうですが^^;