
前回に引き続き、鶴山公園の桜を紹介します。
津山城は、1603年(慶長9)に着手、13年後の1616年(元和2)に完成しました。
初代藩主・森忠政は美作国院庄(みまさかのくに いんのしょう)に入ります。
この場所は、鶴山を中心とする一帯で、藩主にとっては城下町をつくり、常備軍を膝元に置いて不意の戦争に備え、農民に対しては武士の強さを誇示できると同時に、藩内の統治に最も便利な場所として選定されたと考えられています。
津山は美作中央部にあって、古くから開けていた津山盆地のほぼ中心に位置する鶴山の地に城を建設しました。
現在の呼び名は鶴山(かくざん)と言われていますが、かつては鶴山(つるやま)と言っていたそうで、津山の地名もここに由来しているそうです。
TOP画像とこの画像は、備中櫓で、2005年に落成しました。鶴山の最高所に平地を広く取って、ここに本丸が建っていました。
本丸跡は、今は桜や植木が植栽されています。
天守があったところから津山市街地を望みます。
天守は五層で、台の石垣を含めて26メートルあったそうです。
天守跡からのパノラマ。
大きく見るには → こちら
津山城は、自然地形を巧みに活かしながら土木工事によって更に要害堅固な城としました。
山の大半を石垣で覆い、外周を土塁や濠で固め、天然の断崖をそのまま防御線に取り込んでいるそうです。
また、吉井川やその支流の川を防備上の最前線としたつくりになっています。
元々が天然の要塞のような地形になっていたのですね。
桜祭りが行われていて、地元のご婦人方でしょうか、銭太鼓で踊りを披露されていました。津山城は、1809年(文化6)の本丸御殿焼失以外には大きな損壊を受けませんでしたが、明治の廃藩置県と廃城令でその役割を終え、1874年(明治7)から翌年にかけて建物が取り壊されました。
現在は、鶴山公園として整備され、1963年(昭和38)に城郭の主要部分が国史跡に指定されているそうです。
まさに、「栄華の夢を胸に追い」を感じさせるところですね。
お城にはさくらがよく似合いますね
鶴山公園 津山ですね
津山へは一二度行っただけです
中国道は落合から左折ばかりですから(笑)
桜があると、石垣だけの城跡も映えて見えますね。
私は、瀬戸大橋の関所がないのに、津山城へは初めて行きましたよ(笑)
高校の同級生が、初めて赴任したところが津山でした。
鳥取からだといつでも行けると思って、結局行かずじまいでした。
案外、中国地方の観光地はまだ行ってないところが多いので、
これからは行ってみようと思ってます(笑)
津山城とは知りませんでした。
城壁とサクラはよく似合いますね
羨ましい(^_^;)
前々からここの桜は行ってみたいと思っていて、ようやく実現しました(笑)
ただ、ぽん太さんのように、近場の美しい桜をもっと撮ってからでないと、
本物の山陰写進化狂会怪長とは言えないですね~(爆)
津山城は私も行った事がないので
今度行ってみたいですね
昨年も怪外旅行でサグラダファミリア・・・いや、サクラをファミリーで見に行きましたよ(爆)
津山城は、アジサイも咲くようだし、紅葉の時期にもいいようですよ。
ぜひ行ってみてください。