写進化・ヲアニーの徒然日記

秀峰大山を中心に山陰地方の風景等を掲載。(※古い記事の画像は、削除しているのもあります。)

[伯耆町]二部神社

2010年09月01日 | 自然

伯耆町二部集落の最終レポートです。
この集落の一番上に、二部神社があります。
道路や家並みなどは変わっても、鎮守の森と神社は昔も今も変わらないですね。

♪村の鎮守の 神様の 今日はめでたい お祭り日・・
子どものころに祭りがあると、神社の入口付近に出店が来て、おもちゃなどを買うのが楽しみでした。
祭りの日には、少し小遣いを奮発してもらって、時計のおもちゃや月光仮面などの面を買って、風呂敷マントをつけたりして遊びました(笑)


今、なぜか狛犬が、山陰写進化狂会の某takesan情無理事の影響からか密かなブームになっています(笑)
これは何石製でしょうかね。




階段を上ると、本殿が見えてきました。

二部神社は、1332年(元弘2)、後醍醐天皇が隠岐へ配流の途中、間地(まぢ)の露無の地より青石伝いに野上山頂の平地に滞在。後に、この行宮所の地にお宮を建てて祀ったと伝えられている。以来、氏子は青石を尊び、みだりに使用することを禁じた口伝がある。
往古から王子権現と称して崇敬が厚かったが、後に野上荘大社の号を許され野上荘大社権現と称した。
また、鳥取藩主池田氏の入国時、神社所有の幕、提灯に池田氏家紋の揚羽蝶の使用を許可された。
(「伯耆町の文化財」より抜粋)
ということですが、難しい文章ですので、ツッコミはご容赦を



神社の本殿付近から。
ここは二部の外れになりますから、向こうに見える家は、間地(まぢ)集落になるのでしょうか。


神社近くの風景です。
廃墟らしき家の生け垣と木の囲いが朽ちかけています。


昨年の紅葉時期に、このイチョウの木も撮りましたが、秋にはまたきれいな紅葉を見せてくれることでしょう。
以上で、伯耆町二部集落のレポートは終わりです。
ごらんいただき、ありがとうございました。


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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぽん太)
2010-09-01 08:47:58
間地(まぢ)集落ですか・・・遠くに見えるのは
茅葺き屋根にトタンを被せた物ですね
ああゆう建物も少なくなりましたね
なかなかいい古民家がありそうですね。

鳥取の智頭町の板井原集落が取り上げられていましたが
そこまで行かなくてもなかなか周辺でも
良い所がありそうですね。
Unknown (nasuka)
2010-09-01 09:20:02
由緒正しき鎮守の森、という感じですね~~
こういう森が残っていると、ほっとしますね。
伯耆町も南部町も日野町も、結構山の方まで神社や史跡がありますから、
散策するには楽しいですね。
瀬戸内からの街道沿いとして栄えていたんでしょうか・・・
古代の人々の生業に、しばし想いをはせてしまいますね。
Unknown (SR)
2010-09-01 15:50:17
突然すいません。。
近々、大根島の廃船を見に行きたいと思ってるんですけど、もう無くなってしまってるんでしょうか?
もしご存知でしたら教えていただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
Unknown (takesan)
2010-09-01 18:21:32
何だか巷では狛犬の記事が増えて来ているような。(爆)

まだ鳥取県の狛犬の情報は少なくここの情報は持ってません。(^^;

写真で見るところ来待石の様な気がしますが
自信がないので今度連れて行ってください。(笑

吽形がいませんね。
崩れたのでしょうか。
きつねは健在のようですが。(^^;

PS:先週の土曜日に廃船前を通りましたが
まだありました。
でももう時間の問題でしょうね。
Unknown (takesan)
2010-09-01 18:24:16
↑のコメント訂正です。
吽形ではなく阿形でした。(^^;
ぽん太さんへ (ヲアニー)
2010-09-01 21:07:22
ええ、この上の方は、マジで間地(まぢ)集落になります(笑)
私の集落にも、かつては茅葺き小屋で、その後はトタンをかぶせた家が残っています。
年寄り夫婦が住んでいましたが、おばあさんも30年ほど前に亡くなられ、
今は県外に住んでいる子どもさん(と言っても、私より一回り以上上の方ですが)が、
盆や正月に帰ってきておられます。
盆になるとその方が気になります。
盆に行う地域の夏祭りには必ず顔を出されます。ありがたいことです。
私も、高校卒業後、20数年間故郷を離れていましたから、その気持ちがわかります。
そういう人たちがいるから、地元にいる者も夏祭りには力が入ります。

子どものころは、茅葺き屋根が数軒ありました。
集落総出で手伝った葺き替えの様子も見たことがあります。
合掌造りの白川郷は、「結(ゆい)」という、総出で葺き替えをする伝統が
今も残っていますね。
ただ、屋根に敷く茅を入手するのが困難になってきているようですね。
nasukaさんへ (ヲアニー)
2010-09-01 21:13:49
nasukaさんのブログで先日語られていた鎮守の森の蘊蓄を読み、
既にこの写真は撮った後だったのですが、
改めて先人の偉業に思いを馳せました。

これらの写真で、旧街道沿いを想像されましたか。
さすが、歴史・神社仏閣・狛犬評論家であり、
写進化活動指南役(これは関係ないか)のnasukaさんですね~(笑)
私は、このあたりを散策しながら、もしやと思ったのですが、
「伯耆町の文化財」を調べてみたら、おっしゃるとおり、
二部もかつては出雲街道だったそうです。

日野町の根雨宿は、かつての出雲街道の雰囲気が残っていて、
建物も当時の面影を彷彿させるものが残っています。
二部は、私が見たところでは、建物等にも当時の面影を忍ぶものは
余り残っていないように感じましたが、前回UPした下から2番目の画像が、
出雲街道本陣跡周辺だそうです。
SRさんへ (ヲアニー)
2010-09-01 21:21:11
初めまして、コメントありがとうございます。
私も2回ほど大根島の廃船をUPしているのですが、
相互リンクしている山陰写進化狂会情無理事のtakesanさんがコメント
していただいているようです。
まだ中海に横たわっているようですが、大根島の湾岸道路の拡張に伴って
どうやら撤去されるそうです。
↓この7月に、同じく相互リンクしている同狂会まっちゃん爽務部長がUPされている記事を紹介します。
http://llmatchanll.blog59.fc2.com/blog-entry-308.html
いずれにしても、撮りに行かれるのでしたら、近いうちに行かれた方がよろしいかと思います。
takesanさんへ (ヲアニー)
2010-09-01 22:04:21
やっぱり、狛犬ブームを広めたのは情無理事の功績でしょう。
写進化狂会として、狂会の文化功労者として怪長表彰しましょうか(爆)
でも、本物の狛犬評論家になるには、写真を見ただけで石の種類が
わかるようにならないと・・

阿吽を間違えても私にはわからなかったのですが、さすが奇帳面?な
takesanさんですね~。
TOP画像の右側に鎮座ましましている吽形をUPしましたが、
3番目の画像を見たら、台座は見えますが、阿形はいませんね。
崩れてしまったのでしょうか。
(この台座にナントカスライダーを置いて狛犬撮ったら、きっとすばらしいのが撮れるかもですよ

吽形も、よく見ると足の部分はコンクリで補強されたように見えますね。
撮影機材の物欲に走るより、狛犬評論家がこの神社へ阿吽形を寄付されたらいかがでしょう。
そうすれば、狂会文化功労者として怪長表彰すること請け合いです(爆)

【PS】
廃船のフォローありがとうございました。
Unknown (クラウン・ベリー)
2010-09-02 14:51:07
怪長さんも狛犬ですね!
巷は、狛犬ブームですね~(笑)
神社の空間というのは、不思議なものですよね。
隣がビルでも、廃墟でも、境内は凜としてて気持ち良いですから^^。
気持ち良い空間で生活していきたいですね~。

イチョウは、見ものですね!

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