every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

セミナー「2010年音楽の傾向と対策」

2010-02-16 | 音楽NEWS
先日、八丁堀≪内田洋行 新川オフィス ユビキタス協創広場≫で催されたセミナー「2010年音楽の傾向と対策」 に参加してきました。

これは昨年秋に世田谷自由大学にて音楽プロデューサーの牧村氏、メディアジャーナリストの津田氏が講師を勤めた『未来型音楽レーベルを作ろう』という授業のスピンオフ、4月から開講される『未来型音楽レーベル実践編』のプレ講義的に自由大学の講義も受講されていたサウンド&レコーディングマガジン編集長國崎氏を迎えて行われたモノです。

来場者には当日発売になったばかりの『サウンド&レコーディングマガジン』最新号が配られ、その特集である「2010年版自分の曲を売ろう」の内容を補完するという内容という前提で催されました。

以下、ワタクシがまとめたモノを記します。
当日の発言順などは編集いたしました。
斜文字はワタクシの個人的つぶやきです。

#twmbというハッシュタグでまとまっているので、その場の流れなどはそちらをご覧になってください。

【この10年の分岐点】
・CDの登場
・バブル崩壊
・レーベル/A&Rの役割分担が見えなくなってきたこと。

津田『CDの登場が壊したもの』
・CDの値段はパッケージの値段なのか? 音の値段なのか?
先日のRadio Sakamoto@Ustreamでも触れられていた件。CCCDでそれが一機に壊れた。
・アルバムの概念……まずA面、B面という概念が壊れ、曲単位で聴くという習慣からアルバムという概念も壊れた。
・曲のスキップが簡便になり、つまらないと思われた曲はスキップされるのでサビ始まりという構造の楽曲が増えた。

国崎『SACDが出てきたときサンレコはこれをプッシュした。しかし、反応はなかった(場内苦笑)CDには曲のスキップという利点があったが、SACDは高音質になったが利便性はCDと同じ。一般リスナーは音の品質に興味ないという実感がある。
津田『音楽産業の中で"高音質 Vs. 利便性"というような対立構造が折に触れ出てくるが、高音質が勝った例がない!』

牧村『CDがアナログレコードの続きと思われたがそれは違う。』
牧村『CDが出たときのトノバンは「ねぇ、アナログ・スタンバー買おうよ」と言った』。→
It's a very Tonoban!


*自分はCDとヴァイナル、データであればヴァイナルにお金を払う。ヴァイナルからエンコードしてCDに出来るから、自分では作れないヴァイナルにお金を払うというのは自分で納得しやすいからだ。

牧村『(78回転のSP盤や45回転のシングル盤から)LP盤へ移っていったのは単価を高くするという産業の理屈。それでも収録時間の長さを活かしたコンセプト・アルバムなどもあったが、そういった試みもなくなっていってしまった。』

【ミュージシャン側の視点】
国崎『MIDIの登場でミュージシャンの気持ちが変わってきた。
一人の人間に演奏を指示するのではなく、いわば神の視点ともいうべき俯瞰的な位置から楽曲の全てをコントロールできるようになり、ミュージシャンたちはそれに夢中になった。』
国崎『そういったテクノロジーが音楽に影響を与える時代が終わったのではないか? 特に年配のミュージシャンは生演奏に回帰してきている。』

牧村『レコード会社の一部だったミュージシャンがそうではなくなった。』
具体的には原盤権を自分で持つようになったということ?

牧村『70年代にCMとのタイアップが隆盛になり、CMの15秒枠で人の耳を引き付けることがクライアントから求められた。その15秒の構造に媚びてしまって、キャッチーなサビを偏重する時代が続いた。……皆さんの前でこういうことを口にするのは躊躇われますが、僕がJ-POPはクソだ(場内沸く)というのはそういう悪しき慣習が残っているが故です。』

全盛期の小室楽曲はCMありきでつくられるので、プリプロの段階でシンクラビア(元祖デジタルオーディオワークステーション)でタイムストレッチを施してCMの尺に収まるようにしたという。それでキーが高くなったという(キーの高さについてはカラオケで高いキーの曲を歌えると達成感があり気持ちいいからという説も)。


国崎『2009年版自分の曲を売る方法 → 売れた。』
レコード会社に頼らず自らの手で音楽を売っていこうというのが、マジョリティになった証拠ではないか

国崎『「2009年版自分の曲を売る方法」特集号は売れた。そこではmyspaceなどの販売方法にフォーカスしたが2010年版はプロモーションという部分にフォーカスしている。」

津田『ネットでのプロモーションという部分を推し進めると雑誌が扶養になる可能性がある。これは自らの首をしめることにならないか?」

国崎『出版界では(デジタル化に対して)音楽業界の失敗に学べという風潮がある。両方見てきたので、情報を抱え込むようなマネをするわけにはいかない。それに今は雑誌という媒体であるが、本来は(音楽をクリエイトするという)情報を提供するサービス業が思っている。自殺行為だとは思っていない。ミュージシャンが10年代をサヴァイブしていくための雑誌だと思っている。」


【いま、そしてこれから】
牧村『業界にいた人は、アンチなことは言いたがらない。リタイヤした人でさえ、何か仕事が回って来ると思っている。そんなことは、実際あり得ない。だから、なかなか変われない。』

牧村『最近ザワザワしてきました。渋谷系を分析すると、現代を生き抜くための有効手段が見つかるように思う。』


牧村『たくさん売れるということは、同じ"制服"を着ているということ。そろそろ違う制服が出てくるだろう。どれだけオリジナルが存在できるのだろう、ポピュラーについては飽和状態だと思う。』

牧村『いまは週の半分は大学に出ているし、もう手を引こう、レーベルなんてやらないと思ったんですが、早くも気が変わりました。ここにいる皆さん一緒に一人一レーベル作りましょう。おそらく日本で一番数多くのレーベルを作ってきた人間なので、レーベルの作り方すべて教えます。だからやりましょう」

牧村『10年前から業者はいなくなると思っていた。が、未だにその状況は変わっていない。』
津田『(昨年10月の世田谷ものづくり大学での)授業で言ってきたことは「中間業者は必要だ、但し、新しい形の中間業者が」ということ。


津田『印税とか著作権とか.アーチストを守ってあげることがエージェント業になるし、新しい利益配分を考えていくことになると思う。新しいミドルマンの形を考えていく。』


ネットを使えばレーベルやレコード会社といったモノは必要なくなる的な発言を時折見かけますが、そんなことは全くないと思います。
例えばギャラの分配だったり、著作権の登録や処理だったりといった事務作業というのは必ずついて回るわけなので、それを全部自分たちでこなすと言うのは厳しいと思います。会社だって営業と経理に分かれているでしょ、ちょっとした規模以上であれば。
そういう発言の前提としては自作自演をいうことだろうけれど、ともすれば人格までも否定されかねないような状況(単純に売れない=受け入れられないということであり、その現実を突きつけられる度に失恋したような心境にならない?)下で事務作業を続けるというような事は誰にでも出来ることではないと思いますが。


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