《落日菴執事の記》 会津八一の学芸の世界へ

和歌・書・東洋美術史研究と多方面に活躍した学藝人・ 会津八一(1881-1956)に関する情報等を発信。

八一音韻の成り立ち 『會津八一の墨戯』から

2020年01月26日 | 日記



料治熊太著の『會津八一の墨戯』(昭和44年 アポロン社刊)は、今では稀覯本の感がある。年配の八一ファンは知っておられようが、なかなか古書店でも見ることがない。

會津八一を尊敬し、わざわざ落合に家を求めて、師の傍にいようとした人だけに、八一の肉声をまざまざと伝えている。こんな本はそうない。吉池進著の「會津八一伝」くらいだろうか。読み物としても面白いが、資料として価値がある。

八一の歌論が読み取れる箇所を引いてみよう。ここがこの本の白眉である。

「かすがのにおしてるつきのほがらかにあきのゆふべとなりにけるかも」にしても、一見なだらかな歌調から放心のままに歌いすえたかにみえるが、この歌一首つくるにも、先生は春から秋にかけ半年の月日を考えて過ごされた。・・・はじめは結句を「かな」とむすんでいたのであったが、「か」も「な」もア系の開口音で、音韻としては、声を発すれば叫びとなる。この歌の場合、「かすがの」「ほがらか」のごとく、上の句に明るい陽性のア系音が続き、結句も又ア系音で結ぶと、歌韻の上で抒情がやや浮き上り気味になる。そこで、「かも」と同じ開口音でも陰性のオ系音「も」の沈んだ韻音で結句されたのであった。(同著73ページ)

「南京新唱」の成立前夜の八一は、こんなことを料治氏に話していたのだろう。八一の音韻の秘密がわかる、数少ない一文である。

ちなみに富岡多恵子氏もこの箇所に早くから注目し、一文を草されている。文藝春秋刊の「さまざまなうた 詩人と詩」によって、それを知った。