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月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

サラリーマンですよ、北川くん

2007年04月09日 | その他の映画

私は吉岡くんの、大が300個位付くほどのファンですが、
彼の出演した作品や演じた役全てに、
ブラボー ブラボー トレビヤ~ン
と言っているわけではないのでごじゃりまして。

出演作が多いから、その中には「なんでやねんな。」って思う作品もあるし、
「よしおかくんは悪くないのよぅ~。頑張ったよ、よく頑張った。
しかし、どうみてもこりはミスキャストなのではないだろうか・・・?」
と鑑賞後にロダンの考える人と化してしまったことは一回や二回ではなかったわけで。


しかしこれは、中にはこういうこと考えているファンもいるんですよ~っ
ていうだけのことで・・・。

ということでですね、いつものように前置きがなが~くなってしまいましたが、
今回はこれです。

映画 青空に一番近い場所

この作品以前に撮られた、男はつらいよの「ぼくの伯父さん」が
吉岡くんの実質的な主演第一作だと思うんだけど、
クレジットが一番最初にくるということにおいての堂々主演第一作。

これは、ほんとにテーマ曲がよかった。
あのテーマ曲の使い方が、とっても印象的だった。

完。

ってそれだけなのかいっ?!

いや、良かったですよ、吉岡くん。 
なんてったって学生服姿が拝めるしぃ、
紳士服のコナカで買ったようなスーツ着て全力疾走しまくってる姿が拝めるしぃ、
缶蹴り楽しそうにしている姿なんてうふふ~んだしぃ、
ヨークを思わず噴出すシーンなんてあっぱれだしぃ、
それになんたって天使にお姫様抱っこされちゃうという前代未聞の
美味しすぎるシーンがあるしぃ、
吉岡くんファンにとっちゃぁ、ごっつぁんですっ!って感じの映画ですな。

しかし、これは映画であって、吉岡くんのPVではないので、
作品として鑑賞するとですね、徐々に私は「考える人」と変化していくわけで。

「おし~いぞなぁ!」という映画なのですよ、この作品。

話の題材はとってもいいと思うし、長谷川真弓ちゃんもとっても良かったです。
だからダメじゃないんだけど、しかし決して良くもないっていう・・・。

あともうちょっとで、良い作品になりえたんじゃないか?っていうか。
舞台だったらとっても面白かったかもよん、鴻上さんっていうか・・・。

全体的に、やはりとっても舞台チックな演出なんだと思うわけで。
しかしこれは映画であって、舞台ではなかったところがなんというか・・・・。

あのやたらとなが~く続くダルマさんがころんだや、缶蹴りのシーン。
いや、これがこの映画の中で非常に重要なシーンであって、
このシーンの中に監督のメッセージが込められているんだろうな、
ということはわかるのですよ、わかるのだけれども、しかし長すぎるっ。

長すぎちゃって、見ている方はなんとなくおいてけぼりになってしまう。
そうなってしまった時点で、このシーンに込められたであろう
監督のメッセージが薄れてしまうんだと思うとですよ。

あ、でも薄味でもメッセージが伝わったのだからこれはこれでよいのかもしれない・・・。

なーんて、偉そうにあんた映画批評家気取りかいなって感じだけど、
とにかくこういった演出が続くから、全体的には
なんかすごくもったいないなって思ってしまう映画なわけであります。

くどいぞぃ、っていうシーンが長々と続いたかと思うと、
その後にいきなり繋ぎの悪い「おばあちゃんのお金講座」
みたいなシーンが挿入されてきたりするから、見ているこっちは
「これって紙芝居なのっ?!ならば飴玉くだいなっ!」
ってちょっとむむぅ~っとなってきちゃったりするわけで。

いやぁ~、良い映画を作るって本当に大変なことなんでありますな~、セニョリ~タ。

なんていうか、この映画は、私にとっては、
「ラストソング」のクランクアップ直後に演じた役・北川くん、
という下敷きを以って観ることに醍醐味があってですね、
そういった事を含めて観ると、改めて吉岡くんの才能の深さに
とっても感動するという映画なわけでありまする。

稲葉一矢が全身から迸らせていた色気爆発フェロモンは、
この映画では殆どなりを潜めていて、その代わりに
へたれパワー全開ぶっちぎってます、って感じのヨレヨレっちー北川くん。

そこにはイ・ナ・バ・カ・ズ・ヤのイの字もない。

職人だねぇ~、ヒデタカくん。惚れ惚れするよぉ。

おばあちゃんのお金講座での北川くん空想シーンで、
ガス爆発現場から出てきたような髪形でもって、
わざとらしくひっひっひぃ~と笑いながら
レジカウンターを飛び越える君の演技は素晴しかったぞい。

あの、わざとらしくなくわざとらしい演技をしながら、
且つ笑いのオーラを出すってえっらい難しいことなんだと思うんだけど、
キミはあまりにもそれを自然に演じてしまうのだよ。

だから観ている方もキミのそういった絶妙な演技をあまり大げさに
受けとらずに済むことができるのだ。おぉ、トレビア~ン。

多分、主役ということで相当のプレッシャーがあったと思うけど、
そういうことに伴うであろう気負いを君は微塵も見せない。

普通こういった場合の役者さんは、まるで犬ぞりレースのリーダー犬みたいに、
「やったるでぇ、ぬぅおぉおおおおお~!」
ってな意気込みが、スクリーンを通して垣間見えちゃったりするけど、
君にはそういった力みがまるでみえないのですよ。

それだから観ているほうもリラックスして映画を観ることが出来るんだと思うぞな。
そういう才能も名優には必須な能力なんだと思われ、そして君はそれを持っているのだ。
けれどもそういうことを見る方には全く感じさせない君は天才なんだと思うぞな。

それにしてもあの空想シーンの君は可愛かったねぇ。
観ているこっちまで一緒にひっひっひぃ~ってなっちゃったよぉん。







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五島家の所在地

2007年04月08日 | コトー先生


私の周りにもコトー先生のファンは多い。

しかし皆一様に、あくまでも「コトー先生」のファンであって、
吉岡くんのファンではないのでありまする。

この一見矛盾する事実は、しかしその人達の中ではきちんと正当化されていて、
私がいくら吉岡君の他の作品も見てみて~と勧めても、
「なんで純の他の作品みなきゃならんのか? コトー先生が好きなだけじゃ。」
と一蹴されてしまう。

あぁもったいないぞなもし。

面白いことにですね、コトー先生を離れた吉岡くんは、
今だに彼らの中では「純」らしい。

そんな彼らだけど、ことコトー先生に関する話題になると、
一気に熱くなっちゃったりするので面白いんですな。

どうもみんな2006シリーズに関しては、
言いたいことがたっくさんあるみたいで、まぁそれは大体
「コトー先生が全然出なかったぢゃあ~りませんか~(泣)!!!」
っていうことに帰結するのだけれども。

しかしナルミせんせのファンの人の気持ちを思えば、まだまだ気も治まるわけで・・・。
ナルミせんせなんて、毎回ちょび~っとの電話番みたいな役で、
ファンの人にとっては、まるで人参を目の前にぶら下げられたお馬さん状態で、
毎回キィ~~~~っとなってたんだろうな~と思う。
しかし、その人達も最終回で報われたことでありましょう。
いいとこもってったよね~、ナルミせんせってば。

この2006バージョンだけど、これはDVDで一気に全話通して観れば、
これはやはり五島健助の、医師として、人としての再生を再び綴る
一つの大きな物語であることがよくわかると思う、と私は思うのでありまするよ。
これを連続ドラマとして細切れに見てしまうと、
なかなか浮かびづらいテーマなんだと思うぞな~。

一度観ただけじゃ、良さがわかりづらいのかもしれないとですね。

さて、今日は2006シリーズで、私が一番気になった設定のことについてです。

はぁ~、やっとここで本題に入りますですよ。
それはですね、「五島家は一体どこぞにあるのか?!」という謎。

脚本家の方のデータベースみたいなものには、五島くんの出身地は
埼玉県となっとるようですが・・・・・・・・

ほんまですかいな、ワトソン君? 

と、何故に私が関西弁のシャーロックホームズになったかというとですね、
いろいろ要因はあるんですけど、その一つは雪です。

健助くんの窓越しに降っていた雪と、あの五島家の兼六園凝縮版みたいな
日本庭園に降り積もっていた雪の種類が違うとですよ。

五島家の庭先に降っていた雪は、ボタン雪。
しかし健助くんの背後に降る雪は、細雪。

その次にですね、五島家のストーブとその上で蒸気を吹いているやかん。
一体全体、埼玉県民の人は、いくら雪が降って寒いからといって、
ああいったものを使うのだろうか? 
秩父の山奥なら使うのかな? 
しかし、あのお庭を見ると、なんか秩父の山奥って感じもしないしなぁ。

ストーブがんがん燃えていて、
その上でやかんがヒューヒュー湯気をたてている中での母上様は、
ど根性はいってますってくらいの厚着仕様。

はっ、もしかしたらあの母上様は、あのお部屋で一人、
猛暑我慢大会でもしていたのだろうか? 

謎だ。

しかし猛暑我慢大会をしていたとしたら、あんなに優雅に英国調ティーセットで、
みかんを食べながらお紅茶などをお飲みになれるはずがない・・・。

きっときっとあそこはすごく寒い土地なのだっ!(←力説するまでもないですがな)

で、推察するにですね、五島家は富山県にあるに違いないっ!

とちょっと唐突に踏ん張ってみました。
何故にというとですね、まず先にも述べた雪。

前述した種類の違い。北陸にはボタン雪が降るとですけんね。
それプラス、健助君がナルミせんせと別れた後、病院の裏口から外に出て、
雪降る宵闇を見上げるシーンがありますけど、
あの時の健助くんは、その表情を見るとですね、
そこはかとなく郷愁モードに入っていたと思われるわけです。

雪と家族、故郷が繋がっているのに違いないですぜ、旦那。 
なので、健助くんの実家は「雪の多く降る土地」にあるのだ。

で、次に実家の家具。
先述したストーブやら、やかんはもちろんなのだけれど、
なんか大きな仏壇みたいなのが見えるんですけど、これにも注目。

北陸の家、特に旧家には大きな仏壇があるって以前誰かから聞いたし
(すみません、間違いだったらごめんなさい)。
それでもって、
富山は日本で一番住みやすい場所らしい→すくすく健助純粋培養→愛しのへたれっキューの一丁ありぃ!
ということでですね、この三点です。

おいっ、三点だけですかっ?! 
って突っ込まれそうだけど、しかしここで難問が一つ。

それはあのお母様の言葉に全然方言がないということですばい。

健助くんのお母様の話す言葉は、
それはそれはNHKの日本語ラジオ講座の講師になれそうな程
きれ~いな標準語じゃった。

う~む・・・・・・、
やはり謎は深まるばかりじゃのう、ワトソン君。



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コトー先生と五島くん

2007年04月07日 | コトー先生

2006シリーズのコトー先生は、中性街道まっしぐらっ!って感じだったけど、
2003を見直してみると、「おぉ、そういえば男だったのよね、五島くんってば。」
って気付かされるシーンが結構あったりして新鮮だす。

今日はですね、私のもつ2006版コトー先生の印象の巻き、ということでありまする。

コトー先生の2006シリーズ。
2003の時同様、こちらでも日本より二週間半遅れて
アジア系専門チャンネルで放送されていました。ありがたや~。

この2006版では、コトー先生がアンニュイに、
診療所の屋上に続く梯子を登るシーンが多かったですけど、
私、このシーン見る度に無償に悲しくなっちゃったのでありますですよ。

なんか、梯子を登るたびにコトー先生が天に近づいていっているみたいで、悲しかった。

コトー先生ってば、とっても不思議な人で、実際に画面で見ていると、
ただ悲しそうに悩んでいるだけではなくて、ちゃんと笑っているし、
ラーメン食べてるし、天然だし、ボケてるし、
なによりへたれでキュートなお人で、略して「へたれっキュー」(←全然略されてない)。

そんな姿を見て、私なんぞはうふふん♡、
なんて、真夜中に遭遇したら相手を一発ノックアウトさせちゃうような
「笑うこなき爺」みたいな弛緩しまくった顔でテレビの画面に向かっているわけだけど、
しかし一旦画面から離れて五島健助くんを想うときは、なんていうか、
日本の悲しさ全て背負ってます、
みたいな印象があの人にはあったりするわけで。

五島健助(注・あくまでもドラマの健助くんです。ヒデタカくんの健助君ですと。)
という人を想うときはですね、私には銀河鉄道の夜のカムパネルラが思い出されるとです・・・。

五島くんとカムパネルラって、私の中では水天彷彿という感じがあり、
だから彼を思うときは、余計に悲しくなってしまって、
柄にもなくメランコリーになっちゃって、場末のバーでギターを爪弾いて
60年代のフォークかなんかを歌いたくなっちゃうのでありまする。

しかし、私の住む国での場末のバーは、命張っていかないと行けないし、
あいにく私はギターを弾くことも出来ず、ましてや60年代のフォークも知らないので、
気を取り直して、うふふ~ん♡♡♡な満男くんのDVDを見て「笑うこなき爺」となっているわけで。

ビバ、満男くん!ってなわけで。
しかし語り口調は純君なわけで。

とにかく、2006の五島くんは、ひたすら悲しいでごじゃるよ。
背負ってしまった大きさ、重さ、という点では、
これまた稲葉一矢が背負ってしまったものに、
ある種通ずるものがあるのかもしれない。

彩花さんの病気を通して確認してしまった医師としての使命。
五島健助は医師として、「コトー先生」として、あの島で生きていくことを選んだ。

それは「孤高」という道を歩んでいくということ。

そりがぁあああ、悲しいとですよ、セニョ~ル。
五島健助本人にとってはもちろん、彼のことを愛している島のみんなにとっても。
特に彩花さんにとって・・・。

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ルート先生

2007年04月06日 | 小泉監督作品

私の数学オンチさときたら、
それはもうハクション大魔王も及ばないほどだった。

毎日、数学の時間が近づくだけで、オロロンオロロンとなってしまい、
しかし「それはないでごじゃるよぉ、カンちゃ~ん。」と友達とふざける心の余裕もなく、
ただひたすら「神様、今日はあたりませんようにぃ~。」
と数学の時間の前だけ急に信心者に豹変して、
「神よ、仏よ、なんまいだ~あ~めん。」と半べそをかいていたであります。

その半べそ要因となったのが、中二の時の数学担任の教師。
もう、どうしたらこんなに嫌な人間に成長できたのかっ?
っていう程、嫌な人お見本例です!っていう人で、
それは、「インドの山奥で嫌な人修行で山こもってまして、
おかげさまで嫌な人として達観してきました。よろしく。」
って表彰状と一緒に下界に降りてきたみたいな人だった。
それだけ嫌な人を極めていたという意味では、ある意味すごい奴だったのかもしれない。

しかし、人間的に全く尊敬できない人に「ものを教わる」ことほどつらいことはないのであって、
私は13歳にして、それを実感として経験してしまったわけで。

だからこの映画を観たときに、「あぁ、私もルート先生に数学を受け持ってもらっていたら、
私の人生はハクション大魔王よりましなものになっていたかもしれないわぁ。」
と故郷の方角を向いて遠い目になってしまったのでありました。

しかし結局、もしルート先生が数学の担任だったら、
授業なんてほっぽいてひたすらぼぉ~っと、そのラブリ~なお顔をみてにやけたり、
はたまたノートの端に、映画の冒頭で女子生徒達が黒板に書いてたみたいな
似顔絵をハート付きで描いてウフ♡なんてなってたり、
補修を受けたいがために試験勉強なんて全然せずに赤点とっちゃったりなんかして、
あぁ、やっぱり私の人生はハクション大魔王以上にはならなかったであろうと思われ。
チーン。

無駄話はここらへんにしてですね、

いやぁ、しかし、このルート先生はあっぱれでしたね~。

ファンという贔屓目を抜きにして(9割抜き位だけど)も、
圧倒的に素晴らしかったでござる。
彼の役者としての底力を再確認したでありますよ。

この役はとっても難しかったと思う。
基本的にはルート先生の出番は一人芝居だから、
これ、作品の中で目立とうと思えばどこまでも目立てる位置の役だと思うんだけれども、
そこはさすがのヒデタカくん、ちゃんとバラの花束の中のかすみ草の役目を
堅実に演じておりましたですばい。

数学の授業っていう無機質になりがちな小道具だけで、
あそこまでルート先生を昇華させたのはすごい。

観客に、「あのしっかりと暖かい素敵なお母さんに育てられたんだなぁ。」とか
「博士の影響を、人としてしっかりと受け止めて成長したんだなぁ。」とか、
そういう、ある意味この映画の核になるメッセージが彼の演技からやんわりと、
でもしっかりと伝わってくるもの。

以前どこかのインタビューで、
本人が「脚本を理解する能力はあると思う。」って答えていたけど、ほんとだよね。

すごいと思う。

まず作品をきちんと理解してから、自分の演じる役の位置を的確に捉えるんだろうな~。

惚れるぜぃ、ヒデタカ。

私が見てきた彼が演じた役の中で、このルート先生が
一番好きな人物かもしれない(満男くんは別格なんだけど)。

あぁ、それにしても可愛いなぁ、ルート先生ってば。
背中に背負って持ち逃げしたいっ!


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お引越しですね~

2007年04月05日 | CM

♪モルツ~モルツ~モルツ~モルツ~♪

と鼻歌交じりに掃除機かけちゃったり、
暫くほっといていたベランダの花に
ご機嫌でお水をやったりしている吉岡くんファンは多いんだろうなぁ~。

ってそれは私です。

これからCMを見逃さないように、番組の間にトイレタイムする人とかいるんでしょうね。
私だったらそうするもの。
しかぁし、私は海外に住んでいるので、
実際にテレビ画面でモルツな吉岡くんは拝めない・・・。

うぅ、なんて悲しいんだぁああ。

ネット上では10日から見れるみたいだから、あともうちょっとの辛抱なんだけど、
やっぱり大きなテレビ画面で見たかったぁ。

仕方がないので気分だけでもモルツしましょ、と思って
日系のスーパーマーケットにモルツビールを買いにいったら、
なんとサントリーさんちのビールだけ置いてないっ!!!!

なぜなのっ?! どぉおおおしてぇええええっ?! 

あまりの悲しさに思わず夕日に向かって疾走したくなったけど、
そんなことは七曲署の新米デカにしか許されない行為だから、
仕方なくクアーズのビールを買って帰ってきたっす(って買うのかい結局)。 

で、ダメもとで「あなたのチューブ」を覗いてみたら
なんとメイキング付の映像がぁっ!!!

見れましたよん。

いやぁ~、いいですねぇ~。
久々のコメディな吉岡くん。待ってましたよぉ。

君は泣いている顔ももちろんいいが、すっとぼけている顔も同じ位ええですよ!
すごいことだよ、これってば。両極端の二つの顔で魅せる!
こんなことが出来るのは、君と阿修羅男爵しか私は知らない。

あっ、大魔神もいた。

閑話休題。

しかし、この人がこういう空気の中でみせる、あの肩の力が
ふわ~り~んと抜けてるとこなんざぁ、いつ見ても最高なわけであり。
この人の専売特許ですな。

あの微妙な脱力振りをCMで見たら、その日仕事で疲れていても、
どんな嫌な事があっても、なんかそんなことどうでもよくなって、
「あ、ビール飲も。」ってなって、
ぐびぐび~とビール飲んで「なんか幸せかも。ふふ。」ってなるよな~。

ぐっじょぶなキャスティングっす。

勝野さんを見て「おんよよよ~ん」ってなってる顔とか、
なんだか知らぬ間にトラックから荷降ろしさせられちゃってる姿なんて、
まるで小動物界系プリンス。(←決して王じゃないとこがミソ。)

むか~し、連続ドラマの頃のちび純君が
「今度生まれ変わるなら、熊かシマリスがいいと思われ・・・。」
みたいなことを言う台詞があったけど、
吉岡くん、君は立派なシマリスくん系に育ったぞなもし。

ところで、「いい町篇(?)」で、勝野さんが道を教えているおばあちゃんなんですけど、
PCのちっさい画面で見ると、とっても千石さんに似て見えるんですが、
ただの他人の空似なのかしらん?



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稲葉 一矢

2007年04月04日 | 杉田監督作品

映画 ラストソング。

吉岡くんファン必見のお宝映画でござりまする。

内容はといいますとですね、モックンがひっじょ~にあつかです。
でもって、吉岡くんがひっじょ~にうら若き乙女ですけんね。終わり。

って、一体どんな映画なんじゃいなっ!?と思われるかもしれないけど、
簡単に書くと、まぁそんな映画なわけで。

この映画、観ていると、もうなんていうか、すごく疲れてしまうんですね。 
つっこみ所が多いから、画面に向かって「えぇえええっ~、そんなあほなぁっ!」とか、
「ええかげんにせんかい、このぼけぇっ!」とか、「そんなのありかいなっ!?」云々、
永遠と一人突っ込みをしてしまうんだけれども、その反面、見所もてんこ盛りなので、
これまた画面に向かって、「おぉ、ちょっとぉ、ええんでないかいっ?!」とか、
「きゃぁああああっ、おいしすぎるぅっ!」とか、はたまた興奮しすぎて
「ふんきょぎょうぅあぁ~」などと意味不明の擬音を発したりとかの繰り返しで、
観終わった後は、まるでフルマラソンを百面相パフォーマンスしながら完走したランナーのように
(ってそんな人いないけど)ぐったり憔悴しきってしまうという現象がおこるので、
体にはあまりよくない映画なのかもしれない。


この映画は、私の記憶が正しければ、確か1994年に公開されたはずだから、
もうだいぶ前の作品ですね。
登場する役者さん達は、今から見比べると もちろんすごく若いのだけど、
吉岡くんについて言えば、儚い色気全開であり、この時から今も変わらず、
というか今は色気が更にバージョンアップされているので感動いたしまする。

とにかくこの映画でも吉岡くんはいろっぺーのでありまするよん。
もう色気の出血大サービスもってけドロボー状態。

作中、モックンはやたらとむやみに真っ裸になって
お尻ふりふり全開モードになったりしますが、
いわんや、その前後に吉岡くんの「ちょっとだけよぉ~」的なチラリズムシーンが
ばんばこ入ってきちゃったりするので、せっかく全裸張って頑張った
モックンは唯の健康九州男児としてしか映らない。
はっ、もしかしたらそれが狙いなのだろうか? 

いいや、わからない・・・。

わからないといえば、この映画、わからないことだらけなのだけれど、
一番理解に苦しむのが、このモックン扮するシュウちゃんと、
吉岡くん扮する一矢二人から愛される女性・リコ。
この登場人物がどぉ~してもあっしには納得できなのでありますだ。

描かれ方が弱すぎで、何故にシュウちゃんと一矢がこのお方を好いとぉ~のか
理解に苦しんじゃうのでありまする。
なんかこのリコという人は、二人の愛の対象というより、
シュウちゃんと一矢の間の緩和剤的な役割にしか映らない。

邪まかもしれないけれども、この映画を最初に見たときに、なんとなく、
中原中也と小林秀雄の関係を思い出してしまったですね。

この映画の核をなすものは、シュウちゃんと一矢の間に流れている、
とっても複雑にこねくりまわっちゃった愛の形なんじゃないだろうか、と。
だからシュウちゃんと一矢に入り込んでいるリコというのは、
二人の愛憎を通すフィルターみたいなものであって、
その媒体としてだけ二人の間に存在しているのではないんだろうか。

なぁ~どと考え出すと、どんどんどんどんわからなくなっちゃってきて、
悶々悶々と悩める大正時代の作家のように眉間に皺が寄っちゃって、
しかし眉間に皺が出来るのはよろしくないのであって、
この映画はお肌にも悪いのかもしれない。

しかし吉岡くんファンにとってはあまりにも美味しすぎる作品なので、
ついつい繰り返し観てしまうのでありますよ~。

この作品でのモックンと吉岡くんは、これでもかっ!というくらいに対照的。
視覚的にはまるでオセロの駒の裏表だし、
俺はやるぜぃイケ面真夏蠅モックンに対して、
吉岡くんときたらまさに悩める儚きプレーリードッグくん。

時に漫画チックになる演出の演技しにても、
モックンはデビルマンやマジンガーZの世界で
やたらとぎゃーぎゃーわぁーわぁーやかましいのに対して、
吉岡くんは萩尾望都や紡木たくの描く世界に見られる、
ひっそりと精神世界を彷徨い続ける男の子。
もうどうしちゃったのっ?ってくらいに、

は・か・な・い。

もし「儚さ王者選手権」とかがあったら、この人は絶対日本代表になって、
ホビット代表のフロドと王座を争うと思う。
それくらい儚いし、そして切ないのでごじゃる。

いくらヒロインのリコが切なそうにしても、ヨヨヨと泣きそうになっても、
吉岡くんには絶対的に敵わない。

一矢の方がリコより全然よっぽどヒロインくさいのでR。

シュウちゃんがリコを抱きしめるより、シュウちゃんが一矢を抱きしめるほうが激しいし、
情熱的だし、そしてなにより見ているこっちがえっらいドキドキしてしまう。

それは、多分に吉岡くんの、あの力のまったく入っていないアメーバー的な
ぐにゃりんことした体のせいだと思う。

だいたいの役者さんは、ぐったりとした体をゆすられるシーンでも、
なんとなく体にどこかしら力が入っているのがわかるけど、
吉岡くんの場合、それが全くない。
もうほんとに糸の切れたマリオネットみたいにぐにゃら~んとしてる。
それはそれはナスガマンマミ~ヤのオーソレミーヨー。

そこにきて更に、ボタンかけ忘れてまっせ旦那、って突っ込みたくなるほどの
シャツの開き具合や、更に更にそれをシュウちゃんに
揺さぶられて思わずこんにちは~してしまう透き通った白い肌くん達小道具が大活躍! 

って今書いていて本当に一体どんな映画なのっ?!

ってつっこみいれたくなっちゃったよ~。
ごめんよ、よしおかく~ん、こんな邪なファンでぇ。
だけどやめないよ~。
君には人をこぉ~んな気持ちにさせてしまう魔性の魅力があるのだよん。

しかし吉岡君、君の名誉のために(って全然余計なお世話だろうけど)言っておくが、
何も私はエロオヤジと化していつも君を見ているのではないぞよ。

この映画の君も役者として素晴らしかったよ。
まるでゲートをフライングして飛び出してしまった競走馬のようなモックンを、
見えない馬上の旗手としてうまくなだめる様にしっかりと
フォローしている君の演技はたいしたものだと心の底から思いましたですよ。

長年ファンをしてきてほんとによかったなぁって、思ったですばい。

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