長距離を走っている最中に、人は一体何を考えているのだろう?
マラソン中継をテレビで見るたびにそう思っていた私なのでありますが、
この度、何故か急に「あ、走ってみよ」という気持ちがどこからともなく
湧いてきたので、走ってみたとです。
何が苦手って走るという言葉を聞いただけで全速力で走って逃げ出してしまうほど
苦手なランニングなのですが、何故にいきなり走り出したのか? それはきっと、
思いつきです。いつものように。そして同じくいつものように、
ランニングするならまずは格好から。これは大切な基本です。ということで、
「ランスカだって履いちゃったし、高橋Qちゃんよ、どっからでもかかってくるがよい」
と息がって走り出してみたものの実際はブルドックに追いかけられた
バテンバテンなオバケのQちゃんデラックスとなってしまったわけで、だけど、
かっこいいつもりなんだってさぁ♪
苦しくなってくるとついふざけてしまう性分らしい。悲しい。
とにかく最初は走れるところまで走ってみようではないか、
とテキトーに決めて走り出したのですが、実際に走ってみると、
なんか結構走れてしまうものでありまして、大通りに出て芝公園を左手に流し、
もうちょっと先に行けそうだったのでさらに走ってみると、
今度は日比谷公園が再び左手に現れてきて、こ、こ、ここは、ここは、もしや、もしや、
あの稲葉一矢くんがギターをかき鳴らしていた野音のご近所さんなのではぁぁぁぁぁ~
っはぁ~~~~~~~クラ~~。血圧が急上昇してしまったのでそこでストップ。
危なかった、もう少しで高木de鼻血ブーになるところだった・・・。よし、
今度は頑張って目指せ皇居なのだ、この調子ならあと10キロくらいは走れてよ、
ふがあ!と鼻息も荒く決意しながら自宅に戻って地図を見たら皇居は
日比谷公園の真横に位置していたのだった・・・。知らなかった。
あともうちょっとで皇居ランできていたなんて・・・うぅ。
もとい気持ちを入れ直して皇居に挑んだ二回目ラン。
順調に日比谷公園を過ぎて皇居のお堀を目にしたのはいいものの、
ランナーさんたちは一体どの門をくぐって皇居ランに突入するのか
全く見当がつかなかったので、晴海通りに出る信号待ちをしていた
女性ランナーさんに付いていくことに。青信号になって三秒間を置いてから
走り出したものの、その女性ランナーさんのペースはとても遅い。すごく遅い。
ペンギンくんの歩みのように遅い。ように見えた。しかし速かったのだ。
ものすごく速い。一生懸命あとについて行こうとするのに、
どうしてもその人との距離が縮まなくて、どうお見受けしても
私より20歳は年上であろうかと思われるのですが、
高性能ターボエンジンスニーカーを履いているのだろうか?
というくらいの走りのパワーでありまして、きっとその方の体力年齢は
私より少なくとも38歳はお若いと思われ、どんどんどんどこ距離が
離れていってしまうのでありまして、というかですね、長い。遠い。
お堀の横を走っているのに一向に門らしきものに辿りつかないぞう。
一体いつになったら皇居の周りを走れるのでしかぁ? もう長過ぎるのよう、
って私の文章の方が遥かに長いのでした。すみません、
辛抱強く読んで下さりありがとうございます。感謝でぃす。
豆粒のように小さくなってしまった女性ランナーさんの後ろ姿を、
フガフガ息せき切りながら走るパグ犬くんのようになりながら走っていくと、
他のランナーさんたちがスタタタ~と走り入っていく大きな門が見えてきまして、
やっとそこまで辿り着いてみると、なんとそこは桜田門。これが、これが、
あの嫌というほど日本史の授業で暗記させられた桜田門外の変で井伊直弼が・・・
井伊直弼大老がぁ~~~~~~~~~~~~~~なんまいだぁ~~~~~~。
何はともあれ、おいどんはやりもうした。
ガッツポーズで見上げる空が涙で霞んで見えるのだ。
エイドリア~ン!
感無量どすえ。皇居だよ、おっかさん。
感動の気持ちを抱きながら家路について、あ、しまった、
皇居の周りを走るのを忘れてきてしまった。あほうでござる。
そんなこんなのすったもんだで三回目。
桜田門をくぐって、いざ皇居ラン。週末の土曜日だけど早朝のせいか、
そんなに驚くほど混雑はしていなくて、涼しくなってきた風が心地よく、
木々の葉っぱも深緑。お堀の水面を白鳥さんたちが優雅に泳いでいたりして、
なんかほのぼの。気持ちはしあわせ。体力限界。もうだみだぁ~。もう、もう、
力尽きてしまいもうした・・・これ以上は続けられな・・・・・ん、えぇっ?
よ、よ、吉岡君?! 吉岡君が今、わたすの真横を走り過ぎて行ったわ、
スタラタタ~~~~~ンと。ちょっと待って、待って、待って、待ってったら
待ってくだせい、せめてお名前でも~~~~~~~~~~~~~~っ、
ってだから吉岡だっつ~の。ちなみに、下の名前は秀隆ってぇのさ、くはぁ~
カッコイイずら~、俗な派閥から抜け出した一匹侍みたいな響きじゃないかぁ、
名前とその気質がぴたしっ!とこれほどマッチする人は珍しい。どうよ、これってば、もうね、
好き

って、アッ、吉岡君がもう遥か前方に走って行ってしまったわ、
待って、
待ってぇ、
待ってぇ~、
待ってぇぇ~~、
吉岡くん

吉岡く~ん


吉岡く~~ん



吉岡く~~~ん




要するに何が言いたいかというと、
吉岡く~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん、
むはぁ

ということなのですが、しかし実際、
ありえないことずら。こんなところで吉岡君に遭遇するなんて、
夏休み休暇中の雪男に草津温泉で遭遇する確率より遥かに低い確率のような気がする。
きっとランナーズハイによって呼び起こされた吉岡ハイによる幻を見てしまったのだ。
しかし似ていたわ、斜め11‘2度から見たその横顔は吉岡君にそっくりだった。
もしかしたら吉岡君かもしれない。例えご本人である確率が0.001%であっても、
0.001%の可能性がそこにあるということが重要なのだ、そうよそうよ、
だからこの眼で本人かどうかを確かめなくちゃ事実はわからなくってよ、
吉岡君、吉岡君、待ってぇ、吉岡く~~~~~~~~~~ん、待ってくだせい、
そんなに速く走って行ってしまわないでぇ~~~~~~~~~~~~~~
ん?
やはり違う気がする。後ろ身からだけの観察だけど、あの胸板。違う。違うぞう。
吉岡君胸板緻密研究所観察員のあたくしとしましては断言できるのだ。あの胸板は、
ミスター胸板キングのものではない。だって吉岡君の胸板は、将来世界遺産に
登録されるべきものであり、横幅、厚さ、体積、面積、肩幅から肋骨あたりへと
すらりと続く粋然とした曲線、どれをとってみても、あんびりーばぼー。
芸術品でごぜいます。もし世界胸板選手権とかがあったら、胸板部門、肩幅部門、
胸板肩幅バランス部門、ご当地胸板自慢部門とかで総合優勝まちがいなしだと思う。
それから吉岡君は、前を走るお方のようなTシャツ&ショートパンツ姿で走ったりはしないはずです。
きっとぶかぶかの白のランニング&オレの人生この一着、
みたいなカーキ色のよんれよれ~なズボンでランするはずであって、ってそれは
茶川さんなのであり、茶川さんといえば下駄マッハであるわけで、
下駄であんなに高速ランできる人は茶川さんと鬼太郎と薩摩の西郷さんしかいるまい。
現代部門では茶川さんがぶっちぎりで金メダルなのだ。さいこうっすね~!
そういえば茶川さんで思い出したけど、山崎監督はなんと宇宙戦艦ヤマトの
実写版のディレクターもされていたのですねぃ。できれば、できたのなら、
是非この↓キャスティングでも観てみたかったぁ・・・。
古代進:吉岡君
古代守:吉岡君
島大介:吉岡君
沖田船長:吉岡君
デスラー:吉岡君
佐渡酒造:吉岡君
真田志郎:マネキン
その他大勢:サンダーバード
猫のミーくん:タマ(声の出演)←ミーくんだけオリジナルアニメ出演らしい。
というようなことなどを考えるというか浮かんでくるままに
思い巡らせているわけなのですが、走るという行為はなんとなく、
窓を開ける感覚に似ているような気がするとです。
町並みを走って行く感覚と、開けた窓から入ってくる風で
部屋の空気がそっと変わっていく感じが似ているというか、なんというか。
みずたまりを飛び越えたり、木々のトンネルを走り抜けたり、
他のランナーさんたちと一緒に抜かれたり追い越したり(殆どは追い越されているのだけれど)
しながら走っていると、自分を取り囲んでいる物事とかが、大袈裟ではなくて、
少し変わっていったりする感覚が時々あるというか。
走りながら、自分に一番必要なものはなんなのだろう、
本当に必要なものも分からないくせに、それを探しもしないまま、
無駄に欲しいものばかり求めて生きているのではないのかな、
なんて自省したりもして。
そんな色々な思いを浮かぶまま消えるままに走っているけれど、
やはり一番に浮かんでくるのは吉岡君への想いだったりするわけで。
いや走っていなくてもいつも想っているんだけれど。
新作のドラマやCMで観る彼は、
ふいに送られてきた葉書に映っていた山の写真。
てっぺんだと思っていたその頂上の向こうに、
なだらかな丘の景色が続いていた。
そんな眺めが広がる次の便り。
ゆっくりと、ゆったりと、遥かに伸びていく、
その先の風景。
そんな感じの、吉岡君。
傍から見る風景の一つ一つには、
完成された美しさが静かに存在しているけれど、
けれどもそこにはやはり、
崖っぷちや行き止まりや迷い道や薮の暗闇なんかが、
きっと途方もなく散在していると思うわけで、吉岡君だってヒト科の生物だから、
時にはしゃらくせぇなとかああもうやってらんねぇよとか
サザエさんのエンディングテーマを耳にして世捨て人の気分になり
日曜の夜七時に頭を丸めて托鉢の旅に出たくなったりするのかもしれない。
しないのかもしれない。
けれども、転んでも滑ってもつっかかってもひっくりかえっても、
生きていればこそ起こる出来事だったりするわけで、
いずれそれは、心の膚の温もりへと、
繋がっていくことなのかもしれず。
吉岡君が何に向かい、何に逆らい、何を追い求めて生きているのか、
生きていくのか、それは当の本人にしか知る由もないことだけれど、
もしかしたらひょっとして、そんなことは渡る風にでも聴いてくれ、
といった心境であるのかもしれず。ないのかもしれず。いや意外にあるのかも
しれないけれどそれはどうかな、フ(←何者?) なんてけれどもやっぱり、
それは私になんて到底分かることではないのだけれど。でも、
一度決めたら、
真っ直ぐに目標へと突き進んでいく勇気。
実践力の潔さ。
道間違えない意志の方向性。
その気骨。
人としての質感。
それらの響きを、
吉岡君は静かに、しなやかなその力強さで、
伝えてきてくれるわけで。
かっこええぞなもし、
と思える人ってこの世に少なくないけれど、
けれども、
美しいなと、
心の奥底に素直に響かせてきてくれる人は、
そうざらにはいない。
その存在の在り方に素直に感動し、感謝し、
勇気づけてもくれる人は、
私にとっては吉岡君しかいないのであって。
すいっと真っ直ぐに伸びている心の背筋で、
ふわりとこちらの姿勢を正してくれる。
男らしいとは、
こういうことだぜ。
と、その在り方から心底思う。
美しいのだ。
べらぼうに。
粋じゃねぃかぃ、吉岡君。
まいるぜよ。
もうまいっているけど。
もしも彼の存在を知らずにいたとしたら、
どこかわけかわらん場所にどわわわわ~と流され続けていたかもしれない。
日々の生活は、泣いたり笑ったり怒ったり喜んだり甘かったり辛かったり
しょっぱかったり酸っぱかったりおでんに辛子をつけすぎちゃったり、
千状万態な出来事が金太郎飴のように続いていく冒険だけれど、
吉岡君がいてくれるから、今いる場所に立っていることができるのだろうなと、
思うわけで。
吉岡君に心を寄せるとき、っていつも寄せているけど、何と言うか、
深まりつつある秋の夕映えに聴くGONTITIの曲のように、
ちょっと切なくなっちゃったりするのだけれど、
吉岡くんのファンでいて本当によかったとつくづく思えるその温かみは、
幸せの日だまりであるわけで。
なんてこったい、吉岡君、もうほんとに、
いてくれてありがとう。
そんな想いに心を馳せていた、
絵葉書日和。