私が吉岡くんのファンになったのは、諏訪満男くんがきっかけであり、
その満男くんにより切符を渡され電車に乗り、
純くんの「情けないじゃないかぁ、父さぁん!」
で快速電車に乗り換え、次いで優駿の誠くんにより、
それは暴走機関車へと変化し、現在も爆走中、という
「その人に歴史あり」な遍歴を経ているのであります。
吉岡くんは、その華奢な体、そして、ふっとどこかへ消えてしまうのではないかという、
刹那的な雰囲気を醸し出しているのにかかわらず、
病臥する役というのは、映画・優駿の田野誠くん以外他にはない(と思う)。
あの、「儚さ凝縮パックでお届けしましたぁ!」
みたいなコトー先生だって、ハードワークのラーメン食いで、
炎天下の中、毎日遠路をチャリンコでキコキコ往診していて、
「もしや、コトー先生が一番命の危機に晒されているのではないだろうか?」
なんての懸念をよそに、本人はいたって元気なスーパージェッター。
彼が、現在までに演じた「若くして命を失ってしまう人物」は、
この田野誠くんと、赤穂浪士の一人・矢頭教兼、この二人(のはずだ)。
この二人の人生は、ひたすら悲しい。
絶望的に、まったくもって救いようがない。
この二人を思い出すたびに、私なんて、まるで催涙弾を集中投下された
森進一みたいな顔になってしまって、大変でありまする。
映画「優駿」は、豪華キャストで、内容もどっさり豊富な、
ちゃんこ鍋みたいな映画なのだけれども、
この映画を劇場に観に行った当時の私は、
天真爛漫能天気120%の血液で循環されておった花のティ~ンエイジャ~。
「み~つお君さえ観れればいいんだも~ん、うきゃきゃ♡」
みたいな、完全おサルさん状態であったので、別に他に誰が出ていようが、
作品の出来がどうであろうが、全然お構いなし状態。
当然、鑑賞中の私の全神経は、吉岡くんに集中しており、
だから彼の最初の台詞「すいまぁせぇ~ん!」
が聞こえたときには、「やっと出たわぁ~、きゃぁ~♡」などと
血液沸騰させちゃって、盆暮れ正月一気に来ちゃったみたいな
浮かれっ子状態で、そりゃ~大変だった。
しかし、しかし、しかぁ~し、そうだ、そうだ、そうなのだ、
私は、その時、浮かれまくってた余りに、吉岡くんの才能に
油断していたのでありまするよ、アミ~ゴ。
この作品に出ているのは、満男くんではない、
ということは、鑑賞前に、もちろん頭では理解していたけれども、
心では感じ取っていなかったアホな私。
スクリーンに登場した「満男くん」に、ウキャウキャウッキキ~と
ハイ・モンキー状態になっていた私は、しかし次に続くシーンで、
はっと正気に戻らされたんですね~。
そこには、突然自分の病室に現れた年上の女性・久美子に
戸惑いながらも、徐々に心を開いていく(開きたい)孤独な少年、
誠くんがそこにはいたわけです。
それは、まぎれもなく、田野誠、という一人の少年だったのでがんす。
この誠少年、とにかく悲しい。
彼は、自分の命が終わりつつあるのを知っている。
それは、砂漠に一人彷徨う旅人が、柄杓に残された最後の水を、
少しずつ飲み干していくような感覚なのかもしれない。
悲しすぎるんですよ、この子ってばもう。
自分の馬となったオラシオンに全てを掛けるしかなかった、17歳の少年。
ほのかに恋心を抱いていたであろう久美子とは、実は異母姉弟だったと、
久美子本人からではなく、自分の母親から、自分が危篤になった時に
初めて聞かされた、誠くん。
もう助からない、と自分で悟った時に、そこでやっと目の前に現れる、
命綱を持った父親。
そしてそこにある最後唯一の望みを、必死に掴み取ろうとする誠くん。
悲しすぎる。
救いようがない。
どうしてくれるんだっ?
誠くんのラストシーンを見終わった時点での私は、
まさに涙腺破壊状態で涙を流しに流しきり、完全に全身旱魃状態。
もう、その後に続く話の内容なんて、
「あぁ、とにかくオラシオンさえレースに勝ってくれればそれでいいよー!」
ってな投げやりな態度で、それは観ているのか観ていないのか、
しかしそんなことはもうどうでもいい状態だった。
もう、悲しくって、悲しくって、気分がドドーンと落ち込みすぎちゃって、
そのまま地底に沈み込んで、マグマを通り越して、ブラジルにまで突き抜けちゃって、
そこでコーヒーの豆売りで人生やり直そうかと思ったほど、
深く深く考え込んでしまった。
それくらい(ってどのくらいやねんな?)鮮烈でリアルだった、
誠くんを演じたヒデタカ少年の演技。
最後のシーンで、父親がビニールで囲われたベッドのカーテンを引き開け、
その中のベッドに横たわる誠くんの顔がスクリーンに映し出された時なんて、
観ているこっちの方が心停止しちゃうのではないかと思ったくらいの
衝撃だったでありますよ。
そのシーンの時、満員だった客席から「ざわざわ」っと空気が揺らいだのを、
今でもはっきりと覚えている。
こういう薄幸の少年を演じるときには、
「僕ってこぉ~んなに悲しいんだよ。ささ、泣いて頂戴、見て頂戴。」
みたいな媚が、演じ手の中には見えちゃうものだけれども、
この吉岡くんの演技には、それは全くないっ、と断言できるっ!と力説。
等身大の、生きたいと願う、しかしどこかでそれをとっくに諦めてしまっている17歳の少年を、
彼は「状況」ではなく、しっかりと「気持ち」で演じていたのだと思うのでありますよ。
もちろんそこには、杉田監督の演出のすばらしさも大きいのだろうけど、
しかしそれにしたって、それにきちんと応え「媚」に全く頼らない演技をした、
少年・ヒデタカくんは、まさにエクセレントであったわけでありまする。
そんな君に、どすこい惚れ直してしまったのだよ~。
そしていまだに、私の暴走機関車は加速を増すばかりで、どうしたらいいのか・・・。
しかし、この作品を最初に観たのが、お肌ぴちぴちの十代の頃で良かった・・・。
今こんな悲しい役を演じられちゃったら、あたしゃ~泣きすぎになって
脱水状態に陥いり、お肌はガビンガビンになってしまうぞな。