2006シリーズのコトー先生は、中性街道まっしぐらっ!って感じだったけど、
2003を見直してみると、「おぉ、そういえば男だったのよね、五島くんってば。」
って気付かされるシーンが結構あったりして新鮮だす。
今日はですね、私のもつ2006版コトー先生の印象の巻き、ということでありまする。
コトー先生の2006シリーズ。
2003の時同様、こちらでも日本より二週間半遅れて
アジア系専門チャンネルで放送されていました。ありがたや~。
この2006版では、コトー先生がアンニュイに、
診療所の屋上に続く梯子を登るシーンが多かったですけど、
私、このシーン見る度に無償に悲しくなっちゃったのでありますですよ。
なんか、梯子を登るたびにコトー先生が天に近づいていっているみたいで、悲しかった。
コトー先生ってば、とっても不思議な人で、実際に画面で見ていると、
ただ悲しそうに悩んでいるだけではなくて、ちゃんと笑っているし、
ラーメン食べてるし、天然だし、ボケてるし、
なによりへたれでキュートなお人で、略して「へたれっキュー」(←全然略されてない)。
そんな姿を見て、私なんぞはうふふん♡、
なんて、真夜中に遭遇したら相手を一発ノックアウトさせちゃうような
「笑うこなき爺」みたいな弛緩しまくった顔でテレビの画面に向かっているわけだけど、
しかし一旦画面から離れて五島健助くんを想うときは、なんていうか、
日本の悲しさ全て背負ってます、
みたいな印象があの人にはあったりするわけで。
五島健助(注・あくまでもドラマの健助くんです。ヒデタカくんの健助君ですと。)
という人を想うときはですね、私には銀河鉄道の夜のカムパネルラが思い出されるとです・・・。
五島くんとカムパネルラって、私の中では水天彷彿という感じがあり、
だから彼を思うときは、余計に悲しくなってしまって、
柄にもなくメランコリーになっちゃって、場末のバーでギターを爪弾いて
60年代のフォークかなんかを歌いたくなっちゃうのでありまする。
しかし、私の住む国での場末のバーは、命張っていかないと行けないし、
あいにく私はギターを弾くことも出来ず、ましてや60年代のフォークも知らないので、
気を取り直して、うふふ~ん♡♡♡な満男くんのDVDを見て「笑うこなき爺」となっているわけで。
ビバ、満男くん!ってなわけで。
しかし語り口調は純君なわけで。
とにかく、2006の五島くんは、ひたすら悲しいでごじゃるよ。
背負ってしまった大きさ、重さ、という点では、
これまた稲葉一矢が背負ってしまったものに、
ある種通ずるものがあるのかもしれない。
彩花さんの病気を通して確認してしまった医師としての使命。
五島健助は医師として、「コトー先生」として、あの島で生きていくことを選んだ。
それは「孤高」という道を歩んでいくということ。
そりがぁあああ、悲しいとですよ、セニョ~ル。
五島健助本人にとってはもちろん、彼のことを愛している島のみんなにとっても。
特に彩花さんにとって・・・。