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英語の勉強、おばさんにまかせなさい

英語の勉強に近道はありません..
一歩一歩着実に進むこと。それがイヤなら、あきらめ. かな?

ブログを移動します

2010-08-16 20:35:42 | 日記
どうも,mac OS とgoo blogの相性が良くないので移動します.HTMLをさわろうとしてもそれに対応ができないようです.
新しいアドレスはhttp://eigoeigo.wordpress.com/ です.どうぞ,そちらを見に来てください.
このアドレスは数週間したら削除します

私のこと

2009-10-11 22:34:01 | 日記
好き勝手なことを言っている私について少し.読んでくださっている人たちに「私」を信頼して価値を見いだしていただかなくてはちと困りますからね.

プロフィールにも書きましたが、アメリカ人に個人的に英語を教えています.なぜ個人的か? 個人的に教えた方が反応があることとその生徒のレベル、必要に応じた勉強をすすめられるからです.育った環境、教育レベル、経済状態、さまざまですよ.だからおもしろい.

かなり日本語ができる人はそれ相応の日本語を教えなくてはならないし、微妙な意味の違いは今度は英語で説明していかないと相手はわかりません.英語と日本語を使い分けながらの勉強です.と言った所で私の授業を見たことがない人には説得力がない.という時に使うのが結局は数字です.TOEICは950(途中で集中力を切らしました), TOEFL(iBT)は115点(ご存じない方のために満点で120点です).観光英検の1級、そしてもうつぶれましたが通訳検定の2級も持っています.なぜ1級ではないかと言うと、2級からとらなくてはならなかったこと、そして第1次試験の結果が出てから2次試験間での数週間の間に仕事のスケジュールを調整して飛行機のチケットを賈わなくてはならないことなどの事情で先延ばしにしていたら通訳協会がつぶれました

でも、テストのための勉強はいっさいと言って良いほどしていません.今までの勉強の結果の数字という観点でしか見ませんしね.日常の生活はほとんどと言って良いほど困りません.病院にも普通に行きますし、車の故障、家の修理など問題なく英語で話します.子どもの大学探しから手続き、全部主人とこなしました.でも、生まれの育ちも日本ですよ.勉強した結果が今の私です.だから、本当に英語を勉強したい人の手伝いができると思うんです.勉強した経験があるから.その私を利用しない手はありません

質問、ご意見をお聞かせください

2009-10-01 22:37:04 | 日記
さっき、書こうと思って忘れました.
英語の勉強で困っていること、相談事、ありましたら何でもどうぞ.
ただ、「この答えを教えてください、」という質問にはお答えかねます.ご自分で調べてください.
でも、勉強方法、進路、英語の修得プロセスなどに関するものであれば大歓迎です.
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」です

文法はルール

2009-09-28 08:42:10 | 日記
「私は今本を読んでいます」
「私は毎日本を読みます」

この文章の違いは明らかですよね.最初の文章は今「読書」という行為をしていること.そして二つ目の文章は「読書する」習慣がある、ということ.この意味の違いはどこから来るのでしょうか? そうです

「読んでいます」
「読みます」ですよね. 私たちは何も考えずにこれを使い分けます.しかし、外国人に英語を教えようとするときには、この「動詞」の活用を私たちが知らなければ教えられません.これも文法です.「過去形」「受け身」などなど、普段私たちがきにもせずに使っているものも一から説明しなくては日本語を知らない人たちがわかろうはずがありません.結局文法というのはルールですからね.スポーツだってルールがないとそれぞれが好き勝手なことをやり始めてスポーツにはならないでしょう.テニスをする人たちはラケットを使ってボールを使うことを知らなくてはならないし、サッカーをする人たちはボールを手で取ってはいけないことを知識として持っていないと困ります.当たり前すぎですね.皆、好き勝手にプレーを始めたらスポーツは成り立たなくなるでしょう

文法というのはこれと同じです.ルールがないと相手の人が何を話しているか全然わからないことになりコミュニケーションが取れなくなります.そういう世界がどういうものであるか想像してください.「混乱」この一言です.

もっともレベルが上がるにつれて文法も細かく、面倒くさいものになりますが,でも、文法はルールである、ということを頭に置いておけば勉強する必要を身近に感じられませんか? サッカーの試合で勝ちたかったらルールブックをいっしょうけんめい覚えるでしょう? そのとき、近道をしていい加減なルールを覚えてチームメートに迷惑はかけられませんよね.それと同じ.自分の大切な将来ですよ.自分の夢を大切にしようと思ったらぜひ勉強してください.

学習の習慣がなかったら英語だって上達しません

2009-09-27 21:37:04 | 日記
なぜ「英語」「英語」と人々は騒ぐのでしょう? 自分たちが英語で苦労したような苦労を子どもたちにさせたくないから? 仕事の上で必ずと言ってよいほど英語が必要だから.それぞれ異なる理由はあるでしょうが、どうして「英語を他のものと切り離して考えるのか」ということを考えていきましょう.学生さん向けの記事のように思われますが子どもたちのために英語を、と考えている親ごさんたちにもきっと役に立つと思いますよ

英語ができることに重視をおきすぎ他の科目をおろそかにしていないか?
英語ができることを大袈裟に評価していないか.
他の人の方が自分より英語の上達が早いことに劣等感を抱いていないか?

たまたま仕事に英語が直接的につながるものですから「英語」「英語」と騒がれます.しかし「学習の習慣」という基準ではどの科目も同じはず.特に年齢が小さい時には「習慣」を付ける方が将来のために大切.何も「英語」と言ったせまいものだけの上達を望むのはどうかと思います.「学習の習慣、楽しみ」を知らせることが英語に限らず何でもきちんと勉強できる人生につながるのですよ.

「学習の習慣」というのは近道をせず、対症療法ではなく、どんなにつまらなくても基本から順序立てて論理的に勉強できる習慣のことだと思います.それができずにどうして急に「英語」だけいっしょうけんめい勉強できるというのですか? 近道をしないということは「テストのためだけの勉強はやめる」ということです.理解、進み方のはかり方の一つとしてどうしても数字に表すことは大切です.勉強している本人だって励みになりますからね.しかしそれを目的にしてはいけない.たまたまついてきたものが良い成績なんですよ.プロセスがあるから結果があるんです.プロセスのない結果なんて海岸に造った砂のお城といっしょです
ちょっとした波がきたらもろくも崩れさって何も残らない.語学などの場合は、残らないだけではなくて時間、お金など失ったものだって少なくないかもしれません

これを上手に付けられるか付けられないかは「親」の仕事.学校はもちろんその補助役ですが、結局は親です.どこまで親としての役を果たせるか.塾の送り迎え、有名小学校に入れるためのスポーツクラブをさがすことが親の仕事ではありません.直接自分で子どもを進歩させるのが親の一番大切な役目です.その時にバランスがよい子どもに育てることも忘れてはなりません

そういう習慣無しに育ってしまった方達、親を恨むのはやめましょうよ.親たちだって一生懸命子どもたちを育てているのですよ.そのときそのとき子どもにとってベストと思われる育て方をして来たはず.その努力は評価されてこそ、非難されるものではありません.でも、もし自分で「勉強の習慣がない」「習慣を付けたい」と思われる方は小さなことを継続することです.きちんと予定を立てて継続する.簡単なことのようで実は非常にむずかしい.自分で自分を教育するのです.そして「流行の波」に流されて英語の勉強をしていないか立ち止まって考えてください

英会話をするためには英語を知らないと

2009-09-27 10:02:38 | 日記
「文法は教えなくていいですから、うちの子が英会話ができるようにしてください」
こんなことを言われたことがありました.あっけにとられた私はどうやって説明しようか思案したあげく

「文法を知らずに英語は話せません.日本語と英語は言葉の順番が違うことから始まり、文章を作り上げる上での発想が違います.このもとにあるのが文法ですから、文法を知らずに英語が話せるようになることなど不可能です」

アメリカ人でも「賢く話したい、書きたい」人たちは必ず自分の使いやすい文法の本を手元に置いてあります.ビジネスの場で戦わなくてはならない人たちは「英語を正しく書く」クラスに通います.普通に話せるのになぜわざわざ学校に行かなくてはならないのか、という不満を持ちながらの人も多いようですが、そこに行かないと正しい文章が書けないからなのですよ.そういう人たちがいっしょうけんめい勉強しているのに、英語を第2外国語と勉強しようとしている私たちが文法を勉強しなくてよいなんて、そんな発想どこからきたのか非常に不思議です.

私はアメリカ人に日本語を教えていますが、いろいろな生徒がいます.英語の文法をしっかり知っているアメリカ人は日本語の上達が早いですよ.それに比べて学校時代にさぼって英語の勉強もろくにしなかった人は日本語の勉強もなかなか進みません.勉強一般の習慣がないことも理由の一つに考えられますが、文法を絡めて英語を考えていないから外国語になるとまったくちんぷんかんぷんになってしまうのでしょう.

日本語はかんたんな文章では動詞が最後に来ることがほとんどですが、英語は主語の次ぎにくることが多いですね.もちろん例外はたくさんありますし、複雑な文章になれば今言ったことは当てはまりませんのでその辺は注意してください.しかし、「動詞」という言葉を知らなかったらさて、どうやって説明しましょうね.もちろん私は英語で日本語を教えているので、彼らは自分の言葉がわからないということになりますよ.同じように日本人に英語を教えようとした時に「動詞」と言ってそれがどういうものであるかわからなかったらそこから説明をしなくてはなりません.しかし「動詞」という言葉は中学の時から使われている言葉ですから「動詞という言葉は知りません」という答えは通用しませんし,知らないことは英語を勉強する上でまた一つよけいなハードルをしょっているようなものです.

でも、おもしろいですよ.語学を勉強するプロセスを見ているとなるほど、と思うことがいっぱい.日本語を教えることがこんなに楽しいとは思いませんでした.

その場しのぎの質問版、『教えてください」コーナー

2009-09-26 21:45:57 | 日記
どこのコミュニティサイトに行っても必ずあるのが「質問コーナー」「教えてください」「わからないことは何でも聞けます」なんていうタイトルがあるどんな質問にも答えが見つかるような錯覚を与えてくれるページがあります.こんな所で答えが見つかると思っている人たちは、結局それまでの自分の勉強不足をまるで対症療法の薬で治療しているようなもの.「どうしてそうなるのか」がわかってないから次にまた同じような問題にであった時にもわからないからまた誰かに質問する.それのくり返しばかりしというのはあまり効率が良い勉強でないばかりか、わからないままあっという間に1年間がすぎて行ったり学校卒業、なんてことになりかねません

確かに便利なんですよね.あの質問版とかって.私だってもちろん使ったことはありますが、質問をしたい時にはその専門家たちが集まっている所に言って質問を書き込みます.パソコンについてだったら、パソコンが好きでたまらない人たちが集まる場所.ガーデニングのことならガーデニングのサイトに言って質問を書き込みます.そうしないと、自分が得ている情報がどれくらい正しいのか、信頼できるのかわからないから.

人は人によって得意分野があると思います.私が自信を持って人に教えられるのは、英語、日本語、あとは編み物やら、細かなものがありますが、それ以外のものはわからないことだらけですから、こまった時には信頼できるサイトを見つけることから始めて質問を書き込みます.

これだけ情報が氾濫しているのですから間違った情報に振り回されたくない、そんなことで大切な時間をむだにしたくない、と思うとじぶんで本を買って調べた方が早かったり勉強した方が結局「近道」であることが結構あります.

いつまでも対処療法に頼るか、それとも自分の力をみがくために腰を落ち着けて勉強するか.次回はその辺を

文法を知らずにきちんとした英語は話せません

2009-09-26 11:27:39 | 日記
「日本の英語教育は文法ばっかり」
「英語を勉強しても話せない」

とかいろいろと不満、苦情を耳にします.確かに6年間勉強した割に英会話ができないという事実はありますが、その原因は果たして日本の英語教育の文法重視にあったのでしょうか? 文法ばかり教えて生徒たちの興味を引ききれなかったかもしれないですね.でも、文法を教えずにどうやって正しい英語を話せるようにするのでしょう?

正しい文法を知って始めてきれいな英語が話せるもの.語順もでたらめでは、恥ずかしい英語しか話せません.英語で言われるslangを覚えたからと言って得意になってそれを聞いているアメリカ人がこまっている場面に出くわしたこともあります.また、日本人の英語に慣れている人にはわかってもらえる文章だってほとんど日本人と接する機会がないアメリカ人にそれは望めません.

日本語と英語は似ても似つかぬ言葉ですもの.文章の構成から始めなかったらダメなんですよ.幾つかのルールを覚えてそれに従えば名詞、動詞を代えながらいくつもの文章が話せるようになります.いい加減な文法ではビジネスの場所では恥をかくだけではなく、就職のインタビューの時にもう落第点がついてしまうかもしれませんよ.

文句をいう人たちの中には、言い訳をさがしている人もいるなのではないかしら?そういう人の言葉に惑わされることなく,もしきちんとした英語を話したいと思ったらじっくりと文法から始めることですね.言葉の言い回し、覚えなくてはならない言葉などもちろんたくさんありますが、それは文法を勉強しながら必ずついてくるものです.とにかく基本が大切です.基本がしっかりしていない家は強い風がふいたら倒れてしまいます.基本がない英語はすぐにわからないことばかりで英語の勉強がつまらなくなり、進歩は望めなくなりますよ.

英語がぺらぺら...ですか?

2009-09-24 21:23:49 | 日記
私は日本語を教えているので生徒たちと語学についていろいろな話をします.個人的に1対1で教えているので生徒の年齢、育ち方、収入、日本語を勉強する動機などさまざまです.

レッスンを始める前に、必ず聞くことは「どれくらい日本語を知っているか.どこかで勉強をしたことがあるか」です.それによってレッスンプランが変わりますからね.でも、これを聞くことが役に立つ時と役に立たない時があります.なぜか?

その人が語学の勉強がどういうものであるかを知っているかそうではないかで答えの基準が異なるから.

たとえ「ぼくは日本語がぺらぺら」と言われても私は信用しません.「どこでどれくらい勉強したの?」と次の質問をしてもあまり役に立たない時もないわけではありませんが...

要するに「ぺらぺら」というのは本人の尺度なんですよね.学生が友人の間でかわす本当に限られた言葉での会話ができることを「ぺらぺら」と呼ぶのか、会社でプレゼンテーションを自信を持ってできるから「私はぺらぺらです」というのか、「ニューヨークタイムスだってかなりスムースに読めるし、アメリカ人と政治の問題まで議論できますよ」という人を「ぺらぺら」と呼ぶのか、、、

人によってどのレベルになりたいかはもちろん違います.しかし、それらをすべてまとめて「短期間でペラペラになります」なんていう広告を見ると、あきれて、おかしくて、ため息が出ます.こう言う広告に惑わされてお金を払っている人たちはどれくらいいるのだろう? お金と時間、そして勉強の進歩は比例しているのだろうか? といろいろ思います.

英語が勉強したくて英語学校に行く方達はその辺を細かく調べた方が良いですね.「ぺらぺら」というのはどのレベルのことを言っているのか、そのためにはどれくらいの費用がいるのか.そして一番大切なのは、どういう先生がいるのか、そしてその先生とはどれくらいの時間接することができるのか..ですね 

「自分」

2009-09-23 21:59:10 | 日記
これだけ英語が氾濫しているのですから英語が話せないと仕事上こまる、英語ができればもっとよい仕事につける、英語を勉強し始める理由はたくさんあります.しかし、中学から英語を勉強しているはずだからなぜ社会人になるとき,大学受験の時に急にあせり始めるのでしょうね.中学から高校への6年間でもっと英語が身についているはずなのに,いざ考えてみたら英語に自身がない、もしくはできない

ぜひ理由を考えてください.

1)文法ばかりでおもしろくなかった
2)先生がよくなかった
3)勉強しなかった

おそらくこの3つのどれかに当たるのではないか...と勝手に想像しますが、3)を選んだ方は自分に責任を感じられる方ですからよいですよね.場合によっては1)、2)がどうしても当てはまってしまう事もあるでしょうが、与えられた環境でそこでベストをつくしかないのは私たち人間に与えられた試練ですからこれはどうしようもありません.コントロールできないを責めたって事態は好転しません.

1)に関しては別の記事に書く事にして,2)ですがこれを読んでいるだろう方達と同じような環境で勉強していた人が先生になっているとしたら先生の質はに関しては「????」という気持ちを実は私も持ってしまいます.そのような先生についてしまったのは不幸として割り切るしかありません.それではその中で「自分は自分のベストを尽くしたか」という質問に行き着きます.言い訳をしたって、他の所に原因を持って行った所でそれはあくまで「逃げ」でしかありませんからね.その中でがんばったけれどここまでしかできなかったという人たちは、「がんばる」ことを知っていますから強いです.英語ではない物を見つけた時にも同じようにがんばれます.しかし「逃げていた」人たちはがんばる事を知らないからがんばれない.そんな自分を見つめなおさないと,何回英語にチャレンジしても結局同じような結果にたどり着く...と思います