短期間の間にヨーロッパ、日本へと立て続けに旅行していたためについブログもお休みになっていましたが、クリスマスまでは自宅にいられそうなので腰を落ち着けてブログも専念できそう.
ヨーロッパでは英語圏以外の国にも行ったために、言葉ができない事の苦労を実感する機会が多くありました.高校以来大学の時に勉強したフランス語は見事に錆び付いていたから言う事をあらかじめ考えておく事はできても相手の言う事を理解するのが大変.自分が持っている言葉の少なさにがっかりでしたよ.そんな時に英語ができる事の便利さをまた感じてしまい、アメリカ人の多くが外国語の勉強にあまり熱心ではない理由を垣間みましたね.だって英語ができれば何とかなるんですもの.現地の人たちが下手な外国人の母国語を聞いているよりも自分たちが英語を話してしまった方が楽、という様子は手に取るようにわかりましたよ.
そうはいっても、店に入るたびに"Can you speak English?"と聞いている自分にも腹が立ちました.だいたい失礼ですよね.その国の語学を知らないからと言って"Can you speak English?"と聞くというのは、相手の英語のレベルを試しているようで..(だって、相手の人たちだって、「できません」というのはもしかしたらあまり言いたくないかもしれないし)
それに現地の言葉を知って入るというだけで相手の人たちの表情が緩んだり、喜んだりもしますしそれに、文化、歴史、習慣を知ろうとするのであればやはりその国の言葉を知る事が必要です.英語では表しきれないものをそれぞれの国が持っているのですからね.
だから私たちだって英語圏の国の人たちと接する機会が多いのであれば英語を勉強をする必要がありますが本来ならそれは両面通行(both way)でなくてはならないはず.それをしようとしない人たちは結局自分の価値観、土壌で者をみようとする人たちであり、相手の国の事を知ろうと言う気持ちはあまり感じられないと受け止められても仕方がありません.
しかしだからといって自国の言葉を捨てる事は絶対にしてはならない、そう思います.やけにカタカナ語やらへんてこな英語らしい言葉をすぐに使いたがるどこかの国は、態度を改めないと自分をなくしてしまうのに、それに気がついている人はどれくらいいるのだろう?
ヨーロッパでは英語圏以外の国にも行ったために、言葉ができない事の苦労を実感する機会が多くありました.高校以来大学の時に勉強したフランス語は見事に錆び付いていたから言う事をあらかじめ考えておく事はできても相手の言う事を理解するのが大変.自分が持っている言葉の少なさにがっかりでしたよ.そんな時に英語ができる事の便利さをまた感じてしまい、アメリカ人の多くが外国語の勉強にあまり熱心ではない理由を垣間みましたね.だって英語ができれば何とかなるんですもの.現地の人たちが下手な外国人の母国語を聞いているよりも自分たちが英語を話してしまった方が楽、という様子は手に取るようにわかりましたよ.
そうはいっても、店に入るたびに"Can you speak English?"と聞いている自分にも腹が立ちました.だいたい失礼ですよね.その国の語学を知らないからと言って"Can you speak English?"と聞くというのは、相手の英語のレベルを試しているようで..(だって、相手の人たちだって、「できません」というのはもしかしたらあまり言いたくないかもしれないし)
それに現地の言葉を知って入るというだけで相手の人たちの表情が緩んだり、喜んだりもしますしそれに、文化、歴史、習慣を知ろうとするのであればやはりその国の言葉を知る事が必要です.英語では表しきれないものをそれぞれの国が持っているのですからね.
だから私たちだって英語圏の国の人たちと接する機会が多いのであれば英語を勉強をする必要がありますが本来ならそれは両面通行(both way)でなくてはならないはず.それをしようとしない人たちは結局自分の価値観、土壌で者をみようとする人たちであり、相手の国の事を知ろうと言う気持ちはあまり感じられないと受け止められても仕方がありません.
しかしだからといって自国の言葉を捨てる事は絶対にしてはならない、そう思います.やけにカタカナ語やらへんてこな英語らしい言葉をすぐに使いたがるどこかの国は、態度を改めないと自分をなくしてしまうのに、それに気がついている人はどれくらいいるのだろう?