多摩街歩き

GPSの付いたカメラを持って多摩の街を歩いています。

立川崖線(東府中~西調布)

2014年03月29日 | 立川崖線/青柳崖線

急に暖かくなったので、3月23日に立川崖線を歩いてきた。京王線の東府中駅と西調布駅の間だ。
立川崖線と書いたが、前半の府中市内の部分は府中崖線、後半の調布市内の部分は布田崖線と呼ばれている。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)

例によって黄色のマーカの足下がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きを示している。
青の線が地形から読み取った崖線の位置だ。線の北側が中位の段丘面(立川面)で、南側は多摩川に続く低地だ。
赤茶色の細い線は今回の徒歩経路だ。

東府中駅で電車を降りて南に向かう。府中競馬場が見えてくるとそこはもう段丘崖(崖線)だ。

写真1

崖線ではおなじみのY字型の分かれ道だ。右は崖線の下へ、左は崖線の上に続いている。左の道で、崖線の上側を歩くことにする。

写真2

早咲きの桜だろうか。南向きの斜面の上で、ここはもうすっかり春だ。

写真3

家の間に下の面が見える。遠くに見えるのは多摩川の対岸の丘陵地帯だろうか。

写真4

段丘崖の林が残っている。落葉した林というのはちょっと寂しい。

写真5

崖線の上に続く道が道路を跨いでいる。下の道は新小金井街道だ。幹線道路は段丘を削って直線的に伸びていく。

写真6

またY字型の道だ。昔からの道は地形に逆らわない。ここでも上の道を進もう。

写真7

ハクモクレンも梅も満開だ。

写真8

崖線の林を下っていく階段がある。

写真9

墓地の脇に小道がある。奥は林になっているようだ。行ってみよう。

写真10

急な下りがある。この部分は段丘面(立川面)の一部が削られて低くなっているらしい。

写真11

段丘崖の下に出た。この東で崖線は途切れている。東に進んで、崖線の続きを探そう。

写真12

斜面に竹藪。どうやらここが崖線の続きのようだ。

写真13

崖を上る踏み分け道がある。上ってみよう。

写真14

急に視界が開けた。やはりここが崖線だ。もっと東に進もう。

写真15

踏切がある。西武多摩川線らしい。もっと東に進む。

写真16

お寺の門前に大木がある。「本願寺のサイカチ」とのこと。

写真17

道の右も左も林だ。この道は段丘崖の途中なのかもしれない。

写真18

崖線の上の道が途切れてしまった。この階段を下りて崖線の下に出るしかなさそうだ。

写真19

段丘崖の下の不思議な光景。左の家々は段丘崖に半分乗っかったような作りなのだろう。

写真20

段丘崖を上る階段がある。行ってみよう。

写真21

なるほど、家の後ろは段丘崖だ。

写真22

大きな階段があった。下りてみよう。

写真23

緑地がある。「布田崖線緑地」として崖線の林を保全しているらしい。最初にも書いたが、このあたりでは立川崖線のことを布田崖線と呼んでいるようだ。

写真24

水路がある。この少し先で府中用水に合流している。崖線の下の湧き水を灌漑に利用していた名残だろうか。

階段を上って西調布駅に向かい、帰路についた。 


立川崖線(小作~青梅)

2013年09月27日 | 立川崖線/青柳崖線

9月23日、女房と立川崖線を歩いた。
立川崖線は多摩川の作った河岸段丘の崖の連なりの一つだ。今回歩いたのは、羽村市から青梅市にかけての多摩川の左岸の崖線だ。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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青の線がこの付近の立川崖線の位置を示している。線の右上側が高い段丘面(立川面)で、線の左下側は低い段丘面だ。低い段丘面は何層かあり、場所によって段丘崖の高低差が違う。
いつものように、黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きを示している。また歩いた経路を茶色の細い線で示してある。

JR青梅線を小作(おざく)駅で降りて、崖線を目指して南へ向かった。

写真1

周りは住宅地だが小さな畑も残っていて、このあたりの典型的な段丘面の風景だ。
前方(南)に林が見えてきた。あそこが段丘崖(崖線)だろう。

写真2

崖がある。右の道路は崖の途中らしく、住宅の屋根はもっと下にある。この付近の段丘崖の高低差は13メートルほどのようだ。
それにしてもこの木の存在感はどうだ。長くこの崖に住んで、人々の営みを見つめていたのだろう。

崖線に沿って西に進む。

写真3

崖線の林が緑地として保存されている。冷たい風が心地よい。左側はすぐそこで急な下りになっている。

写真4

崖を斜めに下っていく自転車道があった。ずいぶん下に自動車道が見える。左の崖面は丸石をモルタルで固定したもののようだ。この作りからすると、この坂は最近作られたものではないに違いない。

写真5

ここは笹の茂みだ。木の種類も様々。左奥が段丘崖だ。

写真6

多摩川が見えた。手前の野球場は低い段丘面にあり、カメラの位置との高低差は30メートルを超えているらしい。

写真7

崖線を歩くと、こんなY字形の交差点とお馴染みになる。正面は段丘崖を斜めに下る道で、右は崖線の上を進む道だ。右の道を進もう。

写真8

林の隙間に下の段丘面の街並みが見える。この場所も高低差が20メートルを超えるようだ。

写真9

今度は段丘崖を斜めに下る階段があった。この部分の高低差は22メートル。これを上るのはかなりキツいぞ…

写真10

視界が開けて、遠くに多摩川が見える。このあたりでは多摩川も急流になっていて、今年の国体のカヌー競技(スラローム)の舞台になるらしい。

写真11

またY字形の交差点だ。左の坂はずいぶん急だが、冬になったらどうなるのだろう。他人事ながら心配になる。

写真12

段丘崖の途中で道がX形に交差している。これは珍しい。

写真13

崖線の上の道が奥多摩街道(都道29号線)に合流してしまった。青梅マラソンのスタート地点がある。2月にはこの道路がランナーで一杯になると思うと、ちょっと不思議な感じがする。道路の左の家の裏は崖線の林だ。

写真14

段丘崖の途中を通る道。ここにも丸石の崖面がある。多摩川が作った丸石を利用したのだろう。丸石を一つずつ手作業で積んで作ったのだろうか。謎だ。

写真15

緩い下り坂が続いていると思っていたら、段丘崖の下に出てしまった。またY字形の交差がある。右の道を上っていく。

写真16

だいぶ段丘崖の上に近づいた。振り返るとこんな感じ。ここにもまた丸石の崖面がある。

写真17

段丘崖の上を進むとまた階段があった。ひたすら長い。

写真18

崖線の林。

写真19

丸石の崖面と、急な坂。どこかの小島の暮らしを思わせる。

写真20

また丸石の崖面がある。しかも3段。本当にどうやって作ったのだろうか。

写真21

青梅駅が近づくと、急にレトロ調の看板が現れた。ニャロメもいる。

写真22

おそ松くんにひみつのアッコちゃん、イヤミに天才バカボンのおやじ。赤塚不二夫とレトロで町おこしをやっているらしい。

青梅駅から帰途に着いた。崖線歩きを堪能できた一日だった。

 


立川崖線と青柳崖線

2012年08月17日 | 立川崖線/青柳崖線

多摩モノレールの柴崎体育館駅(立川市)から谷保天満宮付近(国立市)にかけての段丘面と崖線について、詳しい資料を発見した。
一つは埼玉県の資料で、土地分類調査報告書(青梅)というもの。添付資料として5万分の1の地形分類図を含んでいた。該当箇所は地形分類図の下端近くの右から3分の1ぐらいのところにある。

もう一つは国土地理院の治水地形分類図というもの。該当箇所はこちら

多摩川中流域の左岸には複数の低位の段丘面が存在していて、総称して「立川面群」と呼ばれている。その中で最も広いのが立川市街を含む段丘面で、単に「立川面」と呼ばれるのはこの面だ。上記の地形分類図では、この面は「砂礫台地GIV+」(報告書ではGt4+)と記されている。
立川面群のうちで立川面のすぐ下に位置するのが青柳面だ。同じ図では、この面は他のもっと低位の段丘面とともに「砂礫台地GIV」(報告書ではGt4)と記されている。この図から、青柳面の範囲が特定できた。

また、治水地形分類図の方は段丘面の区別の記載はないのだが、元になる地形図が2万5千分の1なので、崖線の位置がより詳しく分かる。

上記の二つの地図を参考にして崖線の想定位置を修正した。
今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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青線が青柳崖線で、青柳面と多摩川の沖積低地の境目にあたる。
赤線が立川崖線で、こちらは立川面と青柳面の境目の部分と、立川面と多摩川の沖積低地の境目にあたる部分がある。
オレンジの線は崖線のように見えるが立川面上にある斜面だ。昔の多摩川が造った地形かもしれないが、定かではない。
青と赤の細い線は資料から想定しただけで、現地を歩いていない部分を示している。 

前回の記事で、多摩モノレールの柴崎体育館駅付近の崖線がよくわからなかったのだが、今回の情報から探す場所が間違っていたらしいことがわかった。機会を見つけてまた歩いてみよう。

今回はここまで。

[8月18日追記] [8月26日リンク先修正]
上の記事を投稿したのちに、もっと新しい資料が見つかったので、もう一度修正した地図を作成した。

見つかった資料は国土交通省 土地・水資源局 国土調査課の5万分の1都道府県土地分類基本調査の結果だ。詳細な情報はこちらの「地形分類図」にある。

もう一度修正した地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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大きな違いは、青柳面の範囲が少し上流側に延びたこと。それに伴って、もとの地図のオレンジの線を立川崖線と解釈しなおしたことだ。 

 

 


立川崖線(柴崎体育館駅~矢川駅)

2012年08月09日 | 立川崖線/青柳崖線

前回に続いて、立川崖線(ここでは青柳面と立川面の間にある崖線)の様子を紹介しよう。多摩モノレールの柴崎体育館駅から南武線の矢川駅までの間だ。

今回紹介する部分の崖線もすっかり宅地化されていて、崖線であることを示すのは坂や段差だけである。崖線の位置は前回と同じく国土地理院の「土地条件図」にある細長い斜面から推定し、歩いた結果で修正した。

柴崎体育館駅の北で、前回の崖線の続きがありそうな道を東に向かう。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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赤線が立川崖線だ。いつものように黄色のマーカの足元がカメラの位置を、赤の扇形がカメラの向きを示している。

写真1

南に向かう道路はゆるやかに下っている。振り返って北に向かう道路を見ると、これは緩やかに上っている。多摩モノレールの西側のような、はっきりした段差はないようだ。

写真2

少し東に歩いて南に向いてみた。この部分も急な段差はないようだ。

写真3

崖が現れた。左上は立川高校のグラウンドらしい。この崖は人工的なものだが、この道路の右(南)は平坦なので、この道路の左側のどこかに崖線があった可能性がある。

写真4

すこし道がややこしかったが、東へ進むと道路の南に学校があった。立川市立第七小学校とのこと。学校の場所よりもカメラのある道路の方がだいぶ高い。道路の反対側(北側)を見てみると…

写真5

こんな段差があった。どうやら、この道路のあたりが崖線のようだ。もっと東に進んでみよう。

写真6

北に向かう道路が上り坂になっている。ここから南側は平坦なので、崖線はこの坂の途中だろう。

写真7

ここも北に向けて上りになっている。30メートルほど先で上りは終わり、その先は平坦になっているようだ。もっと東に進んでみよう。

写真8

ここも同じだ。北に向かってゆるやかな上りになっている。

写真9

ここもだ。北に向かってはっきりとした上り坂がある。

写真10

大きな道路を横断すると、突然土地が低くなって林が始まった。どうやら矢川緑地に着いたらしい。

写真11

矢川緑地だ。緑が濃い。

写真12

矢川緑地の北側にある道路を東へ向かう。南に向かって急に下っていく道がある。このあたりが崖線ではないか。崖線の下は湧き水がある場合が多い。そのような湧き水が集まって矢川になっているのだろう。

写真13

道路を歩いていて、いつのまにか崖線の下に出てしまったらしい。このまま進めばまた崖線の上に戻りそうだ。

写真14

矢川緑地だ。

写真15

坂を上ってきた。道の右側は崖下で、左側が崖上のようだ。

写真16

南武線の線路に出た。左の家は崖線の下に建っているらしい。南武線の踏み切りを渡って東に進む。

写真17

崖だ。久しぶりで宅地化されていない崖線を目にすることができた。もっと東に進もう。

写真18

道路の右(南西)と左(北東)で土地の高さがずいぶん違う。この道路の左側に崖線があるのだろう。

写真19

ここも同じだ。道路の左側(北東側)が高くなっている。

写真20

大きな道路だが、平坦なところから急に上って、また平坦になっているのがよくわかる。あの坂のあたりが崖線だろう。

写真21

北東側に上り坂があり、その先が平坦になっている。このあたりが崖線らしい。

写真22

北東に向かって上っているが、高低差が小さくなってきた。「土地条件図」を見ると、崖線とおぼしき斜面はこのあたりで大きく乱れている。

写真23

土地が平坦になった。この先は矢川駅だ。今回の散歩はここまでとした。

「土地条件図」を見ると、矢川駅のあたりで一旦乱れた細長い斜面は、駅の東でまたはっきりと見えてきて、谷保天満宮の付近まで続いているようだ。この部分もまた歩いてみよう。

 

 


立川崖線(柴崎体育館駅西)

2012年08月04日 | 立川崖線/青柳崖線

多摩モノレールの柴崎体育館駅から西に延びる青柳崖線(多摩川の沖積低地と青柳面の間にある段丘崖の連なり)を確認したのに続いて、青柳面と立川面の間にあるはずの崖線を探して歩いた。この崖線をこのエントリでは単に「立川崖線」と呼ぶことにする。

Google Mapの空中写真や、国土地理院の電子国土基本図(オルソ画像)を見る限り、この部分の立川崖線はすっかり宅地化されているようだ。そうすると、現地を歩いて発見できるのは坂や段差など微妙な地面の高さの変化だけであろう。このような崖線を見つけるには、崖線がとこにあるかをできるだけ正確に調べておく必要がある。

青柳面と立川面の境のおおよその位置は「立川崖線(西立川~柴崎体育館)」で紹介したように、立川市歴史民俗資料館の「立川の地層」という展示パネルにあった。この写真だ。

この図は歩いて確かめるには大雑把過ぎるので、もっと詳しい資料を探していたところ、それらしいものを見つけた。国土地理院が発行している「土地条件図」だ。インターネットではこちらで参照できる。

この「土地条件図」では青柳面と立川面はいずれも「台地・段丘」に分類されるため区別できないのだが、両者の境界とおぼしき所に細長く続く「斜面」が記載されている。これを立川崖線と推定して歩いてきた。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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細い赤線が前述の「土地条件図」から推定した崖線の位置だ。
例によって、黄色のマーカの足元がカメラの位置を、赤の扇形がカメラの向きを示している。

残堀川を渡る中央線の鉄橋のたもとから崖上に出た。

写真1

崖上からの眺め。カメラの後ろの左方には、立川氏が建立した普済寺がある。立川氏の館も段丘崖の上にあったらしい。

写真2

段丘崖の上は墓地になっている。崖上は自然の段丘崖の雰囲気を残している。前回の写真にあるように、下からは人工的な崖のように見えるのだが…

写真3

普済寺の東側に出て段丘崖の名残りを探すが、そのような地形は目に止まらなかった。前方の林は青柳崖線の林だ。推定した立川崖線に沿ってもっと東に進んでみた。

写真4

推定した崖線はカメラの後ろ側なのだが、この道は奥に向かって少し上っているようだ。30メートルほど先に、はっきりとした上り坂がある。右に向かう道を見ると…

写真5

この道も緩やかに上っているようだ。推定した崖線の位置が違っているのかもしれない。こちらの道を進んで、東に向かってみる。

写真6

道の南の駐車場の奥に段差があって、土地が低くなっているように見える。回り道をして、反対側から地形を確認することにした。

写真7

見事な段差があった。正面左の家が写真6の右手に写っている家に違いない。この段差は立川崖線の推定位置に近い。もっと東に続いているだろうか。段差の上(北側)の道を東に進んでみる。

写真8

南に向かって下っている。どうやら、この坂のあたりが崖線らしい。

写真9

この道も南に向かって下っている。長い下り坂というわけではなく、10メートルも行くと平らになっている。カメラのある東西の道路の北側は平坦なので、どうやらここが段差、つまり立川崖線と見てよさそうだ。

写真10

ここも下っているが、すぐそこで平らになっている。

写真11

この道路は崖線を斜めに下るように作られたのではないか。

写真12

この空き地は崖線の上の段で、正面の家は崖線の下の段にあるようだ。

写真13

ここも南に向かって下って、その先が平らになっている。カメラのある道路面と、下った先の面の段差は2メートルほどだろうか。

写真14

多摩モノレールの線路が見えてきた。

初めに述べた「土地条件図」にある斜面はここから東へ矢川駅まで延びている。この部分も引き続き歩いたのだが、それは次回のエントリで紹介しよう。

歩いた結果に基いて「今回の地図」を修正しておく。
修正後の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
赤の太線が今回確認できた立川崖線の位置だ。立川崖線の西の端はもっと南へ残堀川に向かってカーブしていくように推定していたのだが、実際には赤の細線のように真西の方向に延びているようだ。そういえば、最初に示した「立川の地層」でもそのように見える。いずれこの部分をもう一度歩いて段丘崖の痕跡が残っていないか確認してみたい。

今回はここまで。 


青柳崖線(柴崎体育館駅西)

2012年07月28日 | 立川崖線/青柳崖線

前回は青梅線西立川駅から多摩モノレールの柴崎体育館駅まで歩いたのだが、カメラのレンズがくもったために一部で写真が撮れなかった。その部分の写真を撮ることと、青柳面と立川面の間の段差を確認することを目的に、再度歩いてきた。今回は柴崎体育館駅の西の崖線の風景を紹介しよう。この部分の崖線は多摩川の沖積低地と青柳面という段丘面の境にあるので、青柳崖線と呼ぶのが正しいであろう。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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青の線が青柳崖線。前回の写真5に従って、残堀川とJR中央線が交わる付近までを青柳崖線とした。
崖線の南が多摩川の沖積低地。崖線の北側は立川面よりもやや低い段丘面である青柳面だ。
いつものように、黄色いマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きを示している。

写真1

多摩モノレールを柴崎体育館駅で下りると、目の前に崖線(ハケ)が見える。崖の高さは4メートルほどありそうだ。崖の上の道を西に向かう。

写真2

道路の南が崖になっている。太い木もある。前回はここにカルガモがいたのだが、この日はいなかった。

写真3

木の間に崖下の地面が見える。駐車場らしい。

写真4

ハケを横切る道路がある。当然だが下り坂になっている。坂を下って、ハケ下を柴崎体育館駅まで戻ってみることにした。

写真5

ハケがかなり急な自然の崖として残っている。右側の建物は東京都水道局のもの。どうやら水道の水源の一つらしい。

写真6

ハケ下には湧き水がある。戻ってハケ下をもっと西に向かうことにした。

写真7

駐車場の奥がハケだ。しっかりとした林になっている。もっと西に向かおう。

写真8

この土地にはこれから家が建つのだろう。緑豊かな住まいになるに違いない。

写真9

分かれ道だ。正面の道はハケ上に、左の道はハケ下に向かうらしい。ハケ上を目指そう。

写真10

この場所は崖線の景観を保護していて、崖線の様子を間近に見ることのできるよう階段が作られている。近くには「立川崖線」という看板もある。崖線の上は青柳面なのだが、これは複数の「立川面群」の一つなので、この崖線を「立川崖線」と呼んでも間違いではない。 

写真11

崖下の様子。前回のエントリでは、この部分だけ見て「比高は3メートルほどに見える」と書いたのだが、周りの地形をよく見ると段丘崖としての比高は5メートルほどありそうだ。

写真12

西へ進んで振り返るとこんな様子。ハケを上る階段が見える。この部分のハケはまばらな林になっている。

写真13

残堀川沿いの道に出た。この部分は自然の崖が残っている。

このあたりまで来たとき、またまたカメラのレンズがくもってしまった。ハケ下の湿度と温度の影響だろう。前回の教訓を生かして、カメラの蓋を開け電池とSDカードを外して放置したら5分間ほどでくもりは消えてくれた。ふう…

写真14

西に進むと、崖の林が密になってきた。圧迫感がある。

写真15

残堀川にかかる中央線の鉄橋が見えてきた。崖上が青柳面なのはこのあたりまでだろう。この崖の上は普済寺(ふさいじ)というお寺になっている。このお寺は中世にこのあたりで勢力を持っていた豪族の立川氏が1353年に建立したものだそうだ。

このあとは段丘面に登って青柳面と立川面の境目にあるはずの崖線を探して歩いたのだが、その結果は次回お伝えしたい。
今回はここまで。

 

 


立川崖線(西立川~柴崎体育館)

2012年07月15日 | 立川崖線/青柳崖線

またまた女房と二人連れで立川崖線を歩いてきた。前回歩いた青柳崖線から西に延びている部分だ。青柳崖線は多摩川の沖積低地(ちゅうせきていち)と「青柳面」という段丘面の間にある崖線だが、今回歩いた部分では青柳面はほとんど姿を消してしまい、一部を除いて多摩川の沖積低地はこのあたりの主要な段丘面である「立川面」に直接に面している。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
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青の線が立川崖線だ。いつものとおり、黄色のマーカの足元がカメラの位置を、赤の扇形がカメラの向きを示している。

青梅線の西立川駅から、昔からある道のように見える細い道を歩き始めた。 

写真1

細い道だ。東京の庶民の暮らしを支えていたのはこんな道なのだろう。1947年の空中写真を調べてみると、期待通りこの部分はちゃんと写っていた。 

写真2

下り坂がある。段丘崖(崖線)に近づいたらしい。左のブロック塀の奥は墓地のようだ。この道も昔からのものらしい。この道が市の境界になっていて、左(南東)側が立川市、右(北西)側が昭島市だ。

写真3

道はまだ下っていく。この付近で崖線を横切っているはずなのだが、宅地化が進んでいて地形は明瞭ではない。先の分かれ道を左に折れて、ハケ下(崖線の下)を立川方面に戻ることにした。

写真4

資料館があった。立川市歴史民俗資料館という。短時間だけ展示を見せてもらったのだが、面白いものを見つけた。次の写真だ。

写真5

「立川の地層」という展示パネルなのだが、この付近の二つの段丘面(立川面と青柳面)の関係が描いてあった。青柳面は谷保天満宮付近から立川駅の南にかけて存在していることは調べがついていたのだが、青柳面と立川面の境がどのあたりにあるのかが疑問だったのだ。この写真は大きなヒントになりそうだ。

資料館を出て、崖線に沿って進んで行く。

写真6

林が近づいてきた。道は緩やかに上っていく。右奥は低地になっていて、東京都農林総合研究センターの敷地になっている。段丘崖を目指して正面の道を進んで行く。

写真7

正面の家の奥が段丘崖らしい。密な林になっているようだ。

写真8

広場があり、段丘崖が目の前にある。ハケ下の特徴である湧き水もある。このあたりは東京都や立川市が崖線の緑地を保存している場所らしい。(立川市富士見緑地とのこと)
この付近での段丘崖の比高(上位の面と下位の面の標高の差)は13メートル前後らしい。 

写真9

道が崖線を斜めに登って行き、スイッチバック になっている。

このころから、困ったことになってしまった。写真9の上部が白くカブっているのだが、これはカメラのレンズ(正確にはレンズの前にある保護用の平面ガラス)の内側にクモリが生じてしまったのだ。このクモリは強くなったり弱くなったりしたが、結局崖線を離れるまで続いてしまった。

帰宅してからカメラのマニュアルを見ると、ちゃんと書いてあった。
 ・故障ではない
 ・電池とSDカードを外し、蓋を開けたままにしてしばらく放置すれば消える
とのこと。知らなかった… このカメラ(ニコンAW100)は防水なので、こんなトラブルになるとは予想していなかった。

写真10

ハケ上に出て少し歩くと、今回のお目当ての一つがあった。残堀川(ざんぼりがわ)だ。この川はほとんどの部分が人工的に作られた川なのだが、この場所で段丘崖を落ちる人工の滝になっているのだ。この日は水は流れていなかった。

写真11

ハケ下が広場になっている。下りてみることにした。

写真12

下から見た崖線。川は残堀川。人工の滝には水がなかったが、この部分はそれなりの水量があり、水もきれいだ。どうやら、ハケ下の湧き水をあつめた水路がこの水の源らしい。

写真13

ハケ上の道を進む。右がハケで、林や竹林になっている。

写真14

ハケ上に向かう道と、ハケ下に向かう道がある。ハケの付近ではよくある風景だ。ハケ上の道はハケ(段丘崖)から離れるようなので、ハケ下に出て残堀川の岸を進むことにした。

写真15

ハケ下の道。ハケはまばらな林になっている。

写真16

残堀川の岸に遊歩道がある。この崖はどうみても人工的なものだ。段丘崖を削って残堀川とこの遊歩道を通したのではないか。

この付近から、レンズのクモリが酷くなってしまった。立川崖線は多摩モノレールの柴崎体育館駅までたどることができたので、地図にマーカを付けておく。この部分の写真はまた撮ってくることにする。

マーカ1
崖線はこの付近で残堀川を離れて東に向かう。写真5に従えば、この近辺から東の崖線は青柳面と沖積低地の間にある段丘崖だ。したがって、正確さを求めるならば立川崖線ではなく青柳崖線と呼ぶべきだろう。この場所での崖線の比高(崖上の面と崖下の面の標高差)は3メートルほどに見える。これは目分量なので不正確だが、写真8の場所の比高(約13メートル)に比べるとずいぶん小さいのは確かだ。

マーカ2
この道路の南側が崖線らしく、密度の高い林が続いている。

マーカ3
この付近で道路が南に向かって下っている。崖線を横切っているのだろう。

マーカ4、マーカ5
この道路の南側が崖線らしい。急な崖になっていて、密な林になっている。

マーカ6
この場所では崖線を横から見ることができる。崖線はどうやら柴崎体育館駅のホームの北の端あたりを通っているらしい。

写真17

ハケ上の道路のそばの段丘崖の林の縁にこんなものが座っていた。カルガモだ。なぜか逃げる気配がない。ハケの林を家にしているのだろうか。

今回はここまで。

 

 


立川崖線(青柳崖線)

2012年06月16日 | 立川崖線/青柳崖線

女房と二人で、立川崖線の一部の青柳崖線(あおやぎがいせん)と呼ばれている部分を歩いてきた。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
青の線が青柳崖線だ。崖線の南側は多摩川の沖積低地(ちゅうせきていち)で、北側が段丘面なのだが、この部分の段丘面は前回までに歩いた谷保天満宮から府中市街にかけての段丘面(立川面)よりも少し低く、新しい時代に形成されたものらしい。青柳面と呼ばれている。
例によって黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤い扇形がカメラの向きを示している。

立川崖線を歩いた最初の回と同じく、谷保天満宮から歩き始めた。今回は東ではなく、西へ向かう。

写真1

谷保天満宮のかたわらに厳島(いつくしま)神社がある。広島の総本山とおなじく水に浮かぶ神社なのだが、その水の色に魅了された。ここは立川崖線の下(ハケ下)なので、この水も湧き水なのだろう。

この付近で立川崖線と青柳崖線が合流しているはずなのだが、それらしい地形は確認できなかった。はっきりとした合流点はなく、その前に青柳崖線が消えているようだ。

写真2

この先は城山(じょうやま)公園だ。ようやくハケ(段丘崖)がそれらしい姿を見せてきた。

写真3

城山公園。ハケを上る遊歩道がある。あたりは雑木林だ。

写真4

城山公園を抜けたところからハケ上の道が始まっている。ハケを下っていく道もある。

写真5

ハケ下は公園になっているようだ。湧き水があるらしく、施設の床が高くしてある。

写真6

道が曲がりながらハケを下っていく。周囲を歩いてみたところ、どうやらこの先の部分でハケ(崖線)が右に湾曲しているらしい。(国土地理院の都市圏活断層図によれば、この写真の場所は立川断層の撓曲面である。2014/3/30追記) 

写真7

ハケ上の道が途切れたので段丘面内部を歩いていると、水のきれいな小川を横切った。どうやらこれが矢川らしい。

写真8

前方の林がハケのようだ。

写真9

ようやくハケ上に戻ることができた。ハケ下は公園になっている。看板によれば「ママ下湧水(ゆうすい)公園」とのこと。「ママ」というのは「ハケ」と同じで、段丘崖のことを指すこのあたりの言葉だ。

写真10

ハケ上の道がある。柵が木でできているのがうれしい。ハケは密な林になっている。

写真11

ハケ上の道が続く。少し先に稲荷神社(青柳稲荷神社)があって、この地区(国立市青柳、石田)の由来が書いてあったので紹介しておこう。

「青柳は、その昔、今日の府中市本宿の多摩川南岸の青柳島にありました。寛文11(1671)年多摩川の大洪水により青柳島は流失、現在地に移住し、青柳村を開拓しました。石田も青柳と時を同じくして、今日の日野市石田から移住したものです。」

とのこと。洪水の被害による移住先として、水から安全な段丘面を選んだのは当然の成り行きだろうが、当時の苦労は並大抵のものではなかったに違いない。 

写真12

このあたりでは、段丘崖が多摩川の本流のごく近くに来ている。正面に見える流れは多摩川の側流のようだ。

多摩川沿いをもうすこし上流に進んだあと、青柳崖線の位置はよくわからなくなる。一度都道(256号線)に出たあと、多摩川沿いに戻って多摩モノレールの柴崎体育館駅に向かうことにした。

写真13

都道から多摩川沿いに出る道がこれ。驚いたことに、急な下り坂になっている。もしかすると、この部分が青柳崖線の続きかもしれない。そのうちにこのあたりをゆっくり歩いてみたい。[追記:1947年に撮影された空中写真でこの部分まで崖線を示す林が延びていることが確認できたため、「今回の地図」では崖線が延長してある]

写真14

川に出た。多摩川の側流の一つだ。この川沿いは「根川緑地」という公園になっていた。

写真15

根川緑地を歩く。木が多く、気持ちがよい。新奥多摩街道の下をくぐると広場になっていた。

今回はここまで。

 

 


立川崖線(西府駅~府中市街)

2012年06月09日 | 立川崖線/青柳崖線

立川崖線を女房と二人で歩いてきた。先日の続きで、今回は西府駅から府中市街まで。この部分の崖線は「府中崖線」とも呼ばれる。
今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
青の線が立川崖線で、南側が多摩川の周囲に広がる低い沖積低地(ちゅうせきていち)。崖線の北側が河岸段丘の立川面だ。
例によって、黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きだ。

写真1

府中第五小学校の南。この道路の右にハケ、つまり段丘崖(だんきゅうがい)がある。ここから歩き始めた。

写真2

ハケを下りて鎌倉街道を横切った。この部分はハケが崖として残っている。道を探してハケ上を歩いていくことにした。

写真3

このあたりのハケはすっかり宅地になっている。カメラの場所も下り坂の途中なのだが、目の前に大きな段差があって、そこは階段になっている。

写真4

ハケ上に古墳があった。「高倉塚古墳」とのこと。この付近には6世紀~7世紀はじめのころの古墳が30基あり、高倉古墳群と呼ばれている。

写真5

ハケを横切る道があった。3メートルほど先から下り坂になっていて、突き当たりはハケ下の道だ。

写真6

南武線の線路を越える陸橋から。この陸橋はハケ上にある。陸橋とは言っても、路面の高さは周囲の道路とほとんど同じ。逆に地面を掘って低くして線路を敷設したらしい。南武線はこの先で段丘崖の下の面に移るのだが、線路の傾斜をゆるやかにする必要からこのような敷設がなされているのだろう。

写真7

分倍河原の駅を過ぎ、ハケ上を歩いていると女房が妙な建物を見つけた。壁のエンブレムには Shakespeare House とある。戻ってから調べるとシェイクスピア ハウス プロジェクトというホームページがあった。どうやらシェイクスピアの生家を模して建築した住宅らしい。

写真8

ハケと言っても宅地化されている所がほとんどなのだが、高安寺というお寺の墓地の縁でようやくハケらしい崖を見つけた。ハケ下には南武線の線路がある。

写真9

高安寺の山門。仁王像(阿形像と吽形像)のある立派なものだ。

写真10

南武線を渡る陸橋から。線路の右の林が高安寺の脇のハケだ。

写真11

ハケを上っていく道がある。宅地化が進んでいるのだが、所々に自然の崖の風情が残っている。

写真12

妙光院というお寺の脇に金毘羅神社がある。金毘羅神社はハケ上、お寺はハケ下で、この階段がハケを横切っている。

今回の街歩きはここまでにして、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)の横を府中駅に向かっていたところ、妙な場所があった。

写真13

府中市には国の史跡に指定されている「武蔵国府跡」があるのだが、ここはその一部で「武蔵国衙跡」という。奈良時代から平安時代にかけて、武蔵国(むさしのくに)を治めていた役所の所在地が国府(こくふ)で、その中枢をなす役所群のあった場所が国衙(こくが)とのこと。

史跡に付属する展示室で「ふちゅう地下マップ」という資料を配布していた。国衙跡を含め、府中の地下から発掘された史跡がまとめてあるのだが、併せて府中崖線(立川崖線の別名)も記載されていて、参考になった。今回の地図の崖線はこの資料も参考にしている。

史跡の地図にハケ(崖線)が描いてあるとはちょっと不思議な気もしたが、しばらく見ていると納得がいった。史跡はハケ上に集中しているのだ。水害の恐れがなく、しかも平地の多い段丘面(ハケ上の平地)は統治のための施設を置くには最適な場所だったに違いない。

 

 


立川崖線(谷保天満宮~西府駅)

2012年05月12日 | 立川崖線/青柳崖線

女房がハケ上の道を歩きたいと言う。「ハケ」とは、河岸段丘の段丘崖の古い呼び名だ。以前紹介した和田崖線もハケだが、もっと大規模な、はっきりしたハケを探して歩いてみることにした。

多摩川は武蔵野台地に大規模な河岸段丘(かがんだんきゅう)を作っている。この河岸段丘はおおまかに言うと三つの面からなる。一番低いのが多摩川の周囲に広がる沖積低地(ちゅうせきていち)で、次の面は立川面という段丘面、そして一番高い面が武蔵野台地だ。

これら三つの面の境目にあるのが段丘崖(だんきゅうがい)だ。同じくらいの高さの崖がうねうねと続くので、崖線(がいせん)と呼ばれる。河岸段丘の面が三つあるのだから、多摩地区には、おおまかに言って二つの系統の崖線がある。一つは沖積低地と立川面の境目をなす立川崖線で、もう一つは立川面と武蔵野台地の境目にある国分寺崖線だ。

崖線の位置は地形図と空中写真から見当を付けることができる。段丘崖は現在でも林になっていることが多いのだ。今回はこのあたりを歩くことにした。

地図の左上にある谷保天満宮から、右下にある西府駅の西側(左側)にかけて水の流れが描かれているが、これが段丘崖の下の縁に対応しているらしい。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
青の線は歩いて確認した崖線の位置だ。例によって黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きだ。
今回は航空写真を表示させているので、地図の左のペインで「立川崖線」のチェックを外せば、崖線が林になっていることが確認できるだろう。 右上のマークをクリックすればいつものような地図表示に切り替えることもできる。

谷保天満宮から歩き始めた。

写真1

境内に崖がある。位置からすると、これが段丘崖らしい。

写真2

本殿は崖線の下にある。牛の像の右が段丘崖だ。段丘崖の上に戻って、ハケ上の道を南西に進む。

写真3

国道20号線(甲州街道)日野バイパスから。右の林が段丘崖だ。高低差はこの付近では6メートルぐらいのようだが、大きな木の密集する林になっている。崖下には水の流れがあり、遊歩道もある。

写真4

同じく国道20号線から見た段丘崖の遠景。段丘崖の林はもっと小さな木がまばらに生えているのを想像していたのだが、全然違った。すごいボリュームの林だ。

写真5

ハケ上の道からの眺め。ハケ下の家(二階建て)の屋根よりも、ハケ上の道の方が高い。送電線の鉄塔の脇に見覚えのある建物がある。あのあたりが聖蹟桜ヶ丘駅だろう。

写真6

ハケ上の道から林の隙間にハケ下の家が見える。崖は想像よりも急だ。こんな急な崖が自然のままで形を保ってきているのはちょっとした驚きだ。植物の根のおかげなのだろう。

写真7

ハケ上の道。

写真8

ハケ上からの眺め。

写真9

ハケ上とハケ下を結ぶ階段がある。急な崖なので、階段は斜めに下っていく。
国立市から府中市に入ったが、この崖線(立川崖線)をここでは「府中崖線」と呼ぶらしい。

写真10

ハケ上が遊歩道になっている。府中市ではこの段丘崖の環境の保護に力を入れているようで、喜ばしい。

写真11

ハケ下に大きな建物が見える。NEC府中工場だろう。まもなく西府の駅だ。

歩き始めたころは暑いほどだったが、急に天気が崩れて、雨がぱらついて急に気温が下がった。帰りの電車では近くに落雷も。
歩いたのは5月6日。夕方につくば市の竜巻のニュースを見て胸を撫で下ろしたような次第。

ともあれ、二人でハケの景観をゆっくり楽しむことができた。