立川崖線を女房と二人で歩いてきた。先日の続きで、今回は西府駅から府中市街まで。この部分の崖線は「府中崖線」とも呼ばれる。
今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
青の線が立川崖線で、南側が多摩川の周囲に広がる低い沖積低地(ちゅうせきていち)。崖線の北側が河岸段丘の立川面だ。
例によって、黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きだ。
写真1
府中第五小学校の南。この道路の右にハケ、つまり段丘崖(だんきゅうがい)がある。ここから歩き始めた。
写真2
ハケを下りて鎌倉街道を横切った。この部分はハケが崖として残っている。道を探してハケ上を歩いていくことにした。
写真3
このあたりのハケはすっかり宅地になっている。カメラの場所も下り坂の途中なのだが、目の前に大きな段差があって、そこは階段になっている。
写真4
ハケ上に古墳があった。「高倉塚古墳」とのこと。この付近には6世紀~7世紀はじめのころの古墳が30基あり、高倉古墳群と呼ばれている。
写真5
ハケを横切る道があった。3メートルほど先から下り坂になっていて、突き当たりはハケ下の道だ。
写真6
南武線の線路を越える陸橋から。この陸橋はハケ上にある。陸橋とは言っても、路面の高さは周囲の道路とほとんど同じ。逆に地面を掘って低くして線路を敷設したらしい。南武線はこの先で段丘崖の下の面に移るのだが、線路の傾斜をゆるやかにする必要からこのような敷設がなされているのだろう。
写真7
分倍河原の駅を過ぎ、ハケ上を歩いていると女房が妙な建物を見つけた。壁のエンブレムには Shakespeare House とある。戻ってから調べるとシェイクスピア ハウス プロジェクトというホームページがあった。どうやらシェイクスピアの生家を模して建築した住宅らしい。
写真8
ハケと言っても宅地化されている所がほとんどなのだが、高安寺というお寺の墓地の縁でようやくハケらしい崖を見つけた。ハケ下には南武線の線路がある。
写真9
高安寺の山門。仁王像(阿形像と吽形像)のある立派なものだ。
写真10
南武線を渡る陸橋から。線路の右の林が高安寺の脇のハケだ。
写真11
ハケを上っていく道がある。宅地化が進んでいるのだが、所々に自然の崖の風情が残っている。
写真12
妙光院というお寺の脇に金毘羅神社がある。金毘羅神社はハケ上、お寺はハケ下で、この階段がハケを横切っている。
今回の街歩きはここまでにして、大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)の横を府中駅に向かっていたところ、妙な場所があった。
写真13
府中市には国の史跡に指定されている「武蔵国府跡」があるのだが、ここはその一部で「武蔵国衙跡」という。奈良時代から平安時代にかけて、武蔵国(むさしのくに)を治めていた役所の所在地が国府(こくふ)で、その中枢をなす役所群のあった場所が国衙(こくが)とのこと。
史跡に付属する展示室で「ふちゅう地下マップ」という資料を配布していた。国衙跡を含め、府中の地下から発掘された史跡がまとめてあるのだが、併せて府中崖線(立川崖線の別名)も記載されていて、参考になった。今回の地図の崖線はこの資料も参考にしている。
史跡の地図にハケ(崖線)が描いてあるとはちょっと不思議な気もしたが、しばらく見ていると納得がいった。史跡はハケ上に集中しているのだ。水害の恐れがなく、しかも平地の多い段丘面(ハケ上の平地)は統治のための施設を置くには最適な場所だったに違いない。
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