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多摩街歩き

GPSの付いたカメラを持って多摩の街を歩いています。

大栗川段丘(資料発見)

2012年03月05日 | 資料

大栗川段丘と和田崖線」では、多摩市の和田、東寺方、落川、百草の一帯について、「インターネットで検索した範囲では、この場所が河岸段丘だという認識はされていないようだ。」と書いたわけだが、この場所を河岸段丘として記載した資料を見つけたので紹介する。

引用資料1 (クリックすると大きな図が開きます)

この図は1993年に多摩市が出版した「多摩市史叢書(8)多摩市の自然(地学・植物目録・動物)」に掲載されている「第6図 多摩市域の地形分類図」である。元の図は見開きになっているため、見やすくなるよう左右のページを接近させる加工を行った。

筆者がこれまで「高い段丘面」と呼んでいた地域は、この図では「上位段丘」と呼ばれている。中央上部の水平線でハッチングされた地域だ。
筆者が「低い段丘面」と呼んでいた地域は「谷底平野」と呼ばれている。これはグレーの塗りつぶしになっている。
この二つについては、呼び方は異なるが、同じ成因の地形を指していると思われる。

違いは筆者が「河岸段丘(段丘崖を崩したのはだれ?)」で「緩やかなスロープ」と表現した地域だ。中央上部にある狭い領域だ。細かな水平線でハッチングされていて、この図では「下位段丘」と呼ばれている。谷底平野と上位段丘の間にある、もう一つの段丘面という意味に違いない。確かにこの狭い領域の標高は「谷底平野」と「上位段丘」の中間にあたるが、この領域を河岸段丘の一つの段丘面と考えるのは、やや無理があるのではないか。

この領域を河岸段丘の一つの段とすると、なぜこの部分にだけ低位段丘があるのかの説明が難しいように思う。この領域は川が段丘崖を崩して作った緩やかなスロープだ、という筆者の以前からの主張を繰り返しておく。

細かな点で意見の相違はあるものの、筆者が地形の観察から導いた「この地域の地形は河岸段丘である」という結論を裏付ける資料があったことに喜んでいる。河岸段丘と崖線の命名はなされていないようなので、先日宣言した「大栗川段丘」と「和田崖線」という名前は異論が出るまで使い続けることにする。

 


復活!!国土変遷アーカイブ

2012年02月05日 | 資料

国土地理院の「国土変遷アーカイブ」が復活したようだ。

このブログで何度も「1947年の航空写真では~だ」と書いてきたが、昨年12月から肝心の写真が閲覧できない状態が続いており、大変歯がゆい思いをさせてしまったように思う。ようやくサービスが再開されたので、閲覧方法を紹介しておく。

URLは、
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/
だ。左のブックマークに登録しておいたので、その中の「国土変遷アーカイブ」をクリックすれば新しいウインドウ(またはタブ)が開く。簡単な操作手順を書いておくので、ぜひ参照してほしい。

●住所から検索する場合
_トップページで「空中写真を見る」をクリック →検索画面に進む
_住所検索のリストから都道府県を選択 →市区町村の選択が可能になる
_リストから市区町村を選択 →地図が表示される
_「検索条件の設定」をクリックして、見たい写真の撮影期間を設定する
   (例えば1947年1月から1947年12月)
_「検索」をクリックする →検索結果が表示される
_見たい写真の「閲覧」をクリックする →空中写真が表示される
_詳細を見たい場合は「200dpi」をクリックする

見たい写真が分かっていれば、その番号から簡単に目的の空中写真を開くことができる。1947年11月に米軍が多摩市和田付近を中心に撮影したモノクロ写真(写真名:USA-R556-No1-186)を開いてみよう。

●写真番号から検索する場合
_トップページで「空中写真を見る」をクリック →検索画面に進む
_「写真番号検索」をクリック →作業名、コース番号、写真番号を入力する画面に進む
_次の値を入力して、「検索」をクリックする →検索結果が表示される
   作業名に「USA」
   コース番号に「R556-No1」
   写真番号に「186」
_写真名をクリックする →空中写真が表示される 

この写真(写真名:USA-R556-No1-186)を見て欲しい。写真上部中央付近から左下の隅にむけて、くねくね、くねくねと線が延びているのに気づくだろう。これが昔の大栗川らしい。また、200dpiにして詳しくみると沢山の道(多くはあぜ道)が写っている。今の地図と比べると、一致する部分が多いことに驚くはず。ぜひお楽しみを。