「大栗川段丘と和田崖線」では、多摩市の和田、東寺方、落川、百草の一帯について、「インターネットで検索した範囲では、この場所が河岸段丘だという認識はされていないようだ。」と書いたわけだが、この場所を河岸段丘として記載した資料を見つけたので紹介する。
この図は1993年に多摩市が出版した「多摩市史叢書(8)多摩市の自然(地学・植物目録・動物)」に掲載されている「第6図 多摩市域の地形分類図」である。元の図は見開きになっているため、見やすくなるよう左右のページを接近させる加工を行った。
筆者がこれまで「高い段丘面」と呼んでいた地域は、この図では「上位段丘」と呼ばれている。中央上部の水平線でハッチングされた地域だ。
筆者が「低い段丘面」と呼んでいた地域は「谷底平野」と呼ばれている。これはグレーの塗りつぶしになっている。
この二つについては、呼び方は異なるが、同じ成因の地形を指していると思われる。
違いは筆者が「河岸段丘(段丘崖を崩したのはだれ?)」で「緩やかなスロープ」と表現した地域だ。中央上部にある狭い領域だ。細かな水平線でハッチングされていて、この図では「下位段丘」と呼ばれている。谷底平野と上位段丘の間にある、もう一つの段丘面という意味に違いない。確かにこの狭い領域の標高は「谷底平野」と「上位段丘」の中間にあたるが、この領域を河岸段丘の一つの段丘面と考えるのは、やや無理があるのではないか。
この領域を河岸段丘の一つの段とすると、なぜこの部分にだけ低位段丘があるのかの説明が難しいように思う。この領域は川が段丘崖を崩して作った緩やかなスロープだ、という筆者の以前からの主張を繰り返しておく。
細かな点で意見の相違はあるものの、筆者が地形の観察から導いた「この地域の地形は河岸段丘である」という結論を裏付ける資料があったことに喜んでいる。河岸段丘と崖線の命名はなされていないようなので、先日宣言した「大栗川段丘」と「和田崖線」という名前は異論が出るまで使い続けることにする。