多摩市の和田で河岸段丘の段丘崖を追ってきたが、今回で一区切りとしたい。
今回は緑ヶ丘幼稚園の東にあるまっすぐの崖に行ってきた。こんな崖だ。
写真1
写真の右から左に崖が続いている。左半分の崖はコンクリートで補強されて垂直の壁になっているが、右の方には芝生のような草地の崖がある。崖の上は、今は宅地になっている。緑ヶ丘幼稚園は写真の右手にある。
今回は愛宕団地のバス停の方から歩いてみた。スタート地点はこちら。
1947年の空中写真も載せておく。
空中写真1
この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブの空中写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。
今回のスタート地点は赤丸のあたりだ。この付近は沢になっていて、耕作されて棚田として使われていたようだ。写真の中央付近に上下(南北方向)に延びる林のようなものが見えるが、これが今回訪れる崖だ。
写真2
スタート地点から北東を見た写真。沢を下っていく道がある。正面や右の崖は沢の縁だったのではないか。現在のメインストリートは左に向かう道なのだが、この細い道の方が古そうなのでこちらを下って行く。
写真3
北西に向かって下り坂が続いている。この道路は多摩市と八王子市の境界になっていて、右が多摩市和田、左が八王子市鹿島らしい。この道路は上の空中写真にも見えている。当時は棚田の脇を通るあぜ道だったのだろう。
写真4
このあたりで沢は平地に繋がっている。目的の崖はこの付近からのはずなので、この坂を上ってみる。
写真5
坂を少し上ると崖があった。左に見えるのは緑ヶ丘幼稚園の園庭と園舎だ。写真の右上すみに道路が見えるが、崖は道路の少し上まで続いている。かなりの高低差がある。国土地理院の標高データによると、崖下と崖上では標高が10メートル近く違う。もう少し上に行ってみよう。
また坂を上りかけたとたん、幼稚園から大音量の緊急地震速報が流れてきた。震度3の予報であったが、5、4、3、…とカウントダウンをやられて緊張した。結局この付近はかすかに揺れた程度。ふう。
写真6
崖の上に出た。ただの平地に見える。後ろに崖があるとはとても思えない。ずっと昔に大栗川か、それとも多摩川が土砂を堆積させた平地なのではないか。つまり、河岸段丘の上の面だ。
しかし、このあたりの標高は76メートルぐらいある。和田中学校の東の段丘崖を上った段丘面は71メートル前後なので、そこよりはだいぶ高い。もしかすると、これは別の(もう一段上の)段丘面なのかもしれない。もっともここは和田中学校よりも上流側なので、自然なことかもしれない。ここと同じ程度の標高の平地は多摩市百草の一帯にある。
段丘崖の縁を少し下ったところにある道路を北に向かう。
写真7
崖上からのながめは気持ちがいい。正面の丘陵地帯は日野市百草のあたりだろう。
写真8
崖の北西の角は小さな公園になっている。公園の奥に階段があって下りられそうだ。行ってみよう。
写真9
公園の北側も高い崖(というより、コンクリートの壁)になっている。左の道路は急な上り坂だ。段丘崖は左の方に延びている可能性がある。階段を下りて、写真の左の方に進んでみる。
写真10
少し北に進み、路地の奥を見ると崖がある。どうやら崖の上はお寺(高蔵院)の敷地のようだ。この部分の崖の段差は大きくない。おおよそ3メートルといったところか。お寺の敷地のあたりの標高は71メートルぐらいで、緑ヶ丘幼稚園の東の崖上よりもだいぶ低い。
写真10の場所は「和田中学校から西へ」 でたどった段丘崖の近くなのだが、繋がっているかどうかは確認できなかった。空中写真1の上部右寄りがこの場所なのだが、1947年の時点で、すでにこの一帯は畑になっていたようだ。原因はわからないが、昔から崖ではなく緩やかな斜面になっていたのではなかろうか。
今回たどった段丘崖を最近の空中写真に書き入れたのがこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑色の線が今回の段丘崖。黄色の丸と赤の扇型がカメラの位置と方向を示している。
河岸段丘の段丘崖を追ってきたが、ここで一区切りとしたい。全体像は近いうちにまとめサイトに書くつもり。