多摩街歩き

GPSの付いたカメラを持って多摩の街を歩いています。

大栗川段丘と和田崖線

2012年02月24日 | 和田崖線

多摩市の和田から東寺方を通る段丘崖が確認できた。インターネットで検索した範囲では、この場所が河岸段丘だという認識はされていないようだ。
そこで、勝手に名前を付けることにした。

大栗川段丘:多摩市の和田、東寺方、百草、落川を含む範囲に広がる河岸段丘

和田崖線:東寺方小学校の南から多摩第二小学校の敷地を通り、和田中学校の東を南下し、和田公園の南へと続く段丘崖

和田崖線を緑の線で書き入れた地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑ヶ丘幼稚園の東の崖も書き入れてあるが、これは和田崖線に繋がるとは限らないので色を変えてある。

大栗川段丘の成り立ち(想像も含めて)
多摩の丘陵を流れ下ってきた大栗川は、多摩川に近づいたところで流れが緩やかになり、ときおり起る氾濫により、長い時間をかけて広い範囲に土砂を堆積させた。 (高い段丘面の形成)

あるころから、大栗川の流れが急になり、次第に段丘面を侵食し、掘り下げていった。大栗川は浸食と堆積を繰り返し、流域に低い平らな土地が広がってきた。(低い段丘面の形成)

次第に大栗川が浸食と堆積を行う範囲が決まってきて、高い段丘面との間に段丘崖ができてきた。(段丘崖の形成)

今の大栗川からはとても想像できないが、整備される前の大栗川は低い段丘面を大きく蛇行して流れていたのだ。昔の大栗川の流れについてはまとめサイトを見て欲しい。ほとんど平らな低い段丘面をゆったりと流れる川の姿を思い浮かべながら、今の大栗川を散策するのもまた一興であろう。


河岸段丘(緑ヶ丘幼稚園の東)

2012年02月22日 | 和田崖線

多摩市の和田で河岸段丘の段丘崖を追ってきたが、今回で一区切りとしたい。
今回は緑ヶ丘幼稚園の東にあるまっすぐの崖に行ってきた。こんな崖だ。

写真1

写真の右から左に崖が続いている。左半分の崖はコンクリートで補強されて垂直の壁になっているが、右の方には芝生のような草地の崖がある。崖の上は、今は宅地になっている。緑ヶ丘幼稚園は写真の右手にある。

今回は愛宕団地のバス停の方から歩いてみた。スタート地点はこちら。

1947年の空中写真も載せておく。

空中写真1

この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブの空中写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。

今回のスタート地点は赤丸のあたりだ。この付近は沢になっていて、耕作されて棚田として使われていたようだ。写真の中央付近に上下(南北方向)に延びる林のようなものが見えるが、これが今回訪れる崖だ。

写真2

スタート地点から北東を見た写真。沢を下っていく道がある。正面や右の崖は沢の縁だったのではないか。現在のメインストリートは左に向かう道なのだが、この細い道の方が古そうなのでこちらを下って行く。

写真3

北西に向かって下り坂が続いている。この道路は多摩市と八王子市の境界になっていて、右が多摩市和田、左が八王子市鹿島らしい。この道路は上の空中写真にも見えている。当時は棚田の脇を通るあぜ道だったのだろう。

写真4

このあたりで沢は平地に繋がっている。目的の崖はこの付近からのはずなので、この坂を上ってみる。

写真5

坂を少し上ると崖があった。左に見えるのは緑ヶ丘幼稚園の園庭と園舎だ。写真の右上すみに道路が見えるが、崖は道路の少し上まで続いている。かなりの高低差がある。国土地理院の標高データによると、崖下と崖上では標高が10メートル近く違う。もう少し上に行ってみよう。

また坂を上りかけたとたん、幼稚園から大音量の緊急地震速報が流れてきた。震度3の予報であったが、5、4、3、…とカウントダウンをやられて緊張した。結局この付近はかすかに揺れた程度。ふう。

写真6

崖の上に出た。ただの平地に見える。後ろに崖があるとはとても思えない。ずっと昔に大栗川か、それとも多摩川が土砂を堆積させた平地なのではないか。つまり、河岸段丘の上の面だ。

しかし、このあたりの標高は76メートルぐらいある。和田中学校の東の段丘崖を上った段丘面は71メートル前後なので、そこよりはだいぶ高い。もしかすると、これは別の(もう一段上の)段丘面なのかもしれない。もっともここは和田中学校よりも上流側なので、自然なことかもしれない。ここと同じ程度の標高の平地は多摩市百草の一帯にある。

段丘崖の縁を少し下ったところにある道路を北に向かう。

写真7

崖上からのながめは気持ちがいい。正面の丘陵地帯は日野市百草のあたりだろう。

写真8

崖の北西の角は小さな公園になっている。公園の奥に階段があって下りられそうだ。行ってみよう。

写真9

公園の北側も高い崖(というより、コンクリートの壁)になっている。左の道路は急な上り坂だ。段丘崖は左の方に延びている可能性がある。階段を下りて、写真の左の方に進んでみる。

写真10

少し北に進み、路地の奥を見ると崖がある。どうやら崖の上はお寺(高蔵院)の敷地のようだ。この部分の崖の段差は大きくない。おおよそ3メートルといったところか。お寺の敷地のあたりの標高は71メートルぐらいで、緑ヶ丘幼稚園の東の崖上よりもだいぶ低い。

写真10の場所は「和田中学校から西へ」 でたどった段丘崖の近くなのだが、繋がっているかどうかは確認できなかった。空中写真1の上部右寄りがこの場所なのだが、1947年の時点で、すでにこの一帯は畑になっていたようだ。原因はわからないが、昔から崖ではなく緩やかな斜面になっていたのではなかろうか。

今回たどった段丘崖を最近の空中写真に書き入れたのがこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑色の線が今回の段丘崖。黄色の丸と赤の扇型がカメラの位置と方向を示している。

河岸段丘の段丘崖を追ってきたが、ここで一区切りとしたい。全体像は近いうちにまとめサイトに書くつもり。

 


河岸段丘(地面が高いのはなぜ?)

2012年02月19日 | 和田崖線

多摩市の和田で河岸段丘の段丘崖を追っている。
今回は、前回の記事のこの写真の場所について調べてみた。

写真1 (クリックすると大きな写真が開きます)

地図でいうと、この場所だ。

この場所の家々が建っている地面は川岸よりも5メートルぐらい高いように見える。高蔵院のあたり(写真の左端の橋の向こう側)に段丘崖が来ていて、大栗川の整備で切り取られたように見えることから、この付近もそういう古地形ではないかと考えて、1947年の空中写真をしらべてみた。

空中写真1(1947年)

この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブの空中写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。

写真中央少し上の白っぽい大きな三角形の部分がこの場所なのだが、この場所は水田として耕作されていたように見える。つまり、このあたりでは一番低い場所のはずだ。少なくとも1947年の時点では。

その後どういう変遷をたどったかを同じ国土地理院の電子国土ポータルで調べてみると、1974年~1978年に撮影された写真に面白いものが写っていた。

空中写真2(1974年~1978年)

この写真は国土地理院の電子国土ポータルに掲載された空中写真(1974年~1978年撮影)の一部を切り出したものである。

この空中写真を見ると、1947年に水田だった場所がすっかり土で覆われている。大規模な盛り土が行われている最中の写真のようだ。

大栗川の周辺の大規模な盛り土については、このブログの「殿田橋付近」でも可能性を指摘している。大栗川の新しい河道を掘ると大量の土砂が出るはずで、その土砂の少なくとも一部は近所の宅地造成の盛り土として消費されたのではないだろうか。

空中写真2で盛り土されている範囲を最近の空中写真に書き込んでみたのがこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
パノラマ写真(写真1)と比べてみると、ここで盛り土の範囲として示した部分よりも、現在地面が高くなっている部分の方が少し広いようだが、ほぼ同じと言ってもよかろう。盛り土の行われた時期が違っていて、両端部分では既に盛り土の工事が終わっていた可能性もある。 

今回はここまで。 


河岸段丘(和田中学校から西へ)

2012年02月18日 | 和田崖線

多摩市の和田で河岸段丘の段丘崖を追っている。
今回は、前回のスタート地点に戻って西に向かう。

空中写真1

この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブに掲載された写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。赤のマークは筆者による。 

前回はこの地点から南に向ったのだが、どうやら昔の沢に入ってしまったようだ。前回紹介した空中写真(上の空中写真1)では西側に段丘崖らしき木立があるように見える。和田中学のグラウンドの南の小道を西に入ってみる。

写真1

小道を入って南を向くと、ずいぶん高い段差の上に家がある。奥の方の家は敷地がもっと高くなっているようだ。奥の方に向かってみる。

写真2

崖だ。ここも竹やぶになっている。右後ろは和田公園のグラウンドで、その先は現在の大栗川だ。もう少し右(西)の方を見てみよう。

写真3

これはすごい。傾きといい雑木の混じった竹やぶといい、自然の崖に違いない。すぐ右側は和田公園のグラウンドで、このあたりでは一番低い場所のはず。これは段丘崖に違いなさそうだ。

写真4

少し西に進んだ。段丘崖はまだ続いているが、竹やぶではなく雑木林になっている。奥にコンクリートで補強された壁が見えてきた。

写真5

大栗川の川岸に出た。先ほどのコンクリートの壁が続いている。ここは高蔵院というお寺の一部らしい。その先には斜面があるが、いかにも人工的に作った斜面のようだ。この先の様子を、大栗川の対岸から見たのが次の写真だ。

写真6

大栗川に沿ってコンクリートで補強された壁があり、その上に家が建っている。これは、大栗川を整備したときに河岸段丘の一部を削り取ったことを示しているのではなかろうか。 もう少し右(南西方向)に進んでパノラマ写真を撮ってみた。

写真7(写真をクリックすると拡大します)

写真の左端に見える橋の向うが、自然の崖があった和田公園だ。この写真の中央付近に並ぶ家々は河岸段丘の高い段丘面に建っているのだろう。左端の橋のあたりと、写真の右端あたりでは地面がだいぶ低くなっている。そちらに進むと、また昔の段丘崖が表れるかもしれないが、この部分の段丘崖の追跡は諦めざるを得ない。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑色の線で、和田中学校の南から大栗川までの段丘崖を書き入れてある。

スタート地点の付近で昔の崖がどこにあったかは、実はあまりよくわからない。このあたりは一時ミニゴルフ場になっていて、その後宅地化されたのだ。人の手がかなり入っているはず。結局、1947年の空中写真と、次の写真をたよりにこの場所を決めた。

写真8

左右の家の敷地の高さが大きく違う。かなり急な右下がりの地形であったことがわかる。奥の林は和田公園の脇の段丘崖だ。

今回はここまで。 


河岸段丘(和田中学校から南へ)

2012年02月12日 | 和田崖線

多摩市の和田で河岸段丘を追っている。
今回のスタート地点はこちら。和田中学校の東を北から南に走る段丘崖が和田中学校の校庭を外れたあたりだ。

この地点は坂の途中なのだが、南の方角を見るとこんな様子だ。

写真1

斜面が竹やぶにになっている。これまで見ていた段丘崖よりも、斜面が少しなだらかなようだ。

この場所から右へ坂を下り、和田中学校の東を南北に走る道路に沿って南へ向う。
今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください) 

写真2

坂を下り切って南を向いた写真がこれ。どうも妙だ。段丘崖は左手にあるのだが、道路の右側も高くなっている。この道路は殿田橋から南へ、河岸段丘の低い段丘面を走っていたはず。おなじみの河岸段丘の地形とは違うようだ。道路自体も南へゆるやかな上りになっている。とりあえず南へ向う。

写真3

道路の東側は少し平地になっていて、その先に竹やぶがあり、崖になっているようだ。

写真4

道路の右の崖が高くなってきた。やっぱり妙だ。南へ向って、道路は相変わらず緩やかに上っている。

写真5

道路の東にある駐車場の奥に崖が見えた。やはりこの崖も続いているらしい。

写真6

このあたりに来て、急に崖が遠ざかったようだ。正面に見える建物は崖の上に建っているらしい。

写真7

恋路稲荷神社に向う道路との交差点に来た。この付近で崖がはっきりしなくなってしまった。全体に東(写真の奥の方)が高くなっているのだが、崖はない。写真の右横は畑になっている。もう少し南に向ってみる。

写真8

しばらく南へ進み、振り返って撮ったのがこの写真だ。相変わらず西側に崖がある。道路は北に向って下っている。

どうやら、この道路沿いは低い段丘面ではなく、細長い低地のようだ。
実は、このことはある程度予想がついていた。この空中写真を見てほしい。(空中写真全体はブックマークの「多摩市1947年」から参照できる)

空中写真1

この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブに掲載された写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。赤のマークは筆者による。

が今回のスタート地点だ。×が写真8の撮影場所。写真中央を南北に走る帯状の地形が見えるだろう。この地形は川の流れが作った細長い低地、つまり「沢」ではないか。
この写真が撮られた1947年には、この沢は耕作され、棚田になっていたように見える。その後宅地化され、今回歩いた道路はこの低地の西側(左側)の端を通っていると推定できる。

上の空中写真を見て今回たどった低地を無視すると、段丘崖は今回のスタート地点あたりで西に向きを変えて延びている可能性が考えられる。こちらを歩いて確かめた結果は次回。

 


河岸段丘(第二小学校から和田中学校)

2012年02月11日 | 和田崖線

多摩市の和田で河岸段丘を追っている。
今回のスタート地点は多摩第二小学校の裏手の、この地点だ。 

多摩第二小学校の敷地を東から西に通り抜けた段丘崖は、現在の大栗川に達している。そのあと殿田橋付近から南に向っているようだ。

今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
黄色の線はこれまでにたどった段丘崖だ。緑色の線が今回たどった段丘崖。右(東)が高く左(西)が低い。
いつものように、黄色の丸と赤の扇型がカメラの位置と向きを示している。
1947年の多摩市を撮影した空中写真は左のブックマークにリンクがある。段丘崖が帯状の林として写っている。 

写真1

大栗川沿いの道路の横が段丘崖のなごりらしく、雑木林になっている。しかし写真中央の崖は人工的に作られたもののようだ。自然の作った崖にしては急すぎるし、植生も違う。大栗川を整備してこの道路を通したときに、段丘崖を削ったのだろう。本来の段丘崖はこの道路か歩道のあたりまで裾を延ばしていたのではなかろうか。正面右に見える橋は野猿街道の殿田橋だ。この橋の方から段丘崖を見てみよう。

写真2

崖の中腹を通る道路があった。右が崖上、左が崖下だ。自然が作った崖の雰囲気が色濃く残っている。

写真3

野猿街道を横断して、写真2の場所を振り返ってみた。この一角だけが時に取り残されたように雑木林を残している。雑木林の右と左で敷地の高さがずいぶん違う。野猿街道が削ってしまったが、段丘崖は向いの雑木林からまっすぐこちらへ延びていたはず。野猿街道を離れて、南の方へ段丘崖を追って行く。

写真4

右側が段丘崖。段丘崖はこの道路の近くを南へ延びている。

写真5

正面は崖がコンクリートで固められて宅地になっている。しかし道路との高さの違いがよくわかる。

写真6

和田中学校の通学路になっている小道から。この場所も段丘崖の中ほどだ。崖の傾きがよくわかる。

写真7

左にあるコンクリートで固めた崖は3年ほど前までは自然のままの雑木林だった。写真の中央あたりは自然な崖が残っている。別の角度から撮るとこんな様子だ。
 

写真8

和田中学校の東側の道路を南へ進む。道路の東の建物の奥が段丘崖らしく、竹やぶになっている。竹やぶの向うに崖の上の家屋が屋根だけ姿を見せている。

写真9

段丘崖はまだ続いている。家屋の間に見える崖はここも竹やぶになっている。崖は結構急なようだ。

写真10

和田中学校の校庭を過ぎたあたりで面白いものを見つけた。これはひょっとすると川の跡ではないか? 1947年の空中写真を見るとこの場所の南は沢になっていたように見えるので、昔は川が流れていたのではないかと想像していた。
段丘崖はこの地点よりも右(東)にある。

写真11

崖はまだ続いているようだが、ここで坂を上って段丘崖の上を歩いてみた。

写真12

段丘崖の上の家。なんとなく歴史を感じさせる造りだ。写真の奥が段丘崖で、竹やぶになっている。

次回はもっと南に向う予定。 

 


河岸段丘(段丘崖を崩したのはだれ?)

2012年02月04日 | 和田崖線

多摩市の和田で段丘崖を追っている。
第二小学校の近くで段丘崖が繋がっていないことがわかった。どうやら野猿街道と段丘崖が交差する所で、段丘崖が崩されて緩やかなスロープができているらしい。

本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑色の線は段丘崖らしき崖や段差だ。黄色の長方形は野猿街道が緩やかな坂になっている部分。赤く細い線はスロープができる前の段丘崖の位置を想像して入れた線。二本に分かれている段丘崖だが、元々はこの線で一本に繋がっていたのではないか。 

では、いったい何が段丘崖を崩してスロープにしたのだろうか。
まず最初に疑うべきは「人間」だろう。野猿街道の途中に急な崖があったのでは、車ばかりでなく昔の馬や荷車だって通れない。街道を整備するなら、真っ先に崖をゆるやかな坂に変えるだろう。

もし人間が地形に手を加えたなら、きっとその痕跡が残っているはず。例えば切り通しのような、道の脇の急な崖とかそういうものがあるはず。しかし野猿街道の縁にはそんなものはなさそうだ。目に付くのは自然のままの崖や竹やぶばかり。ちょっと写真を見てもらおう。

写真1

写真を撮った場所は地図にマークがある。丸い黄色の下の台座がカメラの位置で、赤い扇型がカメラの向きだ。
この場所は野猿街道のすぐそばに崖が迫っていて、スロープができたときに削られた場所のはず。しかしこの崖は人間が作ったにしてはなだらか過ぎるようだし、竹やぶも年季が入っているようだ。

写真2

写真1の近くで、野猿街道の縁から撮った。ここもスロープができるときに削られた場所のはずなのだが崖は道路の縁から10メートルほど向うにある。人が崖を崩すならこんな無駄なことはしそうにない。崖も人が削ったにしては緩やか過ぎる。

どうやらこのスロープは人間が野猿街道を通すために作ったのではなさそうだ。では、こんなスロープが自然にできるような仕組みはあるのだろうか。

日本の場合、地形を変えるのは「水」だ。川は土砂を削り、下流に堆積させる。では、ここに川があったのだろうか。
あったのである。上の写真2で、竹やぶになっている崖の手前に溝のようなものがあるのが見えるだろうか。別の角度から撮った写真がこれだ。

写真3

溝の縁がコンクリートで固められ、等間隔に橋げたのようなものが渡されている。実はこれと同じようなものを和田から東寺方、落川付近でよく見かける。どうやら小川がおとなしく流れるよう整備した結果のようなのだ。小川は雨水の排水のためには重要なのだが、自然の小川のままでは大雨で溢れたり、勝手に流れを変えたりと、居住や耕作には都合が悪かったのであろう。この溝は今は使われていないようだが、昔この場所を川が流れていた証拠だ。

川は国土地理院の地図にも書かれていた。これだ。

この地図は国土地理院の提供する電子国土基本図(地図情報)ならびに基盤地図情報10m標高をデータとして用い、ソフトウェア「カシミール3D」によって描画したものである。

青の線が問題の小川だ。写真2や3の場所は点線で表され、今は暗渠になっていることを示している。この地図の流れは正確ではないようなのだが、それでもこの場所に川があったという証拠になる。1947年の航空写真でも、この小川によると思われる茂みの連なりがはっきりと認められる。

この川がここを流れるようになったのがいつのことなのかはわからない。段丘崖ができる前から川があったのか、それとも段丘崖ができてからここを流れるようになったのか…

この付近の地面の起伏をみると、どうやらこの小川は長い時間に亘ってこの付近を流れ、沢山の土砂を広い範囲に堆積させたようだ。何千年か、それとも何万年か。昔の人が野猿街道を通すとき、このスロープを利用して河岸段丘を越えていったのはごく当然のことだったのではなかろうか。

1947年の空中写真や、国土地理院の「電子国土ポータル」で参照できる1974年以降の空中写真を頼りに、昔のこの川の流れを再現し、地形から推定した堆積物の広がりとともに地図に書き入れてみた。

本日の地図(その2)はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください) 

水色の線が1947年ごろの小川の流れ。南が上流だ。北に向った流れは宝蔵橋の南西に書いた場所で昔の大栗川に合流していた。
オレンジ色の部分が、この小川が段丘崖を削り土砂を堆積させてできた緩やかなスロープの範囲だ。このスロープのあたりを小川は時々位置を変えながら流れ、徐々に堆積物の量を増やしていったのであろう。

今日はここまで。次回は第二小学校から南西方面に段丘崖を追って行く。


河岸段丘(段丘崖が2本?)

2012年02月02日 | 和田崖線

多摩市の東寺方小学校と第二小学校の間の段丘崖をたどっている。どうやら段丘崖は第二小学校の近くで2本に分かれているようだ。
本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます) 
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑の線が段丘崖と思われる崖や段差だ。2本とも、右下側(南東側)が高い。

どうしてこんなことになったのだろうか。
このあたりはいつも犬の散歩で歩いている場所なのだが、段丘崖のことを考えながら歩いていて改めて気づいたのは、この付近の野猿街道は緩やかな坂になっていることだ。坂になっている部分を黄色で地図に書き入れてある。この坂は赤い矢印の向きに下っている。

段丘崖が直線的に延びていて、その一部を崩して緩やかな坂にしたらどんな風になるか、図にしてみたのがこれだ。

図1

右上が高い段丘面、左下が低い段丘面という想定だ。段丘崖が左上から右下に延びている。
その段丘崖に直角に坂を作ってみた。坂を作るとき、土砂が崩れるだろうから、坂の両脇はやや急な斜面になっている。

こんな地形のとき、左の方から段丘崖をたどって行ったらどうなるだろう。坂のところで段丘崖が右と左に分かれてしまう。分かれた先をたどって行くと、まもなく崖は消えてしまうだろう。
右の方からたどってきても同じだ。上から見たらこうなるに違いない。

図2

もう一度地図を見てほしい。どうやら、坂は段丘崖に直角ではなく、斜めに交差しているように見える。交差が斜めになるように図を書き直してみた。

図3

坂は段丘崖に対して斜めに交差して、右から左に下っている。この段丘崖を左からたどって行くと、段丘崖が左に曲がって延びていくように見えそうではないか。そしてしばらくたどると消えてしまう。
右からたどった場合も、 坂のところで左に延びて行くように見えるに違いない。

上から見た図をもう一度描いてみよう。今度は段丘崖の向きと坂の向きを地図に合せてみる。

図4
 

本日の地図と比べてみて欲しい。もちろん一致はしないが、実際の段丘崖の曲がり方や消え方をちゃんと現していると言ってよかろう。この様子から見ると、野猿街道の下り坂は、道路よりももっと広かったと考えるほうがぴったりしそうだ。

今日の結論:
第二小学校の近くで段丘崖が2本に分かれているように見えるのは、段丘崖を斜めに横切る坂ができているためと考えるとつじつまが合う。

この長い緩やかな坂がなぜできたか、は次回の話題にする。 

 


河岸段丘(第二小学校付近)

2012年01月29日 | 和田崖線

多摩市の和田で段丘崖を追っている。
今日のスタート地点は第二小学校の裏の並木公園だ。

前回の記事で、東寺方小学校から段丘崖を追ってきたが、第二小学校に近づいたところで崖が見えなくなってしまった。
そこで、はっきりしている第二小学校の裏(北側)の崖を、逆方向に、東寺方小学校のある北西方向にたどってみることにした。 

写真1

並木公園の端から第二小学校を見た写真がこれ。竹や雑木の生えた崖があり、その上に小学校の校舎が見える。この崖は右(南西方向)に直線的に延びている。

写真2

並木公園の東側の崖。中央の青い屋根の小屋は崖の中腹にある。

上の写真の小屋を崖の上から見た写真がこれ。
写真3

右奥の小屋が下の並木公園から見えていた。

写真4

並木公園の北側の道路から。この斜面は段丘崖のなごりかもしれないが、確証はない。

ここでまた分からなくなってしまった。写真4の場所(カメラの後ろ)は坂道になっていて、その向うは宅地になっているのだが、段丘崖の続きと思えるような大きな段差は見当たらない。

宅地の造成が進むと段丘崖のような昔の地形は見えなくなってしまう可能性がある。そこで、もっと離れた場所に段丘崖の痕跡が残っていないか、北東方向に探しに行ってみた。

すると、スーパーマーケットの脇にそれらしい段差を見つけた。
この場所だ。

写真5

西に向って撮った写真だが、左(南)の方が2メートル近く高くなっている。この段差は道路に沿って続いている。この場所よりも北東側(写真の後ろ側)にはもう段差はないようだ。

写真6

幅の広い道路は右に曲がって行くが、段差は正面の細い路地に続いている。段差が少し大きくなったような気がする。

写真7

路地に入ってみた。奥に開けた場所があるらしい。奥に向って段差が小さくなっていく。
路地を抜けた先は…

写真8

なんとそこは並木公園だった。写真4を撮った所から坂を50メートルほど下った場所だ。

道を渡って振り返るとこんな様子。(別の日の写真だが)
写真9

坂に面した場所の段差が小さいので、こちらから見たのでは気づかなかったが、第二小学校のそばの段丘崖がここに繋がっているとみて間違いなさそうだ。

本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
緑色の線が今回たどった段丘崖で、黄色が前回分。黄色い丸と赤い扇形がカメラの位置と向きを示している。

結局、東寺方小学校から第二小学校の間で、段丘崖は繋がっておらず、2列、というか2段に分かれているように見える。次回はこのような地形ができたわけを推理してみようと思っている。 


河岸段丘(東寺方小学校から第二小学校)

2012年01月28日 | 和田崖線

多摩市の東寺方から和田にかけて、河岸段丘の段丘崖を追ってみる。
スタート地点は東寺方小学校の校庭の横の、この地点だ。

写真1
 
東寺方小学校の校庭の南側(写真の右奥)は林になっていて地面は見えないが急な崖になっている。右端の建物は校庭と同じ平面に建っているので、崖はその奥に違いない。

写真の建物の右は2車線の道路だが、写真の右手前から奥に向けて長い上り坂になっている。段丘崖はこの道路を横切る方向に延びているはずなので、道路の向こう側に回ってみると…

写真2
 
なんともはや、こんな段差があった。高さは4メートルぐらいだろう。急な崖を整地して道路を造り、宅地を造成した結果に違いない。
よく見ると、道路の左の家はいずれも階段を登った先に玄関があるようだ。斜面を宅地にした証拠だろう。
段差の上を奥に向って延びる道路をたどって行く。

写真3

 道路の左に崖があって、その上に家があるようになった。早い時期に宅地化されたのだろうか。写真の右は2~3メートル低い空き地だ。右奥は宅地化されてるが、左側の家よりもだいぶ低い位置にある。昔は右下がりの斜面だったに違いない。

もう少し先に行くと、道路は行き止まりになってしまった。正面奥は竹やぶで、その左は空き地になっている。造成予定地だろうか。
野猿街道から崖を見てみることにした。

写真4
 
野猿街道に面したマンションの駐車場に入らせてもらった。目の前にコンクリートで補強された崖が見えた。高さは4メートルぐらいだろう。このあたりはGoogle Mapの空中写真では林なのだが、最近になって宅地化されたらしい。
野猿街道を第二小学校に向って歩いて行く。

写真5

空き地の向うに竹やぶがあり、崖になっている。段丘崖の続きに違いない。

写真6

崖が野猿街道に近づいてきた。和田のバス停の付近では歩道のすぐそばに迫ってきた。相変わらず崖は竹やぶになっている。崖の上に家がある。

写真7

このあたりは崖が歩道から少し離れていて、写真の左奥にある。竹やぶの中に見えるのは水路の跡であろう。

写真8

野猿街道に交わる道路に出た。左の竹やぶにあった崖の続きがあるなら、5メートルほど先なのだがそれほどの高低差はない。

東寺方小学校からたどって来たのだが、どうやらこの付近で段丘崖は消えてしまっているらしい。この写真の右後ろ方向に100メートルほど行くと第二小学校の崖があるのだが、そこへ行く途中には崖があったような形跡がない。これはいったいどういうことなのだろうか。 

たどることのできた段丘崖の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください) 

次回は第二小学校の方から段丘崖を調べた結果を書く予定。

 


河岸段丘

2012年01月21日 | 和田崖線

 「河岸段丘(かがんだんきゅう、river terrace)とは、河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形である。河成段丘(かせいだんきゅう)ともいわれる。平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ、平坦な部分を段丘面(だんきゅうめん)、急崖部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼ぶ。段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ていることが多い。」ウィキペディアによる)

河岸段丘の低い段丘面は水が豊富で、かつては水田として利用されることが多かった。一方、高い段丘面は畑として利用されていた。段丘崖は森林となっていることが多い。

どうしてこんな話を書いているかというと、和田から東寺方にかけての大栗川の右岸に規模はごく小さいながらもはっきりした河岸段丘が形成されているような気がするからだ。

以前、国土地理院の「国土変遷アーカイブ」(トラブルがあって現在閉鎖中)で見つけた1947年の航空写真を見ると、多摩市の和田から東寺方、落川、百草の一帯はみごとなほどきれいに耕作地として利用されている。日野市百草の丘陵と現在の桜ヶ丘地区の丘陵を除くと、耕作地として利用されていないらしいのはほんの少しの面積に過ぎない。一つは大栗川そのもの、一部は住居らしく、一部は小さな川のようだ。

ところが、航空写真にはこのどれとも同定できない帯状の林のようなものが見える。今の和田中学校の東側を南北に走り、多摩第二小学校の北側を通り、東寺方小学校の南を過ぎたあたりで桜ヶ丘地区の丘陵に繋がっている。この帯状の地形の共通点として思い当たったのが「崖」だ。

和田中学校の東には急な崖があり、その崖を下る細い道を子供たちが通学に使っている。東寺方小学校の南は確か急な崖になっていたはず。多摩第二小学校に至っては、学校の中に崖があり、崖の上と下にそれぞれ校庭がある。

崖があるからその上は山かというと、そんなことはない。なだらかな土地が続いている。この地形は何なんだ?と考えてたどり着いたのが「河岸段丘ではないか」というアイデアだ。そのつもりで1947年の航空写真をよく見ると、同じ耕作地でも確かに様子が違う。大栗川の近くは水田で、それ以外は畑だと言われればそんな風にも見える。

では、実際に土地の高低はどうなっているかというと、この地図を見て欲しい。


この地図は国土地理院の提供する電子国土基本図(地図情報)ならびに基盤地図情報10m標高をデータとして用い、ソフトウェア「カシミール3D」によって描画したものである。

この地図では地面の凹凸を左上から光が当ったように陰影を付けて示している。左下の学校マーク(和田中学校)から右上の学校マーク(東寺方小学校)にむけて崖が伸びているのが分かる。これは本当に河岸段丘かもしれない、と段丘崖を想定して地図に描いてみた。緑色の線が段丘崖だ。

本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください) 

この段丘崖らしきものが今どうなっているのか、歩いて確かめてみようと思う。