終わった話で恐縮だが、パルテノン多摩の歴史ミュージアムで今年の3月まで『「消えた寺」が語るもの』という企画展を行っていた。その中にめずらしい展示があった。『寿徳寺の周辺 ~寺方村ともうひとつの鎌倉街道~』というもの。パネルの説明文を書き写しておく。
――パネルの説明文はここから――
寺方村の「寺方」という名称は、周囲に多くの寺があるために名付けられたという説のほか、寿徳寺の存在によって名付けられたという説もあります。寺方区域の人々の信仰を集める山神社も、もとは寿徳寺境内に祀られていた祠といわれています。寺方村は、寿徳寺をはじめとした寺院の影響を受け、ともにあゆんできた地域といえるでしょう。
それでは、なぜこの寺方村に寿徳寺が建てられたのでしょうか。そのためには寺方村の周辺地域や街道を見ていく必要があります。
寺方村から落川、乞田にかけては、関戸を通る鎌倉街道とは異なる「もうひとつの鎌倉街道」が通っていました。多摩川から寺方へ至る「もうひとつの鎌倉街道」の途中には、後北条時代の有力者・有山氏の屋敷跡や、塩沢氏による創建伝承を持つ宝泉院もありました。宝泉院のすぐ北側には真慈悲寺跡と目される百草園松連寺がそびえています。また、寿徳寺自体、関戸の関所の番人を務めたとも伝えられる佐伯氏を開基としており、裏山を越えるとすぐに関戸に出ることができました。
寺方村周辺は、関戸の関所や鎌倉街道を支える人物たちの、住まいや拠点となる地域だったといえるでしょう。
――パネルの説明文はここまで――
この展示には「もうひとつの鎌倉街道」を今の地図に書き写したものが添えられていた。この地図を頼りに昔の道を歩いてきた。
今回の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmlファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
青の線で示したのが、展示にあった「もうひとつの鎌倉街道」だ。聖蹟桜ヶ丘駅の南、多摩市東寺方1丁目にある観蔵院というお寺から、多摩市乞田の第三小学校の近くに通じている。この道を南から北へ歩いてみた。
例によって、黄色のマーカの足元がカメラの位置で、赤の扇形がカメラの向きだ。
乞田から歩き始めるといきなり愛宕の山を越えて団地の中を通るのだが、この部分は多摩ニュータウン開発の影響を受けて昔の雰囲気がほとんど残っていなかった。写真での紹介は団地を抜けたところからにしよう。
写真1
団地のそばで急に地面が平らになり、ゆったりと曲がる道が始まる。この道は1947年の空中写真でも確認できる。もっとも、写真の当時は畑の中の細道だったのだろうが。
写真2
道はゆったりと曲がりながら続いていく。
写真3
道はまだ続いている。この付近は小さな起伏のある地形なのだが、道はほとんど水平のようだ。
写真4
新しくできた幹線道路を渡った。まっすぐに伸びる道路がある。この道は1947年の写真でもはっきりとした道路として写っている。今は都道らしい。
写真5
都道は正面やや左に延びていて、展示にあった「もうひとつの鎌倉街道」もこの道として書かれているのだが、1947年の時点ではまだ道がない。1947年当時の道は正面やや右から奥に延びる細い道らしい。そちらへ進んでみる。
写真6
道の左は雑木交じりの竹やぶで、右は古くからの宅地のようだ。ゆったりと曲がっていて、いかにも昔からの道の雰囲気がある。どうやら、この部分の「もうひとつの鎌倉街道」はこちらの方が正しそうだ。1947年当時の道は少し先で左に曲がり、先ほどまでの道筋にもどっていた。都道は近年の道路整備で直線的に作りなおされたものだろう。今回の地図には、この部分を赤の線(A)として書き加えてある。
写真7
都道の脇のバス停前に立派な門のある家があった。古くからの邸宅なのだろうか。
写真8
都道を離れて右に下っていく道がある。こちらが「もうひとつの鎌倉街道」らしい。正面奥にはパネルの説明にもあった宝泉院がある。
写真9
道は大きくうねりながら下っていく。河岸段丘の段丘面から、大栗川が作った谷底平野に下りていく道だ。この付近は大栗川段丘と和田崖線で書いた段丘崖の端に当る。
写真10
坂を下り終わった。昔は建築中の家の前あたりを大栗川が流れていて、「もうひとつの鎌倉街道」はここで川を越えていたにちがいない。この付近の昔の大栗川の流れについては別の記事に書いた。
この先、「もうひとつの鎌倉街道」は今の大栗川を斜めに横切るように延びていたはずなのだが、宅地化が進んで昔の道はしばらくの間残っていないらしい。今回の地図に青の線で描いたように、パルテノン多摩の展示では現在の大栗川に沿うように道が延びていたと推定したようだ。しかしこの部分には1947年の時点で道がないし、この道では観蔵院に裏側から入るようになってしまう。そこで、この部分ついてはもっと多摩川寄りの部分を通る昔の道が本来の「もうひとつの鎌倉街道」だと推定し、今回の地図に赤の線(B)で描いておいた。こちらの道の風景を紹介しよう。
写真11
この道もゆったりと曲がりながら続いていく。道路の右端は暗渠になっているようだ。昔の空中写真を見ると、このあたりは水路が引かれて水田として使われていたらしい。正面に見える薄緑色の建物の手前で道は少し左に曲がっている。
写真12
道は曲がりながらまだ続いている。この付近も道の片側の歩道は暗渠のようだ。正面左に見えるビルの向こう側は聖蹟桜ヶ丘駅前の「桜通り」だ。桜通りを右に少し進むと、観蔵院の正面への入口がある。
今回はここまで。