今日は並木公園から上流側で昔の大栗川がどう流れていたかを追ってみよう。
殿田橋の近くのこのあたりだ。
昔の大栗川はここでも右へ左へと大きく蛇行して流れていたらしい。
本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
今日ご紹介する場所は宅地化が進んだためか、昔の流れを示す痕跡があまり残されていない。昔の流れを三つに色分けしたのは、昔の流れを現在の位置にあてはめる確かさの違いによる。想定する流れの位置は先日示した「蛇行する大栗川」のあと少し変更されている。
では上流側から見ていこう。オレンジで昔の大栗川の流れを示した部分だ。
写真1
オレンジの部分は昔の大栗川の流れが現在のどこに当るかの証拠がほとんどない。唯一この小さな公園だけが川であった雰囲気を残している。奥は道路なのだが、公園の地面は道路よりもだいぶ低い。いつ通っても地面は湿っている。
次は黄色の部分だ。この部分は電子国土ポータルの1983年までの航空写真に川の痕跡が明瞭に残されていて、昔の大栗川がここを流れていたことは確かなようだ。ところが、現地を歩いてみて困惑させられた。地図に黄色で示す場所は、周囲よりも高くなっているのだ。川の流れがあった場所であれば周囲よりも低いと考えるのが普通だし、実際にそうなっている場合が多い。
写真2
2~3メートル先を昔の大栗川が流れていたはずなのだが、地面はもっと先の横断歩道のあたりの方がだいぶ低い。奥は現在の大栗川だ。
写真3
この場所も3~4メートル先を昔の大栗川がながれていたと考えられるのだが、奥の交差点のあたりの方がもっと地面が低い。
写真4
このあたりの地形を観察すると、地図に赤い細線で示したこの道路が境になっているようだ。この道路の右(西側)は左(東側)よりも明らかに高くなっている。昔の大栗川がこの高くなった部分を選んで流れていた、というのは考えにくいことだ。
地図に黄色で示した流れの位置についてはもう一つ不審な点がある。それは地図に黄色のピンで示した暗渠の出口だ。この暗渠の出口は航空写真から想定した大栗川の流れと重なるのだが、よく考えるとおかしい。
この部分では昔の大栗川は南から北に向って流れていたはずなので、このピンの位置は出口ではなく入口になってしまう。ところが、現在ではこのピンの場所が水の出口になっている。
想像するところ、この部分は宅地を造成する際に広い範囲に亘って盛り土をしたのではないだろうか。電子国土ポータルの航空写真を年代ごとに比較してみると、1983年までとそれ以後では主要な道路(写真2と写真3でカメラがある道路)の位置や向きが明らかに変っている。このあたりの時期に広範囲な盛り土がされている可能性は否定できない。
最後に緑で昔の大栗川の流れを示した部分だ。
写真5
昔の大栗川は正面の保育園の右を手前から奥に向けてながれていたらしい。この保育園は開園が1976年とのことで、この場所に川の痕跡が残っている時代からこの場所にあった。したがって、この場所の同定は確実といえる。
写真6
昔の大栗川はこの前の道路の付近を左から右へ流れていたはずである。正面の道路は奥に向って上っている。
この写真の右後ろには現在の大栗川に注ぎ込む暗渠の出口があり、対岸には並木公園がある。
最後に、今日の記事で何回か参照した「電子国土ポータル」の見方を案内しておく。
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今日はここまで。
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