「河岸段丘(かがんだんきゅう、river terrace)とは、河川の中・下流域に流路に沿って発達する階段状の地形である。河成段丘(かせいだんきゅう)ともいわれる。平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ、平坦な部分を段丘面(だんきゅうめん)、急崖部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼ぶ。段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ていることが多い。」(ウィキペディアによる)
河岸段丘の低い段丘面は水が豊富で、かつては水田として利用されることが多かった。一方、高い段丘面は畑として利用されていた。段丘崖は森林となっていることが多い。
どうしてこんな話を書いているかというと、和田から東寺方にかけての大栗川の右岸に規模はごく小さいながらもはっきりした河岸段丘が形成されているような気がするからだ。
以前、国土地理院の「国土変遷アーカイブ」(トラブルがあって現在閉鎖中)で見つけた1947年の航空写真を見ると、多摩市の和田から東寺方、落川、百草の一帯はみごとなほどきれいに耕作地として利用されている。日野市百草の丘陵と現在の桜ヶ丘地区の丘陵を除くと、耕作地として利用されていないらしいのはほんの少しの面積に過ぎない。一つは大栗川そのもの、一部は住居らしく、一部は小さな川のようだ。
ところが、航空写真にはこのどれとも同定できない帯状の林のようなものが見える。今の和田中学校の東側を南北に走り、多摩第二小学校の北側を通り、東寺方小学校の南を過ぎたあたりで桜ヶ丘地区の丘陵に繋がっている。この帯状の地形の共通点として思い当たったのが「崖」だ。
和田中学校の東には急な崖があり、その崖を下る細い道を子供たちが通学に使っている。東寺方小学校の南は確か急な崖になっていたはず。多摩第二小学校に至っては、学校の中に崖があり、崖の上と下にそれぞれ校庭がある。
崖があるからその上は山かというと、そんなことはない。なだらかな土地が続いている。この地形は何なんだ?と考えてたどり着いたのが「河岸段丘ではないか」というアイデアだ。そのつもりで1947年の航空写真をよく見ると、同じ耕作地でも確かに様子が違う。大栗川の近くは水田で、それ以外は畑だと言われればそんな風にも見える。
では、実際に土地の高低はどうなっているかというと、この地図を見て欲しい。
この地図は国土地理院の提供する電子国土基本図(地図情報)ならびに基盤地図情報10m標高をデータとして用い、ソフトウェア「カシミール3D」によって描画したものである。
この地図では地面の凹凸を左上から光が当ったように陰影を付けて示している。左下の学校マーク(和田中学校)から右上の学校マーク(東寺方小学校)にむけて崖が伸びているのが分かる。これは本当に河岸段丘かもしれない、と段丘崖を想定して地図に描いてみた。緑色の線が段丘崖だ。
本日の地図はこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
この段丘崖らしきものが今どうなっているのか、歩いて確かめてみようと思う。
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