多摩市の和田で河岸段丘の段丘崖を追っている。
今回は、前回の記事のこの写真の場所について調べてみた。
地図でいうと、この場所だ。
この場所の家々が建っている地面は川岸よりも5メートルぐらい高いように見える。高蔵院のあたり(写真の左端の橋の向こう側)に段丘崖が来ていて、大栗川の整備で切り取られたように見えることから、この付近もそういう古地形ではないかと考えて、1947年の空中写真をしらべてみた。
空中写真1(1947年)
この写真は国土地理院の国土変遷アーカイブの空中写真(写真名USA-R556-No1-186)の一部を切り出したものである。
写真中央少し上の白っぽい大きな三角形の部分がこの場所なのだが、この場所は水田として耕作されていたように見える。つまり、このあたりでは一番低い場所のはずだ。少なくとも1947年の時点では。
その後どういう変遷をたどったかを同じ国土地理院の電子国土ポータルで調べてみると、1974年~1978年に撮影された写真に面白いものが写っていた。
空中写真2(1974年~1978年)
この写真は国土地理院の電子国土ポータルに掲載された空中写真(1974年~1978年撮影)の一部を切り出したものである。
この空中写真を見ると、1947年に水田だった場所がすっかり土で覆われている。大規模な盛り土が行われている最中の写真のようだ。
大栗川の周辺の大規模な盛り土については、このブログの「殿田橋付近」でも可能性を指摘している。大栗川の新しい河道を掘ると大量の土砂が出るはずで、その土砂の少なくとも一部は近所の宅地造成の盛り土として消費されたのではないだろうか。
空中写真2で盛り土されている範囲を最近の空中写真に書き込んでみたのがこちら。(新しいウインドウが開きます)
(kmzファイルはこちら。ダウンロードしてGoogle Earthで開いてください)
パノラマ写真(写真1)と比べてみると、ここで盛り土の範囲として示した部分よりも、現在地面が高くなっている部分の方が少し広いようだが、ほぼ同じと言ってもよかろう。盛り土の行われた時期が違っていて、両端部分では既に盛り土の工事が終わっていた可能性もある。
今回はここまで。
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