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憲法9条 戦争と平和

自分が生きている間に、戦争や紛争をなくしたい。理想郷ということではなくて・・・

防衛白書は違憲

2004-10-25 | 安全保障と防衛力
最新の平成16年版防衛白書は、防衛庁・自衛隊発足50周年と
いうこともあっていろいろな資料や見解が満載だと思います。

もっとも注目すできことを一つあげよということになりますと、
前防衛庁長官・石破茂氏の「刊行に寄せて」のコメントの一文を
引用しなければなりません。

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正義のない力が単なる暴力でしかないように、力に裏付けられない正義もまた無力である。
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2004/2004/index.html
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20世紀、特に第二次世界大戦まででしたら、
ひょっとすると勇ましい政治家として
国民から喝采を浴びたかもしれません。
・・・とても残念です。

石破氏はこのセンテンスを語るにあたって憲法前文を引用しています。

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 日本が憲法前文にあるように「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と欲するのであれば、国際的にいかなるシステムが必要であり、その中において日本はいかなるリスクを負担するか、を明らかにしなくてはならない。正義のない力が単なる暴力でしかないように、力に裏付けられない正義もまた無力である。
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憲法前文をどう読んでも、どのように手の込んだ解釈をしても
氏のコメントは生まれないと思います。
前文は次のように記述されています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

「正義」や「力」という事は一切記述されていません。
むしろ、正義や力を振りかざすことが、
いかに紛争や戦争を誘発してきたのかを過去から現在に渡って、
戒めとして想起し、心にきざむべき内容となっていると思います。

----------------
前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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大規模災害と安全保障

2004-10-24 | 安全保障と防衛力
安全保障は、外国の攻撃から国家を守る取り組みです。
しかし安全保障は、むしろ大災害から命を守る、
という視点にたつべきではないでしょうか。
このように発想を切り替えることが重要になってきている
と思います。
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安全保障
国外からの攻撃や侵略に対して国家の安全を保障すること。また、その体制。
出典:大辞泉
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=00644900&p=%B0%C2%C1%B4%CA%DD%BE%E3&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1
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「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書は、
基本的に軍事力による安全保障を念頭においている
わけですが、武器をいくらそろえても、
軍事訓練をいくら重ねても、災害から多くの国民を
守る事はできません。

軍事による防衛と災害対策は、一見、別の議論の
ように思えるかもしれませんが、
生命・財産を守る、という点においては、
目的は同じです。そして、統合的に考えて、
効果的に整備しておく必要があると思います。

自衛隊を軍事組織として整備するのではなく、
大災害から命を守る組織にして活用したほうが、
国民や世界各地で被災する人々にとって
メリットが多いのではないかと思います。
頼りにされ、自然と尊敬の対象になるのではないでしょうか。

阪神淡路大震災の際、いろいろな立場の方々が、
支援に取り組みました。多くの人々の命や生活を
守りました。そして、ボランティアをはじめ多くの
支援者は尊敬の対象になりました。

自衛隊が、人々にたいして本当に求めらていることを
提供する組織になった場合、北朝鮮も中国もロシアも、
テロリストもそしてイラクの人々も
日本を敵対(攻撃)の対象にしないと思います。
そのことで、日本は攻撃を受けない国になります。
結果的に「安全保障」の目的が達せられます。

私は阪神淡路大震災を取材した経験があります。
大阪からチャーター船を使って
メリケン波止場をよじのぼり、
神戸入りしました。

「市街戦がおこなわれたのか・・・」と思い絶句しました。

取材を重ねるごとに日常を超えた現実が、そこにありました。
一瞬にして、そして時間経過とともに多くの方々が亡くなりました。
一方で、自ら命を守り、地域の人々とのつながりで命を
助け合う現実がありました。行政の役割も大切でした。
当然、国の役割も大切です。

今、被災地では命を救う事がなによりも重要です。
次に、生活を守り、復興する事が大切です。
そして、冷静に、次起こるであろう災害にたいして
体制作りをして、整備を整える事が大切です。
そのための取り組みは、平和を創造することと
同じ発想と視点に立つことが大切だと思います。

憲法九条クッキー

2004-10-22 | weblog
なんのことかと思ったが、
美味しい話でした。

今年から来年にかけて憲法論議、
特に9条論議が活発になることは必死です。

運動でもあるわけですが、ビジネスチャンスと
とらえるということもできるわけですなぁ。

他に新商品がいろいろと考えられそうです。(^o^)

憲法九条クッキー

戦争要因と平和要因

2004-10-22 | weblog
戦争が起こる要因は、多岐にわたり複雑に絡んでいると思います。
時間的にも空間的にも、政治、経済、文化、民族、宗教などが
不安定要素として混在していることが多いと思います。
差別や抑圧、不平等、貧困といった切り口もあると思います。
また、交流、対話、相互理解、他者への想像力と
いった視点で関係性を確認してみると、その中に問題点が
浮き彫りになるかもしれません。

これらの問題をいろいろな立場の人々が、
よりよい方向に解決することによって、戦争を止めることができ、
戦争が起きる確率を引き下げることにつながると思います。

それを踏まえたうえでのことですが、複雑な現実を目の前にしてしまうと、
とてもじゃない、と絶望的になってしまいます。
はきりいって「宗教」一つ取ってみてもよくわからないです。
北朝鮮との問題やパレスチナの問題を、「お前は解決できるのか」と
いわれると、きっと戸惑ってしまうと思います。

よくわからないことがあると、人は専門家に、
その考えをゆだねてしまいやすいと思います。
専門家や有識者の報告や考えを参考に
するのは良いのですが、ゆだねてしまっては危険です。
テレビ等に出演している有識者(有識者といえば
「安全保障と防衛力に関する懇談会」を想起します)
の発言やメディアの論調を、「そういうこともあるかなぁ」と受け入れ、
ある時から、積極的にそれを肯定してしまうようになってしまう
恐れがあると思います。

ここまで話すと、メディア論になってしまいそうですが、タイトルの論点に戻します。

一見、さまざまな要因が複雑に絡み合っている戦争ですが、
実は、シンプルにとらえることができるのではないか、と考えるようになりました。
それは、憲法改正と教育基本法改正の動きが「教えてくれた」と思っています。
戦争の発生要因も、戦争の解決・防止手段もそこにあるのではないかと
考えたのです。

結論を言いますと、戦争要因も平和要因も
ハードとソフトの2つに絞れます。
この2つを整備して、実践すれば、戦争、平和双方実現します。
ハードは武器です。軍隊です。このハードを徹底的に否定しているのが憲法です。

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「陸海空軍その他の戦力」をもたず「国の交戦権」を認めないわけですから、
攻められることは絶対無いとはいえませんが、国が命令する戦争は絶対にありえません。

ソフトは心です。教育です。国のためなら人が殺せる心です。
国のためなら他国の人が殺されても、そのことを受容し、むしろその死を喜ぶ、
自国民であれば、怒りと共に、その死を名誉なことであるとする心です。
その心を生まないための教育を行うことを定めているのが教育基本法です。
それどころか教育基本法は戦争を解決し平和を創造する次世代を生み出す
根源的な内容となっています。

われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

「世界の平和と人類の福祉に貢献」する人々は、
攻めるかもしれない側の人々にとって貢献してくれるメリット
こそあれ、例えば殺されるなどというデメリットがなくなります。
そうすると、武器をもたない「民主的で文化的な国家」を攻めるという
動機は発生しにくい、と考えることができます。
国際的つながりが一般的になった現在、
攻めたあとの様々なデメリットを考えるはずです。

つまり、憲法と教育基本法があることで、曲がりなりにも
この国は「戦争ができる国」にならないで、戦争をしないですんだわけです。
逆の視点から見ますと、「戦争ができる国」にしたい人にとっては、
セットで改正することが最重要テーマとなります。

このブログのテーマでもありますが、
憲法と教育基本法をしっかり実践し普遍化する努力をすれば、
アジアや地球上に存在する戦争、紛争要因を削減し、
その発生リスクを低減できる、ということになると思います。
軍隊と戦争を受容する心を整備した状態よりも、
格段に戦争が発生する確率が低下すると、
多くの人が認めることができると思います。

ただ、リスクはゼロにはなりません。
そういう意味では、とても勇気のいることだと思いますし、
実践し続けなければ不安定要因はすぐにでも、もたげてくるかもしれません。

軍備軍隊を持っていない国は25カ国あるようですが、
コスタリカを良い例に、むしろ戦争リスクを回避しているのではないでしょうか。
(人種問題や環境問題などがあるようで理想国ということではありませんが)
これらの国々は戦争、内戦や軍事介入を経て軍備軍隊を持たないようしたと思います。
日本国憲法やコスタリカ憲法は戦後すぐに生まれたということもあり
参考にした国もあると思います。
大事なことは、軍隊を持たない国が少しずつですが増えてきている
ということと、そのことで戦争を回避している国々が
存在しているということです。

以上のことを考えますと、現行憲法はアメリカから押し付けられたもので、
独自に制定すべきである、とする考えがとても狭い発想に基づいているということが
わかります。日本国憲法そしてそこから導き出された教育基本法は、
多くの人々の犠牲や無念を経て、人類が獲得することができた
「戦争を回避するための知恵」と言うべきものであり、
積極的に平和を創造する人類共通の価値として、
後世に伝えていかなくてはならないものである、
との考えにたどり着くと思うからです。

憲法改正と教育基本法改正

2004-10-21 | weblog
憲法改正と教育基本法の改正は、
セットであると考えることができます。

憲法改正によって「戦争ができる国」にすることができます。
教育基本法改正によって「戦争を受容する国民」を生産することができます。

戦争を遂行するためには、兵士が必要ですし、
国益のために、兵士や国民の死を受容する「心」が
なによりも必要になります。

さきほど高橋哲哉氏のコメントを書いて、
関連のブログを調べてみると、
高橋氏が呼びかけをしているメッセージを見つけましたので、
リンクを貼ります。
http://takeyama.jugem.cc/?eid=65
↑教育基本法「改正」に反対をする意見広告を
 出す運動を高橋氏がしています。

↓そのサイトがこちら
教育基本法の改悪をとめよう! 全国連絡会
さっそくリンクさせてもらいました。

高橋哲哉氏について

2004-10-21 | weblog
行動の伴う信頼できる哲学者であると思います。

私が高橋哲哉氏を知るきっかけになったのは、
池袋ジュンク堂にヒラ積みされていた『反・哲学入門』を手にしてからです。

加藤典洋氏と高橋哲哉氏の「論争」の存在についても認識しました。
論争については、松本さんのHPにその要点がまとめれているように思います。

その後、数冊読みました。論文系はわかりにくいなぁという感想も持ちました。
非常に抽象化された言葉や日常会話ではほとんど使われない言葉が
使われているからです。その抽象的な言葉に中心的なメッセージや思想が
込められている、というケースがあるからだと思います。
その必要不可欠な用語が理解の妨げや、
物事のとらえかたの差異を生んで、
同様の思想を持った人同士でさえ論争をしてしまうのではなかろうか、
という印象も持ちました。(加藤典洋氏との論争は、違う思想ゆえの「論争」です)
哲学者といいますか専門家が表現するわけですから
その世界の専門用語を使うのは当然のことですが。

その中にあって『反・哲学入門』はインタビューに答えるという形式で、
抽象的な言葉はほとんど出てこないうえに、高橋氏の戦争や教育等に関する
基本的で重要な考え方を知ることができると、のちのち思いました。

『反・哲学入門』を最初に手にしていなかったら、
ひょっとすると高橋氏にあまり興味や好意を抱かなかったかもしれません。

一方で感じることですが、高橋氏は近年急速に、
わかりやすい言葉で表現し、行動する、
ということを意識的に行っているのではないだろうか、
と思うようになりました。

各地のセミナーや講演会に積極的に参加しているようです。
その中での発言を、いくつかWebで読むことができます。
これらの講演録は話し言葉を起こしているわけでして、
理解しやすいということも含めて参考になります。(^-^;)
「反戦の哲学」~高橋哲也さんの講演会~
「心と戦争」

高橋氏を中心に「NPO前夜」という組織を立ち上げています。
ホームページの中に掲載されている「前夜宣言」や「一点の灯」の
メッセージは、その内容に共鳴できると同時に感動的です。

NPO前夜

九条の会

2004-10-20 | weblog
九条の会」のアピール及び記者会見を読みました。
そこには、重要なメッセージと行動原理があると思いました。
その内容は特別な「知識人」の口から
出てくる言葉ということでは決してなく、
誰でも理解でき、共鳴できる内容であると感じました。

九条を基本的な連結点としながらも、
教育基本法に関する考えが大江健三郎氏の
言葉としてありました。私は賛同します。


われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

教育基本法

テレビ朝日『報道ステーション』

2004-10-19 | weblog
昨日、テレビ朝日『報道ステーション』で
「緊急シリーズ米軍再編と知られざる自衛隊」という
特集がありました。シリーズなので今夜もあります。

自衛隊や米軍、その関係者に深く入っての
リポートであると思いました。

日米同盟の関係は強固で、より発展していくことが、
両国及び極東の安定においても有益である、という主旨を土台に、
日本はすでにアメリカの世界戦略の一部に組み込まれている、
というところまで踏み込んでいたと思います。

構成としては、日米の軍事技術を映像で追うと共に、
関係者の軍事戦略にかかわる「主張」を重ねる形で展開していました。
取材をしたFディレクターがスタジオ出演し、「再編」自体が、
米国の思惑で「結論」へ向かっているのではないか、と
解釈できるコメントを米国の実際の動きを通して報告していました。
日本の意図があるかないかは別として、
極東からエリアを広げて、アメリカの軍事面における
世界戦略のなかに日本を組み込む、
という「結論」があるのではないかということです。

軍事絡みのテレビ報道は、非常に難しいと思っています。
その内容は、報道の直面する基本的なことがらではありますが・・・

取材する側としては、
・少しでも相手のフトコロに入って最新の映像と
 関係者のコメントをもらいたい。
 そのため、交渉や編集の局面で当局者の意向に
 沿うような番組になってしまう恐れがある。
・放映するテレビ局の番組プロデューサーや報道局長などの
 意向が入るか、意向を意識してしまう恐れがある。
 (スポンサーが絡むこともないわけではない)

取材される側としては、
・宣伝効果を期待する
・主張とは違う主旨への編集、スタジオ展開は避けたい
・以上のことから不都合な内容の取材はさせたくない

ということで、当たり前のことですが、
様々な条件の上に乗っかって、報道がなされます。

その昔、フジテレビ『ニュースJAPAN』という番組で
「フロントライン」シリーズというのがありました。
日米の軍事状況や安全保障に関する特集番組です。
これは当局の内部に入り込むという意味では
随一ではなかったかと思います。
編集方針としても、批判的にとらえるというよりは、
それどころか、超肯定的に描き、
日本の安全保障の状況に一石を投じる、
ぐらいの勢いがあったと思います。

超肯定的に描くという意味で私自身は批判的ではありましたが、
一方で、別の次元で、いろいろな情報は必要だな、という考えも持っています。
取材先の立場や思惑を肯定した次元でなければ、フトコロに入り、
情報を得られない、という現実があるのも事実であると思います。
つまり、いかなるメディアにたいしても中庸で客観的な情報を求めるというよりは、
様々な立場の情報が流通しているほうが、基本的には良いのでは
ないか、と私自身は考えています。

ただ、当局が不都合な部分を取材させないことや、
取材者サイドが過剰な自己規制をするというのは、
それ自体が良くないことですし、危険なことだと考えます。

一方で、映像やマスメディアの持つ力というものも批判的に考える必要があります。
イラク戦争開戦時に米国民はブッシュ大統領を熱狂的に支持ました。
その要因として、メディアの果たした役割は大きかったわけですので、
当然、批判的に検証されるべきです。
個別の番組を見ると、いろいろな立場や視点から描かれているようでも、
開戦当時の米国内の報道内容は「翼賛的」で「政府より」で
あったという反省がアメリカのメディアの中から
出てきていることからも理解ができると思います。

それは、政府の情報操作の問題やメディアサイドの自己規制、
当局の規制を受け入れた報道姿勢そのものが
危険な流れを作ってしまったわけです。

開戦に至る前の映像やコメントを
アルジャジーラやヨーロッパ各局のメディアがどのように伝えたのか、
ということを多くのアメリカ国民が知っていたら、
もう少し抑制的であったかもしれません。
国内のメディアが複眼的であることと同時に他国、他の地域のメディアを
どのように吸収するか、ということも大切なことではないかと思います。

日本に目を向けますと、テレビ局の国際部(外信部)は
アメリカやイギリスの情報をもって、
国際的な論調としてしまう傾向があると思います。
ABCやBBCを元ネタにするのは、いいことだと思いますが、
それだけではアメリカやイギリスが行っている戦争に対して、
どこまで批判的になれるのか、もしくは複眼的な情報が
集められるのか、ということになると、
「難しくなる」、という認識は持つべきだと思います。



「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書

2004-10-18 | 安全保障と防衛力
標題の報告書を読みました。
「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書 -未来への安全保障・防衛力ビジョン-

いろいろな意味で、驚くべき内容であり、残念な内容です。
情勢把握や平和に対するアプローチを間違えると、
「安全保障」と言いつつも、この国を、アジア地域を、国際社会を、
危険な状況に向かわせてしまうのではないかとの懸念を抱かされます。
平和創造に向けた、批判的、複眼的、多面的な検証がなされていないことが、
原因ではないかと考えます。それこそ、EUやコスタリカなどの取り組みを
少しでも参考にしていれば、これほど視野の狭い報告書にはならなかったと思います。
資料を作成している防衛庁と外務省(だと思います)のスタッフが、
中国、ロシア、韓国等との軍関係者や外交関係者と友好的交流、
安全保障に関する情報交換を積極的に行なっていれば、
(非現実的でしょうか? ならば各国政府との友好的交流、・・・だけでもかまいません)
もしくは懇談会のメンバーに世界各国の安全保障に関する見識があれば、
これほど極端なアメリカ偏重の発想は生まれないはずです。

「現行憲法の枠内」で各種の提言を行っていると「付言」の
中で述べていますが、多くの前提が憲法違反となっているように思えます。
または、憲法解釈を歪めすぎて、黒を白と言い切って、
何の疑いも持っていない報告書ということができます。
いくつか、平和を鑑みた文脈やその名残があったりしますが、
その平和主義的な発想を踏み台にして、論が展開しています。

基本的に、憲法の前文や9条に書かれている理念や具体的内容、
これはそれこそこの懇談会を指示している首相に下された「命令」と言ってもいいわけです。
日本の中心的国是と言っていい内容
(例えば、「・・・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」)
を、根本から無視できるように記述された報告書であると言われても
仕方のないものであると感じました。
[軍事力]を「防衛力」と言葉を置き換えても、
中身や実態から判断すべきで、これは許されるものではありません。

ありえることではないのですが、小泉首相がこの報告書を読んで、
「荒木さん(座長)、これ憲法違反が多いし、こんな発想ややり方じゃ
 むしろテロを招いたり、世界の平和にはなりませんなぁ。やり直し!」
ぐらい言わなくてはならないと思います。
まぁ、無理ですけど。報告書に首相の「リーダーシップ」というのが、
繰り返し出てくるのですが、これほど、はき違えると危険な
「リーダーシップ」はないのではないのでしょうか。

そうは言いましても、公的にオーソライズされ、この報告書が
今後の安全保障のあり方、「付言」にも述べられていますように、
「憲法問題」(つまり憲法改正)に直接、間接的に関係しますので、
一国民として、内容を把握しておきたいと思います。

論点を押さえながら、考えを述べたいと思います。

「報告書」は、安全保障に関して、戦略性を持つことを重視しています。
「統合的安全保障戦略」という言葉に表れいるのですが、
これは、基本的には国家のあらゆる機能を[全体最適化]を
することによって、「安全保障」を効率的にすることを目指しています。
企業活動で導入が進んでいるERPといえます。
ERPの本質は部分最適を全体最適にすること、なのですが、
さすがに[全体]という言葉は抵抗を生むと思われて抜いたのかもしれません。
しかし、「報告書」の中身は一貫して、国の[全体最適化]を提言している、
と読むことができます。

つまり、[この国の全体最適化]がこの「報告書」の目指しているビジョンです。

ITを充分活用しつつ、縦割りの横断化、セクショナリズムの排除、
異なる組織(例えば海上自衛隊と海上保安庁など自衛隊と治安担当機関)の連携
及び首相を頂点とした(民間企業、地方自治体そして国民の参加を含む)命令の一元化を
進めることが目的化されています。

効率的であるためには、ハード面における防衛技術の
「選択と集中」(この言葉は「装備・技術基盤改革」で使われています)
を徹底させ、(米国との)連携及び(米国への)アウトソーシングの
有効性を唱えているといえます。
※アウトソーシングは企業戦略の選択肢として、どちらかと言うと良い意味で
 使われているのですが、ここでは[単なる依存]と言ったほうが適切かもしれません。

「統合的安全保障戦略」における目標は2つ。
①日本防衛、②国際的安全環境の改善による脅威の予防、
です。
そして、この目標を達成するためのアプローチは3つ。
①日本自身の努力、②同盟国との協力、③国際社会との協力、
で、このアプローチを適切に組み合わせることとしています。

すべてはここが出発点になっています。

つづく


※[ ]は本文にない言葉 



イラク戦争支持の正当性、首相が改めて強調

2004-10-15 | weblog
「イラクが12年間、国連安保理決議に違反し続け、
最後まで国際社会の真摯(しんし)な努力に応えなかった、
との認識に基づくものだ。過ちではない」
(10月13日 衆院本会議での小泉首相発言)

戦争支持の理由としては、認められなし、
あらためて首相の行為そのものが憲法違反である、
と指摘できると私は思います。

・戦争そのものに正当な戦争はない
 (正当な戦争を認めない政治を行うことが大切であると考えます)
・戦争による「解決」は、日本国憲法の理念に反する
・安保理、総会等の決議違反を開戦の理由にすることに問題が多すぎる
 パレスチナ問題など事態がより深刻化する
 (ダブルスタンダードの問題もあります)
・国連そのものを絶対善ととらえるには問題が多すぎる
 (国連は尊重すべきですが、過ちが多すぎます。
  基本的人権や民主主義といった基本原理を尊重した上で、
  国連や他国との関係を尊重しなくては、戦争への選択肢が残されます。
  今回のように、国連や国家を尊重しすぎると戦争が肯定されいてしまいます。)
・日米軍事同盟を是とするのはあまりにも問題が多すぎる

「国際社会の真摯(しんし)な努力に応えなかった」ことが
開戦理由で、イラク市民・兵士、米英兵士、その他の地域の人々が
多く死んでいったことを考えると、残念で残念でなりません。
それを肯定する首相の考えや政治決断はめちゃくちゃです。

10月13日にコメントを書きましたが、
当初、表明していた多くの戦争支持理由の
根拠が失われたわけですので、しっかりした手続き(プロセス)を経て、
より正しいと思える状態に「回復」をすべきであると考えます。
日本政府及び私たちにはその責任が発生してしまった、と考えます。

例えがヘンかもしれませんが、
殺人容疑を「黙秘した」ことが、死刑執行の正当な理由である、
と言っているようなもので、到底認めることができません。

この戦争で、多くの「不信」と「怨念」を生み出し、
今後、数十年にわたって多くの無駄な殺戮が再生産される
ということを考えるとやるせないです。


イラク戦争支持の正当性、首相が改めて強調
出典:YOMIURI ON-LINE
小泉首相は13日の衆院本会議での代表質問で、米国などによるイラク戦争を日本が支持したことについて、「イラクが12年間、国連安保理決議に違反し続け、最後まで国際社会の真摯(しんし)な努力に応えなかった、との認識に基づくものだ。過ちではない」と述べ、正当性を改めて強調した。

「長生きして、世界がもっと平和になるのを見たい」

2004-10-14 | weblog
「長生きして、世界がもっと平和になるのを見たい」

う~ん。このブログのサブタイトルと一緒。
しかも、発言者はおそらくこの地球で一番長生きしている方。
なんと、素敵なコメントでしょう!
マリア・オリビアさん 長生きなさって下さい。

ブラジルに「124歳」女性 ギネス記録10歳上回る
http://www.asahi.com/international/update/1014/005.html
出典:asahi.com

小泉首相の表明とコスタリカの実践

2004-10-13 | コスタリカ
「米国の武力行使開始を理解し、支持いたします」

私はこれほど明確な戦争支持の表明を、
日本の首相が行ったことに衝撃を受けました。
憲法の理念を真正面から、ここまでやすやすと踏みにじる
最高権力者がいまだかつていただろうか? と。

これより、暗澹たる思いが続くわけですが、
理由としては、私が報道ディレクターの端くれであったこともあり、
まずは当時の記者会見の中身(ジャーナリズムの死が見てとれます)、
そしてその後も連綿と続く報道の中身です。
本質的な批判を加えない報道が繰り返され、
結果として政治に加担し、世論をミスリードした側面が
強かったのではないかと考えています。
※記者会見の中身は出典からご覧下さい

あらためて、記者会見の中身を読むと、イラク戦争における
「理解、支持」の根拠は、概ね次の3点に集約されます。
1,イラクが国連決議を「愚弄」したこと
  (大量破壊兵器を所有している可能性が高いこと)
2,大量破壊兵器の脅威を取り除く必要があること
3,9.11後の、テロの脅威を取り除くこと
  (テロ支援国家である可能性が高いこと)
当時、国連決議をめぐり、開戦の正当性が語られ、
本質的には「脅威」を排除し、「自由」をもたらす
正義の戦争であることが語られました。

そして現在、開戦の正当性は大きく変わり、揺らぎました。
正確には今なお大量破壊兵器及びテロとの関連を
認めることのできる証拠は提示されていないということです。
そして最終報告がなされています。
出典:「イラクに大量破壊兵器の備蓄なし」米調査団が最終報告
http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200410070148.html

私はここで、コスタリカの事例を引き合いにしたいと思います。
それはコスタリカの最近の動向から多くのことを学べる、と考えるからです。
「政治における意思決定プロセス」の重要性がよくわかります。

イラク戦争が勃発して、コスタリカはアメリカの開戦を支持しました。
イラク戦争を支持する「有志連合」のリストに加わります。
ところが、コスタリカの大学生がこの政府の行為を「違憲」であると
訴え、最高裁判所が違憲判決を下しました。
違憲判決を受けて「有志連合」のリストからの削除を米政府に外交文書で
要請するに至っています。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20040910AT2M1000T10092004.html

私は、常備軍を持たないコスタリカに最近注目していたのですが、
イラク戦争支持表明に関しては、残念なことであると考えていたのです。
実は、残念だと思っていたのはコスタリカ国民自身であり、
しっかりと「復元」しているではないですか。
これは学ぶべきです。政治的な意思決定に対して、
チェックができるプロセスがあり、それを機能させる、ということをです。
そこには本当の意味での民主主義があり、完璧な「平和」ではないが、
平和への状態を回復する重要な機能であると考えることができます。
間違いを修正する勇気や間違いを修正する機能を持つということを、
私たちの意思決定のプロセスの中に入れていかなくてはならないと考えます。

小泉首相の表明は、憲法の前文及び9条に記されている
根源的なる理念に対する違反であり、
99条の憲法尊重擁護の義務違反にあたります。
この発言から以降の政府の諸決定を改めて検証し、
間違いは修正し「復元」すべきである、と考えます。


出典:小泉総理大臣記者会見
   [イラク問題に関する対応について]
   2003年3月20日
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/03/20kaiken.html

憲法9条 戦争と平和

2004-10-12 | はじめに
誰しも、殺されたくはないし殺したくはない。
しかし現実には、殺される人々がいるし、殺す人々がいる。
繰り返し、何度も、今も、殺し合いが行われている。

この「現実」を回避するために、少しでも回避するために、
何ができるのかを考えてみたい。

憲法9条を改正し、「戦争の放棄」を事実上、放棄する。
他国から攻められないために、テロからの攻撃を防ぐために、
「戦争ができる国」にする。
現実に戦争や紛争がおこっているのだから、
ちゃんと守れるようにする(戦争ができるようにする)。

教育基本法を改正し、「国を愛する心」を浸透させる。
国益のため、やむを得ない戦争があるのであれば、
その戦争を受容する国民の心が必要になる(愛国心を形成する)。

ひょっとするとこの発想そのものが、
戦争を現実のものにしているのではないだろうか。

どのような理念を持ち、実践し、受け継ぐことが必要なのか。
それを考える。それを考え続けなければならない。