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憲法9条 戦争と平和

自分が生きている間に、戦争や紛争をなくしたい。理想郷ということではなくて・・・

武装解除と暴力装置

2005-01-06 | 安全保障と防衛力
『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治著を読みました。伊勢崎氏は東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮しています。暴力装置としての軍隊を考える上で非常に参考になります。秩序を回復(創造)し、維持していくための厳然とした現実の一端を教えてくれます。

抗争が常態化し、市民への殺戮が日常的に行われている無秩序状態から、いかにして秩序を回復していくのか。そうした現実に身を投じた伊勢崎氏は次のように指摘しています。

平和維持活動は「抑止力」である、と。

また、平和維持活動は「戦争」ではない、と指摘しています。ここは微妙な内容を含むと私は思います。平和維持軍を平和回復、平和維持のために使っている、ということですが暴力装置であることに変わりはないからです。慎重に状況を把握し、論旨を理解しなくては、軍隊そのものの常態化、肥大化を肯定することになりかねないからです。

伊勢崎氏が実践しきた秩序回復のプログラムはDDRというプログラムに示されます。

D:Disarmament 武装解除
D:Demobilization 動員解除
R:Reintegratin 社会再統合

武装解除、動員解除、社会再統合の順序で行う必要性を説くと同時に、平和維持軍(武装)による抑止と非武装による対話、交渉による秩序回復を行っています。状況としては、無秩序状態であり、紛争がいつでも再発しかねない状態である、ということを押さえることができます。また一方で、スタッフや自らの命を極限にさらしながらも、泥臭い政治的な決断を遂行しなくてはならない困難なミッションであることが語られています。きれい事では語れない現実の中の、実際に行われている武装解除である、と理解することができます。

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通常、敵対武装勢力を武装解除するには、銃をおろしても双方に安全が保障される環境を作らなければならない。それには大量の中立な軍を投入することによって抑止力とすることが一般的な考え方だ。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.166
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この「抑止力」という言葉は、自衛隊を維持、肥大化していった論理でも使用されています。「力の空白をつくらない」と政治家は語り、白書にも記述されています。似ているようですが、ここは慎重であるべきだと思います。核の傘や米軍、ましてや自衛隊の肥大化が「抑止力」である、と解釈してはいけません。日本が行っている軍備増強は憲法違反そのものであり、もはや近隣諸国に対する「脅威」「威嚇」であると判断すべきです。

「抑止力」としての「軍」(暴力装置)が求められたのは、隣国で言いますと「38度線」を指摘できるのではないでしょうか。もっともらしいがゆえに自衛隊が常態化し、肥大化し極東最大の軍事力(脅威)を持つに至った事実を、私たちは直視しなくてはならないと思います。

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イラクをはじめ、日本の自衛隊の派兵は、この現場でのシビリアン・コントロールの確保に敏感になるべきだ。平和憲法を戴く日本は、他国以上に敏感になる責任があると思う。イラクにおいて、イラク暫定政府からも。国連ミッションからも司令を受けない、そして連合国占領統治国(CPA)もなくなった後の米主導のシビリアン・コントロールは? 自衛隊は軍隊じゃなく人道援助団体だから、シビリアン・コントロールはいらないなんて言い訳が聞こえそうであるが、勘弁していただきたい。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.165
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ここで重要なのは、秩序回復、維持のための暴力装置の必要性を説きつつ、そのシビリアン・コントロールが言わずもがなの前提である、ということです。日本のやっている事は、その前提がめちゃくちゃになっていることを指摘しています。シビリアン・コントロールが効かない要因としては次の3つを挙げています。

・(違憲行為を行い続ける)現在の政治状況
・(情報収集能力、決断能力がない)日本の外交能力
・大本営化したジャーナリズム

この内容を指摘した上で、次のように結んでいます。

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日本全体としての「軍の平和利用能力」を観た場合、憲法特に第九条には、愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。
日本の浮遊世論が改憲に向いている時だから、敢えて言う。
現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない。
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『武装解除 紛争屋が見た世界』

最初の一発目は部隊判断で

2004-11-30 | 安全保障と防衛力
迎撃ミサイル発射の際に閣議決定などを省略するという考え方が出てきました。大野防衛長官は、ミサイル攻撃を受けそうな場合には「権限を現場に付与するしかないと思う」と述べています。ついに出てきた、という印象を受けると同時に、「防衛」といいながら歯止めが効かない状況に突き進んできている、と言わざるを得ません。

簡単に言うと、(戦争が勃発する際の、)最初の一発は部隊判断ができるように、(文民による)法整備を行いましょう、と言っているのです。

文民統制の重大な「放棄」を意味しています。こんな危険な発言をする大野功統氏には防衛庁長官を辞めてもらわなくてはならないと思います。ただ事ではありません。

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 事前承認の方法に関しては「ミサイルを撃ってくる場合、相手国の意思などがわかる。燃料を注入したり、ミサイルが立ってくるという状態もわかる。その段階で、(相手国がミサイルを発射した場合に迎撃する)事前承認を与える」と述べた。
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引用:YOMIURI ON-LINE 部隊判断で迎撃ミサイル発射を検討…防衛長官

この理屈は、簡単です。
ミサイル攻撃に対処するために、弾道ミサイル防衛システムを整備しようとしています。問題として、飛んでくるミサイルの滞空時間が短く、現場に指示を出すまでに打ち込まれてしまうことが想定される。だったら現場に判断させて迎撃ミサイルを発射してもらうしかない、そのための法整備をしておこう、というものです。

現場(軍部)の暴走を生む、制度として整備してしまう可能があります。
弾道ミサイル防衛システムは、現場(軍部)主導で、文民統制を否定するシステムであるともいえます。「防衛」のためなら「文民統制」を放棄します、と防衛庁長官が言い出したのです。

次に、「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書の記述です。
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ミサイル攻撃に対処するため他に手段がなくやむを得ない措置としていわゆる策源地への攻撃能力を持つことが適当か否かについては、米国による抑止力の有効性、ミサイル防衛システムの信頼性等の観点から慎重に検討するとともに、費用対効果や周辺諸国に与える影響等も踏まえ、総合的に判断すべきである。
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注:策源地 戦地で、前線の部隊に対し、物資の補給などの兵站(へいたん)活動を行う後方基地。

この文章の意味するところを詳しく聞きたいところですが、敵国に攻撃をすることを検証したいとしていることは間違いないと思います。この文章は、「2 新たな防衛力の体制」の項目の下の「(2)防衛力の具体的な構成」の下の「オ ミサイル防衛」の項目に記述されている文章です。想定される状況は、

①ミサイルを打ち込まれたため、策源地への攻撃を行う(報復、自衛攻撃)
②ミサイル攻撃が火急の事態として想定されるので、策源地への攻撃を行う(専制攻撃)

といったところでしょうか。

いずれにしても「防衛」といいながら敵国に攻撃を行うことを想定しており、これは、戦争です。
迎撃ミサイルの発射を現場(軍部)の判断で行うことを認めた先には、実は、似たような状況下における「防衛」という名の攻撃を想定していることを念頭において置く必要があります。

経団連の「選択と集中」

2004-11-29 | 安全保障と防衛力
経団連は1995年に出した「新時代に対応した防衛力整備計画の策定を望む」を皮切りに、防衛産業の拡大、充実を提案するようになっています。2004年7月に出した「今後の防衛力整備のあり方について」では、武器輸出三原則の緩和など踏み込んだ提言をしています。その中で、「選択と集中」という経営用語が出てきます。この「選択と集中」という言葉は、東京電力顧問の荒木浩氏が座長を務めた「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書にも出てきます。ここでは経団連の記述を引用します。

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わが国では、厳しい財政状況を背景として、防衛装備予算は年々減少の傾向にある。さらに、ミサイル防衛システムという新たな装備の導入に伴い、従来の装備に対し、「選択と集中」が強く求められている。

装備・技術の選択と集中
厳しい財政状況の中で、安全保障環境の変化や技術進歩に対応した装備・技術の整備を図るために一層の「選択と集中」が避けられない状況となっている。
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「選択と集中」とは、有限である経営資源の中から強みを選択し、その部分に集中することによって、市場における競争優位を確立しようとする経営戦略を意味しています。自社の強みを確定するためには、外部環境における機会や脅威を把握し考慮する必要も出てきます。つまり、経団連が「選択と集中」を提言するにあたってどのような分析をしたのかが浮かび上がってきます。

まず、経団連は戦争や人道復興支援は機会である、と捉えています。武器輸出三原則の緩和を求めるところに端的に示されているわけですが、戦争そのものをビジネスチャンスと捉えています。アメリカは武器消費大国ですから、日本が輸出した武器をアメリカが使用するということは当然のことと考える必要があります。また、各国の共同プロジェクトに参画しないことは技術的な後退を招くということで脅威につながる、という認識を示しています。そして、強みは、大企業から中小企業にまで及ぶ技術力です。ハイテクやものづくり力、ということが言えます。

もう一段、広い視点に立った戦略の方向性はグローバル化する市場に対応することと言えます。防衛産業市場において競争優位を保ちたい、と言っているのです。

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昨今、ITを中心として、高度化する民生技術が防衛技術として活用される事例が増えており、わが国が優位性を持つ民生技術を国民の安心・安全に積極的に利活用していくことが重要である。わが国発の技術を用いて、国際社会への貢献を図ることは、高度な技術・経済力を持つわが国にとって、国際的に果たすべき安全保障上の一つの使命でもあろう。
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ここで私は経団連の方々に伺いたい。そして考え直していただきたい。

あなた方は、グローバル化した武器市場で日本の防衛産業の競争力を高めたいと提言しています。まずはアメリカから輸出したいと言っているし、儲けたいといっています。「国民の安心・安全」のために武器を開発し、輸出したいと言っています。そのために、国策としての「選択と集中」を提言しています。

「選択」するということは何かを「選択しない」ということです。「棄(す)てる」ということです。
何を棄てるとお考えですか?

考え直していただきたいし、思いとどまっていただきたいので、当たり前のことをあえて申します。これまで日本が日本の商人が守り続けてきた「哲学」であり「倫理観」です。それは、「戦争と商売を決して結び付けない」、という哲学であり倫理観です。あなた方が棄てるといっているのは、あなた方自身が、あなた方の先輩が守り続けてきた商売魂そのものです。

◆関連記事
弾道ミサイル防衛システムの危険性
武器輸出三原則等

◆参考資料
経団連作成資料
自衛隊海外派遣「民軍協力」構築を 経済同友会が意見書 恒久法制定求める
防衛計画の大綱」骨格・武器輸出3原則の緩和盛る
NRI経営用語の基礎知識「選択と集中」

防衛白書は違憲

2004-10-25 | 安全保障と防衛力
最新の平成16年版防衛白書は、防衛庁・自衛隊発足50周年と
いうこともあっていろいろな資料や見解が満載だと思います。

もっとも注目すできことを一つあげよということになりますと、
前防衛庁長官・石破茂氏の「刊行に寄せて」のコメントの一文を
引用しなければなりません。

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正義のない力が単なる暴力でしかないように、力に裏付けられない正義もまた無力である。
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2004/2004/index.html
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20世紀、特に第二次世界大戦まででしたら、
ひょっとすると勇ましい政治家として
国民から喝采を浴びたかもしれません。
・・・とても残念です。

石破氏はこのセンテンスを語るにあたって憲法前文を引用しています。

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 日本が憲法前文にあるように「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と欲するのであれば、国際的にいかなるシステムが必要であり、その中において日本はいかなるリスクを負担するか、を明らかにしなくてはならない。正義のない力が単なる暴力でしかないように、力に裏付けられない正義もまた無力である。
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憲法前文をどう読んでも、どのように手の込んだ解釈をしても
氏のコメントは生まれないと思います。
前文は次のように記述されています。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」

「正義」や「力」という事は一切記述されていません。
むしろ、正義や力を振りかざすことが、
いかに紛争や戦争を誘発してきたのかを過去から現在に渡って、
戒めとして想起し、心にきざむべき内容となっていると思います。

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前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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大規模災害と安全保障

2004-10-24 | 安全保障と防衛力
安全保障は、外国の攻撃から国家を守る取り組みです。
しかし安全保障は、むしろ大災害から命を守る、
という視点にたつべきではないでしょうか。
このように発想を切り替えることが重要になってきている
と思います。
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安全保障
国外からの攻撃や侵略に対して国家の安全を保障すること。また、その体制。
出典:大辞泉
http://dic.yahoo.co.jp/bin/dsearch?index=00644900&p=%B0%C2%C1%B4%CA%DD%BE%E3&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1
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「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書は、
基本的に軍事力による安全保障を念頭においている
わけですが、武器をいくらそろえても、
軍事訓練をいくら重ねても、災害から多くの国民を
守る事はできません。

軍事による防衛と災害対策は、一見、別の議論の
ように思えるかもしれませんが、
生命・財産を守る、という点においては、
目的は同じです。そして、統合的に考えて、
効果的に整備しておく必要があると思います。

自衛隊を軍事組織として整備するのではなく、
大災害から命を守る組織にして活用したほうが、
国民や世界各地で被災する人々にとって
メリットが多いのではないかと思います。
頼りにされ、自然と尊敬の対象になるのではないでしょうか。

阪神淡路大震災の際、いろいろな立場の方々が、
支援に取り組みました。多くの人々の命や生活を
守りました。そして、ボランティアをはじめ多くの
支援者は尊敬の対象になりました。

自衛隊が、人々にたいして本当に求めらていることを
提供する組織になった場合、北朝鮮も中国もロシアも、
テロリストもそしてイラクの人々も
日本を敵対(攻撃)の対象にしないと思います。
そのことで、日本は攻撃を受けない国になります。
結果的に「安全保障」の目的が達せられます。

私は阪神淡路大震災を取材した経験があります。
大阪からチャーター船を使って
メリケン波止場をよじのぼり、
神戸入りしました。

「市街戦がおこなわれたのか・・・」と思い絶句しました。

取材を重ねるごとに日常を超えた現実が、そこにありました。
一瞬にして、そして時間経過とともに多くの方々が亡くなりました。
一方で、自ら命を守り、地域の人々とのつながりで命を
助け合う現実がありました。行政の役割も大切でした。
当然、国の役割も大切です。

今、被災地では命を救う事がなによりも重要です。
次に、生活を守り、復興する事が大切です。
そして、冷静に、次起こるであろう災害にたいして
体制作りをして、整備を整える事が大切です。
そのための取り組みは、平和を創造することと
同じ発想と視点に立つことが大切だと思います。

「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書

2004-10-18 | 安全保障と防衛力
標題の報告書を読みました。
「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書 -未来への安全保障・防衛力ビジョン-

いろいろな意味で、驚くべき内容であり、残念な内容です。
情勢把握や平和に対するアプローチを間違えると、
「安全保障」と言いつつも、この国を、アジア地域を、国際社会を、
危険な状況に向かわせてしまうのではないかとの懸念を抱かされます。
平和創造に向けた、批判的、複眼的、多面的な検証がなされていないことが、
原因ではないかと考えます。それこそ、EUやコスタリカなどの取り組みを
少しでも参考にしていれば、これほど視野の狭い報告書にはならなかったと思います。
資料を作成している防衛庁と外務省(だと思います)のスタッフが、
中国、ロシア、韓国等との軍関係者や外交関係者と友好的交流、
安全保障に関する情報交換を積極的に行なっていれば、
(非現実的でしょうか? ならば各国政府との友好的交流、・・・だけでもかまいません)
もしくは懇談会のメンバーに世界各国の安全保障に関する見識があれば、
これほど極端なアメリカ偏重の発想は生まれないはずです。

「現行憲法の枠内」で各種の提言を行っていると「付言」の
中で述べていますが、多くの前提が憲法違反となっているように思えます。
または、憲法解釈を歪めすぎて、黒を白と言い切って、
何の疑いも持っていない報告書ということができます。
いくつか、平和を鑑みた文脈やその名残があったりしますが、
その平和主義的な発想を踏み台にして、論が展開しています。

基本的に、憲法の前文や9条に書かれている理念や具体的内容、
これはそれこそこの懇談会を指示している首相に下された「命令」と言ってもいいわけです。
日本の中心的国是と言っていい内容
(例えば、「・・・前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」)
を、根本から無視できるように記述された報告書であると言われても
仕方のないものであると感じました。
[軍事力]を「防衛力」と言葉を置き換えても、
中身や実態から判断すべきで、これは許されるものではありません。

ありえることではないのですが、小泉首相がこの報告書を読んで、
「荒木さん(座長)、これ憲法違反が多いし、こんな発想ややり方じゃ
 むしろテロを招いたり、世界の平和にはなりませんなぁ。やり直し!」
ぐらい言わなくてはならないと思います。
まぁ、無理ですけど。報告書に首相の「リーダーシップ」というのが、
繰り返し出てくるのですが、これほど、はき違えると危険な
「リーダーシップ」はないのではないのでしょうか。

そうは言いましても、公的にオーソライズされ、この報告書が
今後の安全保障のあり方、「付言」にも述べられていますように、
「憲法問題」(つまり憲法改正)に直接、間接的に関係しますので、
一国民として、内容を把握しておきたいと思います。

論点を押さえながら、考えを述べたいと思います。

「報告書」は、安全保障に関して、戦略性を持つことを重視しています。
「統合的安全保障戦略」という言葉に表れいるのですが、
これは、基本的には国家のあらゆる機能を[全体最適化]を
することによって、「安全保障」を効率的にすることを目指しています。
企業活動で導入が進んでいるERPといえます。
ERPの本質は部分最適を全体最適にすること、なのですが、
さすがに[全体]という言葉は抵抗を生むと思われて抜いたのかもしれません。
しかし、「報告書」の中身は一貫して、国の[全体最適化]を提言している、
と読むことができます。

つまり、[この国の全体最適化]がこの「報告書」の目指しているビジョンです。

ITを充分活用しつつ、縦割りの横断化、セクショナリズムの排除、
異なる組織(例えば海上自衛隊と海上保安庁など自衛隊と治安担当機関)の連携
及び首相を頂点とした(民間企業、地方自治体そして国民の参加を含む)命令の一元化を
進めることが目的化されています。

効率的であるためには、ハード面における防衛技術の
「選択と集中」(この言葉は「装備・技術基盤改革」で使われています)
を徹底させ、(米国との)連携及び(米国への)アウトソーシングの
有効性を唱えているといえます。
※アウトソーシングは企業戦略の選択肢として、どちらかと言うと良い意味で
 使われているのですが、ここでは[単なる依存]と言ったほうが適切かもしれません。

「統合的安全保障戦略」における目標は2つ。
①日本防衛、②国際的安全環境の改善による脅威の予防、
です。
そして、この目標を達成するためのアプローチは3つ。
①日本自身の努力、②同盟国との協力、③国際社会との協力、
で、このアプローチを適切に組み合わせることとしています。

すべてはここが出発点になっています。

つづく


※[ ]は本文にない言葉