『武装解除 紛争屋が見た世界』伊勢崎賢治著を読みました。伊勢崎氏は東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮しています。暴力装置としての軍隊を考える上で非常に参考になります。秩序を回復(創造)し、維持していくための厳然とした現実の一端を教えてくれます。
抗争が常態化し、市民への殺戮が日常的に行われている無秩序状態から、いかにして秩序を回復していくのか。そうした現実に身を投じた伊勢崎氏は次のように指摘しています。
平和維持活動は「抑止力」である、と。
また、平和維持活動は「戦争」ではない、と指摘しています。ここは微妙な内容を含むと私は思います。平和維持軍を平和回復、平和維持のために使っている、ということですが暴力装置であることに変わりはないからです。慎重に状況を把握し、論旨を理解しなくては、軍隊そのものの常態化、肥大化を肯定することになりかねないからです。
伊勢崎氏が実践しきた秩序回復のプログラムはDDRというプログラムに示されます。
D:Disarmament 武装解除
D:Demobilization 動員解除
R:Reintegratin 社会再統合
武装解除、動員解除、社会再統合の順序で行う必要性を説くと同時に、平和維持軍(武装)による抑止と非武装による対話、交渉による秩序回復を行っています。状況としては、無秩序状態であり、紛争がいつでも再発しかねない状態である、ということを押さえることができます。また一方で、スタッフや自らの命を極限にさらしながらも、泥臭い政治的な決断を遂行しなくてはならない困難なミッションであることが語られています。きれい事では語れない現実の中の、実際に行われている武装解除である、と理解することができます。
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通常、敵対武装勢力を武装解除するには、銃をおろしても双方に安全が保障される環境を作らなければならない。それには大量の中立な軍を投入することによって抑止力とすることが一般的な考え方だ。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.166
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この「抑止力」という言葉は、自衛隊を維持、肥大化していった論理でも使用されています。「力の空白をつくらない」と政治家は語り、白書にも記述されています。似ているようですが、ここは慎重であるべきだと思います。核の傘や米軍、ましてや自衛隊の肥大化が「抑止力」である、と解釈してはいけません。日本が行っている軍備増強は憲法違反そのものであり、もはや近隣諸国に対する「脅威」「威嚇」であると判断すべきです。
「抑止力」としての「軍」(暴力装置)が求められたのは、隣国で言いますと「38度線」を指摘できるのではないでしょうか。もっともらしいがゆえに自衛隊が常態化し、肥大化し極東最大の軍事力(脅威)を持つに至った事実を、私たちは直視しなくてはならないと思います。
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イラクをはじめ、日本の自衛隊の派兵は、この現場でのシビリアン・コントロールの確保に敏感になるべきだ。平和憲法を戴く日本は、他国以上に敏感になる責任があると思う。イラクにおいて、イラク暫定政府からも。国連ミッションからも司令を受けない、そして連合国占領統治国(CPA)もなくなった後の米主導のシビリアン・コントロールは? 自衛隊は軍隊じゃなく人道援助団体だから、シビリアン・コントロールはいらないなんて言い訳が聞こえそうであるが、勘弁していただきたい。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.165
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ここで重要なのは、秩序回復、維持のための暴力装置の必要性を説きつつ、そのシビリアン・コントロールが言わずもがなの前提である、ということです。日本のやっている事は、その前提がめちゃくちゃになっていることを指摘しています。シビリアン・コントロールが効かない要因としては次の3つを挙げています。
・(違憲行為を行い続ける)現在の政治状況
・(情報収集能力、決断能力がない)日本の外交能力
・大本営化したジャーナリズム
この内容を指摘した上で、次のように結んでいます。
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日本全体としての「軍の平和利用能力」を観た場合、憲法特に第九条には、愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。
日本の浮遊世論が改憲に向いている時だから、敢えて言う。
現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない。
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『武装解除 紛争屋が見た世界』
抗争が常態化し、市民への殺戮が日常的に行われている無秩序状態から、いかにして秩序を回復していくのか。そうした現実に身を投じた伊勢崎氏は次のように指摘しています。
平和維持活動は「抑止力」である、と。
また、平和維持活動は「戦争」ではない、と指摘しています。ここは微妙な内容を含むと私は思います。平和維持軍を平和回復、平和維持のために使っている、ということですが暴力装置であることに変わりはないからです。慎重に状況を把握し、論旨を理解しなくては、軍隊そのものの常態化、肥大化を肯定することになりかねないからです。
伊勢崎氏が実践しきた秩序回復のプログラムはDDRというプログラムに示されます。
D:Disarmament 武装解除
D:Demobilization 動員解除
R:Reintegratin 社会再統合
武装解除、動員解除、社会再統合の順序で行う必要性を説くと同時に、平和維持軍(武装)による抑止と非武装による対話、交渉による秩序回復を行っています。状況としては、無秩序状態であり、紛争がいつでも再発しかねない状態である、ということを押さえることができます。また一方で、スタッフや自らの命を極限にさらしながらも、泥臭い政治的な決断を遂行しなくてはならない困難なミッションであることが語られています。きれい事では語れない現実の中の、実際に行われている武装解除である、と理解することができます。
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通常、敵対武装勢力を武装解除するには、銃をおろしても双方に安全が保障される環境を作らなければならない。それには大量の中立な軍を投入することによって抑止力とすることが一般的な考え方だ。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.166
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この「抑止力」という言葉は、自衛隊を維持、肥大化していった論理でも使用されています。「力の空白をつくらない」と政治家は語り、白書にも記述されています。似ているようですが、ここは慎重であるべきだと思います。核の傘や米軍、ましてや自衛隊の肥大化が「抑止力」である、と解釈してはいけません。日本が行っている軍備増強は憲法違反そのものであり、もはや近隣諸国に対する「脅威」「威嚇」であると判断すべきです。
「抑止力」としての「軍」(暴力装置)が求められたのは、隣国で言いますと「38度線」を指摘できるのではないでしょうか。もっともらしいがゆえに自衛隊が常態化し、肥大化し極東最大の軍事力(脅威)を持つに至った事実を、私たちは直視しなくてはならないと思います。
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イラクをはじめ、日本の自衛隊の派兵は、この現場でのシビリアン・コントロールの確保に敏感になるべきだ。平和憲法を戴く日本は、他国以上に敏感になる責任があると思う。イラクにおいて、イラク暫定政府からも。国連ミッションからも司令を受けない、そして連合国占領統治国(CPA)もなくなった後の米主導のシビリアン・コントロールは? 自衛隊は軍隊じゃなく人道援助団体だから、シビリアン・コントロールはいらないなんて言い訳が聞こえそうであるが、勘弁していただきたい。
引用:『武装解除 紛争屋が見た世界』P.165
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ここで重要なのは、秩序回復、維持のための暴力装置の必要性を説きつつ、そのシビリアン・コントロールが言わずもがなの前提である、ということです。日本のやっている事は、その前提がめちゃくちゃになっていることを指摘しています。シビリアン・コントロールが効かない要因としては次の3つを挙げています。
・(違憲行為を行い続ける)現在の政治状況
・(情報収集能力、決断能力がない)日本の外交能力
・大本営化したジャーナリズム
この内容を指摘した上で、次のように結んでいます。
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日本全体としての「軍の平和利用能力」を観た場合、憲法特に第九条には、愚かな政治判断へのブレーキの機能を期待するしかないのではないか。
日本の浮遊世論が改憲に向いている時だから、敢えて言う。
現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない。
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『武装解除 紛争屋が見た世界』