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東京のスキマ

日常の生活で、ふっと感じる悦楽

背をむける人 渋谷

2008-03-09 23:59:47 | 東京のスキマ
徹夜明けの日差しが眩しい・・・その眩しさの中に飛び出して体も気分も浄化されるような気になりながら渋谷駅に向かう。
喫煙コーナーにたむろする人の陰に違和感。
七色に輝くガラスに遮蔽されて、光に背を向ける人、なぜか・・・気の毒。

ピンクの勝ち 赤坂

2008-03-06 17:31:06 | ビジュアルブックマーク
こちらのマクドナルドでは窓になぜか黄色のフィルムを張ってあり、午後の日差しで独特の色彩と影を店内に創り出す。
カウンターに座る人はこの黄色の透過光に埋もれてしまうが、この女性のように自分の色で対抗して、強烈な存在感を発揮する人もいる。ショッキングピンクが黄色を逆に染めている。
マックのカウンターで、まさかの?春の色のせめぎあい、やはりピンクの方がだんぜん素敵だ。

蒼色に染まるアプローチ 海岸

2008-03-03 23:56:01 | ビジュアルブックマーク
海岸のスタジオを出ると・・・虹橋へのループ状のアプローチが見事なブルーモーメントに包まれていた。人工の光と1日過ごして、それから開放されたときのブルーモーメントは、蒼色がことさら美しくうつる。

このループは一般道から虹橋へのアプローチで、実は首都高速よりスリリング。
ややオーバースピードで進入する。助手席の人の、思わぬGを感じて体を硬くしたり、息を呑むようなしぐさを認めて、内心ちょっと満足?したりする。ーかと思えば、ここはサンルーフを開けると楽しいーってルーフを全開にして奇声を発する人もいるから、人それぞれだ。

島の教会 広尾

2008-02-29 23:28:03 | ビジュアルブックマーク
広尾の街を歩いていると、自分はなぜか小さい島を訪れているような不思議な感覚にとらわれることがある。街の全てが凝縮されていて、この街を一歩も出なくても生活できるようなーそんな不可思議な思いにかれることがある。
そんな妙な幻惑を強めていくと、この丘の上の場所は島に唯一ある教会ということになるのだろうか・・・

光の牢 代官山

2008-02-24 03:18:32 | ビジュアルブックマーク
ここは代官山の古いビルをつなぐ踊場のような場所。
このビルにプロダクションをかまえるの面々は、制作に煮詰まるとこの場所に佇む。すると斜光でできた牢獄に捉われている人のように映る。頭をうなだれ小さいイスにこしかけている姿は、まさに仕事に囚われた囚人のようでもある。
しかし、そこには追い詰められて真剣にインスピレーションを得ようとする若きクリエイターたちの気迫や美しさをみてとれる。
そういう姿をみると、若い世代を認めて受け入れていけると、かすかに思ったりするから不思議だ。

新宿上空 春のサイン

2008-02-19 00:06:20 | ビジュアルブックマーク
厳寒の2月も後半に入ると、ほんのひと時だが、春の訪れのかすなかなサインのようなものを感じるようなことがある。
新宿の高層ビルの昼下がり、日差しは明るく空はどこまでも蒼い、窓際のちいさな花をみた瞬間、それはあきらかに春のサインとなる。(GRD2)

運河 秋葉原

2008-02-06 00:11:17 | ビジュアルブックマーク
元々は「旧万世橋駅」の遺構でさらに「交通博物館」の遺物になってしまった。
万世橋より望むと、東京の運河を思わせる景観。
昭和11年からの歴史に幕が下りる日も近い、黄昏の斜陽はいつもこうした景観に優しい。

ジャンクション 初台

2008-01-31 02:18:34 | Fun to Drive
首都高速新宿ジャンクションを見上げる。
この高速コーナーでは、進入時に強い横Gを感じ、過速度に気が付き思わずアクセルをもどしてしまう。一般的には、危険を感じたら速度を落とすことを疑う人はないないが、友人に言わせるとそれは逆に危険な場合があるという。つまり、進入してしまったら、そのまま走りぬけたほうが挙動が安定して結果的には安全とのことのようだ。
理論から入るクルマ好きの人のコメントは興味深い。そしてクルマを成業にしている人の中には自分の人生哲学にリンクさせていく人もいる。
この友人も、不安や問題点に気が付いても、それが起きてしまったら、そのまま潔く力を弱めずに走り抜けてしまうタイプ。その姿は美しいシルエットのクルマのコーナリングを思わせるように、美しく人生をー力強くー駆け抜けている感があり羨ましい。
自分が臆病になり安全運転を心がけてコナーでアクセルをゆるめているかと思えば、方や緩めず走り去りそこに人生哲学を重ねてくる・・そんな生き様に弱点はないんだろうか。友人に問うと『燃費がすこぶるわるい・・・』と・・・
弱点?ともいえないが、常人からするとこういう気障な台詞に聴かされる方が、なぜか恥ずかしくなってしまう点だろうか。 (GRD2)

喫茶室 丸の内

2008-01-22 22:36:32 | ビジュアルブックマーク
新幹線の発車時刻まで時間をもてあます。ホームで待つということが苦手な自分は、人の流れに身を任せてビルに迷い込みわずかな時間を過ごす。
給仕の女性の雰囲気から喫茶室と呼びたくなるようなカフェ。女性はそのたたずまいで空気までを自在に操れる人がいるから不思議だ。
珈琲を飲むには中途半端な時間、外から眺めてスキマのような時間をすごす。

こうした人が写るスナップをひそかに撮影してよいかという葛藤が自分の中にある。最近、藤原新也の著作の中で、救われるような一節にめぐりあった。
「世の中がスリルに満ちてみえたり、あるいは詩的に見えたりする瞬間に、なるべく人に気づかれないように黙って罪を犯さねばならない不憫な行い・・・」(ディングルの入江より)

スリルや詩的とは程遠いが、こうした行いは自分にとって背徳の香りがする。
(GRD2)

湾景 芝浦

2008-01-20 12:31:53 | ビジュアルブックマーク
朝靄の中の湾景、丘陵の先にゆっくりと回転する巨大風車。
かつて、東京湾岸はこうした風景が重なりあっていたのだろう。そしてその隙間をぬうように晴海や豊洲、お台場が開発されてきたのかもしれない。

この丘陵にみえる場所は、ビジネス拠点などにせずに、この丘陵地形をうまく活用した自然公園のような場所にしたらすばらしい。この丘に寝そべって観る東京湾景は、さぞかし美しいだろう。そういうところにこそ未来の東京の『余裕』を求めたいのだが。

威光 天現寺

2008-01-14 01:01:32 | ビジュアルブックマーク
まもなく、この非常階段を威光を放ちながら中堅の芸能人が降りてくる。
自分はスピリチュアルに関心はないが、オーラと呼ばれる事象は認めている。威光の強い人に対しては、とめどない自己犠牲的な念を強くするから不思議だ。こうした現象でとらえるならば、猿人時代の群れを成す上でのボスを識別するための能力のようなものではないかと憶測しているのだが・・・

問題は、その本人をとりまく人々にある。威光に永くさらされると、自分も光を放つかごとく振舞うようになる。そうした人達とやりとりは極度に消耗し、人の性の空しさを強く感じる。


ショウインドウのふたり 原宿

2008-01-10 02:18:58 | ビジュアルブックマーク
街は、ほどよい暗さがあったほうがいい。
ほのかな灯りが街に品性を感じさせる。
例えばどこもかしこも無遠慮に明るい銀座の夜に品を感じない。一方、表参道から原宿へ抜ける道すがらは、ほどよい暗さが随所にあり、街に独特の品格を感じるのである。

そのほどよい暗さをもつ原宿で、そこだけ明るいショウウインドウ。そのガラスの小箱のような中でふたりの女性が仕込み中。働く女性の美しさはオフィースビルではなく、こうしたところに強く感じる。限られた空間で、無駄なくカラダを動し働いている女性に美を感じないわけがない。 (GR-D2)

錯覚 表参道

2008-01-07 00:42:27 | ビジュアルブックマーク
今年もよろしくお願いします。
お正月なので?筆者近影。

ここは表参道ヒルズの脇にわずかに残った同潤会アパートメント。
古い建物には尺に対する違和感がある。戦後の日本人の体格に合わせてあるのだろうか全体的にこぶりな印象。天井や階段の段差も明らかに今のものよりひとまわりちいさい。それは小学校を訪れたときの違和感に似ている。自分が大きくなったにも関わらず、教室や什器はなぜか小さくこじんまりと感じてしまう。

ヒルズへ行くときは、この建物を経由する。時の流れを尺で感じる稀な場所、ヒルズとのコントラストでさらに印象深い。 (GR-D2)

虹色に染まるドア 赤坂

2007-12-29 03:56:04 | ビジュアルブックマーク
アインシュタイン博士が50年代の京都で記した日記には「京都の小道には信じられないような美しい魔法の光に充ちていた・・・」とある。京都の路地に差し込む光の美しさに魅せられたのだろうか。
確かに京都は街の光が美しい場所、でも東京のスキマでも、魔法とまでいかないにしても1瞬、足をとめたくなるような美しい光にであうことはある。

写真は何の変哲もない普通のビルの非常階段に面したドア、二重になっていて一つ目のドアを開けると目の前のドアが虹色に染まった。
思わずその様を眺めていると、後ろに若い女性が・・・ドアとドアの狭い空間で進路を譲られ、カラダをひねりながらおくのドアに向かう女性の下半身が見事に虹色に染まり、まさに魔法をみるような美しさだった。(GR-D2)

三宅坂の女神

2007-12-26 02:03:35 | ビジュアルブックマーク
60年にわたり、東京の中心で人々を見守り続けてきた少女の裸像。
そのたたずまいは、親愛に満ち溢れ、ふくよかな女性美は優しさに充ちている。
何千、何万の我々の先輩は、この裸像に見守られて、東京を復興し発展させてきたにちがいない。その事実だけでこの3人の娘は東京にとって女神のような存在といえないか。

今はひっそりとその役目をおえて、雲を掴み自在に操って遊んでるーやはり、ただの裸像じゃない・・・女神だ。(GR-D2)