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東京のスキマ

日常の生活で、ふっと感じる悦楽

蝶の舞うスキマ 紀尾井町

2008-07-04 00:00:09 | ゲニウス・ロキ
特に立入りを禁止になっているふうでもないのだが、素朴な疑問として、足を踏み入れていいものだろうかー紀尾井町のお堀。
ゆるい傾斜は、人の手の入っていない鬱蒼感がある。思い切って堀まで降りていくと、水際のわずかな平地に小さな花が咲き、茶色の羽に綺麗な藍色をまとった蝶が乱舞している。都心にあって稀な景観で悪くないのだが、なぜかあまり留まるような気にならない不吉さのようなものを感じるのはなぜだろうか。

初台 ストーカー

2007-09-30 16:29:59 | ゲニウス・ロキ
初台の「東京オペラ・シティ・タワー」エレベーターホールのパブリックアート。
この人像と、往来の人々とのコンビネーションで、次々におきる連想。
たとえば・・・男同士が像を挟んで両サイドに分かれ、後方へ過ぎ去ると、弧・対立を強くイメージする。 肩を触れんばかりに通りすぎる男に怒り・苛立ちを感じ、この場所のもうひとつの静の存在である警備員とは、なにか静以外のリンクを観る。
この1瞬は、人像の手が、今まさに女性の肩の伸びそうな、踏み出しそうな緊張感がある。
(H3)

新宿の目

2007-09-12 00:55:52 | ゲニウス・ロキ
ブログは思わぬ感覚の連鎖のようなことが生じることがある。
Kさんの記事の中で、幼少の頃に親しんだという恐竜?の遊戯物との再会のくだりを拝見した。連鎖するように自分の中で閃いたのが、この「新宿の目」だ。
60年代末からここで新宿の地下街の往来を、まさに睨み続けているのだ。
当時この目を怖がった子供は多かった。自分もかたくなに視線を合わせるのを避けていたし、目以外の部分も地中に埋まっていると級友と話題になったことも・・・久々に眼光の前で甦る記憶。なぜかこれが自分の記憶である実感が乏しい、ひょっとすると、この目の記憶かも・・・

目じりに涙のような造形があったのに新たに気が付く・・・
この目は涙をためている。意外だった・・・

首都高速新宿4号線 悪魔の棲むコーナー

2007-05-19 09:59:58 | ゲニウス・ロキ
首都高速新宿4号線の赤坂トンネルの先のカーブ、ここは事故の多発場所として知られている。最近もトレーラーが宙釣りになりドライバーが亡くなっている。途切れたフェンス、塗装のはげた陸橋、今でのその傷跡がみてとれる。

環状線から抜けると誰しもちょっとほっとする、さらにトンネルの渋滞を抜けて、いっきに視界が広がり、この解放感からちょっとアクセルを踏み込む・・・ごく自然の心理から、次の急カーブで事故になる。つまり気の緩みがここの多発場所の事故原因ということになるケースが多い。
しかし自分は、気のゆるみというより、経験上ここが魔がさすコーナーとした方が近いと感じている。あくまでも自分の実感だが、普通に走っていて、気が付くと路肩がせまってきたり、クルマやバイクの挙動がいつもどこかが違う、いつの間にか自分の考えていることと違う展開になっている、強めてると第3者的な介入を感じられる不可解な場所である。こうした場所をF1などのモータースポーツでは「悪魔の棲むコーナー」とよぶ。
実はここは、直線の先のR75、わかりやすい条件からくる適度な緊張感から、思ったほどアクセスを踏み込めない場所でもある。むしろ他の首都高の難所?に比べてもここが事故原因に繋がる要素が特に多いということはないように思うのだが・・・。

心理面や物理的な見地から事故を分析するだけでは、事故は回避できない。
世の中には科学で説明のつかないことがあることを前提とすると、人はこうした感覚や情報を意識したほうよさそうだ。ー宝くじの運やツキを願うことより、実は有益なことなのだから。


京橋のNY

2007-03-25 14:04:17 | ゲニウス・ロキ
自分がかつて勤めていた場所は、独特の磁場のようなものを感じる。
自分は既に5回も会社を換えているので、そういう場所が結構多いほうかも知れない。近くに行くと、なんとなく吸い寄せられるように訪れ、ただそこで佇みたくなる。
ここ京橋は最初に勤めた商社があった。当時この大通りからみた景観に連れの米国人が「NYのようだー」とふっともらした会話が頭の中で甦ってきた。
確かにNYのちょっと前の5番街のようでもある。これでイエローキャブでも停まれば、さらにNYかも・・・と想っていると、本場のチェッカーフラッグはないものの、黄色のタクシーが停まりカメラのファインダーに収まってきた。ふっとビルの壁面にMEIDI-YAと・・・MEIJIYAでないことを始めて知る。MYとはこの表記からきているのか。私の明治屋の意ではないのだ。
その数時間後、六本木で地下鉄を待っていると隣の男女が、同じようにMEIDI-YAのスペルの話題をしているのが耳に入る。
六本木にも明治屋があるから、この話題はある意味自然なのだが、磁場を感じる場所:ゲニウスロキを通過すると、こういう偶然の重なりが顕著になるから不思議。全ては繋がっているーっていることか。
そしておまけに2日後に、明治屋のお菓子の頂きものをする。
この偶然とも何かの兆候かーどちらともとれるところが微妙である。
NYか?明治屋か?何か意味があるのかーそんなことで日常はくみ上げられている。

渋谷駅の暗

2007-02-05 01:46:33 | ゲニウス・ロキ
渋谷駅・山の手線のホーム前に創出する強烈なコントラストのついた空間。
冬の明るい日差しの中で切り出される明暗、その暗の底なしの闇は不気味。日中、見えるはずなのに光りが廻らない絶対暗の世界、そこを注視していると比重が変わり吸い込まれそうな感覚に捉われる。自分が感じていることは、すべからく他人も感じるとすると、これが電車のホーム前に現出する危うさを感じる。

「都市のかなしみ」鈴木博之著の中で、ゲニウス・ロキという概念が説明されている。ラテン語で精霊、地霊という意味。自分は決して霊感が強いとは思わないが、時々街で感じる不思議な感覚は、この概念が一番近いのではないかーと感じている。