母校の中学校は、当時の世田谷区の建築モデル校。従来の校舎とはことなる様々な新たな試みがなされていた。
今にしてよかったのは、廊下がガラスの壁面に面してつくられていて、いつも外光が射す明るい廊下だ。私たちは休み時間は、教室より開放されて明るい廊下にすいだされていったものだ。こうしたことでクラス間の交流も盛んで、明るい廊下は昼休み、放課後には細長いサロンのような有様だった。
あれ以来、どんな学校に入学しても廊下が暗く思えてしまう。
外光が射し、人々がたたずむ場所を目の辺りにすると、私は我母校を想い出す。
六本木の新国立美術館。ここも居心地のよい明るいサロンができていた。
人々の喧噪が、せりあがってきて1つの音になる。まさにあの中学校の廊下の音だ。
今にしてよかったのは、廊下がガラスの壁面に面してつくられていて、いつも外光が射す明るい廊下だ。私たちは休み時間は、教室より開放されて明るい廊下にすいだされていったものだ。こうしたことでクラス間の交流も盛んで、明るい廊下は昼休み、放課後には細長いサロンのような有様だった。
あれ以来、どんな学校に入学しても廊下が暗く思えてしまう。
外光が射し、人々がたたずむ場所を目の辺りにすると、私は我母校を想い出す。
六本木の新国立美術館。ここも居心地のよい明るいサロンができていた。
人々の喧噪が、せりあがってきて1つの音になる。まさにあの中学校の廊下の音だ。