アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
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アルビン・トフラーの戦争と平和 002

2012年06月21日 23時09分29秒 | 戦争と平和
WAR AND PEACE IN THE POST-MODERN AGE 1992
アルビン・トフラーの戦争と平和  21世紀、日本への警鐘

第一部
第二章  周辺地域での殺戮
 今日、いちおうの知識を身につけた大人に、第二次世界大戦後にどんな戦争があったかを尋ねれば、躊躇なく、朝鮮戦争(1950~1953)、ベトナム戦争(1957~1975)、アフガ二スタン紛争(1979~1992)、アラブ・イスラエル紛争(1967、1973、1982)、湾岸戦争(1990~1991)と述べ、その他に、あるいはもう2,3の戦争があったかも知れないと言うだろう。
 しかし、数え方次第では、にわかに「平和」が訪れた1945年以降、世界中で勃発した戦争・内戦の数は、150から160にも上るということ、また、総計でおよそ720万の兵士が惨めな死を遂げたということを知っている人は、ほとんどいない。720万というのは戦死者だけの数であって、負傷した者、拷問にかけられた者、あるいは手足を切断された者はその中に含まれていない。それ以外にも、その数をはるかに上回る民間人犠牲者や、戦争の余波で死んでいった人びとがいるのだ。 
 皮肉なことに、あの第一次世界大戦での総戦死者数でさえ、約840万人で、720万人という数を若干上回っているにすぎない。ということは、かなりの誤差を見込んでも、戦闘犠牲者の数からすれば、驚くなかれ、世界は、1945年以降現在に至るまでに、第一次世界大戦にほぼ匹敵する戦闘を繰り返したことになる。
 民間人の死亡者も加えれば、死者総計は3300万人から4000万人という膨大な数になる。そして、この数の場合にも、負傷者、強姦された女性、行方不明者、戦病者、財産を失った者は含まれていないのである。
 戦闘は、ブルンジ、ボリビア、キプロス、スリランカ、マダガスカル、モロッコなどで繰り広げられ、人びとは、銃、剣、爆弾、毒ガスなどを武器に殺し合いを続けてきた。今日、国連加盟国はおよそ175ヵ国だが、そのうち戦争体験のある国は優に60を超える。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の調査によると、1990年だけでも、続行中の武力紛争は31件を数えたという。
 実際、1945年から1990年までの2340週のうち、この地上が真に戦争から開放された週は全部で3週間しかなかったのだ。したがって、1945年から現在までの期間を「戦後」と呼ぶのは、悲劇と皮肉をごちゃまぜにするようなものである。
 ところで、この間のおぞましい戦いを一つ漏らさず丹念に拾い上げてみると、そこには、特定のパターンが見出せる。
 過去数十年間続いた核による米ソ関係の膠着状態は、事実上、1950年代以後の世界の安定に役立った。全世界がまったく異質な二つの陣営に区分される中で、各国は、自国が世界体制のどこに位置しているのかを、多少なりとも知っていたのである。60年代に入ると、米ソ二大国の直接戦争の行き着く先は「相互確証破壊(MAD)」であるとの認識ができあがった。その結果、それ以降の戦争は、二極体制の、いわば周辺へと押しやられることになる。20世紀後半の戦争による災禍は、世界体制の中心部ではほとんど見られなくなり、大量殺戮は、もっぱら周辺地域で行われたのである。
 かくして、戦火が燃え盛ったのは、ベトナム、イラン・イラクであり、カンボジア、アンゴラ、エチオピアであり、あるいは、さらに周辺部の第三世界の地域であった。戦闘が主要な大国の領域内で行われたことはなく、したがって、大国の経済にとって大問題となることも決してなかった。
 最近では、年間に約7500億ドルが軍事目的で使われているが、その軍事費を計上してきたのは主に超大国とその同盟諸国である。この莫大な金は、大国が支払う「保険料」と考えてもいいだろう。なぜなら、大国はそうすることにより、自国の国境線内で戦争が起こるのを防いでいるのだから。しかし、この莫大な軍事費を保険料とみたてる人はあまりいない。
 アメリカと旧ソ連の二超大国は、従属国や衛星国、もしくは同盟国が行った、いくつかの戦争については、兵器、物資、さらにはイデオロギーという武器をも供与することにより、明らかに火に油を注ぐようなことをやった。しかし、全般的に見れば、おそらく治安警察国としての役割を果たした場合のほうが多いだろう。両国は、属国間の紛争を抑えたり、局地的な争いの調停をしたりし、陣営内の結束が乱れないようにと平素から気を配っていた。彼らは、最終的に戦火が核戦争へとエスカレートすることを恐れていたのである。
 (次の事実は注目に値する。ソ連の主要な従属国イラクのサダム・フセインは、ソ連から大量の武器を供与され、同時にソ連式の訓練を受けた軍隊を保有していたわけだが、中東におけるソ連の力が薄れ、モスクワがもはや彼を抑えることができなくなった時に初めて、クウェートへの侵攻を開始したのだった)
 今日では、上から属国を抑え込むことのできる強国は姿を消してしまった。ソ連陣営は消滅したし、自由陣営に属する国も、湾岸戦争の際のように、自国の利益が明らかに危機に瀕している場合を除いては、ワシントンに注意を払うことが少なくなってきている。
 ワシントンも、ブリュッセルも、ベルリンも、そして、もちろん東京も、明日の戦争は「第三世界の戦争」であり、したがって、戦争の周辺化(戦争当事者にとっては「周辺」どころではないが)という従来の傾向が続くだろう、との確信のもとで安閑としているところがある。だが、もし、この仮定が間違っていたらどうなるのか。
 「先進」経済に支えられた民主主義国家間では戦争が起こることはないだろう、という考えが、結局、誤りであったとしたら、どんなことになるだろう。たとえば、日米間の戦争はまったく有り得ないのだろうか。ドイツが威を振るいだした時、ヨーロッパの他の諸国はドイツの支配を快く受け入れるのだろうか。
 最近自己主張の強くなったドイツは、ヨーロッパ共同体(EC)に、ユーゴスラビアの解体とクロアチアの分離を強引に承認させた。ところで、クロアチアは、第二次大戦中にナチスドイツを熱狂的に支持した国である。ドイツは、クロアチアの分離を承認させるに当たって、フランスや他のEC加盟国の強い反対を押し切った。近隣諸国にとってさらに心配なのは、ドイツが弱小従属国家からなる東欧圏を作ろうとしていることだ。おまけにドイツは、ドイツ系ロシア人の自治区を作るよう、ソ連解体後のロシアに強く圧力をかけてきたのである。
 新国家内での少数民族に対する保護政策は、外部の世界にとっても重大な関心事である。しかし、ポーランドのドイツ系市民の場合はどうなるだろうか。ドイツ系住民が問題となる国家はまだ他にもある。1938年にドイツがどんな口実を設けてチェコスロバキアのズデーテン地方を占領したか記憶している人びとは、こうしたニュースを聞き、不吉なことが起こるのではないかと心をいためた。
 再び台頭してきたネオ・ナチズム運動は、由々しき民族的憎悪を煽り立てながら、すでにヨーロッパ一帯に広まりつつある。この運動が餌にしているのは、他民族の大量流入に対する恐怖心なのだ。基本的には依然として繁栄を続けている西欧で、こうしたことが現に起こっているのである。かりに、なんらかの理由で、ヨーロッパ経済がさらに引き締められるようなことにでもなったら、この過熱しつつある人種主義、報復主義、民族意識がどうなるかわかったものではない。太平洋地域の技術革新やその他の変化にますますついていけなくなれば、ヨーロッパ経済の縮小という事態も起こり得る。その結果、万一、失業率が急上昇したらどんなことになるのか。現在の国境線が侵されることはない、とか、近代から脱近代への過渡期にある国家間では決して戦争は起こらない、などとは誰にも言い切れないのである。
 このようなシナリオは、目下のところは、飛躍しすぎたものと思われても仕方がない。しかし未来は、往々にして、不可能とまでは言わないが、可能性が非常に薄いと思われる出来事で成り立つものだ。
 将来そのような国家間対立が生じる可能性はきわめて低い。けれども、極端な方向に進むことも有り得るのだから、政治家、財界の指導者、そして、とりわけ軍の高官たちがその可能性を無視するとしたら、愚かと言う他はない。現在、たいへん不安なのは、米ソ二大警察国が世界の安定のために維持してきた強固な枠組みが取り払われると同時に、すべての思惑が宙に浮いてしまったころである。したがって、脱冷戦的思考でさえ時代にそぐわないというのに、政治家や軍の高官たちが、相も変わらぬ冷戦時代の頭で物を考え、私たちが直面している文明上の大変動を無視するかぎり、国家間の紛争の起こる危険性は増すことになるだろう。
 明日の時代の形を本質的に規定するのは経済戦争だ、とする欧米(とくにアメリカ)の知識人たちの大合唱が、今日、高まりを見せている。聡明な戦略家であるエドワード・ラットワックは、「地理経済」的新時代においては軍事力の重要性は減少しつつある、と主張する。カリフォルニア大学ロサンゼルス校にある国際関係センターのリチャード・ローズクランス教授は、「貿易国家の興隆」について言及し、これらの国は国家間協力に頼り、相互依存的であるため、互いに武力衝突する傾向は少なくなる、と語っている。また、C・フレッド・パーグステン国際経済研究所所長も同じテーマを取り上げ、新世界体制下では「安全保障問題より経済問題が優先される」という意見を述べている。
 これらの説は人の心を明るくしてくれるが、その評価は慎重に行わなければならない。表面的には理に適っているように見えても、その実「眉唾」なところがあるからだ。そこでは、より大きな歴史的現実が見過ごされているのである。
 国家の政治的指導者は会計係ではない。彼らは、必ずしも、経済的損益計算をしてから戦争に突入するわけではない。その代わりに彼らが計算に入れるのは、自身が政治権力を掌握し、保持し、
拡張する機会があるかどうかである。まして、「地理経済的戦争」は、軍事紛争の代替物ではない。多くの場合、それは実際の戦争への序曲-むしろ、誘因と言うべきか-にすぎない。
 経済的計算が重要な意味を持つとしても、しばしば誤解を招いたり、狂っていたり、他の要素と混ざり合っていたりする。これまでも戦争は、不条理な思想、計算違い、排外主義、狂信的行為、宗教的過激主義、さらには単なるめぐり合わせの悪さなどが原因となって勃発した。しかし、そんな時でも、あらゆる「合理的」経済指標は、万事につけ、平和こそ好ましい政策だ、と指し示していたのである。
 おまけに、楽天的な地理経済主義によれば、小国間の経済戦争はいうまでもなく、主要経済国間の熾烈な競争についても管理・規制が行き届いたものになるから、馬鹿でかい、世界規模での経済危機が起こる可能性は未然に排除できる、と言うのだ。今日の指導者や自己満足に浸っている彼らの経済顧問の主張には、確たる論拠がほとんど見当たらないのである。
 事実、生れつつある21世紀の経済は、経済専門家たちが使用している方法が考案された19世紀や20世紀の経済とはほとんど形態を異にしている。つまり、方法そのものが時代遅れになってしまったのだ。
(たとえば、経済専門家が嘆いているのは、サービス産業の興隆に伴う「生産性」の低下である。
しかし、彼らが「生産性」を測る物差しとしているものは、自動車やインゴットスチールの数量を測るのに適していても、新時代の経済の生命線ともなるサービスや情報のような無形物の生産高を測るのには不向きであることが歴然としている)
 完全に異質な時間的視野、価値基準、伝統、そして宗教を抱える資本主義経済国家間で、激しい地球規模での競争が起こることも有り得る。異文化間の誤解も生じるかもしれないし、政治的な大衆扇動が行なわれ、問題の短期決着を主張する動きが出てくる危険性も絶えずある。そんな中で、経済的破綻から戦争が起こる可能性をまったく無視してしまうわけには、到底ゆくまい。
 大国間では経済戦争が戦争にとって代わるだろう、という甘い考えは、新たな政治的現実をも見落としている。じつは、私たちの政治体制も崩壊の危機に瀕しているのである。多くの大国が、今日、大規模な国家再編への岐路に立たされている。「ペレストロイカ」の波が、西欧の民主国家、日本、さらには他の諸国にも押し寄せようとしているのだ。そして、この先どうなるかは、なんとも予測しがたい。結果を見ずに終わってしまった最近のペロー現象などは、明日の政治がどこへ弾けてゆくのかを暗示する第一弾にすぎない。
 アメリカの二大政党に対する彼の挑戦は、世界のほとんどの大国に広まっている大衆の根深い政治的離反を反映したものである。経済専門家が昨日の概念を物差しとして新経済を測ろうとしているのと同様に、これらの国は、古びた政治機構の中で政治を続けようとしている。今の議会、すなわち立法機関というのは、農業時代の産物なのだ。また、官僚からなる各省庁は産業時代の産物である。ところが、多くの国家は、いまや産業時代を超えて新たな時代へと移ろうとしている。つまり、政治機関以外のほぼすべての点で、前近代および近代から脱近代へと急速に脱皮しつつあるのだ。その結果、いまや、政治の将来の方向とペースを定めるのは、新しい政治勢力 -選挙によって選ばれたわけではなく、責任もない勢力- としてのメディアの役割になってきている。
 単にあれやこれやの政党の失策ではなく、政治自体のこの深刻な遅れに目を向ける時、私たちは、「産業民主国家」と称される多くの国で、社会を引き裂くほどの体制上の大変動が起こるにちがいない、と予測せざるを得ないのである。そしてある国では、これらの変動が武力による政治抗争を伴うことになるだろう。
 また、こうした変質は、世代交代とも符合する。日本では自由民主党の年老いた指導者たちが、40年にわたり支配的地位にあったわけだが、今まさに、第二次世界大戦と戦後の民主化時代の体験がなく、加えてアメリカに追随することに憂き身をやつしたこともない若い世代(女性さえ含まれている)が彼らにとって代わろうとしているのである。
 ヨーロッパでも、政治的大変動が始まろうとしている。一つだけ例を挙げると、イタリアでは、キリスト教民主党、社会党、並びに共産党による、居心地よい「政党政治」と、政治家とマフィアの近親相関的関係が、戦後始まって以来の厳しい攻撃に曝されている。共産党による政権奪取の脅威はなくなった。その結果、各党派とその支持者 -つまり冷戦時代- は、余命いくばくもない状態に追い詰められているのである。
 喜んで「地理経済学」に飛びつくと、世界のいくつかの強国で起きようとしている政治的大変動に目が向かくなる。戦争と平和の決定は、理性的な地理経済学者によってなされるわけではない。その決定は、今後ますます、カリスマ的な扇動家によってなされることが多くなるだろう。つまり、想像もできないような新たな圧力下にあり、いつ崩れるとも知れない新政治体制の中で動く急進改革的指導者たちの手に決定権が委ねられることになるのだ。
 新たな圧力の一つとしては、歴史の流れが先例を見ないほどに速められていることが挙げられる。
今日の目まぐるしい変化の中では、政府が平和を支持するような思慮分別のある判断をする余裕がなくなってしまう。
 80年代のイラン・イラク戦争の際、アメリカはイラクに技術、資金、情報を提供した。その結果、アメリカの同盟諸国も右へならえすることになった。当時、この政策はまったく得心のゆくものであった。なにしろ、イランの原理主義体制がアメリカ人を捕虜にしたうえで、アメリカを悪魔に見立てて、いたるところでテロと宗教的過激活動を唆していたからである。イラクを援助するにあたり、アメリカは、敵の敵は味方、という古くからの鉄則に従ったにすぎない。
 そして、ひとたびアメリカ政府がイラク側に「まわる」ことを決定すると、数多くのアメリカ政府機関がこのイラク援助に関わることになった。国務省、国防総省(ペンタゴン)、国家安全保障会議、農務省管轄の農産物信用公社などを含む多数の機関が動き出したのである。アメリカおよび外国のさまざまな企業や銀行が間接的に潤ったし、賄賂で利権を得る者も出た。
 かくして、政策は一人歩きしはじめた。いろいろな層の関係団体がイラク支持に賭けた。
 アメリカは、イラン・イラク戦争が終わったその日に、イラクに対する支持を打ち切るべきだった。しかし、現実にはそうはいかず、サダム・フセインが新たな侵略の準備をしているとの情報が入ったにもかかわらず、親イラク的傾向は、サダムの戦車がクウェートに侵略する直前まで続いていたのである。これが結果として、イラクの独裁者に、たとえイラクが侵略戦争をしてもワシントンの親イラク的ブッシュ政権は対抗措置を取らないだろう、という感触を与えてしまうことになった。
 ようするに、事の動きがアメリカの政策よりも早く動いてしまったのである。イラン・イラク戦争が終結すると同時に、アメリカがイラクに対する支持を打ち切っていれば、湾岸戦争は全面的に回避されたかもしれない、と言う批評家たちもいる。サダムは、アメリカの態度を誤認することがなかったであろうし、クウェートを侵略したりサウジアラビアの油田を脅かしたりすれば猛攻撃を食らうことになることを予測し得ただろう、と言うのである。
 どうなっていたかは、誰にもわからない。だが、アメリカの政策立案者たちが加速する変化についていけなかったことが、現実に、起こらなくてもいい戦争を起こす要因の一つとなった、ということはおそらく言えるだろう。それにしても、官僚、とりわけ外交政策を練る連中の動きはあまりにも遅く、のろまな亀でさえ超スピードで駆けるバイオウサギのように見えてくるほどだ。
 変化のスピードが加速していることと、政策決定に至る速度が国家によってまちまちであることから見て、誤算から起こる戦争勃発の可能性は、先々、さらに増すものと思われる。そうした中で、駆け足で過ぎていく出来事についていけなくなった政府が、いわば未来の衝撃の被害者となるのである。
 これから先の時代には諸政府 -多くがいままでとは違った不慣れな政治機構を抱えることになる- は、不安定な状態で、さらに、新たな次元の複雑な問題に取り組まなければならなくなる。
 貿易とか財政の面で国家間相互の依存度が高まれば軍事紛争は少なくなる、と多くの地理経済学者たちは言う。しかし、この論理が見落としているのは、相互依存は世界をより複雑にすることにもなる、ということである。
 国家間の関係はすでに複雑化しているため、きわめて頭の切れる政治家やそのブレーンでさえ、彼らの決定が副次的にもたらす結果を把握することがほとんど不可能になっている。
 もっと単純な時代であれば、最近流行の楽観主義の論拠となっている、経済中心の合理的意思決定でも通用したかもしれない。しかし、今日のスピードと複雑さを考えれば、そういった時代は過ぎたと言わざるを得ない。
 相互依存というのは、ようするに、A国がとる行動の結果は、必ずB、C,D,以下の国に波及し、それらの国内になんらかの動きを引き起こす、ということである。相互依存関係が大きくなればなるほど、関与する国の数も増える。
 今日では、ある国の政府にとって、自分たちの決定に対する他の一政府の動きすら読みにくくなっているのだから、その他の国への波及効果まで考慮することは、さらに困難なのだ。ということは、結局、A国の意思決定者は自分たちの政策の意味を正しく理解できない、ということになる。
そうした状況の中では、目的と行動の関連が弱まり、憶測ばかりが先走る。こうしたことが、今まさしく、世界体制の中で起きているのである。「新世界秩序」なるものは、どのような衣装をまとおうとも、合理的秩序では有り得ないのだ。
 加速したスピードが多元性と結びつき、先行きがますます見えにくくなっていく時でも、加速要因はより速い反応を求める。したがって、見通しが立たないうえに計算違いをするという危険性が急激に増すことになる。つまり、相互依存は、必ずしも、世界をより安全にするわけではないのだ。
 さらに悪いことには、政府は各部署によって、反応次官が大きく異なる。官僚機構のゆっくりした動きや非効率性とよく対照されるのが、軍の迅速な反応である。軍人は指令を受けることに慣れているので、動けと命令されるとたちどころに動く。異常な状況下を除けば、軍は上からの指示に従うものである。「だから、政治家は過度に軍を使いたがるのだ。私たちは反応のいい道具というわけだ」と、ある陸軍大将が私たちに語っていた。
 明日の政府指導者たちは、加速しながら次々に起こる出来事に攻めたてられたり、自らの動きが引き起こした結果に唖然としたり、各省庁内の機能低下、麻痺、あるいはまったくの造反に愕然とするあまり、どうしてよいかわからない状態にしばしば陥ることだろう。そんな時彼らが、別の悩みの種となっている外交問題の打開策として「特定国たたき」に走ることも大いに考えられるのである。
 このように見てくると、次に出現するものは、地理経済的な平和の時代、つまり安定した新たな世界秩序ではなく、戦争の危険を大いに孕む、きわめて不穏な時代だと思われる。
 しかし、ここで、もう一つ押さえておかなければならない、さらに重要なポイントがある。それは、私たちがこれから入っていこうとしている時代を理解する鍵となるものだ。そのポイントとは、衝突するのは単に国家だけではなく、文明同士もまた戦う、ということである。そして、この決定的な意味をもつ文明間の戦いが、今まさに始まろうとしているのである。



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