今日のうんこ

私副島隆彦の<今日のうんこ>

学問同情の新年会報告

2005年01月09日 | 今日の同情
私、副島隆彦です。新年、あけましておめでとうございます。今年は2005年です。

私たちは、日本人の新年と、それから日の丸の旗を本当に、私たちのものとして取り戻したいと思います。私たち日本人の脳に悪さをして、私たちをこんなにも「愚か者の集団」にしてしまった者たちとの闘いは、これからも続きます。地を這(は)い、泥水を啜(すす)ってでも、私たちは民族の名誉を取り戻さなければならない。

私副島隆彦が6000万円で買った別荘は、バブルの最中であれば数億(おそらく3億から5億)はした豪華別荘です。中でも私の自慢は、巨大なジェットバブルバスがあることです。
正月には、この別荘に学問同情の恵まれない若者達を集めて盛大に新年会を行いました。

富士山を見ながら、このジェットバスに入るのは、快適この上ないのです。心地よい泡に包まれながら、人生の苦しみを片時の間、忘れることができるのです。苦節30年、やっと私、副島隆彦も人並みの贅沢をすることができるようになりました。これも会員の皆様のお布施のおかげです。

私たちは、一切を隠す必要がありません。これから、もっともっと日本の言論界において、本当のことを書き、国民に真実をつたえるという、一灯の火であるためには。そのためには、私たち自身が、もっともっと真っ裸になって、襲い来る諸現実と多々闘わなければならない。

そこで、正月は、学問同情の弟子達とこの巨大ジェットバスに入りました。
ジェットバスに入りながら、日本酒を飲み、歌えや踊れの騒ぎで、日本人が年に一度だけできる羽目をはずした馬鹿騒ぎです。人間は裸になると、皆同じ、大差のない、ちんけな、醜い日本人です。精神障害や身体障害など小さな違いに過ぎないことが分かるのです。いや、私達日本人は、皆、グローバリストに脳に悪さをされた精神障害者なのです。

しかし、このとき、一人だけ風呂に入るのを嫌がった弟子がいます。それは小山くんです。小山君は、女形かと思うかもしれませんが、実は立派な男です。彼の東大生であるプライドが、エタ、、チョーセンジン、チャンコロ、イザリ、どもり、めっかち の集団である学問同情の弟子達と一緒に風呂に入ることを許さないのだろう。

だが、この風呂に一緒に入らなければ、私、副島隆彦の裸踊りを習得するチャンスを自ら放棄することになります。彼にはそれが分かっている。他の弟子が、私、副島隆彦の裸踊りを習得していくのに、小山君はひとり裸になるのを放棄しているために、学問同情のステージを上がっていくことができないでいるのだ。だから、彼は須藤君や、白金君のような、エタ、、チョーセンジン、チャンコロ、イザリ、どもり、めっかちである弟子達よりも低い地位に甘んじることになる。

小山君は自分を過剰に防御してはならない。「真実を書く者たち」である私たちは、自分自身の弱点を隠して、どこかにいる立派な、偉い私たち、という仮構の上に立って、そこから気取り清まして書く、という事をしてはなならい。
私、副島隆彦という偉大な碩学の元に集り、会員となれば学校を出ても職がないフリーターの若者たちであっても、偉大な私、副島隆彦の名誉ある弟子になれるのです。

偉大な人間の弟子であるという誇りこそが、私たち民族の名誉を取り戻す第一歩なのです。私たちは、現代の、「若者人足(にんそく)寄せ場」建設を目指す集団であって、全国500万人の、学校を出ても職がないフリーターの若者たち、エタ、、チョーセンジン、チャンコロ、イザリ、どもり、めっかちの結集軸にならなくてはならない。

さて、宴席が進んでいくにつれ、酒が入り狂気のように風呂場は盛り上がっていきました。そのうち弟子たちは皆、風呂場に倒れ、眠り込み、中には湯船の中でそのまま眠り込んで、プカプカと浮かんでいる者までいる始末です。
私も、さんざ酒を飲んで良い気分になったので、ジェットバスから上がることにしました。しかし、そのときです。私が湯船から上がると同時にジェットバスの泡が嘘のように消えてなくなったのです。

不審に思った私は、もう一度湯船に入り、ジェットバスの噴出孔を確認しました。すると、泡が全く出ていません。どうやら途中でジェットバスがとまり、私、副島隆彦の括約筋が緩んでエアボムが漏れ出ていたらしい。ジェットバスの泡だと思っていたものが、途中から私、副島隆彦のエアボムの泡に代わっていたのだ。そして風呂場に倒れ、湯船に浮かんでいる弟子たちは、それを嗅いでしまったのだろう。

では、新年の言葉として、「人の振り見て己(おのれ)を直せ」という日本の古来からの格言(かくげん)言葉を差し上げます。
私、副島隆彦も、弟子達が倒れているのをみて、己の括約筋が緩んでいないかを反省してみるべきでした。私も、自らを反省できるだけの余裕ができるようになったといえるかもしれません。

このとき、もしかすると、弟子の中には死亡者もでたかもしれませんが、定かではありません。何人か湯船の底に沈んでいた弟子もいましたが、誰だったか覚えていないのです。しかし、学問同情の弟子達が突然いなくなっても、誰にも気づかれることはないでしょう。後の始末は、アルルの男ヒロシ君と、須藤君がそつなくやってくれているはずです。
いずれにしても、有意義な楽しい新年会だったことを報告いたします。


副島隆彦 杯