今日のうんこ

私副島隆彦の<今日のうんこ>

私、副島隆彦が、私、副島隆彦本人であることは、このPKIでわかります

2004年12月13日 | 今日のおつきあい
371 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :03/07/28 21:40
副島隆彦です。
私、副島隆彦は、私、副島隆彦本人です。
私、副島隆彦が、私、副島隆彦本人であることは、このPKIでわかります。→。→[http://soejima.to/fukusima.jpg]
○川君、こんにちわ。メールをありがとう。
私、副島隆彦が、私、副島隆彦であるという自己同一性、つまり、
Identity(アイデンティティと読む)の問題は、とてつもなく深い問題です。
私は、このIdentityの問題をずっと考えてきています。日本でこの問題を理解しているのは
私、副島隆彦がはじめてです。
私のPKIを見ても分かるように、私が私であるということをいかにして証明するのか
はたして、副島はそえじまなのか、ふくしまなのか?それさえも謎に満ちています。
私がなぜ、しろがね君でない、と言えるのか?なぜ、私が○川君でない、と言えるのか?もしかしたら、私はしろがねくんであり、○川君でもあるかもしれない。
私が複数の人格から構成される統合失調症だとしたら、、全ての謎は解けます。
副島隆彦拝
追伸
それでも、人類は月に立っていなかった。

3 コメント

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Unknown (Unknown)
2008-03-14 09:11:04
そーだ病気の集まりの団体だ!
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Unknown (Unknown)
2008-03-15 21:31:31
副島氏の言語に対する問題意識はこのサイトでは多く受け入れられているのかもしれませんが、私はいくつかの論点で強く反発しています。副島氏は言語学のことをあれこれ言う割に専門家からは相手にされていないために、自分の間違った考えを改める機会が少ないようです(指摘されても直さないと思いますが)。ただし山岸氏は例外です。彼はきちんと礼儀正しく反論しています。副島氏は彼ときちんと議論するべきでした。そんな山岸氏を人格攻撃まがいのことをして貶める副島先生の態度は最低としかいいようがありません。私はこの「憎しみ掲示板」(ひどい名前の掲示板だ)での書き込みを見て、本当に悲しくなりました。山岸氏のいったいどこが「馬鹿な人」なのでしょう。少なくとも、こそこそと自慰的な書き込みをする人より馬鹿だとは言えないでしょう。彼は彼の信念に従ってウェブサイトを運営しているだけです。「ずいぶん儲かっているようだ」とは、すごい言葉だ。ここまでひどいことを書く人とは思わなかった。いろいろな意味で実に悲しい。
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Unknown (Unknown)
2008-03-16 00:27:11
副島氏と言えば自分のサイトで自分のことを指すのに、数回に一回は“私、副島隆彦は”とフルネームを表示して書くほど、自意識の強い御仁である。読むたびに苦笑していたが、その自意識過剰な彼が、今回のイラク攻撃に際しては予想に反して国民与論も世界の声も米英支持に回っていることで、何か自我の一部に大きな変化をもたらしたらしい。3月23日のサイトでの書き込みに
「私の負けだ。私の自分の政治思想の負けだ」
「分かりましたよ。あなたたちの方が正しいでしょう。あなたたちの方が正義でしょう。あなたたちの方が現実を重視している大人の考えでしょう。それでいいですよ」
「私は、自分の本や言論で読者を騙(だま)すつもりは無い。だから、“副島隆彦の本に書いていることは有効性を持ちません。無意味です。強大なアメリカに逆らって日本の国の将来を危険に陥れていはいけません”と、言う私への批判や非難はあるのならば、それを受け容れるしかない。きっとこのアメリカべったり派の親米言論人たちが正しいのだろう。私の負けだ。何度でも書く。アメリカの軍事力、大量殺傷力の前には、私の思想、知識、言論は敗北している。この事実の認定はきっと重い」
 と、何かステバチというか、ヤケな文章を書いていた。自我が肥大して、自分の言説と現実との落差が露呈したときに、自分の方が間違っていたかも、という方向転換が出来ない人の典型である。

 こう本気で思ったら、昔の武士とか、終戦時の軍人なら腹を切って自分の憤懣の始末をあっさりつけられたのだろうが、現代ではそうもいかない。まして、インテリである副島氏は、そこらの反戦運動家などとも一緒にはなれない。
「いい歳をして馬鹿な反戦平和人間をやっていられる人は、全国にも数十万人はいるだろう。実際に会って詳しく生活内容を聴けば、ろくでもない偏屈な人生を生きている人たちだ」
 と、ひどいことを書く。こういう、行き場のない憤懣と自我の崩壊を何とか防がなければ、という自己防衛本能が、アメリカの威信を貶める情報を無意識のうちに探し求め、氏をして月着陸という大イベントが実はアメリカの謀略である、という妄想に飛びつかせる。自己評価(プライド)と世間のソレのずれが人をトンデモ思想に走らせるというパターンの、変哲もない基本的な例に過ぎない。

 昨日ロフトで平野店長のニッコニコ顔を見て、なんでこの人はこう上機嫌でいられるんだろう、反戦反米デモに参加するほどの思想の持ち主なら、今頃は憂鬱に襲われていないといけないのではないか、と疑問に思ったものだが、要は氏のような人は副島氏のいわゆる“いい歳をして馬鹿な反戦清和人間をやっていられるヒト”であり、自分は反米なんだゾ、と主張しさえすれば、その結果などはどうでもいいという、極めて自己中心的に世界が回っている人物なのである。その軽薄さにある種の不愉快を感じていたのは事実であるけれど、今回の副島氏の言動を見ていると、軽薄さがあるから、まだこのヒトは正気を保っていられるんだな、あの程度のことでガス抜きが出来ちゃうんだな、と思い直して、ならコッチの方がずっと健康的ではないか、と、一種のうらやましさまで感じてしまった。副島氏は彼と違って真面目なのである。真摯なのである。真摯ゆえに、自分の憤懣のガス抜きが出来ず、煮詰まってしまったので ある。

 私は今回のイラク戦争において、この日記はじめあちこちで、反戦を唱える人、反米を主張する人、ブッシュの愚かさをことさらにあげつらう人に対し、反論や、時には大人げない嫌味をぶつけてきた。副島氏などに比べれば言論人としてははるかに小さな影響しかない立場とはいえ、悪趣味な業であると自らも思う。とはいえ、この時点において単純な反米的言辞に偏ることは、その視野があきらかな狭窄に陥ることを意味する。それは、その立場に立つことが極めて容易で、その表現が熟考を経ない、短絡的なものになりがちだからだ。憤りは思考を単純化させてしまうのである。現に副島氏はそのサイトで、ブッシュのことを
「貧相でいかにも馬鹿そうで、お猿さん(チンパンジー)そっくりの、頭の悪いことが証明済みの男」
 という、およそ文章で生計を立てている人とは思えない、野卑な表現で貶めているのである。当初は副島氏もこうではなかった。思想としての反米から、一歩、怒りの方に踏み出してしまって、かくは相成ってしまったのである。怒りは人間の知性を堕落させるのである。まあそれだけに、ときおり人を怒らせてみる、というのは知性の計測に有効な手段なんではあるが。ともあれ、あまりに単純な反米同調は、その後の推移との乖離により、軽薄に流れて平野氏のような、真摯に煮詰まって副島氏のような、そういう道にいきがちなのではないかと思う。“俺はそうはならない”と言う人も多いだろうが、この二人もそう思ったまま、こういうことになっているんである
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