【彌生から水季へ】
「海のはじまり」第六話。子供が靴紐を結べるやうになる經驗は、自身が子供の時か子供を育てる時のみで、僕はさう云ふ經驗から離れて久しい。後は矢張り、男である僕には、子供を産むと云ふ事に就いて、決して感じ得ない事なのだと理解しようとしたい。それに矢張り多くの男にとつて髪を結ふ事は無縁である。
些細な日常の風景から生命の誕生に至る迄、「海のはじまり」を觀てゐると、男である僕は樣々な氣附きを得る事が出來る。それにしても、彌生と水季があゝ云ふ形で繋がつてゐたとは驚き。同作は名作である。
夏と水季とが結ばれて海が生まれる訣だが、そのまへに彌生は中絶してをり……。然し、その彌生の言葉がノートをとほして水季に傳はり、海が生まれた。「海のはじまり」と云ふ事かな。彌生は春であり、夏のまへと云ふ事が名前で示されてゐるのだらう。