昨日(14日)と今日、地域の葬儀があり、住民の皆さんとお手伝いをさせていただいた。
その方は、屈斜路で生まれ、和琴半島の露天風呂を産湯のように浸かり、ご夫婦でこの屈斜路で仕事をされ、なにより屈斜路の自然をこよなく愛されていた方だ。
昭和30年代の和琴半島の露天風呂風景。
同じアングルと思うが、今年、平成22年4月初めに撮った露天風景。
この屈斜路では、地域の方々が通夜、告別式での役割を分担し、「お互い様」精神で葬儀全般をサポートしている。
屈斜路に移住した20余年前には、当初その慣わしに違和感を感じていたが、今ではある意味、エコの流れに沿っているのではないかとも、思う。
ここで改めて、故人に対してご冥福をお祈りするものです。
和琴半島に続く、エゾ山桜の並木道。
開花は、5月末頃になるだろうか。
そのお通夜の席で、私の横に座られた弟子屈町長から、「三上さん、オレと同級だったよな。いやー、お互い、あと20年は生きられないだろう?・・」
葬儀の席でもあり、また幾度となく町民の弔いの顧問として参列されている町長だけに、ある種、実感が込められ、引導を渡された思いがした。
その方は、屈斜路で生まれ、和琴半島の露天風呂を産湯のように浸かり、ご夫婦でこの屈斜路で仕事をされ、なにより屈斜路の自然をこよなく愛されていた方だ。
昭和30年代の和琴半島の露天風呂風景。
同じアングルと思うが、今年、平成22年4月初めに撮った露天風景。
この屈斜路では、地域の方々が通夜、告別式での役割を分担し、「お互い様」精神で葬儀全般をサポートしている。
屈斜路に移住した20余年前には、当初その慣わしに違和感を感じていたが、今ではある意味、エコの流れに沿っているのではないかとも、思う。
ここで改めて、故人に対してご冥福をお祈りするものです。
和琴半島に続く、エゾ山桜の並木道。
開花は、5月末頃になるだろうか。
そのお通夜の席で、私の横に座られた弟子屈町長から、「三上さん、オレと同級だったよな。いやー、お互い、あと20年は生きられないだろう?・・」
葬儀の席でもあり、また幾度となく町民の弔いの顧問として参列されている町長だけに、ある種、実感が込められ、引導を渡された思いがした。