梅干し徒然

梅干しの魅力を語りたいと思います。

お茶うけにお菓子に代わって美味しい梅干し「ゆた香」を

2018-10-28 16:40:20 | グルメ


 
昭和60年代は名古屋に住んで、主人の会社を手伝っていました。有限会社わきざかの創設により、名古屋の東区のセントラルパークの近くに、「ギャラリーわきざか」を作り、絵画、和食器、そして梅干し、私が感動した美味しい梅干しが、お茶うけのお菓子の代わりになると信じて、喫茶コーナーも設けました。「食べる宝石 ゆた香」はちょっとした話題になり、地元のテレビ局が、取り上げてくれたこともありました。


梅干し ゆた香 について

2018-10-26 13:26:57 | グルメ


 大きなケースをぶら下げて、取引先のお歳をめした所長さんが事務所にお越しになり、お土産ですと差し出されました。何ですか?と訊ねると、「う・め・ぼ・し」と、区切るようにおっしゃいました。笑顔で受け取りながら、内心は、事務所のみんなと分けられる甘いお菓子の方が良いのになと思っていました。案の定、若い人には、不人気で、誰も食べたがらないので、ケースごと持ち帰ることになったのでした。それが、梅干し「ゆた香」の原型と出会った最初でした。
 その晩の食卓に、大きく、柔らかそうで、おいしそうな梅干しを早速ならべました。梅干し嫌いな主人も、子供たちも、口にして、「うん!違うね!」とつぶやき、私は、口に入れた瞬間、甘く、そして酸味があり、その甘みがあとに引かないさっぱり感に、おいしいと思ったのでした。梅干しは酸っぱく、しょっぱくが私の常識でした。梅干し感が変わったのでした。義母から教わった梅干しを作りを金輪際やらないと誓ったのは,この時からです。

 根からのお節介から、「おいしい梅干しみつけたわよ!」と友達にふれまわり、「人生変わるわよ!」と輪がひろがり、私の事務デスクの周りはダンボールの箱だらけになりました。和歌山の農場から、取り寄せて、友達に配達していたのです。
 
 それを見て、「そんなに人気があるのだったら、いっそう商売にしたらどうですか。これからは高齢化が進みお年寄りの時代になるので、梅干しも良いのではないでしょうか?」その言葉がきっかけで、農園と契約を結ぶ話がでてきたのでした。

 主人と一緒に和歌山の農園にOEM契約に行きました。農園の社長は快く承諾をしてくれました。当時まだご存命だった社長のお父様は、現役で畑にでておられて、うちの畑の梅は余所と比べると、一目瞭然で、量、大きさ、色も良いのだと。梅と畑にかける愛情が違うのだよとおっしゃるのです。その話をお聞きして、農園への信頼感がぐんと増したのでした。

 厳選された梅でまとめた、紀州減塩梅干し「ゆた香」の誕生です。昭和61年8月、有限会社わきざかが始まりました。