たっつぁんのwahahaの日々

うたを歌っています。川下りをします。
キャンプもします。
そんな遊びの毎日を書いて行きます。

巻南小学校6年生を送る会

2015-02-26 | ライブ
2月24日、巻南小学校の6年生を送る会がありました。

5年前、校長先生と意気投合して、6年生を送る会の歌を作ることになりました。
1年生から5年生まで全員、6年生に送りたい言葉やエピソードを書いてもらいました。
そして、その中から言葉をつなげて、歌にしました。
「ありがとう」という言葉がいっぱい書かれていました。

この歌は、子どもたちが毎年新しい詩を作って発表されます。
今の気持ちが歌われることになります。

子どもたちが自分たちで書いた詩を歌うのだから、気持ちが入るよね。
子どもたちの声が体育館に響きました。

6年生のみんな、ありがとう! そして おめでとう!

3月8日は東久留米で歌うよ

2015-02-17 | ライブ
 そして、翌日、3月8日(日)



 二本松はじめさんが企画してくれたコンサート。
 「忘れない 3.11」
 東久留米駅すぐ近くにある、成美文化会館で 午後1時30分スタート。開場は午後1時。

 二本松さんとはもう30年以上のつきあい。行ったり来たりしてきたね。
 「たっつぁんベスト」が完成したので、そのお祝いに呼んでくれた。うれしい!!
 「たっつぁんベスト」いっぱい持って行くね。たくさんの人に聴いてほしい。

 コンサートは全レク一座のみんなとの競演。二本松さんとも競演もあるよ。新潟からも歌人たちが一緒に行くからね。「たっつぁん&本沢あきよし」の時間に、新潟の歌人たちにもうたってもらうよ。こんな風に歌えるのがいいね。
 
 新曲も歌います。

 今日も東北に地震があった。津波が寄せてきた。余震は続く。現地の人たちの暮らしはまだまだ復興していない。原発事故は収束していない。

 歌いたいことはいっぱいある。歌いたい想いもいっぱいある。
 3月8日に会いましょう。近くの方、おいでください。
 会えるのを楽しみにしています。

3月神奈川、東久留米で歌うよ

2015-02-17 | ライブ
 3月7日、午後6時から、中央林間のパラダイス本舗で歌うよ。

 「たっつぁんベスト」で一緒に演奏した佐藤克彦さん、倉井夏樹さん、酒井杏さんが企画してくれた。うれしいよ!

 夏樹と杏ちゃんは新潟生まれで、小さい頃から一緒に演奏していたんだ。神奈川へ行っても、行ったり来たりでライブをしてきたね。そして、「いつかそっちでコンサートできたらいいね」って、話していたのが実現します。うれしいな。やっと行けるよ。



 新潟から、蒲沢正秀、北村新、酒井淑幸、たっつぁん&本沢あきよし、藤しんいちろうが歌います。「新潟からの歌人たち」っていうタイトル。

 地元でホスト役をつとめてくれるのは、佐藤克彦、倉井夏樹、CHiKA、酒井杏。
ありがとう!!楽しみにしています。

 会場は「パラダイス本舗」(大和市下鶴間1541-5 Tel/Fax 046-274-3948) 
 ★小田急線、田園都市線 中央林間駅 徒歩 6分★

 新潟の風が届くといいね!!

玉井くんのこと 2

2015-02-16 | 日記
 玉ちゃんのホームコンサートに行った。伊那の春日さんもやって来てくれた。嵐山で豆腐定食を食べて、亀岡までトロッコ電車で行った。保津峡はカヌーもできる気持ちいい峡谷だった。風が気持ち良かった。
 玉ちゃんの家はコンサートが出来るように、小さな小さなホールがあって、音響も揃えてあった。うたをいつも身近に感じていたんだろうな。
 玉ちゃんの地元の人たちが集まってくれた。京都時代の文ちゃんや友だちもやってきてくれた。突然、フォーク集団ポロの時代に戻ったようだ。
 こんな関係をずっと続けてきた玉ちゃん。素晴らしいね。うれしかった。
 
 あ、思い出した。郵便受け事件があって、亀岡の玉ちゃんのホームコンサートに行く前に、玉ちゃんが新潟にやってきてくれたんだ。
 角田山妙光寺さんでのコンサート。このコンサートの打ち上げは地元の人たちが料理を作ってくれて、同じ会場で打ち上げして盛り上がったな。田島征三さん、おおたか静流さん、長谷川義史さん、大友剛さん、吉田一郎さん、そして新潟の歌い手たち勢揃いの大掛かりなコンサートだった。その印象が良くて、地元亀岡のメンバーに話してくれたんだ、それでスムーズにホームコンサートができたんだね。ありがとう!

 そして、新潟と川越でのフーテナニーにやってきて歌った。歌うことがどんなにかうれしかったか。奥さんも一緒にやってきたね。

 川越で行われた「赤パンコンサート」が最後のコンサートになった。このコンサートには行けなかったけど、埼玉の人たちが言うには、「小さな小さな声、でも、うたいたい気持ちが伝わって来て、、、歌うって伝えたいという想い、伝わるんだね」って。

 玉ちゃんはこれが最後とわかっていたんだろうか?京都に帰ってからすぐに入院したと聞いた。

 玉ちゃん、いっぱい、いっぱい ありがとう!!
 一緒に歌えて良かった。

 合掌

玉井くんのこと

2015-02-16 | 日記
玉井真信さんが亡くなった。
玉ちゃんといつも呼んでいたので、玉ちゃんで書くね。



 京都でフォーク集団ポロに入って、うたを歌い始めた。うたを作ったのもこの時だった。フォーク集団ポロは中島光一さんが中心になって作ったサークルで、関西フォークの精神を継承するサークルだった。アメリカのフォークソングの歴史を学んだ。ウディガスリー、ピートシーガー、公民権運動、ブルース、日本民謡、わらべうたなどなど、フォークソングの原点を学んだ。そして、歌づくりを始めたのもここからだった。
 フォーク集団ポロに玉ちゃんが入ってきた。一緒に歌った。一緒に遊んだ。一緒に歌づくりもした。やさしい人柄でみんなは玉ちゃんを頼りにしていた。
 その後、新潟に帰ってしまったので、彼らとは直接のつながりがなくなったのだが、玉ちゃんは京都フォークソング連絡会議の中心メンバーになり、「うたの里」の企画にも参加していた。
 しばらくして、玉ちゃんは歌うのをやめたらしい。子育てやいろんなことがあったんだろう。年賀状のやり取りだけが続いていた。

 ある日、それは、、、。郵便受けを開くと、茶封筒にMDとテープが入っていた。封筒には切手が張ってない。後ろを見ると玉ちゃんの名前が、、、。ということは、京都にいる玉ちゃんが住所だけを頼りに、ぼくの店に来て、朝早く郵便受けに入れていったということなんだと気づいた。
 なんてことを!電話でもすればいいのに、、、。ここまで来ているのに連絡もなしに、、、。
 そのテープとMDは今住んでいる亀岡でうたい始めたグループの録音だった。オリジナルの歌がぎっしり入っていた。
 歌っていたんだ! すぐに電話した、久しぶりに話した。

 玉ちゃんが地元で地元の人たちと歌を作って歌い続けている!!
 玉ちゃんがやっているホームコンサートに行きたくなった。突然連絡して、「今度行くよ」

この項 続く