goo blog サービス終了のお知らせ 

*「魁!!女塾」*

THE GOOD LOVIN’sというバンドでギターを弾いています
京都市在住

対バンの思い出①

2008年02月15日 | ★Music

ライブの日、必ずその日共演するバンドさんが2~5組います。
「対バン」とウチらはいいます。

ライブ前はリハをしているのですが、
ライブハウスに着いたら、対バンの人に会うたびに

「おはようございます、今日はよろしくお願いしまーす」と
実にサワヤカに挨拶をするわけです。

みなさんそうですし、ウチらもそうです。

が、昔はそうではありませんでした(少なくとも私の周りでは)。


私は18歳から24歳まで大阪でバンドをやっていました。
全部ギャルバンです。

ハードロックギャルバンのイベントによく出ていたのですが、
楽屋はそれはもうとても
くつろげる場所などではありませんでした。

挨拶とかもビミョーで、
「ざーす」と言うくらいか、
しないヤツもごろごろいます。

ちょっとファンがたくさんついてるバンドだと何かと幅をきかせてきて、
やれ楽器を踏んだだの、
楽屋で場所を取り過ぎだの、
鏡前を早く明け渡せ
などといちゃもんをつけてきます。


わたしは自らケンカを売ることなど1度もありませんでしたが、
ただし必要以上にエラソーにされるのは絶対にイヤなので、
売られたケンカは必ず買いました。

みんなはどうだったのかわからないし、
それが時代なのか、
自分らが単に子供だったからなのか、
はたまたギャルバン同士だったからなのか、
もしくはガラ悪いライブハウスに出演していたからなのかよくわからないけど、

とにかくそれが普通だったんです。
そんな世界でした。

今では考えられない。
ホンマに一体なんやったんでしょう


対バンはとにかく敵で鎬を削りあう、とにかくそんな記憶があります。



でもまぁ、今でもサウンド面においては鎬を削り合っていきたいとは思いますが。

つづく。


神様への捧げもの

2008年02月14日 | ★Music

11日にライブで共演したバンドの中に、
カッコエエ年上のお姉さま2名発見。

お二人はヘヴィメタルバンドのボーカリスト。
楽屋の時から「おねえさんたちカッコエエですね」と
なついていたのですが、
ステージを観てさらに度肝ぬかれました。
まさにメタルクィーン。

そしてお二人は子供がおられるそうで、
ステージで「おかんロッカー」と名乗っておられました。

「おかんロッカー」
その言葉に再び昇天。

だってオカンでありながら、
独身女ロッカーよりよっぽど気合入ってんだもん。


ライブ後、楽屋でねえさん二人とメグの3人で
三角形トライアングルになって語り、

「あたしは今何歳だけどアナタは?」とコッソリ告白し合い。

そうして熟女のトライアングルを形成していると
ウチのメンバーたち(♂)が「こ、濃すぎる…」と遠巻きに引いていました。

わたしには子供がいないけど、
「いつか子供が出来たら仲間に入りぃ」ってねえさんが言ってくれて、
そんな日がくるのだろうかと思ったけどうれしかった

女ロッカーなら一度は思うことがあると思う。
「いつかやめなきゃいけない日がくるのか?」


ねえさんらも思ったんだって。
子供が生まれたとき、もう出来ないかもしれないって。

ねえさんはひとついい話をきかせてくれました。

「芸術ってね、音楽なんかもそうなんやけど、神様への捧げものなんですよ、
いい音楽を作って神様に捧げる・・・
そうしたら神様が、いつまでも続けさせてくれる、そんな気がするんですよ」


ステージでは、超イカツくてセクシーで、華やかで派手で、
バリバリのメタルクイーンだったねえさんが

ライブ後、すっかり私服に着替えて口紅を落とし、
楽屋の片隅でハスキーボイスの小さな声で聞かせてくれた話。


すさまじいもの

2008年02月10日 | ★Music

すさまじすぎるものを見ました。

某ライブハウスでたまたま見かけたシンガー。

「ウザイ」という言葉がピッタリな阿鼻叫喚のステージを繰り広げ、
地獄絵図って感じなんだけど、
釘づけになっちゃった。。。

「ウザイ」って言葉、
活字で使うのはばかるけど、あえて使うね。


そこそこ「ウザ」かったら、
本当に「ウザイ」んだろうけど、

もう普通の「ウザイ」の域じゃないん。

徹底して断固として「ウザイ」と、

ある種の感動を覚える。

そして妙に、実に、感動してしまう。

そして「ウザイ」という言葉は称賛になる。

日常生活で「ウザイ」って言われようと思ったら誰でも簡単だ。

でも、
ステージで「ウザ」くなれるのってある意味スゴクないか?

ステージでウザイって言われるのって結構難しくないか?

だって、ステージでは。
いい意味でも悪い意味でも、かなり強烈な個性がないと
「ウザ」くはなれない。

あの人、ある意味ナンバーワンや。
わたしにはある意味輝いとった。


RECミッション完了

2007年11月19日 | ★Music

週末にギターでレコーディングをしました。
自分のバンドのじゃなくて、DScratchのボーカルjyun君の。ひとりプロジェクト用の曲だって。


レコーディング中に怪奇現象が起こりました。

NGテイクの中に、なぜか明らかにオッサンの声が録れてるんです。

オッサンの正体はjyun君の声だった!とかいうオチは一切ナシです。


でも、よくよく考えたら、
ちょうどその箇所は弾き終わりにあわててミュートをし、
ミュートしきれなくて変な音が鳴ってしまった箇所。
どう聴いても、明らかにオッサンなのよ
確実にオッサンが外国語で叫んでる。。。

何度も再生しては「コワイ!コワイ!」とゲラゲラ爆笑。

「気持ち悪いからオッサン消そうよ。もう一回弾くから」とjyun君に言うと
「いや!このオッサンは使える!」とjyun君はノリノリでそのトラックを採用していました。


普段のスタジオとかならOKな範囲のリズムのズレも
レコーディングでは録り直し。
1小節を全音符でジャーンと弾くだけのものがこれほどにも難しい。。。

普段、いかにいーかげんに弾いてるかという事を改めて思い知るいい機会。

この日はさんざんNGを出し
(ゴメンもう一回!と何回言うたやろう…)、

途中で井村屋のあずきバーをいただきながら、
可愛い猫ちゃんに心奪われながら
最終的にjyun君にギター気に入ってもらえ終了。

この日録音した曲のギターは、DScratchのギタリストsige君とのコラボレーションです。

画像はエフェクターを操作するモリゾー君。


伏見呉越同舟合戦

2007年10月25日 | ★Music

昨日、スタジオでまたもやロックバンドDScratch(略してDS)に遭遇した。

スタジオで遭遇するたびにイタズラ合戦を展開しているが、
これは2バンド計8名の
「小ネタずきの血」のしからしむるところであろう。

戦はなぜか、練習中の敵のに何かを仕掛けるという
実に小学生レベルの可愛いものに限定されている。
誰が定めたルールなのかわからない。


しかし4回戦の今回、
我がバンド和風流あわや滅亡の危機となった。


我々が重い防音扉を開けて休憩に出てきたところ、
まず、かわいらしいが我々の靴の上に置かれていた。
「わぁー可愛い!」と絵に気をとられていたのだが
それはおとり作戦であり、であった。

我々のスニーカーが、
あたかもスケートリンクの貸シューズのごとく
左右の紐を一緒くたに結わえられていたのである。

何も知らずスニーカーを履いたウチのメンバーが
足を前に出すことが出来ずブザマに床に転倒、足を強打!


敵軍DSは床に転がる我々を不敵な笑みを浮かべて見下ろしているのかと思いきや、
「だいじょうぶ?だいじょうぶ?」
と意外におろおろしていた。
なんだわりかしイイヤツ。

なぜか、私の靴だけがノーマル状態で無事だった。

DSが引き揚げたあと
「なぜにわたしの靴だけ無事?」と首を傾げていると、
ドラムのBa’Lが

「決まってるやん、怖いしやん」。


スタジオ徒然雑記

2007年10月11日 | ★Music

今週、スタジオで新曲を始めた。

今日はドラム・Ba'Lの元バンドメンバーである弟分が
Ba'Lに会いにスタジオに来ていた。

Ba'Lは相談を受け「せやからオマエはあかんねん!」を連発していたが、
実に愛のある、可愛いくて仕方ないという雰囲気だった。

普段そういうBa'Lを見る事はないので珍しい。
ふたりとてもイイ感じだ。

そして今日はスタジオにて仲間バンドのDS(DScratch)と遭遇。

ウチらより先にお帰りになったのだが、
ウチらがスタジオから出てくると、
ウチらの靴やスリッパがてんでバラバラの方向を向き散乱している。


「まったくウチのメンバはお行儀悪いのね」
と思っていたが、
靴たちをよーく見ると、計16足で「D」「S」の文字になっていた。

おまけに靴の中にはタバコが詰め込まれている!!

DSとはスタジオで会うたびにイタズラ合戦を繰り広げている。
今のところ2対1でDSのリードである。
中学生か。。。


和風流のボーカル・アキラ君は、
いつもかなり股上の浅いローライズのデニム(しかもレディースサイズ)を穿き、
トップスもピタピタの丈短のものを愛用する。

つまり真冬でもエブリデイ「ヘソだしファッション」なのだが、
今日はローライズデニムから2枚の「大判シップ」がはみ出ていた。
それはもうめちゃめちゃはみ出ていた(画像)。

「そんならローライズやめて普通のジーンズ穿かはったらええですやん!」と突っ込まれていたが、
アキラくんは腰ばきローライズしか持っていないのでどうしようもないんだそう。
どうぞお大事に…


音のなまえ

2007年07月13日 | ★Music

現在マルチエフィクターを使用しているわたしは
作ったギターの音を保存する際に、
すきな場所にランダムに保存しまくっていた。

そんなに何種類もの音を使い分けたりはしない。
でも「あの曲のあそこにはアレ!」と
ピンポイントで必要なヤツがあるだけ。

しかし最近、
スタジオでメンバーに
「ひさびさにあの曲やらへん?」と突然振られると
必要な音をすぐに呼び出せない始末。

今日、めんどくさいけど観念してエフェクターのメモリを整理。

そしたら、
「なんやこの悪い音! 作ったの誰?!」な古い音が出てきて
即消去。

作った音に名前をつけて保存できるのだが、
わたしのエフェクター内には

「ガンジス・リバー」
「ナマステ」
「サンセット・ドライブ」
「ナカジマ(中島)」
「Shooting Star」
「O・YA・JI」
「YO-SUKO(揚子江)」
などという名前の音が存在する。

以前は「ドライブ1」「ドライブ2」「ソロ1」などと簡単な名前をつけていたのだが、
それだと自分でどの音だったか忘れてしまうのだ。

今回、新しい曲用に新しい音を作った。
私の機材には、まったく不必要な複雑な機能がたくさんついていて、
「こんな人工的なの使う人いるの?」と普段は無視しているのだが。
今回どうしてもハモりたくなって(ウチはツインギターではない)、
初めて「ハーモニスト」という自動ハモリ機能を使ってみた。

その音の名前をメンバーから募集したところ
「おすぎとピーコ」「マナ・カナ」「ザ・たっち」という候補が出て競っていたのだが、
結局「ザ・たっち」と入力してメモリーボタンを押す。

そういえば。
口紅って、ピンク系なら「PK-154」オレンジ系なら「OR-289」
ローズ系なら「RS-276」みたいに事務的な品番をつけてるメーカーが多い。
今はどうか知らないけど、
昔クリニークとか資生堂の口紅には、
「SWEET HEART」「サンセット・オレンジ」など、とっても可愛い名前がついていた。

名前に惹かれてよく衝動買いしてたなぁ、微妙に色合いが違うだけの似たような色を幾つも。

でも、名前があると愛着が湧くのは事実なのだ。


スタジオ!

2007年07月12日 | ★Music

今日はスタジオでおもしろいこともあった。
ウチのボーカル・アキラ君がお手洗いに行った。

戻ってきて「おまたせ~、次なにやろっか」と
私の背後でおもむろにマイクをつかんだのは、
振り向くとアキラ君ではなくディースクラッチのボーカル・jyun君だった。
ほんとうに驚いた。

ディースクラッチ様と時々スタジオで遭遇している。

土禁のスタジオなんだけど、
前回スタジオで彼らに遭遇した日、
脱ぎ揃えられていた彼らの靴の中にイタズラをしかけて知らんぷりしていたのだが、

今日はナニを仕掛けよう?と思っていた矢先、
先に我々の靴の中に似顔絵が投入されていた(画像)。
裏面がゴキブリ駆除のチラシだった。

休憩中にロビーで会ってムダ口を叩き
「休憩ばっかりしてんとさっさとはよ練習してこいやー」と怒られる。


新曲の名前は

2007年06月23日 | ★Music

いったいウチのバンドには、作ってきた曲が何曲あるのだろう?
と最近まで把握していなかった。
いち、に、…と数えてはみるのだが、いつも途中でよくわからなくなってしまう。


理由は
曲名がちゃんと決まってないものが多いからだ。
だから数える時戸惑う。

曲名がないもの、もあるが、
思いつきでつけた変な仮タイトル
そのまま通称になっているものがある。


よそのバンドはどうなのかわからないけど、
いや、でもきっとどこのバンドにもあるはずだ。

ライブの日、PAさんに提出するセットリストにはちゃんとした曲名を書くくせに、
自分らの足元の曲順表には自分らにしかわからん変なタイトルがついとったりすることが。


うちのバンドにはそういうのがいくつかある。
全然そんな内容じゃないしそんな歌詞も出てこないのになぜか「東京」って呼んでる曲が。
それに「ロン毛デス」って呼んでる本当は「ロンリネス」っていう曲が。

今週は、スタジオでまた新しい曲がいっこ増えた。
私以外のメンバー(野郎です)がその曲をなぜか「S.O.D」と呼んでいる。
昨日ふと「S.O.Dってなんだろう」と思い聞いてみたら、

「知らんの?ソ○ト・オン・デマンド を」
「???」

・・・・。
ソ○ト・オン・デマンド社とは、
A○業界で確固たる地位を確立してる会社なのらしい。

あ、そうなんや・・・って○Vとあの曲に何の接点が?
確かに禁断の愛的な歌詞だけど。。。


そしてさらに
「ソフ○・オン・デマンドってほんまに大革命を起こした会社やねんで、
それまでは1本1万円が相場、それをやな、一気に3千円代に!
しかも女優さんのクオリティーを落とすことナシに、やで! な、スゴイやろう?」

とSOD社の歴史と世の中への貢献について嬉々として語る某メンバーであった。

そう・・・よかったわね・・・・。


大阪エレジー

2007年04月25日 | ★Music

日曜、大阪に行ってたけど、
心斎橋に行くのひさしぶりやった。

18歳から24歳まで大阪に住んでた。
わたしの年齢、引く24。
それがたぶん心斎橋に行ってない年数。


京都に帰ってきてからも大阪での暮らしが恋しく
何度大阪に帰ろうと思ったかわからないけど
私わりと環境になじむほうやから、今いるその郷を愛す。
だから大阪でのことはすっかり思い出になってしまってた。

大阪には用事で行っても(それも数回だけ)、
心斎橋に行くのはなんとなく避けてたんかもしれん。
また帰りたくなってしまいそうで。

大阪にいた時は、遊びもバンドも仕事も全部心斎橋だった。
心斎橋に行けば、いつも知ってる誰かがいた。

日曜、御堂筋線の心斎橋駅について階段あがったら、
知らないお店がいっぱいできてた。

心斎橋SOMAというライブハウスに行こうとしてて、
場所ワカランからケイタイでライブハウスに電話をかけて
「あー、今ソニータワーの前にいるんですけどー」って言おうとしてふと見上げたら
ソニータワーがない。
一緒に居たトラちゃんが「もうなくなったんやで」と教えてくれる。

そうなんかー
そらそうや、わたしが住んでたんは心斎橋オーパができたばかりの頃やもん。

心斎橋筋商店街をちょっと歩いた。
いろんな事を思い出す。

地方から出てきてフリーターしながらバンドやってる友達がたくさんいて、働いてた店。

道頓堀の大蛸でタコヤキ焼いてたゆうじくん。
心斎橋筋のゲーセンでバイトしてた、のちにキュリオというバンドでデビューしたK君
(UFOキャッチャーのぬいぐるみを行くといつもくれた)、
清掃会社のバイトしていつも大丸の玄関をモップとちりとり持って働いてたベーシストY君、
インド雑貨の店でバイトしてたボーカルのようこちゃん。
イシバシ楽器で働いてたギタリストH君。

今はもう、みんな心斎橋にいないのをしってるし(どこにいるのかも知らないよ)、
いるわけないのに、ハタチすぎの頃の友達の顔をその店を通るたびに思い出す。

そんなセンチメンタルなことをしたくなかったから、心斎橋にずっと来たくなかった。

よそのバンドとケンカになって出入り禁止になったアメ村のスタジオ。
ライブの打ち上げでたびたび記憶をなくした居酒屋。
用もないのに入り浸ってたアメ村の楽器屋Gクラフト。
今ではスタジオでケンカすることなんてあり得ないし、
記憶をなくすような飲み方なんてもうしないし、
楽器屋へは弦とピックがなくなった時にしかいかない。

でも、一度きてしまえばもうへいき。
今度心斎橋に来た時にはこんなセンチメンタルな気持ちには全くならへんと思う。
「キャー京都にこんな店ない」とか言いながらお買い物してると思う。

女って、あきれるくらい切り替えが早い生き物。