行ってきてしまった夢のライブに。
わたしが10代の頃に憧れたヒステリックスと言うバンドのボーカルJさんとギタリストCさんが
今夜 京都で同じステージに立った。
音楽やってる人間にとって
10代は高度成長期。
その頃受けた影響って、
確実に血となり肉になる。
あたしの中に、JさんCさんからの影響はとても大きい。
今でも曲、音源もないのにほとんど全部覚えてる。
JさんとCさんは今は別々のバンドをしてはるけど、
両バンドとも、ときめいた。
あぁ自分はこの人らに憧れてずっとバンドをやってきたけど、
やっぱりかなわない、と大いに思った。
Cさんとは面識があるけど、
Jさんに会ったのは実に15年振りで、
会話をしたのは初めてだった。
Jさんは今は他府県に住んでるけど、「Jさんが京都を出てからも、あの頃Jさんらに
憧れた人間は今もギターを弾いてます」とか伝えたかったのに、
全然うまくしゃべれんかった…
JさんのバンドがCDを出したので購入しようとしたが、
行きしにソフトクリームを食べながら歩いてきたのが原因で所持金が足らず、
1500円とナイスプライスなCDを買うことが出来ぬ!
財布の中の小銭をテーブルに全部ならべ呆然としていたら、
通りかかったCさんがサイフを開けて小銭をくれ、無事購入。
あんなに憧れた人に小銭をもらいCDを購入する、あつかましいワタシである。
帰り道、買ったばかりのCDの封をバリバリと開ける。
歌詞を今すぐに見たいから。
こんなふうに、家まで待ちきれず開封してしまうCDがあるなんて。
ヒステリックスを観に行ってたときあたしは17歳で、
たしか彼らは23歳だったと思う。
23歳なんて、今のあたしはとっくに過ぎてるのに、
いつまでも、どんなに手を伸ばしても、あの頃の彼らにも、いっこうに追いつけない。
帰り道、30分はかかるはずなのに、
ほんの2、3分で帰ってきたような気がした。
夢見心地で時間感覚がイカれていたのだろう。
我がバンド「和風流」のBa'L、アキラ君・
そして兄貴分である吉川君が幹事を買って出てくれ、
祇園のライブバー「グリース」にて
二次会を開いていただきました。
親愛なる人々が駆けつけてくださり
京都のバンドD Scratchのボーカルjyun君が司会をしてくださり(実に名司会!もはや素人ではない…)、
大好きなプレイヤーさん達が4組も演奏してくださり
感謝しています。
親愛なる友たち、今日のことは忘れません。
そして我がバンド「和風流」のこの日演奏しました。
やってて楽しかったです。
演奏は激荒でしたけども。
和風流ライブの感想を後日メールやら電話やらで伝えてくれたのですが
「エロいなー」
「アヤシイなー」
「濃いぃな」
「淫靡な世界」
ほとんどがコレでした。。。
そんなにエロイかな。
曲がエロいと言われるのは予想外でしたが、
ファッションはエロにこだわってました。
エロといっても、ロックなエロだけど。
あのね、和風流はアタシが紅一点なんです。
それなのに!
明らかに野郎たちのほうがセクシーであるという事実!!
今日はボーカルのアキラ君とお買い物に行きました。
パツパツのショートパンツを手に試着室へ入る。
無理やりジッパーをむぎゅうぅと閉めて試着室から出てくると
いつもは「お似合いですよ」とか紳士的な店長が
「それエエんちゃう~ん!?」
と初めて敬語を崩したので、
こりゃアタシ本当に似合うんでは?!と勝手に思い込んで購入しました。
アタシは買い物が早いです。
アキラ君はRED PEPPERののデニムを試着。
アキラ君25インチ メグは27なのに。
つぎ十字屋へ行き、いろいろ試聴。
その後、アキラ君と私(カエルずき)は二人して今さらながら無性にパペットマペットが欲しくなり、いそいそとドンキホーテに直行しましたが売ってなかった
和風流デビュまであと4日であります。
ここにボーカルAKIRA君の歌詞の断片をちょっと紹介。
「暗闇だけで繰り返される本気の愛撫 I want to take you higher」
「僕より短い髪をかきあげたアナタの」
「笑顔ひとり占めできるなら 僕はピエロにだってなれるから」
この3つは特にお気に入りの歌詞。
和風流2007年のテーマはずばりエロと純愛?!
和風流デビュまであと5日であります。
今、先週スタジオで録音したヤツを聴いてます。
今度はなかなか各メンバーの音量バランスも良くとれました。
テープ式テレコ(会議とか録音するのに使う昔からあるアレね)で録りました。
スタジオによくある、マイクで拾ってMDに録音するヤツ、イマイチだな。
高音だけやけにクリアーに拾ったり、
ボーカルだけ妙に臨場感あったり、なんかイヤ。
距離感がヘンなのだー。
その点、テレコはいいよ
空気感がある。
ちょっとモコモコするけど、
アタシは中域がよく出てるのが好きだから逆にいい。
自分のギターを聴いて、
虹色さがたりないと思った。
昔、年上の兄さんが言ってた言葉を思い出す。
「ギターっつうのはな、ボーカルの合いの手なワケ。
バッキングとかソロとかじゃなくてな、
ボーカルが途切れたり伸ばしてる時にいかにオイシイ合いの手を入れられるか。
音を厚くするためだけのギターはギターの役割を果たしてない。
おまえはそういうギタリストになるなよ」
わたしはこれまでバンド生活の中の半分はツインギターでやってきたので、
近年はずっとひとりギターだから、ついつい「音が薄くなんのはヤだわ」のあまり、
ついスタンダードなバッキングに徹しがちになるけど、
もっともっと虹色ギターを弾きたいなと思う。
合いの手、でいうとリッチー・サンボラなんかはすごく虹色ギターだなと思うなー。
先日スタジオバンビのママと男子禁制トークをしました。
また、スタッフのオクちゃんはいつもお仕事の合間に遊んでくれます。
オクちゃんはメンバー全員が一目置く存在。
オクちゃんのカラミはいつだって知的でハイセンス。
うちのメンバーが突然どんな話題をふっても、
それがどんなに意味不明でカラみづらかろうとも
すばらしい返しをしてくれます。
こないだアキラ君とバンビの近所にある某スタジオの前を通りかかり、
「ここのスタジオもええトコやねんけどさー
ただ、ここ駐車場ないし、階段いっぱい登らなアカンし、
それにここにはオクちゃんがいないし」
という理由でもちろんお流れ。
我々は断然スタジオバンビラブなのであります。
去年の10月21日。
今一緒にバンドをやっているボーカルのアキラ君と
はじめてまともに会った日だ。1年だ。
スタジオで偶然会ったのだが、その日アキラ君は
誰も見てないのに、
ケータイやジッポのライターを使って
延々ひとりで小ネタSHOWを繰り広げていた。
「!! このおもろ過ぎる金髪のおにいちゃんは何者!?」
とかなり衝撃だった。
そこで音楽の話で意気投合した、わけではない。
ひたすら買い物友達として、
ベロの服(ストーンズのTシャツ)やら
穴のあいたジーンズなどを買いによく出かけていた。
またアキラ君愛用のヒョウ柄ビキニショーツ
(なかなか売っていないそうだ)探しツアーの
お供をしていたのもこの頃だ。
ルーズソックスが売っている店で
アキラ「俺、1回アレはいてみたかってん」
メグ「メグも!買ってみる?」
と悩んでいたのもちょうどこの頃だ。
アキラ君が
「ものすごええハンバーグ屋いこ」と言うので
どんな高級店に着くのかと思っているとびっくりドンキーに到着し、
彼の小ネタぶりに悶絶していたのもこの頃だ。
(現在に至っても和風流用語では、びっくりドンキーを「ええハンバーグ屋」と呼ぶ。
また同義語としてCoco壱番屋を「ええカレー屋」、吉野家を「ええ牛丼屋」と呼んだりする)。
のちに一緒に音楽をやる、という気配は全然なかった。
それどころか、
その頃アキラ君のやっていたバンドのギターとドラムが抜けてしまったので、
私は友人をあたり紹介していたくらいだから。
それに私も当時やっていたバンドは最後のバンドだと思っていたし。
不思議なものです。
今バンドで6曲目の曲を作っていて、
そのうちの半分以上は作曲メグ・作詞アキラ君のコラボです。
ランナウェイズのドラマーだったサンディさんが
10月21日に癌で亡くなられたと知った。
「We shared the dream of girls playing rock and roll.」
これはランナウェイズのメンバーだったジョーンジェットがサンディさんの死に寄せたコメントだという。
「shared the dream」に胸を打たれました。
夢を分け合っただなんてジョーン。。。
わたしも10代の終わりから20代の真ん中まではギャルバンばかりしてて。
あえて、全員女子でやったらカッコイイかなぁ、と思っていて。
言葉にしたことなんてないけど、
ある意味「 shared the dream of girls playing rock」だったのかも。
でもサンディやジョーンはあたしたちよりもっともっと前の時代の人で、
世界中の男を虜にしたガールズロックの先駆者、しかもイカツいガールズロックの先駆者ですから、
あたしらなんかより、それこそ本物の「shared the dream」だったはず。
今は私はギャルバンをしたいと思わないけど、
憧れたんです、ランナウエイズ。
いつか再結成してくれたらと思っていたけれど、
サンディが亡くなって、不可能になったね。
サンディやジョーンに憧れて楽器を持った女子は世界中にたくさんいると思う。
天国のサンディさんや海外のジョーンに向かってメグは叫びたいなぁ、
「ねー、日本のココにも、アナタに憧れてやってる人がひとりいまーす」ってね。
心からご冥福をお祈りいたします。
ちなみに私がかつて「shared the dream」した大阪の女の子たちが
現在どうしているのかはひとりも消息がわからない。
天王寺のユキ、西成のタカミ、尼崎のキヨミ、吹田のヨーコ。
みんななんだか激しい人生を生きる女子だったから、あちこち転々として、
いつか連絡先もお互いわからなくなってしまった。
ダストンボーンズのライブ後に我々にはひとつミッションがあった。
同じくライブを観に来ているという、
大阪のバンド「ZACK-BARRAN」のボーカリストOREさんを探し出すことだ。
OREさんは以前私がやってたバンドを何度か観に来てくれたのだが、面識はなく
OREさんは神出鬼没のひとであり、
「ウォーリーを探せ」ならぬ「OREさんを探せ」と称し関係者が捜索を試みたにもかかわらず、捜査は困難を極め、
これまで誰もが対面することができなかった謎の人物だった。
さて、どうやって探し出すか?お顔がわからない。
元リアルスタイルのRozzy君が
「♪オーレー、オレオレオレ~(サッカーのお歌)ってずっと唄ってたらええねん」
と言うので実に名案だと大きくうなづき、
勇んで階段を降りて行ったところ、我々が♪オレオレを唄い始める前に
あっけなく「あ、メグさん」とあちらから発見されてしまった。
「そんなーーっ!!」
約1年に渡る「OREさんをさがせ」は、こうして終止符が打たれた。
あまりにもあっけない終わりだった…
OREさんは、さわやかナイスガイだった。
帰りに和風流のボーカリスト・アキラ君と
元リアルスタイルのボーカルRozzy君と、
Reason for Beingのベーシストtora君と
ATTACK!のギタリスト・会長殿とでゴハンを食べに行った。
この組み合わせはなかなかない。
お友達の女性ボーカリストRちゃんと
女性ギタリストNちゃんと私
3人でお誕生日会をした。
晩御飯をごちそうになったのだが、
ギタリストNちゃんが炊飯器からごはんをよそってはる姿・・・
そしてボーカリストRちゃんがお味噌汁をよそってはる姿・・・
数年前から遊んだりしているけれど、
プライベートのお宅にお邪魔したのは初めてで、
また最初の出会いがとても印象的なステージ上だったものだから、
おふたりのその姿を見て思わず
「ハッ、ごはんよそってはる・・・・」とつぶやいてしまった。
おふたりは「なにそれーアイドルじゃないんやから」と言っていたが、
そうよね、バンドマンもゴハン作る
当たり前なのに不思議な感じがして
ちょっとドキドキしました。
そういえば、ウチのバンド「和風流」のボーカルのアキラくん、ベースのカズヤ、ドラムのBa'L。
上記のRちゃんNちゃんの場合とは違ってドキドキする光景ではないのだが、
わたしはBa'Lの部屋着トレパン姿(スタジオが深夜になる時にたまーに着ている)、
カズヤのコンタクト外した眼鏡ひげヅラ(夕方になるとヒゲが伸び普通に青々としている)
は何度も見たことがあるが、
アキラくんのプライベートおゆるりファッションは一度も見たことが無い。
彼はいつもロックファッションで、友人のライブを見に行くときでさえ、
出演者の誰よりも出演者のような格好をしている。
一度、ロックぽくない姿でスタジオに現れてほしいものである。
でもパジャマとかまでヒョウ柄とか着てそう。
(それにあの人、なんだかヒゲとか生えなさそう・・・)。
再セットアップしたばかりのパソコンは、すこぶる調子がよろしい。
ここ数日は、唯一復元した音楽ソフトにて、
頭の中で作った曲を音に変換している。
メンバーに渡す用だ。
数年前までは、バンドのメンバーに曲を伝える時、
おもむろにスタジオで弾き語ってみたり、
バラードならばピアノでクラシカルに録音したヤツを渡していたのだが、
ITの波に、ほんのちらりと乗ってみているわけだ。
しかし、なんせ、面倒くさい。
これを期にPCに精通した華麗なるITバンドマンに変貌を遂げる事も可能だった筈である!
しかし、なんせ、リアルバンドサウンドにしか興味が持てない。
興味さえ発生すれば探究心がおのずと生まれ、
あれよあれよとIT化してくことうけあいといったところなのだが(?)、
全く困ったことである。
だから私が作ってるデモは実に稚拙なシロモノである。
ソフトに入ってるギターの音色がショボいので、
ギターパートに至っては入力をあえて放棄している有様。
いいのだ、実際に演奏するのは我々生身の人間だもん。
ギターが弾ければ、いい。
ということで、
実に都合よく、そして実に潔くデジタルサウンドの探求を自ら断念している非ITバンド・和風流のギター弾きMEGであります。