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縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●和服・着物・呉服  コメント

2020年01月30日 14時46分16秒 | 文化
●和服・着物・呉服  コメント
NTT食品@絶滅危惧種2011年05月08日
昔から着物の袂(たもと)には魂が宿ると信じられており、好きな異性に向か
って袖を振ることで、相手の魂を呼び込めると信じられていました。


  万葉集の額田王の和歌
「あかねさす 紫の行き 標野行き 野守はみずや 君の袖振る」

とあるように、袖を振ることは好きな相手への意思表示に用いられました。
未婚の女性が振袖を着るのも、かつては長い袖で好きな男性にアピールしたか
らだそうです。
  一方、結婚すると袖を振る必要が無いため、振袖の袖を短く仕立て直して留袖
にしたということです。
  このようなことから、結婚により親との別れを、袂を分かつと言うようになり、
転じて人との別れを表現する言葉に使われるようになったといわれています。




・結婚するとなぜ留袖?
振袖は本来、未婚の女性が愛情表現するためのもので、たもとを左右に振ると
「好き」という意味で、 前後に振ると「嫌い」という意味を表したといいます。
  このように、元来、振るためについた袖なので、結婚すると、たもとを振って
秘かに愛情表現をする必要がないので、着物を振袖から留袖にかえるのです。
つまり既婚者の着物の袖が短いのは、結婚したら他の男性に心を移してはいけ
ないという戒め、もう一つ、昔は一度嫁いだら二度と実家に戻ってはいけない、
  つまり一度留めた(短くした袖)は、二度と元には戻らないという意味もあり
  ます。
昔は今と異なり、一度嫁入りすると盆正月でもなかなか里帰りもできないほど
厳しかったわけですね。

また、男女関係で「振る・振られる」などという言葉がありますが、これも
振袖の「たもとを振る」というところから来たと言われています。




・袖で表す感情
昔は、袖のしぐさでいろいろな感情を表していました。
   控え目な女性にとっては、とても便利なものだったようです。


袖の下==袖にかくして物を渡す

袖を握ってたてに振る==愛情・甘える時

袖をしぼる。袖を目に当てる==悲しみ

袖を広げる==物もらい

袖をふる==断る・おろそかにする

袖をタテにふる==くやしい時

袖を横に振る==すねる時


  
袖を裏返して寝ると恋人の夢を見るといわれています。
  あなたも、今夜あたり、試してみてはいかがですか。
 そで たもとのおはなし
袖(たもと)について
http://www5d.biglobe.ne.jp/~segakey/kotoba-furisode.html


・ちょこっと着物知識
http://www5d.biglobe.ne.jp/~segakey/kotoba-sode.html
袖から生まれた言葉

Saiunさん  2011年05月08日03:15

 志葉楽様の日記を拝見させて頂け、大変嬉しいです。 また、私のコメントから発案されたとは、恐縮の限りです。「呉服」の語源も存ぜず、色々と勉強になりました。

 布団の件ですが、ご存知の様に、江戸時代には庶民はせいぜい敷布団だけで、掛け布団のかわりに夜具(よぎ、かいまき)を着ていたそうで、私はこの時代考証を持たず、大阪市立博物館での「小袖展」で見て意外でした。 時代劇などでは、長屋の庶民も掛布団をしていた様に思っていましたので。
  以下は一応、参照ブログです。 
 
●寝具の歴史 知っているようで知らない寝具の歴史をご紹介 | ねむりくらし
http://nemuri-kurashi.jp/bedclothes/1406-2/
「蒲団(ふとん)」とは、かつてはガマ(蒲)の葉で編んでつくった座禅用の丸い敷物のことを指し、鎌倉時代に中国から禅宗と一緒に伝えられました。わたしたちがイメージするようないわゆる木綿綿入りのふとんが庶民一般に普及し始めたのは昭和以降。それまでは、綿布団はごく一部の富裕層しか買えない超高級品でした。知っているようで知らない寝具の歴史をご紹介します。
戦国・江戸時代/1467年‐1868年

~夜着(よぎ)と綿ふとんの登場~

綿が普及し始めた事になりそれまで着物をかけて寝ていたのが、現在の布団に近いもので寝る習慣生まれ始めます。「夜着(よぎ)」の誕生です。

「夜着(よぎ)」という中世以前にはなかった寝具の名称があらわれたのは16世紀の後半で、それが上方で一般化し始めたのは17世紀の前半でした。

 ちなみに、貴方の前日記上で記した、縄文の服はNHKの番組で見た物で、その写真は発見できませんでした。しかし、下記ブログ写真の男性のものが一番それに近いものです。 上着の下に山吹色の七分袖と黒の長袖だったと記憶しています。多分冬用。 「縄文探求シリーズ【縄文人の衣装と装飾】~縄文人はいつから服を着たのか?」 
 http://www.mars.dti.ne.jp/~takiura/Jyoumon_Fukusyoku.html

大阪歴史博物館の「あおもり縄文まほろば展」では魅力的な装身具や土偶と共に下記の衣服も展示されていました。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~KAIGUCCI/cloths.htm

志葉楽様、この様な機会を与えて頂きまして、誠にありがとうございます。勉強になりました。加えて、長文すみませんでした。


●この様に日本の歴史とは一枚の布に似ている。
何処でどう繋がっているか
戦後コレがずたずたに引きちぎられてきた

元の布にしていきたいモノである


コメント

2011年05月08日12:28
1: bellet
大変 興味深い歴史 有難うございました。

そう言えば、時代劇でも袖を使って感情表現してましたね


.2011年05月08日13:59
2: Saiun
誠にありがとうございました。   この歌を添えさせて頂きたくなりました。
https://youtu.be/4-0WgpDmInI
Bank Bandでの「糸」です。 お聞きになる場合は 「h」を追加してください。


.2011年05月08日16:11
3: 雪柳
大変勉強になりました。
着る衣装にまで、心の表現を重ねた民族は外にもいるでしょうか?
いたとしても、日本ほどではなかったと勝手に思い込んでいます。

着物ではありませんが、平安時代の十二単衣の頃にも
袖を濡らす==涙を流す 隠れて泣く
という意味がありましたね。

日本の着物は美しいです。どんなドレスも比較になりません。
見た目だけではなく、着物には日本人の心が宿っていると思える内容の日記でした。




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