
その後、98年にもアムステルダム・ブリュッセル・ウィーン・ローマなどで大道芸人を行っている。
こんな出たがり屋、目立ちたがり屋のオジサンの道楽を手助けして下さっている、朗読や楽譜点訳のボランティアの皆様には心から感謝したい。そんな旅の中で心に残る一言がある。ウィーンの大工の棟梁が、低音で囁いた。「おいドミンゴ、音楽で金を儲けようなんぞと思ってはいかんぞ。音楽はな、神様から賜った最も素晴らしい贈り物の1つだからな」
さて、この夏の旅行では残念ながら歌えるのは私ひとりである。そこで今回は現地の大道芸人の方と共演することを思いついた。
モナコのギターとマンドリンの若者たち。ウィーンのとっても暗いロシアのアコーデオン弾きとテノール歌手。ヴェネチアの流しのアコーディオン弾きのオジサン等と歌ったが、やはり大道芸人は観光地の花形である。陽気に明るくなくてはいけない。ヨーロッパの観光客は、ラテン系の人とアメリカ人が圧倒的に多い。オット、 日本人を忘れてはいけませんね。
今回の旅で最も印象深かったのは、旅の最終地ローマのナボーナ広場である。空が暮れなずむ頃、アコーディオン・ギター・バイオリンなどの楽器の演奏やパントマイム・似顔絵書きなど、ここは大道芸人のルツボである。
そんなレストランの1つで食事をしていると、ギター2本の伴奏でハイバリトンの素晴らしい歌声が聞こえてきた。お店に向かって歌い、お客様からリクエストも受けている。何曲か歌うと大きな輪のついた巾着を差し出した。チップが見えないように気を使っている。何とかこの人達と一緒に歌える機会を私は狙っていた。チャンスはすぐに訪れた。突然、激しい夕立が降り始めた。広場にいた人達は皆屋根のあるお店へ逃げ込む。もちろん、大道芸人たちもである。先ほどの歌手が私達の居るレストランへ雨宿りに来ているではないか!このチャンスを逃してはならぬと彼らに話し掛ける。おまえの名前はと聞くのでDino(ディーノ)だと答えると変な顔をしている。後で聞いた話だが何とこのオジサンの名前もディーノだったのである。
これから日本から来たディーノと一緒にオー・ソレ・ミオを歌いますと紹介してくれる。屋根があるので、たいへん良く響く。肩を組んで気持ち良く歌わせてもらう。もちろん大きな拍手とブラボーやパバロッティ・セコンドとかマエストロ等と声を掛けてくれる。
何と不思議なことに土砂降りが嘘のようにあがったではないか。私の太陽という訳にはいかないが雨上がりの空に八月十三夜の月が、ぽっかりと顔を出し広場を美しく照らしていた。
来年の夏もヨーロッパの何処かで広場は劇場だを合言葉に歌っているだろう。大きな大きなボーシを前に置いて・・・・・・Dino
[ディーノ大いに歌う・完] [3月末に・でぃーの・作/創作民話「にこげしょう」を掲載します。お楽しみに。大いに歌う1話はカテゴリー・デイーノぼっくすからご覧ください]



