8/6(精華小劇場)
副題『天野天街と夢の構造』
今回はネットでの予約をすっかり忘れていて、思い出した時には既に完売でもう行くの止めようかと迷ったのだけど、とりあえず当日売りに期待して早めに行きなんとかチケットをゲット出来ました。
でも、席は端だったので少し観にくかった。しかし、流石に人気劇団なんですねぇ、臨時の席まで追加されて満員でした。
さて、公演の感想なんですけどって、ハッキリ言ってこの演劇の感想なんて私には絶対に無理なんでレポートを少し…。
私もこの少年王者館(天野天街)のお芝居は4回目の鑑劇となり、新鮮味というものが無くなってしまったのか緊張感が緩んで途中ウトウトとなってしまった。(苦笑)
こんな風に言うと観たことのない人は、面白くなかったのだと思われそうだがそれは違います。
さっきも言いましたがこの人の演劇を言葉で説明することは難しく、一度でも観てもらわないとどうしようもないのだけど、そしてこれも誤解を招く言い方なんだけど、どれも一緒なんですよ。(爆)(でも、だからダメって問題ではありません。)
これは、例えば画家が同じモチーフで何枚も何枚も絵を描くのと似ているのかも知れませんね。モネが睡蓮の絵を何百枚も描いたように…。でも、鑑賞者はどの睡蓮が一番よく描けているのかという風な見方はしませんよね。
しかし、何作も見ていると、鑑賞者が最初に見た作品のような衝撃や感動を毎回毎回その都度感じられるかって事もあまりありませんよね。
でも、鑑賞者のその時々の気持ちの持ち方で感じ方が変化するってのは理解していただけるでしょう。又何かのきっかけでその衝撃が甦ったり新たな発見があるように、この人の演劇もそんな感じなんですよ。
で、今回の私は緊張感が緩んで少しウトウトとしながら観てしまいましたが、それはそれで思わぬ発見もあったのですよ。
天野天街の作品を簡単に説明すると、彼が描いているのはいつも誰かの夢の中の出来事と言っていいと思うのだけど、誰もが一度は見る夢のように特定の人物が存在せず、同一人物が沢山出てきて、時間が行ったり来たりしてやたらリピートする。夢を見ている本人は何とかその堂々巡りから抜け出そうとするのだけど、どうしてもその迷宮から抜け出せない。
これも皆さんも経験のある夢だと思うが、何か怖いものに追っかけられて、逃げようとして走っても走っても前に進まない例のアレの“夢”の構造と同じなんですよ。
今回はウトウトしながら観ていて、自分の意識が虚ろになってても、ハッキリしても、何時見ても印象が変わらない、すなわちこの演劇自体が“夢”の再現だということが実に明確に理解出来た。これが、私にとって今回の最大の収穫かも知れないですね。f^_^;;
それと、これも“夢”の特徴の一つだと思うのだけれど、この抜け出る事が出来ない迷宮の中に居て、何か突然閃光のような閃きとか悟りのような感覚に出会う時があるのだが、(これは夢からさめるとまた直に忘れてしまうのだが…)この天街作品の中にもそういう場面が必ず存在するのです。
これがある種の感動とか衝撃に繋がるのだが、天街ワールドではその悟りが人間の存在の悲しさやら、儚い希望やら絶対的絶望やらに繋がっている感じがして、それがこの人の作品全体のイメージになっているような気がする。
追記.
今回の公演後対談企画があり、天野天街、土屋亮一(シベリア少女鉄道)、竹内佑(デス電所)の対談があったのだけど、結構面白かった。
いや!、話の内容が面白かったという事でもないのだけど(笑)、この人達の喋り方とか人前でどれだけ自分を曝け出すのかだとか、趣味嗜好だとか印象がこういうモノを創り出す感じでは無いとか、なんか隠しているような雰囲気が妙に面白かったです。
副題『天野天街と夢の構造』
今回はネットでの予約をすっかり忘れていて、思い出した時には既に完売でもう行くの止めようかと迷ったのだけど、とりあえず当日売りに期待して早めに行きなんとかチケットをゲット出来ました。
でも、席は端だったので少し観にくかった。しかし、流石に人気劇団なんですねぇ、臨時の席まで追加されて満員でした。
さて、公演の感想なんですけどって、ハッキリ言ってこの演劇の感想なんて私には絶対に無理なんでレポートを少し…。
私もこの少年王者館(天野天街)のお芝居は4回目の鑑劇となり、新鮮味というものが無くなってしまったのか緊張感が緩んで途中ウトウトとなってしまった。(苦笑)
こんな風に言うと観たことのない人は、面白くなかったのだと思われそうだがそれは違います。
さっきも言いましたがこの人の演劇を言葉で説明することは難しく、一度でも観てもらわないとどうしようもないのだけど、そしてこれも誤解を招く言い方なんだけど、どれも一緒なんですよ。(爆)(でも、だからダメって問題ではありません。)
これは、例えば画家が同じモチーフで何枚も何枚も絵を描くのと似ているのかも知れませんね。モネが睡蓮の絵を何百枚も描いたように…。でも、鑑賞者はどの睡蓮が一番よく描けているのかという風な見方はしませんよね。
しかし、何作も見ていると、鑑賞者が最初に見た作品のような衝撃や感動を毎回毎回その都度感じられるかって事もあまりありませんよね。
でも、鑑賞者のその時々の気持ちの持ち方で感じ方が変化するってのは理解していただけるでしょう。又何かのきっかけでその衝撃が甦ったり新たな発見があるように、この人の演劇もそんな感じなんですよ。
で、今回の私は緊張感が緩んで少しウトウトとしながら観てしまいましたが、それはそれで思わぬ発見もあったのですよ。
天野天街の作品を簡単に説明すると、彼が描いているのはいつも誰かの夢の中の出来事と言っていいと思うのだけど、誰もが一度は見る夢のように特定の人物が存在せず、同一人物が沢山出てきて、時間が行ったり来たりしてやたらリピートする。夢を見ている本人は何とかその堂々巡りから抜け出そうとするのだけど、どうしてもその迷宮から抜け出せない。
これも皆さんも経験のある夢だと思うが、何か怖いものに追っかけられて、逃げようとして走っても走っても前に進まない例のアレの“夢”の構造と同じなんですよ。
今回はウトウトしながら観ていて、自分の意識が虚ろになってても、ハッキリしても、何時見ても印象が変わらない、すなわちこの演劇自体が“夢”の再現だということが実に明確に理解出来た。これが、私にとって今回の最大の収穫かも知れないですね。f^_^;;
それと、これも“夢”の特徴の一つだと思うのだけれど、この抜け出る事が出来ない迷宮の中に居て、何か突然閃光のような閃きとか悟りのような感覚に出会う時があるのだが、(これは夢からさめるとまた直に忘れてしまうのだが…)この天街作品の中にもそういう場面が必ず存在するのです。
これがある種の感動とか衝撃に繋がるのだが、天街ワールドではその悟りが人間の存在の悲しさやら、儚い希望やら絶対的絶望やらに繋がっている感じがして、それがこの人の作品全体のイメージになっているような気がする。
追記.
今回の公演後対談企画があり、天野天街、土屋亮一(シベリア少女鉄道)、竹内佑(デス電所)の対談があったのだけど、結構面白かった。
いや!、話の内容が面白かったという事でもないのだけど(笑)、この人達の喋り方とか人前でどれだけ自分を曝け出すのかだとか、趣味嗜好だとか印象がこういうモノを創り出す感じでは無いとか、なんか隠しているような雰囲気が妙に面白かったです。
それと僕が『それいゆ』や『真夜中の弥次さん喜多さん』、映画『トワイライツ』で何よりも印象深かったのは、笑いの後ろにピタリと張り付いた死の影でした。前作『こくう物語』では、その影が薄かったのが物足りない。その点は今回は、タイトルからしてダークサイドに足を踏み入れている感じがするので、楽しみです。
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これって少年王者舘のダンスっぽくありませんか?
「どれも同じ」というのは、対談の中でも本人が自ら仰っていましたよ。(笑)
あと完成度という点では、今までの中では低いかも知れません。
これも内容は今は触れれませんが、対談の中で名古屋公演を見た方が聞いたら激怒するような事もオフレコのような感じで仰っていましたからね。
今回も夕沈ダンスが何回かありました。個人的には好きなんですが、劇中の中でのこれの挿入の意味ってのが私にはまだ理解できていません。(笑)