東洋大学 学ボラ(旧・東洋大学学生ボランティアセンター)

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夏季TOP気仙沼 第2クール

2019年09月24日 09時29分51秒 | 【気仙沼】

【視察】

白山キャンパス3年の森田です。

911日に視察を行いました。

視察場所はリアスアーク美術館、奇跡の一本松、安波山の3ヵ所です。

視察1ヶ所目に訪れたリアスアーク美術館では、被災当時の写真や、実際に東日本大震災によって破壊された家屋の破片などが解説と共に展示されています。

壊れた呼び鈴、ランドセルや捻れた鉄骨を見ると日常が突然壊される恐怖を、リアリティを持って感じることが出来ました。

2ヶ所目の視察場所である奇跡の一本松近辺で強く感じたのは、環境の変化です。

前回のTOPに参加した際に立ち寄った飲食店が閉店しており、8年半の年月が経ったことによるニーズの変化を感じました。

しかし防波堤は依然建設途中であり、正直完成には程遠く思えました。

年月の経過のみでは知ることの出来ない気仙沼の現状を、自らの目で見るという貴重な経験が出来たことで、実際に訪れることの重要さを改めて感じられました。

 

 

 

 

 3ヶ所目は安波山に実際に登り山頂からの景色を見ました。

震災当時安波山からどのような景色が見えていたのかは想像する他ありませんが、霧の晴間から見える今の景色はとても綺麗で、気仙沼の地が被災地であることを一瞬忘れるほどの美しさでした。

しかし、この絶景は気仙沼に生きる人達の努力があってこそ、ということを決して忘れてはいけないと強く感じました。

 

 

【おひさま保育園】

 白山キャンパス1年の安藤 孝浩です。

 2クールでは912日におひさま保育園で活動を行いました。

子どもたちと遊ぶだけではなく、保育士さんが普段忙しくてできない作業を私たちがさせていただきました。

内容としては、分別作業や草むしり、園庭の清掃、遊具の掃除などを行いました。

 

 

 おひさま保育園は東日本大震災以降、毎月避難訓練を行っています。私たちが訪れた12日に避難訓練がありました。そこでは保育士さんが子どもたちを守り、安全な場所へと避難させる姿を目にしました。もしものことを考え、日頃から命を守る行動を取れるよう備えておくことが大切であると、改めて実感することができました。また今後、災害などが起きた際に大学生として子どもたちや年配の方々、困っている人を助けられる存在になりたいと思いました。

 東日本大震災が起きたのは私が小学校4年生の時でした。ニュースや新聞などの報道で被災地のことを目にしましたが、小学校4年生ということもありボランティア活動や現地に行くことができませんでした。その時の無力感から「いつかは東北でボランティア活動をしたい」「現状を知り、伝えていきたい」という思いがあり、今回参加させていただきました。

活動を通じて必要となるボランティアの形は、時の流れや復興と共に変化していくことを身にしみて感じました。訪れて自分の目で見て実感しないと分からないものが、たくさんあります。

今後も活動に参加させていただきたいと思います。

 

 

KRA

 板倉キャンパス1年の小張です。

 KRAの活動では、いちご農園のお手伝いをしました。伸びた苗を切って整え、肥料を取り除くという作業内容でした。この農園で育てているいちごの品種は「とちおとめ」で、この品種は甘みが強いことが特徴だとおっしゃっていました。栽培された後、多くの人々に味わって頂ける日が待ち遠しいです。

 

 

 この農園はいちごだけでなくねぎも栽培していました。頂いたたくさんのねぎは、鍋の中に入れて味わいました。鍋に入れてクタクタになったねぎは甘くてとても美味しかったです。

 

 

 気仙沼に住む農家の方々の温かさを実感でき、素晴らしい体験をさせて頂きました。

多くの人々に気仙沼で育ったいちごとねぎの味を楽しんでほしいです。

皆さんにも農業を通して、気仙沼の良さを知ってもらいたいと思いました。

 

【視察】

 板倉キャンパス1年の金子です。

 私は気仙沼市東日本大震災機構・伝承館について話します。

伝承館では震災時の津波の映像、震災直後の町の風景写真を見ました。震災遺構である気仙沼向洋高校旧校舎は震災に耐え、外観は残ったものの、校内は津波の影響を強く受けていました。下の写真は屋上から見た景色です。あの海から凄まじい勢いで津波が押し寄せたことを想像すると、足が震えました。

 

 

1番心に残っているのは、私と同い年(当時10)の少年が毎日休まずに瓦礫の中を1人で歩いて水を汲みに行っていたことです。私が同じ状況にあっていたら出来ていただろうかと考えました。未来が明るくなることを願って、強く生きていることに感動しました。

東日本大震災から8年半が経った今でも、まだ完全には復興していないことが、被災地に訪れたことで分かりました。実際に自分の目で見て身体で感じることで新しく気付くことがあると知り、またボランティアに参加したいと思いました。

 


夏季TOP気仙沼 第1クール

2019年09月24日 09時17分18秒 | 【気仙沼】

【視察】

白山キャンパス社会学部社会学科2年の上木麻里奈です。

視察の報告をしたいと思います。まず伝承館は、陸前階上駅から徒歩10分の所にある震災伝承施設です。そこでは、旧気仙沼向洋高校の震災後の現場がそのまま残されています。普段と同じように授業をしている時に、教室よりも断然高く大きな津波が襲ってくるところを想像すると、恐怖でしかありません。逃げようにも頭が真っ白になると思います。校舎内は津波の届かなかった屋上を除いて、あらゆる物が散乱し、床のタイルは剥がれていて、震災の悲惨さが伺えます。その中でも特に教室に突っ込んだ車は、より震災の恐怖を思わせるものがあり、印象的でした。実際に見る現場は、テレビで見るよりも何倍も迫力がありました。そしてそれは実際に見た人でしか、分からないものだと思います。なので、より多くの人にこの現場を見てほしいと思いました。伝承館を通して、周りの人々の大切さ、一瞬にして日常を失う恐怖、そしてそれを前にして逃げることしかできない無力さ、時に脅威となる自然との向き合い方について考えさせられました。そしてその上で、この震災を風化させないために、より多くの人に知ってもらうために、私はこの経験を伝播して行きたいと思いました。 



次にシャークミュージアムは、気仙沼駅から徒歩20分の所にあります。そこでは、サメの生態について紹介されている他、-20度の世界を体験できる氷の水族館、お土産コーナー、フードコートがありました。氷の水族館では、体感したことのない寒さに圧倒され、氷に映し出される綺麗なプロジェクションマッピングを楽しめて、思い出深い体験ができたと感じました。 

サメの生態のコーナーでは、サメの模型が展示されていて、歯はなんと本物のもので作られているとのことでした。大きな口の中を覗くと、本当に吸い込まれてしまいそうで少し鳥肌がたちました。他に、サメの種別による食らいつき方の違いを紹介していて印象に残っています。昼食は、フードコートにて私は三陸磯ラーメンを食べました。魚介のダシが効いていて雨の寒さが吹き飛ぶような温かさがあり、とても美味しかったです。皆さんにも是非、そのラーメンを食べてほしいと思いました。



KRA

白山キャンパス社会学部社会学科2年の磯部眞帆です。

9/10KRAはネギの収穫作業を行いました。ただネギを収穫するといってもやわらかくて細めのネギだったため、根本の方を持って丁寧に抜くことが重要でした。また、収穫したネギを荷台に乗せるためにネットにまとめる作業も行いました。一つのネットにまとめるネギの量が少ないと運びづらかったりと、簡単そうに見えてとても難しい作業でした。非常に暑い中での作業となりましたが、従業員の方々が気さくに話しかけて下さり、楽しみながら行うことができました。私達はほんの数時間お手伝いをさせて頂いただけで疲れてしまったのに、農家の方はこうした作業を毎日行ってやっと商品を完成させていると思うと、日頃簡単に手にしているもののありがたみを感じました。日常生活ではなかなかできない体験をすることができ、本当に良かったです。

 

 

【視察】

白山キャンパス社会学部メディアコミュニケーション学科2年の生井(なまい)です。

911日に私たち1クール目の視察にいって参りました

まず、最初に訪れたのは〈リアスアーク美術館〉です。ここは普通の美術館とは違い、歴史物の展示物や章をもらった学生さんが描いた絵画が展示されています。今回、企画展示室と言うところに「東日本大震災の記録と津波の災害史」という展示物を見て色々学びました。ここの展示物は約2年間の震災被害を記録しており、被災現場で撮影した写真と収集した被災物などこの場所で起きたことがこのリアスアーク美術館に集まっています。自分は被災地の現場を初めて見てこんなのにも被害に雲泥の差があるのだと実感し、この場所を訪れて衝撃を受けました。自分もこの震災が起きた日は小学6年生で3階の一番端の音楽室で授業をしていたときに起きました。ピアノが動いたり、棚のガラスが割れるなど今でも怖い思い出です。学校が揺れに揺れ、本当に崩壊してしまうのかと思いました。なんとか外に避難し、命に別状はありませんでしたが、もし自分の学校が海に近かったらと考えると被害も違ってくると思いました。もしかしたらまたこういう出来事が起こり自分の身に振りかかるかもしれない、だからこそ自分の命を守ることや、色々とこれからの先のことを考えるべきだということを、このリアスアーク美術館に教えられ学ぶことができたと思います。



もう1つの視察場所は、〈奇跡の一本松〉です。

そもそもここには、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地でもありました。しかし津波によって被害を受け、たった一本しか残りませんでした。それが〈奇跡の一本松〉または〈希望の松〉として呼ばれるようになりました。震災後、復興を象徴するモニュメントとして多額の費用を求められながらも保存作業し、残すことが決定されました。自分はテレビとかで見たことがなく、今回初めて訪れて見ることができました。その日はあいにくの土砂降りで間近で見ることができませんでしたが、更地の中にたたずんでいる姿にすごく感動し勇気をもらえました。今後どうなるかはわかりませんが、もしまた来れるのならあの姿のままいて欲しいと願っています。

 

 

 

 


夏季TOP大船渡

2019年09月23日 18時02分51秒 | 【気仙沼】

 

板倉キャンパス2年梅岡、仲宗根です。

 

私たちは201992日〜7日にかけて岩手県大船渡市にてボランティアを行いました。内容としてはビーチコーミング、廃材処理、ホタテデッキカフェの建設、海底調査、夏虫山と恋し浜駅の視察でした。

 

ホタテデッキとは、恋し浜駅の目の前に作られた建物で、恋し浜のお土産や三鉄グッズが売っていて、焼いたホタテも食べることができます。カフェはすぐ隣にあり、黒を基調とした落ち着いた雰囲気を持っています。建設中です。

 

作業としては

 

93:ビーチコーミング、廃材処理(釘抜き、木材の分別、木材切断、プラスチック切断)、シュノーケリング

 

94:ホタテデッキカフェの建設(外壁装飾、天井板張り、板材の加工、杭打ち)、恋し浜駅の視察、海底調査

 

95:廃材処理(釘抜き、木材の分別、木材切断、プラスチック切断)、夏虫山視察、ホタテデッキカフェの改装(カウンター台作成、板材の加工、杭打ち、窓枠作成)、海底調査

 

96:ホタテデッキカフェの建設(窓枠作成、窓枠のコーキング、板材の選別、外壁内壁修理、草刈り、防腐剤塗り)、海底調査、エコフの方々との交流

 

と行った感じでした。詳細を下に書いていきます。

 

 1日目は行く道で初めて三陸鉄道に乗り、大船渡の海岸で貝拾やシーガラスを拾いシュノーケリングもできて、盛り沢山の一日でした。廃材処理とは廃材の中からまだ使える板と使えない板を選別し再び利用するというものです。釘の抜き方、木材の解体の仕方、工具の使い方など地元の方々が丁寧に教えてくださりスピーディーにお手伝いできるようになりました。またシュノーケリングでは実際にシュノーケルとヒレをつけウェットスーツを着て海に潜ることができました。沖には魚がいて最高の思い出を作ることができました。

 

2日目はホタテデッキカフェの建設を行いました。まず外壁にビーチコーミングして拾った貝殻を綺麗に貼り見た目を美しくしました。また天井に板を貼るために板を正確に切断しトンカチと釘を使って固定しました。上を見上げながらの作業はとても大変でしたが徐々に作られていく天井に感動しました。

またホタテデッキカフェの近くにある恋し浜駅の視察をして、改めて震災の傷を感じることができました。また恋し浜駅にあるホタテにはたくさんの人々の応援メッセージがあり、復興活動にさらに力を入れようと感じました。

また朝5時ごろに地元の方々の船に乗らせていただき海底調査のお手伝いをしました。海底調査ではダイバーの人が酸素ボンベをつけて海の安全を守る姿に心を打たれました。

 

3日目は廃材処理の続きを行った後、ホタテデッキカフェのカウンター台作成を行いました。ひとりひとりが自分のやるべき仕事をして着々と完成に近づくホタテデッキカフェに感動しました。また夏虫山という大船渡市にある山の視察に行きました。山頂から見た大船渡市の景色はものすごく美しく、この景色、街並みをこれからもみんなで守っていきたいと改めて思いました。

この日も朝5時から船に乗らせていただき海底調査のお手伝いをさせていただきました。地元の方々は毎日朝早くから海の安全を守っていることに心を打たれました。

 

最終日の4日目はグループに分かれ別の作業をしました。最終日ということもあり、より一層力の入った活動となりました。芝刈り機を使ってでの作業では、慣れない部分もありましたが後半はコツを掴み、効率よく進めることができました。窓枠のコーキングとは防水性を高める加工のことです。知らない言葉や作業も多いなか、一から教えていただくので知識が広がり建築への関心が深まりました。また途中から来たエコフの方々とも交流を深めやっと仲良くなってきました。

 

この34日を通してとても刺激的な体験をすることができました。

大船渡について知り、大船渡で大切な人に出会い、繋がりを大切にする。そして大船渡のファンになり、魅力を広く発信する。

TOP大船渡では、この事を大切に活動してきました。これからも大船渡市の復興に携わり、大学生や若者から日本全国を元気に幸せにしていきたいです。




春季TOP大船渡 ブログ

2019年03月28日 22時13分49秒 | 【気仙沼】

川越キャンパス一年、大艸です。

 

私たちは2019年3月6日、7日にかけ岩手県大船渡市にてボランティアを行いました。内容としてはホタテデッキの建設、隣にできるカフェの床板貼り、電線用の穴掘り、大船渡市の視察でした。

ホタテデッキとは、恋し浜駅の目の前に作られた建物で、恋し浜のお土産や三鉄グッズが売っていて、焼いたホタテも食べることができます。完成していたのですが、今年1月の強風によって屋根が破壊され、ただ今復旧中です。カフェはすぐ隣にあり、黒を基調とした落ち着いた雰囲気を持っています。建設中です。

 

作業としては

1日目:屋根板の仕分け、名前掘り、床張り作業

2日目:床張り作業、電線用の穴掘り

と行った感じでした。詳細を下に書いていきます。

 

 

2015年に完成していたホタテデッキですが、今年1月の強風によって屋根が吹き飛んでしまいました。二号棟(カフェ)完成間近に一号棟(ホタテデッキ)が壊れてしまうというハプニング。バラバラになってしまった屋根板が集められていたので、その中から使えそうなものを選別し、大きさ、種類、サイン入りのもので分けます。

 

ホタテデッキの壁には多くの有名人のサインが書いてあり、その一部が屋根にまで及んでいました。

 

ホタテデッキの屋根には多くの有名人のサインが書いてありました。

 

多くの人が訪れ、さまざまなメディアに紹介されていたことがわかりました。東日本大震災で大きな被害があった恋し浜駅を復興の拠点とし、活気を取り戻そうとした佐藤さんの思いは広がりつつあったのだと感じました。そんな中、強風で屋根がなくなってしまったホタテデッキを治すことで、少しでも大船渡市の復興を手伝うことができたらと、より一層思うようになりました。

 

選別した屋根をスズランテープでまとめ、ブルーシートをかけた所でこの作業は終了しました。

 

 

デッキの床にはホタテデッキに携わった人の名前が彫られています。私たちも掘ってきました。ペン型のドリルで掘ります。

 

 

 

カフェとホタテデッキをつなげる電線を埋めるための穴も掘りました。硬い土壌だったためスコップだけでの掘削作業は難しく、ツルを使って掘り返しました。幅20センチ、深さ15センチの穴を10メートルほど掘り進めます。一週間後には無事に電線が埋まり、カフェにも電気が通るようになりました。

 

 

まずは床梁の間に落ち葉や埃がかなり落ちているので、その掃除から始めます。掃除をした後に床張りに入ります。カフェの床板は廃材から使えそうなものを探し、それをビス打ちで貼り付けていきます。電気ノコギリを使う作業などは佐藤さんたちがやってくれるので、私たちは言われた大きさの板を山積みになった廃材置き場から中に運び入れます。廃材はおよそ50~70本ほどあり、1つ重さは5.6キロあります。それをカフェの内部の柱の形に合いそうなものを選び運びます。また、床板の大きさが合わない事が多いのでバールで床板を少し浮かせて、上から一気に体重をかけてはめ込んでいきます。傷が入っているところには防腐剤を塗っていきます。こうして床が完成します。

この日は全体の床の3/5程度終わらせることができました。

 

 

 

 

⚪︎ど根性ポプラ

東日本大震災の津波によって周りの木が倒木してしまう中、唯一残った「ど根性ポプラ」を見に行きました。海の近くに立っているこのポプラ、周りにはベンチや花壇がきれいに整備されてるので、多目的広場として使用されています。夏はバーベキュー用品も借りることができます。一目見た時、この木の生命力や、力強さ、パワーを感じました。その理由は「周りに何もないから」だと思いました。津波によって周りが流されたなか、奇跡的に残ったこの一本だからこそもっている存在感なのだと感じました。

その近くにある三陸大王杉は、高台の上にあります。樹齢7000年と言われているこの木は天然記念物に指定されています。大きさに圧倒されるので、ぜひ一度見に行ってみてください

 

⚪︎恋し浜駅

恋し浜駅にはホタテ絵馬というものがあります。ホタテの貝殻に願い事を書き、駅にたらされている紐に吊るします。無料でできます。昨年の夏に行った時は、100メートル近いスロープの壁に、カーテンのように吊るされていましたが、今は整理されて100枚程度になっていました。みんなで願い事を書いてきました。美味しいものが食べられますように、と書いた僕は1時間後の昼食でその願いが叶うことになる。即効性に長けている絵馬だと実感しました。

 

 

 

 

 

大船渡が津波の被害にあい、そこから引っ越した人も多かったそうです。しかし、佐藤さんらはそこに残る道を選び、さらに駅前に土地を借りて商業施設をつくり、それを復興の拠点にしていこうと考えました。当初は無謀な挑戦に捉えられたそうですが、地元の人が佐藤さんを信頼している姿やホタテデッキに書いてあったサインの数を拝見して、現在ではそのような風潮はなく寧ろ市をあげて佐藤さんらを応援していると感じました。

 

今はホタテデッキが営業を中止しているため、儲けも出ていない状況にあります。しかし、佐藤さんらは続けて活動を行なっています。そんな佐藤さんらの一生懸命な思いを汲み、微力ながらもこの活動を応援させていただきたいととより一層思いました。

 

この3泊4日を通してとても刺激的な体験をすることができました。

私たちは続けて大船渡に通い、佐藤さんの活動にさらに貢献できるよう励みたいと思います。

 

 

 

 


気仙沼第2クール

2019年03月22日 21時35分54秒 | 【気仙沼】

今回の春季TOP気仙沼、第2クールは3月11日から14日まで活動を行いました。
今回行った内容を紹介していきます。

【おひさま保育園】
川越キャンパス2年の反町亮徳です。
3月12日におひさま保育園にて活動を行いました。
主な活動としては、園内の細かい場所の掃除や園児と触れ合ったりしました。また園長先生と東日本大震災や復興、ボランティアについてお話を聞く時間を頂きました。
お話の中で、保育園は復興の最初とおっしゃっていたのが心に残りました。それは親が働けないと復興が進まないからだと教えてくださいました。自分には保育士の資格があるため、自分ができる「復興」を行うという覚悟があったということを知ることができました。また楽しむ目的や何も考えずにボランティアをやることはやってほしくないが、風化はさせたくないという、復興支援ボランティアを受ける側としての考え方や思い、迷いなども教えてくださいました。
活動の最後に保育士の人数が足りていなくて、子どもたちを見るので手一杯で細かいところまで掃除する時間がないため、今回来てもらえて助かったと言ってもらいました。
一見復興支援とは関係のない保育園でのボランティアですが、被災した地域の本当に必要なことを行うのは復興支援ボランティアの一種であると思います。本当に必要なことをやれたと思えて嬉しかったです。
私は今回初めて東日本大震災の被災地でボランティア活動を行い、さまざまなことを感じ経験することができました。実際に行ってみないとわからないことがたくさんあることを知ってほしいです。「8年」という月日だけを考えて復興が終わったかどうか判断してほしくないです。
「伝える」ということは実際に行った者がやらなくてはならないことだと思います。また、「伝える」ことは復興支援ボランティアの一種でもあると思います。少しでも多くの人にこの経験を伝えたいと思います。




【KRA・伝承館】
白山キャンパス1年の芹澤です。
KRAの活動では、農園のいちごを栽培しているビニールハウス内の掃き掃除をしました。この農園は国の復興事業として始まり、現在はいちごとねぎを栽培しています。そして昨年の冬に出荷が始まったばかりだそうです。人手不足で中々ハウスの床の掃き掃除までは手が行き届かなかったそうなので、少しでも力になれて良かったです。
休憩の時にはいちごを試食させて頂きました。甘くて本当に美味しかったので、皆さんにも気仙沼のいちごを知ってほしいです。



KRAの後は気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館に行きました。伝承館では大きなスクリーンでの津波の映像や震災直後の写真が展示されていました。そして、震災遺構である旧気仙沼向洋高校の校舎は津波の爪痕が残されていて、とても生々しかったです。屋上にも登りましたが、すぐ足元にまで津波が迫っていて目の前で家や人が流されている状況を想像すると、恐怖で鳥肌が立ちました。
ここを訪れたことで学んだこと、感じたことがたくさんあります。そして東日本大震災を風化させてはいけないという気持ちが強まり、また気仙沼でボランティアをしたいと思いました。自分の目で確かめることの大切さを改めて感じた時間でした。




【視察】
国際観光学部国際観光学科2年の奥名です。
私たちは3月13日に視察を行いました。
最初に訪れたのは『リアスアーク美術館』です。ここはアートをはじめとする様々な展示物があり、私たちは企画展示室と言うところに行き、東日本大震災の記録と津波の災害史について見て学んできました。震災直後から2年間にわたり、学芸員の方々の被災記録調査活動によって得られた写真や被災物、津波災害の資料が展示してありました。私自身初めて現物を見たということもあり、衝撃を感じた場所でした。実際に見る事により被害の大きさを実感し、当時小6だった私は事の大きさを分かっておらず、改めて被害の大きさを感じました。また、ここには「復興」「ガレキ」「伝える」など、震災に関わる言葉の説明が書かれている物が多数あり、1つ1つ読んでいると日本語の難しさを感じ、言葉の選び方や伝え方について改めて考えさせられました。
もう1つの視察場所は『奇跡の一本松』です。
ここには元々350年に渡って植林されてきた約7万本の松の木が茂り、日本百景にも指定されていた景勝地でしたが、東日本大震災による津波の被害を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されました。しかし一本だけ津波から耐え抜き、立ったままの状態で残りました。このことから『奇跡の一本松』と呼ばれるようになり、この松は震災復興を象徴するものとして残す事が決定し、保存作業をするため解体作業が行われ、また今の位置に戻され残っています。テレビでしか見てこなかった一本松の周りは、津波の被害を受けたホテルの遺構や被害を受けて更地になっていたりするため、津波を耐え抜いて立っている状態で残っていたことが、どれだけ凄い事かを実感しました。一本松の背景には高い防波堤が作られており、着々と復興作業が行われていると感じつつも、内陸部に比べたらまだまだであると感じました。




【あとがき】
社会学部社会文化システム学科2年の松本拓巳です。
今回のTOP気仙沼は参加者全員にとって、気仙沼の現状を知ることや、ボランティアとは何かについて再確認するための良い機会になったと思います。今回の参加者にもいらっしゃいましたが、東日本大地震から8年経過しているため、復興はすでに終わっていると思っている方もいます。マスメディアでも現状をあまり報道されなくなりつつあるため、そう思うのは当然だと思います。8年という月日が経ち風化が恐れられている気仙沼を、今後はさらに伝えていかなければならないと思いました。しかし、百聞は一見にしかず、という言葉があるように伝えていくだけでは、気仙沼の現状を明確に理解することはできません。一度でも自分の目で確認することで、今回の参加者のように気仙沼に対する見方が変わる人もいます。そのためにも、TOP気仙沼にたくさんの人が参加したい、と思えるよう精一杯頑張っていこうと思いました。