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【蒸れ夏】完結後スピンオフやるか迷う。

スピンオフ、つまり外伝よな。

【蒸れ夏】ストーリー開始前の時間軸と終了後の時間軸で、鯉月(あかつき)兄妹視点の一人称視点でやろうと思っているのですけれども。

 一人称視点で書くのめちゃくちゃ久し振りなので、それがちょっと不安要素。

 そして三人称視点で書かれていたものだと一人称視点にしたときに、なんかこうちょっと、読者それぞれが違うキャラクター像を抱くことは大前提に、作者ですらキャラクター像にブレが生じそうな気がしないでもない。

 三人称視点のヒロイン視点ではあるけれど、作者的な立場として"ヒロイン以外のこのキャラクターはこういうつもりで裏設定でこういうのがあってこういうセリフや行動になっている"のはあるのですが、それを一人称視点での書き方にするともっとキャラクター性というか、キャラクターの中身に踏み込むことになるんですわなぁ。
 あと一人称視点であるがゆえの、視点主と作者わたくしの乖離が面倒臭いというか疲れることもある。

 読む側としてはわたくし一人称視点の作品あまり好きじゃないんですよね。なんか苦手なん。

 18禁BLでは一人称視点で書いたこと何度かあるのですが、ヘテロ恋愛は18禁で一人称視点はやらないかな。18禁ではないヘテロ恋愛はやるかも知れないが。
 
 ヒロインさん、わたくしも惚れてるというかわたくしが惚れないと18禁ヘテロ恋愛のヒロインに成り得ないので、一人称視点で書くのってある種の自分と視点主とのフュージョンというか、共通した知識や語彙の擦り合わせだったりもするので、なんか言語化できないのですが、誤魔化すとするも、共鳴-レゾナント-なので、惚れた相手との一体化はちょっとムリだな、っていうか。
 惚れた相手には他者であった欲しい、みたいな?
 
 この一体化とかフュージョンとか擦り合わせっていうのは、別に視点主に自分を丸々投影している、みたいな感じではないです。
 
 厳密にいうと創作は作者のエッセイとか日記とか夢日記、妄想日記、理想手帳、Todoリストみたいなところはあるとは思うんですが、厳密にいわないと、希釈したもの(薄めること)だったり分散したり、なるたけ客観的に多面的に俯瞰したものだったりもするわけなので。

 作品と作者を分けて楽しむってのはあると思うんですけど、多分それは素行面の話なんだよな。作品と作者という項目分けをするからややこしくなるので、「作者」という項目の「作者の力量(作品に反映されて可能性が高い)」と「作者の素行」「作者の価値観(作品に反映されていない場合もある)」という項目で分けてみるというのが厳密なところなのかも分かりませんね。

 作者が嫌いで作品の名前聞くたびに嫌いな感情が呼び覚まされるってやつはめちゃくちゃ理解できます。

 現実と虚構ではなく、現実の中にしか虚構は存在できないのかも分かりませんからね。

 各々、どのような構図を抱いていて、どのように重視しているかの違うですからね。


 なんの話なん。

 スピンオフをするのかしないのかの話なんよ。

 話逸れてきたのでまた今度。


2000字弱。
 




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