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のんびり秋田から日々のこと

なぜ専業農家を辞めたか

2020-08-03 22:02:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

農業短大を卒業して専業農家になった。
農業関連の資格や公務員の道もあったが
あえて専業を目指した。

父は私に農業を継がせたいと
規模拡大していた。
本当は農業高校を卒業したら就農する
約束だったが、もう2年勉強させて
くれないかとお願いし農業短大に進んだ。

いろんな意味で良かったと思う。
人生の様々な体験もした。
今ならインターネットで検索すれば
済むが、困難にぶち当たったとき
どうしたら解決することができるか
術を得ることができるようにもなった。
県内や県外の友達もでき考え方の視野が
広がったようにも思う。
父には本当に感謝している。

農業で一旗あげよう思った。

両親は稲作と葉タバコ栽培。
私は大根の栽培から始まり、
アムスメロン、ユリの球根栽培、
長芋の栽培を経験した。

当時は給料制ではなく
肥料などの費用は父持ちで
売上は自分の通帳に入っていた。
贅沢をしなければなんとか
やっていける稼ぎだった。

結婚は私22歳、妻21歳。
妻には申し訳ないが働きに出てもらった。
子供もできたが、私といえば
農協青年部の活動や消防団として
走り回った。

先輩からは苦労は買ってでもやるものだ。
とか いつか役立つ時があるなどと
諭されていた。
当時就農者は珍しく金の卵として
先輩達に可愛がっていただいた。
米価も高く稲作の栽培技術にも熱が
はいった頃である。

当時の自宅は茅葺屋根で座敷の戸は
漆塗りだった。(今からして思えば
古民家として利用できたかもしれない)
私達親子は座敷に寝ていた。
冬になると隙間から雪が入ってくる
こともあった。
そのことについて
妻の不満は聞いたことがなかった。
夏は涼しくて冬はみんなで包まって
寝たらあったかいね てなもんだった。

それでも子供達が大きくなるにつれて
家の建て替えを考えるようになった。
当然名義は長男である私だろう。

しかし お金を借りることになって
私だけでは信用が足りないという。
農家の跡取りだけでは社会的な評価は
低いらしい。

凄くショックだった。

仕方なく父と妻の名義も借りて
3人の共有財産となった。
35年ローンの始まりである。

冬の間、アルバイトに行っていた現在の
会社に周年雇用してもらい兼業農家に
なった。ローンの支払いが私の役目になったのである。

のちに正社員となるが
30代になってからの会社勤めは
慣れないことが多かった。


しかし50代になって振り返ると
確かに人生に無駄なことなどなかったと
思う。人脈はあったし、早くから
正規の簿記による経理をして
いたことが今の会社で役立っている。

来年には還暦を迎える歳になった今
あらためて農業に力を入れたいと
思っていた。

そんな矢先、有機無農薬栽培に
取り組む友人ができた。

人生って偶然だと思うようなことも
実は必然として現れているのではないか。
そう思うことがある。








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